第15話




15.




パッと灯りが舞台の真ん中に当てられる。そこには吟遊詩人がいた。


芝居がはじまった。筋立てがよく分からないと思ったが、それは古典の一幕を続きから演奏しているのだった。


吟遊詩人は黒い髪を肩口に切り揃えた、なかなかの男前だった。暗い舞台の中、目立つように妖精の粉が彼の周りに撒かれている。楽器は古びたギターで、扇状の弦がつややかな絹糸のようだった。


吟遊詩人の声は男にしてはなめらかだが、みぞおちを揺らす低音だった。


芝居は古語調の悲劇で、エリザベスにはわかりにくいところもあった。大人たち、とくに知識をひけらかしたい男たちがこぞって連れの女に講釈をたれるので、それを小耳にはさみながらエリザベスは舞台を見る。


……七百年以上前の話。


仲睦まじい王とその王妃がいた。ある時、王が寝ている間に男が現れる。


吟遊詩人の声に合わせて役者が現れた。王役の痩せた男は用意された本物の寝台に寝そべり、本当に眠っているかのようだった。


現れた男は黒づくめ。おまけに長いマントで全身を包み込んでコウモリのようで、いかにも怪しい。


(ヴァンパイアのようだわ)


とエリザベスは面白くなった。それにしても会場は暗すぎるくらいに暗く、舞台が目立つのはいいが、これではちょっと手を洗いにいくにも困難である。


――男は王の耳に毒液を流し込んで殺す。妃は嘆き悲しむ。


会場の大人たちは感嘆の声を上げた。妃役の役者の演技は見事だった。


「あれはきちんとした演技指導を受けたことのある者でしょうな」


と、すぐそこに立った髭面の男が囁き、囁かれた女は、


「まあ。じゃあなんだって旅芸人なんてやってるんですの?」


と、ひそひそ声で返す。


舞台の上で、妃が男に口説かれている。外ならぬ彼女の夫である王を殺した男だ。妃は王の死体を見つけたとき以上に苦しみ、けれどいつしか、殺人者を愛するようになる……。


(なんだか……)


胸が苦しかった。エリザベスはこの話をずっと前から知っているような気がした。


吟遊詩人の声は会場に響き渡り、ところどころ換気のために窓が開いているというのに、ワンワンと反響する。


ふと、俯いていた詩人が顔をあげた。その、深い海の色の目の青。


「――!」


エリザベスは声にならない叫び声をあげる。リチャード。にしか、見えない。けれど彼は、彼は死んでしまって。お父様が殺して……どうして? ああ!


悲劇はとたんに場面展開をした。物悲しい、けれど美しい旋律が奏でられ、吟遊詩人は次の歌を歌う。


聞いた者の胸を搔き毟るような声だった。悲痛さと諦めと絶望と。味わうべきではない人生の感情を全部乗せたような。


ドン、と肩にぶつかってくる人がいた。エリザベスが慌てて道を開けると、なんとその人は義母ローラである。


彼女はふりふりの豪華なドレスを無造作に上げて、足を出し、ヨタヨタと扉に向かって歩いていく。エリザベスがいることにさえ気づかない様子で。


(なんだっていうの――劇を見て悲しくなった? あのローラが? ありえない)


エリザベスは一人、首を横に振った。


悲劇は続く続く。役者たちの演技は見事だったし、吟遊詩人の声は素晴らしかった。しかしこの会場で劇の筋立てや内容を真剣に聞こうとしていたのは、エリザベスくらいだった。


河で溺れ死んだ乙女のエピソードが終わると、舞台はふっと明るくなり、会場の人々の声はますます大きくなる。セリフが聞こえないほどだ。エリザベスはじりじりと、舞台が見える会場の中央まで寄って行った。


吟遊詩人の目が、もっと見たかったのかもしれない。


殺人者に身を任せてしまった妃が息子の王子にそのことを責められ、弁明している。


「ごらんなさい」


と王子は現代の言葉で言う、


「乙女の死骸が河を流れていく。ああ、これこそが我が罪――」


「――中止だ!!」


と、大声が上がった。エリザベスは飛び上がり、走って暗いところまで逃げた。


ずかずかと、グレイウィル伯爵ジョージが厳めしく舞台上まで上がっていった。エリザベスは息を呑む。マナー違反だけでなく、不名誉だ。他にも貴族がいるのに。


「それは我らが女王陛下への不敬である!」


と、父は叫ぶ。


エリザベスにはなにがなんだかわからない。


やがてぽつぽつと、声が広がっていった。不気味なほど暗い会場に、大人たちの声が。


「確かに……これは……」


「さよう……三百年前の、」


「しかしあの青年は妖精王のスパイだった」


「スパイ、スパイ、スパイ! コールスランドはそんなことばかり」


「妖精帝國は妖精のためのものではない」


「そうとも。我らとて……」


「とて……」


エリザベスのことなどみんな忘れ去っていた、元から視界に入っていなかったのかもしれない。


エリザベスは会場を走り回り、人にぶつかり、ものにつまずき転んだ。ハアハアと息が上がっていた。暑かった空気が、急速に冷やされていった。扉、扉が見つからない……逃げなければならないと感じていた。本能が叫んでいた。


――このままここにいたら死ぬ、死ぬ!


「違いますよ!!」


と、舞台から声が飛んだ。間違いなくリチャードの、いや、吟遊詩人の声だった。


黒髪の彼はまっすぐに立ち、目の前のグレイウィル伯爵と対峙している。両者の身長は頭一つ分ほども違い、背の高い父は少年にするように吟遊詩人を見下ろした。


「何がちがう? これは明らかに、陛下のなされた恋への侮辱だ!」


「違います。これは俺たちが考えて作った芝居です。誰のことも侮辱していない――それに、奥方様はどうされました? 俺の目にはここから足早に去って行かれるのが見えました。何か心当たりがあるのでは? だからこそ、伯爵様、あんたもそんなにお怒りなんじゃないのか!?」


おいやめろ、と一座の一人が彼の手を掴む。


そうよやめて、とエリザベスも這いつくばりながら思った。目だけは舞台の、妖精の粉を纏って輝く彼を見つめていた。



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