第4話

 004



 ポートウォールに戻ってから、私はネイロに十日分まとめて愛してもらった。なんとなく、他の男と出会ったことに対する罪悪感のせいだろうなと思った。



 ……いや。



 そもそも、愛してもらったという言葉は正しくない。ネイロは執事というか下僕(この言い方、他にどうにからないだろうか)の仕事をこなしているだけであって、それはベラとの過去が証明しているのだから疑いようのない事実だ。



 結局、私はいつの間にか一番なりたくなかった権力を振りかざす貴族になってしまっているワケだ。そんなことを考えると、もっともっと甘えて私を下に見て欲しいだなんていう、何とも歪な感情を抱くようになってしまった。



 これは、きっと巷で聞く若者の病のメンヘラというヤツだ。



 まったく、三十路のメンヘラだなんて嫌になる。こんな経験は、普通の女なら十代までに終わらせて気持ちに踏ん切りをつけるだろうに。それとも、実は同じような悩みを抱えている三十路の女もいたりするのだろうか。



 しかしながら、私はあとどれだけの期間メンヘラを患うことになるのだろう。少なくとも、ネイロに恋をしている間は治りそうにもないな。



「ねぇ、ネイロ」

「なんだい? リア」



 私は、既に着替えを終えて座りながら白い手袋をはめるネイロに裸のまま抱き着いた。



「私のこと、愛してる?」

「えぇ、もちろん愛してますよ」



 ……ネイロは、敬語を使った。答えは、それで充分だった。



 別に、だからといって私の気持ちが変わるワケでもない。そんなふうにカッコつけられれば、どれだけよかっただろうと今になって思う。メンヘラな私は、どうしてもネイロの心を私のモノにしたくなるという、ベラが最も恐れていた方向へと気持ちが変わってしまった。



 身分の差なんてどうだっていい。ただ、ネイロに認めて欲しい。この時の私は、そんなことしか考えられないくらい彼に夢中で――。



 ……うん。



 きっと、愛の言葉が嘘ではないと信じるしかなかったのだ。



「仕事の時間です、ご主人様。本日のスケジュール、読み上げましょうか?」

「……いや、いい。どうせ、今日はデータセンターの報告会で一日が潰れる。例のパレードのために、頑張らなくてはな」

「流石です、ご主人様。よく、ちゃんと覚えておられましたね」

「え、えへへ。口調がごちゃ混ぜになるからやめて、くれ」



 しかし、運命とは思わぬ角度からやってくるモノだ。



 街が活性化したおかげて移民が増えたポートウォールは、翌年、統治上の都合により新たな貴族を迎え入れることとなった。あとになって聞いた話だが、この募集に対して私の統治補佐を買って出た若い貴族が多数現れたそうだ。



 そんな中から、プレリア領を含めた西海岸全域を統治するベロニカ公爵閣下の御子息であられるカリム様が選ばれた。恐らく、将来的に西海岸の支配を行うカリム様に、成長目覚ましい街の実態を学ばせるための配属なのだろうと私は考えていたのだが――。



「プレリア卿、あなたは僕の理想の女性だ。是非とも、結婚を前提にお付き合いさせて欲しい」



 そういって、ベロニカ様は連日私を尋ねるようになった。



「……今は、考えられる時分にございません」



 その愛が嘘か真かは分からないが、少なくとも家柄の良さは保証されている。もしも、私が彼と結婚することになったのなら、西海岸には二次産業の、例えば缶詰の工場でも大量に建設して更なる発展を目指すようになるのだろう。



 そうなれば、新たな発電所も必要になるし、人口だって今よりもっと必要になる。そのための資金を得るためには、確かに彼を受け入れることは最も平穏への近道となるだろう。



 無論、だからといって、この恋心を割り切ることなど出来ないけれど。



「カリム様、どうしてここに? 本日は座談会に参加すると聞いておりましたが」

「あなたに会いたくて出てきてしまったのですよ、プレリア卿。今晩、お暇はありますか?」

「生憎ですが、忙しいのです」

「では、明日は?」

「忙しいです」

「なら、明後日――」



 思わず、私は彼の言葉を遮っていた。



「カリム様。あなたは、プレリア領の現状を把握しておられますか? カイザーの勅命により、我々の領地から莫大な資金を献上差し上げなければならないのです。この街の力を示せとのご命令なのです。とても税金で賄える額ではなく、負担を領民のみに強いてしまえばたちまち発展が滞ってしまう状況なのです。そのために、我々は一丸となってパレードの準備をしています。そんな中で、貴族だけがのうのうと過ごすだなんて示しがつかないと思われませんか?」



 ……まったく、毎夜甘えっぱなしの私がどの口でほざくんだか。



「だから、僕が呼ばれた。そうでしょう?」



 結論から言えば、カリム様は大口を叩けるほど優秀な人物ではなかった。



 彼は典型的な保守派の貴族というか、とにかく生まれを誇り優雅な生活と伝統を守ろうとする男だった。執務において秀でた才能と呼べるモノはないが、劣っているモノもなく能力的に平凡。与えられた仕事は卒なくこなすが、自分から何かを成そうという気概は感じられない。



 管理するのは、水道局や郵便局と言った生活インフラの施設ばかり。自分の仕事が終われば私の元へやってきて、デートの申し込みをしてから屋敷に帰る。そんな生活を続けるのみで、ハッキリ言って私は彼にペタペタと甘える気にはなれないと思っていた。



 男には、もっと余裕を持っていてほしいというのに。



「それはよくありません、ご主人様」



 夜。



 二人きりにも関わらず、ネイロはそう言って資料の本をパタリと閉じる。



「よくない、とは?」

「わたくしとの関係を他の男性に求めるのは違う、と言っているのです。それはそれ、これはこれ、カリム殿下にはカリム殿下との関係があるでしょう。案外、それだって気に入るかもしれませんよ?」

「つまり、自分よりも位の高い男を試せ、と?」

「それが、女性の特権だと愚考します。ご主人様。第一、あなたの血を絶やさない為には絶対に必要なことです」



 私は、ネイロをキスで黙らせようとしたが。しかし、唇を押し付けても、離れた彼はいつものように頭を撫でてくれるワケでもなく、ただ真剣な面持ちで私を見ていた。



「ど、どうしたの?」

「ご主人様。プレリア領は、この二年半で実に豊かになりました。元々、あなた様の統治する場所だったこともあり、犯罪率は低く領民も誠実で真面目な方ばかりだったのが大きいのです。みんな、ご主人様の背中を見て清くあろうと生きた結果が今のポートウォールの栄華なのですよ」



 きゅ、急に何を言い出すんだ。



「これから先、ウィンデ侯爵閣下のように聡い貴族は次々にあなた様のやり方を学ぼうとポートウォールを訪れるでしょう。ならば、その聡い貴族は自らの領民にも賢いやり方を勧めるハズです。こうして国が盛り上がるにつれてあなたの功績もクー・クリウス帝国全土に知れ渡り、未来永劫、帝国の高度経済成長に貢献した偉大なる貴族として歴史に名を刻むのです」



 それは、一つ残らずネイロの功績ではないか。あの日、私はただ現実から目を背けて机に突っ伏していただけだろう?



「違います、わたくしはあなたの下僕であり、ここでのわたくしの功績はすべてがあなたのモノなのです」

「理屈は分かるが……」

「そして、そんなあなたに子孫がいないことなど国民が許しません。カリム殿下は、実はとても真面目で誠実な方です。それに、ベロニカ家は魔術師の家系ですから、女性の扱いや執務に長けていないことは当然です。むしろ、長い魔術の修行の末にようやく貴族社会へ出たばかりの殿下が、平均的にこなせるのは素晴らしい才能の賜物であるとわたくしは思います」



 私のブラウスの襟を直しながら、更にネイロは言葉を続ける。



「あなた様と同じなのですよ、ご主人様。剣術しか知らなかったあなた様が、これほどまでに慕われる領主となったのですから。今は魔術しか知らない殿下だって、必ず色々なことをこなせるようになります」



 ……彼の優しい笑顔を見た時、私は突如として胸を締め付けるような感覚に襲われた。説明されるまでもなく、ネイロが何を言い出すのかが分かってしまったからだ。



「もう、わたくしの役目も終わったのです。一人の義賊として、新たな場所へ向かわねばなりません」

「……だ、ダメだ」



 ネイロのいない生活が、私には想像できなかった。人生の道が、そこで途切れているような衝撃だ。ずっと、ここまで続いていた花畑の先が、まるで斬り裂いて落ちたように真っ暗に思えるほどだった。



「わたくしには、わたくしのやるべきことがあるのです」

「ダメだ!! そんなのは絶対にダメだ!! ネイロがいなくなったら、私はまたやる気を無くすに決まってる!!」

「ガーベラお嬢様は、結婚してアクィラ公爵とわたくしの想いを継いでくださった。この街でも、きっとご主人様とカリム殿下が継いでくださると確信しております」

「無理に決まってる!! だ、大体、義賊の活動など刹那的なその場しのぎに過ぎないではないか!! 他の街に行ったって、必ずそうなるんだ!! その施しには意味なんてないんだ!!」



 ……なんて酷いことを言うんだ。



 私は、こんなにも利己的な人間だったのか。ネイロが人生をかけて成そうとしている目的に対して、私はこんなにも非道なことを言ってしまえるのか。



 恋とは、こんなにも醜いモノだったのか。



「確かに、わたくしの活動などその場しのぎにしかならないかもしれません。何度やっても少しも改善されない。それどころか、井戸や錬成炉を寄付しても解体されて売りに出される、なんてことも何度もありました」

「だったら!!」

「しかし、凌いだその場の人間が新しい命を産み、その命が将来国を導く存在になってくれるかもしれません。その命がダメでも、その次の命が光になってくれるかもしれません。わたくしは、そんな可能性を信じているのです」



 ……しかし、その醜さを優しく照らす彼の光を見て思った。



 彼こそが、クー・クリウス帝国に仕える、ただ一人の本物の騎士なのだと。



「アクィラ公爵殿下に出会い、わたくしはわたくしの活動が無意味でないことを知りました。最初は打算で近づいたわたくしを、かのお方は寛大な心で包み込み、あまつさえ村々を救うために力を貸してくださったのです。どれだけ感謝しても、返しきれないほどの恩義があるのです」

「うん、うん……っ」

「殿下のようなご立派な方がこの世界に生きていると分かった時、わたくしはわたくしを信じました。だから、ご主人様。あなたも、わたくしが信じたあなたを信じてください。それだけが、この混沌とした世界に平和をもたらす唯一の方法なのですから」



 綺麗事で片付けるには、彼はあまりにも成し遂げ過ぎている。口だけの言葉ではないことを、彼の生き様が証明してしまっている。私が、心から憧れ恋してしまっている。



 そして、これ以上駄々を捏ねてネイロを困らせれば、私は二度と自分を愛せないのだと分かった。



「……分かったよ、ネイロ。あなたには、あなたの騎士道を生きて欲しい」



 もう、彼に頼ることは出来ない。泡沫のような恋だから、弾けてしまえばおしまいだ。きっと、ベラも同じように涙を流して悔やんだのだろう。だからこそ、彼女は前を向いて生きていられるのだろう。



 ……ならば、私だって前を向かなければ。



「一つだけ、お願いを聞いてくれ」

「なんなりと」

「パレードは、私の力だけで成功させる。ネイロの力を借りずとも、ちゃんとやっていけるのだと証明してみせる。だから、それまではここにいて欲しい。見守っていて欲しいんだ」



 彼は、私の涙を拭って小さく笑う。



 ……ここに恋はあったのか、その真相だけは、怖くてどうしても聞けなかった。

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