第3話
003
一ヶ月という期間は、私の人生にとって大した時間ではなかったが、ネイロに甘えて絆されるには。いや、最近巷で流行っている言葉を使うのであれば『オギャる』ということになるのだろうが。
とにかく、ベッタベタに甘えて本音をぶち撒けるようになるには、充分過ぎる時間であった。
「ネイロぉ、ギューしてよぉ」
「かしこまりました、ご主人様」
部屋の鍵をしめてから、ベッドに座ったネイロに跨ると私は思い切り抱き着いて彼の匂いをかいだ。果たして、三十を過ぎた女の恋愛とはこれで良いのだろうか。あまりにも幼くてどうしようもないように思えるが、普通の恋愛というモノを知らない私にとっては恥のかき方すら分からない。
「ご主人様はダメ、二人の時はリアって呼んで。あと、敬語もイヤ」
「もう何度目のお言葉かは数えておりませんが、素直になるというのは
「いいの、私はネイロがいればそれで。ほら、もっといっぱいちゅきして」
「はい、ちゅきちゅきですよ〜」
ひょっとして、こんなため息が出るようなバカっぽいセリフを、まさか私がまともな思考力と判断の上で吐いているとお思いの人はおいでだろうか。
勘違いしないでいただきたい。私は、ネイロを目の前にすると何も考えられないバカになってしまうだけだ。
自分よりも信じられる人間というのは、まさしく劇的な存在なのだと考える。劇薬か、劇震か、劇烈か。そのどれを当てはめるべきかは分からないが、とにかく私はネイロに全幅の信頼を置いてしまっている。彼が抑えてくれなければ、思わず領民の前ですらヌルい口調になってしまいそうなほど夢中になってしまっているのだ。
「うへへ、もっかいいって」
これは、毒だ。
私にとって、明らかに悪いモノだと言うことは流石に理解している。けれど、油や砂糖を過剰に接種してしまうように、危険を犯してスリルを味わうように、人という生き物は決して毒から逃れられない。一人になって、またやり過ぎてしまったと反省するモノの、認めてくれて、しかも満たしてくれる男には抗えないのだ。
プライドの高い女は、裏返れば素直になり過ぎるのだろう。本来の私は、支配者よりも支配される側の人間だったのかもしれない。
「そういえば、リア。ガーベラお嬢様からの手紙は読んだかい?」
「読んだ。結婚式、ぜひお祝いに伺いたいと思ってる」
「ならば、予定日のスケジュールは調整しよう。会場のケニス教会までは馬車で五日。都合十日分の仕事を、とっとと片付けて楽しんでらっしゃい」
「ヤダ、仕事はしたくない。このまま寝る」
「ダメに決まってるでしょ、ほら」
そして、私は軍服を脱いでブラウスのままいやいや仕事に望んだ。例の手紙を仕上げて二日後にはウィンデ侯爵のエスコート、警備再配置と実地訓練を済ませ、更にこれからのデータセンターの仕事の割り振りを社長から受け年末までのスケジュール決めた。
「結婚式、ネイロも一緒に行くでしょ?」
「いや、行かないよ。あなたがいない間にも、ポートウォールの時間は過ぎていくんだから。問題が起きた時、対処する人間が必要だ」
「ヤダ、王都を一緒にデートするの」
「クスクス。現場をトワイライト騎士団に目撃されれば、僕はきっと殺されるだろうね」
トワイライト騎士団とは、退役騎士や極右のチンピラで構成されたクー・クリウス帝国の裏の騎士団だ。行き過ぎた愛国心のあまり、国へ仇なす存在を徹底的に排除しようとする愚連隊のような連中。
そんな者たちに伯爵と執事の恋人関係など見られようものなら、確かにネイロは立ちどころに標的とされるだろうが――。
「忘れたの? 私、一応は帝国でも指折りの強さを持つ騎士なんだよ? だから、プレリア家は代々この国境と漁業を司る重要な領地を任されているんでしょ? 誰が襲ってきても、返り討ちにしちゃうんだから」
「そういえばそうだったね。みんなのために最前線で頑張って、リアは偉いね」
「えへへ、ありがとう」
ケニス教会へ向かう前日。
こうして、ネイロに褒めてもらってウキウキ気分になった私は、そのままの笑顔でメイドたちに見送られながら屋敷を出た。道中は、盗賊にも会わず快適な旅。
もちろん、馬車の側面に掛かるプレリアの紋章を見て襲おうなどという心臓に毛の生えた盗賊はそうそういないだろうから、いつも通りといえばいつも通りのことだ。
そして、迎えたガーベラお嬢様の結婚式当日。彼女は、これまでに見たどんな瞬間よりも美しい笑顔で笑っていた。
「リア!」
式が終わり、舞踏館でのパーティ中。
私は、ここ最近のプレリア領の発展に興味を持っていた、他領の貴族たちへの対応を終わらせて一人デッキにいる。声に振り返ると、そこにはウェディングドレスから着替えたガーベラお嬢様がグラスを片手に立っていた。
「お久しぶりでございます、お嬢様。本日のご招待、まことに――」
「んもぅ、二人の時は敬語なんてやめてって言ってるでしょ? それに、呼び方も違うからね?」
「……ふふ、変わらないな。すまなかったよ、ベラ」
「うん! 久しぶり! リア!」
同年代である騎士団時代の同僚や分家の貴族たちには、実力が知れ渡りどうしても敬われてしまう。そんな悩みを抱える私たちだからこそ、本当に友達だと言える関係に落ち着いたのだと今になって思う。
私たちは、とても多くの話をした。そして、ふと会話が止まり風に髪が靡いたとき、ベラは妙に真剣な面持ちで言った。
「あなた、本当にかわいくなったわね。無事ネイロに恋出来たみたいで嬉しいわ」
「い、いや。そんなことはないが」
「うふふっ、隠さなくたって別にいいじゃない。絶対に気に入るだろうと思って送ったし、私だって彼に恋してたわ。だって、あぁいう男は貴族にはなかなか見られないもの。仕方ないわよ」
やはりというか、なんというか。ベラも、しっかりネイロに恋をしていたようだった。彼がここへ来なかった本当の理由は、ベラに会うのが忍びなかったからなのかもしれない。
「でも、本気になっちゃダメよ。私たちは貴族なんだから、結婚なんて絶対に許してもらえないんだからね」
「……分かってる」
「エッチした?」
「……あ、あぁ。まぁ、うん」
あの日から一ヶ月間、毎日奉仕してもらってる。
「いいこと? 普通の男が、みんなあんなに上手だと思ったら大間違いよ。未婚のうちに、いろんな男と寝て現実を知っておくのをオススメするわ。私、そこだけは凄く後悔してるもの」
「それは、参考にしていいのだろうか」
「いいに決まってるでしょ? というか、そのためにあなたを呼んだんだから。男漁り、ちゃんとして帰りなさいよね?」
二十四歳にも関わらず、本当に私の知らないことばかり知っているなぁ。
「どうだろう。私は、隊にいた頃から剣の鬼として恐れられているからなぁ。敬われはするが、恋愛の対象にしてくれる男はいないだろう」
「そーんなことないわよ〜。だって、今のリアは超かわいいもの。実際、デッキに行きたくてウズウズしている付き添いの騎士や、位の高いお坊ちゃんがたくさんあなたを見てたわよ」
「なに?」
扉の中を確認すると、数人の貴族が私を見て微笑みグラスを持ち上げた。中には、ウィンクで挨拶する女ったらし風の男や、小さく礼をして再び警備に戻る男までいる。
まさか、こんなにも注目されていただなんて。
「本当、戦うこと以外なんにも出来ないんだから。変な男に誑かされないよう気をつけなさいよ?」
「そうさせてもらうよ」
「……なんか、信用ならないわねぇ。リアって真っ直ぐすぎるから、一人に惚れたらそればっかり追いかけそうで」
「それは、ダメなことなのか?」
「ダメじゃないわよ、むしろ誠実でいいことだと思うわ。ただ、相手がクソ男だったら、他の反対振り切って突っ走っちゃうんじゃないかって思うってだけ」
「なんだか、遠回しにネイロのことを言ってるみたいだな」
……瞬間、ベラは深いため息をついて私の手を握った。
「そういうことを真っ直ぐに聞くところが、あなたのかわいいところでもあるんだけどね。はぁ、ちょっと浅慮だったかなぁ」
よく出来た妹と、戦うことしか出来ない不器用な姉。私たちの関係を端的に表すのなら、そんなところだろうと思わせる呆れたような声で笑った。
「男、紹介する。おいで」
そんなワケで、本日の主役であるベラの紹介で私は何人もの男と知り合いになった。あまりにも仕事が忙しくて、こういった社交の場に出てきたことは無かったが、貴族的にはこんなふうに交流を広げるのが普通なのかもしれない。
そういえば、父上と母上もあまり社交会には参加していなかったっけ。どうやら、軍人という生き物はこういった華やかな世界が肌に合わないようだ。その例に漏れず、私もすっかり疲れてクタクタになってしまったのだった。
まぁ、生活に余裕のある貴族の生活とはこのようなモノだと知れて勉強になったと思って納得するしかないか。
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