第17話
17.
ローラは三日後に死んだ。原因は後頭部の傷で、頭蓋骨に皹が入っていたのだった。もちろんその中身も。
ジョージは後妻の死の報せになんら動じることもなく、
「楽しいひとだったよ、彼女は」
とたくさんの意味を含んだひとつの笑いですませてしまった。父の行き過ぎたほどの酷薄にエリザベスはぞくりとしたし、自分にもその血が流れていることを振り返った。
……ヴァンパイアは人間を食う。ローラは食われたのだ。
おそらくは母アミリアも。そしてあのままジョージの庇護の元育てば、きっとエリザベスもそうなっていた。たった一人の金髪碧眼の美しい男を軸に、踊り狂う見世物女の一人として人生を使い潰されていた。
後日、捕らえられたローラの侍女たちは泣きわめき、その中の一人が
「なんでよォ!? なんで毒きかなかったのよおおお!?」
と吐いたので真相が割れた。
ああ――やっぱり。あのボンボンは、ローラが置いたものだったのだ。エリザベスが食べて、死ねばいいと思って。
(今となっては自分が恨めしい。あまりにも無防備過ぎたのだわ。あの家で信じてはいけないものを信じてしまった)
たとえば、常識。まさか義理の娘に毒を盛らないだろうという信頼。そう、エリザベスはある程度までローラを信じてしまっていた。
エリザベスは毒薬入りのボンボンを食べ、死にかけた。しかし死ななかった。この一件はこれで終わりだ。終わらせるしかない。
てっきり――父の、お土産だと思ったのだ。エリザベスが寝ている間に置いてくれたのだと思って、確認もしなかった。それが悪かったのだと、思うしかない。エリザベスの不注意が彼女自身からワーナー夫人とヘレンを取り上げた。そうだと思う方が、ローラなんかにみすみす嵌められたのだと思うよりマシだ。
それに、おそらく毒はあのボンボンだけではなかったのだろう。リチャードが父に殺された、と思って以来ずっとあった、身体が動かなくなるほどの倦怠感。
ふたつの体調不良の、原因。
エリザベスは毒が効きにくい体質だったのか、あるいは一度試した毒を何度も使ったローラに、耐性ができるという考えがなかったのかもしれない。エリザベスは運がよかったのだった。
アポロの傍にエリザベスは立っている。グレイウィル伯爵邸の、正面入り口の前である。
馬車が入る車寄せの広い空間に、使用人たちが綺麗に一列に並ぶ。フットマンも侍従もメイドも、誰も彼も。お仕着せの彼らがずらりと並ぶと、壮観だった。
目の前に、見たことがないほど美麗な装飾の馬車が止まる。女王陛下のリコリスの花紋を掲げた、四頭立ての馬車が。
御者は見たことがないほど飾り立てた制服を着ており、馬車を守るように配置された騎士たちも見事な鎧と槍を持っていた。先頭の騎士が持つ妖精帝國コールスランドの、人と妖精が交差する模様を描いた旗。
騎士たちは馬車を守るためにいるのではない。罪人が逃げないようにいるのだった。拘束しないのならせめて、と宰相ハーデースが派遣したのだとは、今のエリザベスは知らない。
馬車が止まっても、彼らはグレイウィル伯爵に礼をしたりはしなかった。そういうしきたりだった。彼らは父を迎えにきたのだった。罪を犯したとされる伯爵を。これから彼は女王陛下のお膝元に連れていかれ、裁きを受けるのだ。
グレイウィルで起きたすべてのことに父は責任を持つ。他人で遊ぶことが許されるほどの権力と背中合わせの、大いなる責任を果たしにいくのだ。
エリザベスはアポロに向き直った。
「お父様は殺されるの?」
「いいえ、そこまでの罰はくだらないでしょう。伯爵の罪は血筋を汚し、女王陛下の望む統治の型を拒否なさったことです。正当なお裁きがあれば、禁固ですみます」
「アポロはこれから、どうするの?」
「この家をお守りし、主の帰還をお待ち申し上げますのが、我々の使命です」
「あなたたちは、ドールというもの?」
「いいえ、」
彼はほとんど初めて、エリザベスの前で口を開けて笑って見せた。丈夫そうな牙がきらりと覗いた。
「私はヴァンパイアです。わけあってあなたのお父上にお仕えすると誓いました。この誓いは違えるわけにまいりません」
「そうなの……わかったわ」
エリザベスはせめて居ずまいを正した。気絶してからそのままだっただいだい色のストライプ模様のドレスは、ずいぶん皺くちゃになっていたけれど。
「グレイウィルの一員として、あなたの忠誠に感謝します。あなたの主が主の責務を果たせなくなったとき、私は彼に代ってあなたが受けるべき尊敬と秩序をあなたに与えると約束します」
貴婦人による正しい労いだった。アポロはエリザベスの向こう側に母アミリアを見たのだろうか? それは誰にもわからない。
彼は胸に手を当て、その宣言を受け入れたことを示す。
そのときだった。グレイウィル邸から子供用の文鎮が飛んできて、エリザベスのはるか向こうにガチャンと落ちた。階段の上から、異母妹ヴィクトリアが投げつけたのだった。
「うぎゃあああああああん!! おかたまかえしぇええええ。おとたまああァァァあ!! おねたま死ねっ。死ねっ。ちねっ。死ねええええええええ!」
と叫ぶ異母妹のことを、その滑舌や表情のことを、エリザベスはもはや恥ずかしいとは思わない。
彼女も含め、すでに家族たちは過去に過ぎ去るべき人たちである。
ヴィクトリア付きのレディメイドが彼女をやんわり拘束し、邸宅の中へ引きずり込む。これからもヴィクトリアはこの家で育つのだった。ドールと呼ばれる洗脳術をかけられた人間たちに養育されるらしい。
ヴァンパイアは人間を操れる、高等種族という種族なのだ。この国は妖精と人間の帝國。そしてそのどちらにも分類されない、人間でもなく妖精でもない生き物がたくさん暮らす国だ。
今まで信じてきたものが完全に崩れ落ちた、そんな気持ちがする。
グレイウィル伯爵ジョージは堂々と自らの足で馬車に乗り込んだ。これからの道はお世辞にも舗装されているとはいいがたい。彼は身体を痛めるだろうか。
「お嬢様、家の中へお入りくださいませ」
と、アポロは言う。まるで何事もなかったかのように、いつも通りのアポロだった。
エリザベスは居並ぶ使用人たちを眺めた。彼らはいつもの伯爵のご旅行前のお見送りの作法そのままに、無表情に無感動に、ただ一列に並び、小さくなっていく女王陛下の馬車のお尻を見送っている。
ドールはヴァンパイアに洗脳された人間。感情なき者たち。あるいは、かつてそれを持っていたことを忘れ、ひたすら表面的な模倣につとめてしまった者たち。
エリザベスはアポロに従い、邸宅へ続く階段を上り始めた。ゆっくりと落ち着いて、一段一段を踏みしめて。
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