第18話
18.
ついた先は、これまで入ることの許されなかった上等な客室だった。
座ったこともないふわふわの詰め物をした椅子に、なんとか背筋を伸ばして座る。
「どうぞ」
と出してもらった紅茶に、ありがとうと礼儀として一口、口をつけた。
口を開くと、質問は止まらなかった。
「私に毒を盛ったのはローラだったのね」
「左様。ショックですか?」
「ううん。なんとなくそんな気はしてたから。憎まれているのも知っていた――でもまさか、仮にも伯爵夫人である人がそんな危ない橋を渡るとは思いもしなかったの」
アポロは頷いて同意した。
「お父様はなんでローラが好きだったのかしら」
「好き、という感情とは少し違うかと思われます。ローラ様はスレイブでしたから」
「スレイブ、ええ、リチャードが彼女をそう呼んでいたわ」
「ヴァンパイアに支配された半ヴァンパイアのことです。ヴァンパイアとして能力はほぼ使えますが、完璧にヴァンパイアになったわけではない。己の意志を越えて無理やり服従させられることもあります。ドールたちは洗脳が解かれれば人間に戻れますが、スレイブは戻れません」
アポロは深く長いため息をついた。
「ジョージ様はグレイウィルそのものでした。女王陛下に住まいを献上するほどの家柄です。ヴァンパイアは己より血の濃いヴァンパイアに従います。伯爵にとって己以外のグレイウィルに存在するものは、すべて観察対象にすぎませんでした」
そういわれればそのようにも思える、父の子供のような声をエリザベスは思い出す。父にとってこの世で気遣うべき相手は女王と宰相ハーデースくらいしかいなかったのかもしれない。
父がそんな、人間ではない生き物だったのだと思えば、グレイウィルの不可思議さもいくらかは説明がつく気がした。人形のように主に従順に、見聞きしたことをすべて話してしまう使用人たち。夜だけ開かれるパーティー。たくさんの客人。
「女王陛下も、ヴァンパイアなの?」
エリザベスはおそるおそる聞いた。もしそうだとしたら、彼女の世界はかなりの修正を必要とするに違いない。
アポロは苦虫を嚙み潰したような顔で、かりりと指で顎をかく。その人間くさい動きに、エリザベスは執事もまた生きているのだということを知る。
「あの方は別格です。説明は難しい――というか、我々にもわかっていないのですよ。陛下が何者であられるかなど……」
「そんな……」
むちゃくちゃだ。エリザベスは笑うしかなかった。そんな方の元でコールスランドは何百年も栄えてきたのか。
「それじゃ、おかあさまは? おかあさまもヴァンパイア?」
アポロは胸を張って答えた。
「アミリア・メアリー・オブ・カスティル子爵令嬢はコールスランドの貴族の娘御でした。カスティル子爵家は古いヴァンパイアの家柄です。あなた様は純血のヴァンパイア同士から生まれた、れっきとしたヴァンパイアですよ」
「私、血を飲みたいなんて思ったことないわ。ヴァンパイア同士から生まれたというのなら、どうして」
「ヴァンパイアの子供が生まれながらにヴァンパイアの特性を持つ、というわけではないのです……」
「俺たちはヴァンパイアになったときの感情に一生支配されるんだ」
と、説明の途中で後ろから声がかかった。
客室の扉をまるでバルコニーへ続くそれのように乱雑に押し開けて、リチャードは入室の許可も取らず入ってくる。
アポロは次の紅茶を淹れる準備をはじめた。
「俺たちは死人だからね。加えてヴァンパイア同士の子供は、人間のように弱く脆い。だから子供のヴァンパイアが転化するのは、本人の情緒が安定するまで待つ決まりなんだよ。本当ならこういうことも含めて、伯爵はもっと早く君に教えなきゃいけなかった」
リチャードの見た目は大人でも、少年の姿だったときとまなざしは変わっていない。
彼はどかりとエリザベスの隣に座った。膝の上で頬杖をつくその横顔。顎のライン。
「そもそもがザツすぎたんだよ。伯爵は君が従順であることに疑いなんてなかったし、夫人は君が馬鹿だと頭から舐めてかかっていた。娘が毒殺されかけたとわかっても、女王陛下の警察騎士団を呼ぼうとさえしないなんて。疑われるに決まっていたんだ」
「そうなんだ……」
と、エリザベスはリチャードの手に噛み跡とひっかき傷があるのを見つける。
「それ、どうしたの?」
「これ? 君のイモートの仕業」
うわあ。エリザベスは顔をしかめた。
リチャードの前に紅茶のカップが置かれた。
「どうぞ、査問官殿」
「ありがとう」
相変わらず高位貴族の子弟のような、そつのない振る舞いである。
エリザベスは頭の中がぐるぐるしていた。母の幽霊にここにいてほしかった。けれど、おそらくはあのバルコニーで出会えたのが、最初で最後だったのだろう。
――逃げなさい、と彼女は言った。
エリザベスはグレイウィル伯爵家のことが好きだった、この期に及んでもまだ好きだった。ここで育ち、ここで大人になるのだと思っていたから。けれどそれは……ここしか知らないから、なのかもしれない。
一つの場所しか知らないで大人になると、ローラのようになってしまうのかもしれない。
「それで、エリザベス。ひとつ君に提案があるんだが」
と、リチャードは紅茶をソーサーに戻して首を傾げた。
エリザベスは反射的に顔を上げ、リチャードのきらきらした海の色の目を覗く。
「なあに?」
「君、女王陛下に仕える査問官にならないか?」
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