第19話



19.




エリザベスはしばらく息ができなかったし、アポロも目を剥いた。


「お前、急に何を言うんだ。お嬢様はまだ幼い。入団資格のある年齢じゃないぞ」


「わかってるよ、アポローン。だから見習いさ。俺の助手をやってもらおうと思って」


「女王陛下の査問官は遊びではない! 気でも狂ったか」


「――やります」


と、エリザベスは手を上げて会話に割って入る。ワーナー夫人に質問をするときのように。


リチャードはからからと笑った。そうすると彼は怪談話にかこつけてグレイウィル邸を探索していた少年のように見えたし、また、エリザベスの知らない男にも見えた。


アポロはエリザベスの前に跪き、


「お嬢様、あなたはまだなにもわかっておられない。子供なのです。今はここで大きくなるべきなのです――リチャードなんぞについてお行きになったら、どんな目にあわされるかわかりませんぞ!」


と目の色を変えて懇願する。


「おいおいじいさん、そうカッカするなって。そんな危ないことはやらせやしないよ」


「お前は黙っておれ! お嬢様を巻き込むことは許さんぞ!」


エリザベスは言い合う二人を眺め、リチャードが言っていた父のような人とは、アポロのことだったのかと納得するのだった。


エリザベスはそっとアポロの手を取った。


「アポロ、私に優しくしてくれてありがとう。私は本当に嬉しかったし、今も嬉しいの。……でも、このままグレイウィルにいることはできないわ」


「いいえお嬢様、あなたはここで守られるべきです。お父上がお帰りになった暁には、何割かの使用人のスレイブ制約をお嬢様に譲渡してくださるよう、アポロが提言いたします。そうすればきっと暮らしやすくなるでしょう」


いいえ、とエリザベスは首を振る。


「おかあさまを殺したのはローラなんでしょ」


アポロの顔色が、明らかに変わった。


「どこで、それを……」


「本で読んだの。ヴァンパイアになりかけの人に、最初に血を与えたヴァンパイアとは別のヴァンパイアが血を混ぜると死んじゃうんだって。おかあさまは人間だった。お父様はおかあさまをヴァンパイアにした。それで、私を産んだあとおかあさまは……ローラに血を混ぜられて死んじゃったんだって、わかったのよ。血を混ぜるってやり方が、どんなものかわからなかったけど……」


――本当は、一番最初に幽霊が教えてくれた。噛まれて死んだのよ、と。


それを言うのは憚られた。おかあさまがそれほどこの世に未練を残していたのだとは、エリザベスは知られたくなかった。


「血を混ぜるっていうのは、」


と、リチャードは組んでいた足をほどき、エリザベスに目を合わせ静かに続けた。彼女が一番ほしかった説明を彼はくれた。


「ヴァンパイアは噛みつくことで相手の血を吸うが、逆に自分の血を逆流させることもできるんだ。人間はこの逆流したヴァンパイアの血を受けて、ヴァンパイアになる。ヴァンパイアが血を逆流させなければ、スレイブになる」


エリザベスは身震いした。想像してしまったのだ。首筋を誰かに差し出して、牙を突き立てることを許し、吸血させ……その結果、ヴァンパイアになるかスレイブにされるかは自分では決められない!


「ぞっとするわ」


「俺もだよ」


リチャードはしげしげとエリザベスを眺める。その視線にこれまでとは違う色が入ったのを、エリザベスは感じた。


「だからこそその儀式はヴァンパイアにとって、崇高なる愛の儀式なんだ」


アポロは肩をすくめた。


リチャードとエリザベスは目を合わせて相対する。


「母親を殺したのがローラだとわかって、何故俺に殺させなかった?」


エリザベスは首を傾げる、リチャードの目をまっすぐに見て。


「ローラと同じになりたくなかったから」


「それは……そうだろうが」


それだけじゃないだろう、と言外に言われているのだった。


……しょうがない。エリザベスは本音を話すことにした。九歳の子供が内に秘めていたにしてはどろどろめいた本音を。


「ローラはお父様にペットとしてしか見られていなかったわ。ヴィクトリアも同じよ。私に間違えられるほどですもの。私はグレイウィルを出て、グレイウィルの名を背負い、恥じぬよう生きていけるけれど、あの人達にそれはできないの――私が持っているものをあの人たち、最初から持っていないのよ」


肩をすくめて話す少女のどこに、こんな女の怨念がぐちゃぐちゃに溶けて混じっていたものか。


リチャードは吹き出した。


「そうか。……そうかあ! あははははっ、ベス、やっぱり君は最高だ! 魔法陣と魔法書にまみれた秘密の書庫みたいな人だな、どうしようもなく!」


アポロの痛ましそうな目も、エリザベスのきょとんとした様子も関係ない。


(俺と違って、この子なら大丈夫だ)


と、リチャードは確信する。少年の頃と比べて、金髪だった髪は黒髪に、変わっていないのは目の色ばかり。


故郷から離れてリチャードは――だめになった。アポローンがそこにいてくれたのに、こらえられなかった。力に溺れ、憎悪に囚われ、バケモノのように変わり果て、最後には調伏されて査問官になるなんて、数奇な運命を送った。彼は自分がエリザベスとは違った意味で行き止まりにいることを知っている。


それでも、彼はエリザベスを見つけた。少年として仲良しになり、彼女に恋され、そして居場所を壊した。


だから彼が連れていくのだ。最後まで。



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