第13話
13.
旅芸人の一座がグレイウィルを訪れたのは、十二月二十七日のことだった。
コールスランド人は十二月三十一日から一月一日までの一夜を、歌い騒ぎ踊りながら過ごす。その前座として劇や歌うたいが喜ばれることは旅芸人側も知っていて、各地を巡る。書き入れ時、というわけである。
エリザベスは例によって例のごとく、新年のお祭りには入れてもらえない。義母ローラがそれを望まないのだから、しょうがないとこれまでは諦めていた――けれど。
その日、エリザベスは生まれてはじめて、自分からローラの元を訪れた。
廊下を顔を上げて歩いた。巨大なグレイウィル邸の中央にあたる部分は、日の光が差し込み、庭にある噴水が見えて、よく掃除されている。
エリザベスのいる東の隅っことは何もかもが違っていた。それさえエリザベスははじめて知ったのだった。
時刻は朝十時。はからずも、いつかの仕返しようになってしまった。
ローラの部屋の扉は閉まっていた。ノックに応えて出てきたレディメイドはエリザベスを見てぎょっとした顔をしたけれど、
「お義母様に朝の挨拶にまりいました。来訪をお伝えください」
とエリザベスが礼儀に則って言えば、受けるしかない。
ほどなくして扉は開かれた。レディメイドたちはこわごわと部屋の隅に居並び、真ん中にローラが仁王立ちしていた。貴婦人らしいたっぷりのフリルとレースを使ったドレスは、これから昼食会にでも呼ばれているのだろうか。金髪をいくつもの房にして、縦に巻いている。その豪華さ、手間のかかり具合は見事だった。
「おはようございます。今日はお願いがあってまいりました」
「へえ? 修道院にでも入りたいっていうのぉ? 感心ねェ。隙間風が吹いて食べるものもロクにない、一番貧乏な修道院にすぐにでも手配してあげましょ」
とローラはわざと自分の爪をいじくって、エリザベスを無視する姿勢をアピールした。あたしはあんたなんか相手してやんない、という気持ちが全身から放たれる。
エリザベスは内心、笑い出したいくらいだった。わざわざそんなことを、九歳の子供に伝えなきゃ気が済まないなんて。
「今夜のパーティーに参加させていただきたいのです。お客様がたにご紹介ください。私はここのつになりますが、まだどなた様ともご挨拶させていたたいておりませんので」
ローラは口を大きく開けた。あの金切り声が出てくるのを察して、エリザベスは身構えた。
グレイウィル伯爵ジョージが、奥の続きの部屋からあくび混じりにやってきたのはそのときである。
「おおいローラ、今日の……おや、かわいいベス」
と、彼は笑った。開けた扉の影になるところから、白皙の美貌をにこやかに崩して笑っている。
エリザベスの脳裏に、リチャードの笑顔が翻った。彼女は床を踏みしめて倒れるのを耐えた。
ローラの顔が醜く崩れた。しかし驚いたことに、彼女は夫である伯爵の前では常にしとやかな美女なのだった。
「あらン、あなたン。ベスちゃんがあたしにぃ、朝の挨拶に来てくれたのぉ」
としなだれかかり、横目でエリザベスを睨みつける。
エリザベスはジョージにスカートをつまんで挨拶した。
「おはようございます、お父様。今夜のパーティーに参加させてください」
ローラの蛇のような三角に尖った目をものともせず、エリザベスは続ける。
「皆さまにご挨拶したいのです」
「へえ。いいじゃないか」
「あなた! この子はなんの礼儀作法も知らないんですよ!」
「もう一人はいっぺん連れていったじゃないか。じゃあこっちもそうしたって文句は言われまい。年が上なんだから猶更」
ジョージは扉の影から笑った。ふとエリザベスは気づいたが、奥の部屋のカーテンは閉め切られている。というか、ひょっとしたら雨戸も完璧に閉じられているのかもしれなかった。それほどに暗かった。父が日光を嫌う人だとは知っていたが、これほどとは思わなかった。
それから伯爵夫妻はしばらく言い合っていたが、突然エリザベスの後ろ、廊下が騒がしくなって、
「おはようございます、おかあさまぁ! あっ――」
とヴィクトリアが飛び込んでくる。今日もレースとフリルとリボンまみれの、騒々しいまでに可愛らしいドレスを着ていた。
ヴィクトリアは六歳とも思えない、母親にそっくりなまなざしでエリザベスを睨むと、ぴたっと話すのをやめ異母姉のよこをすり抜け、
「おかあさまぁ!」
とローラに飛びついた。それからジョージの存在に気づいて、そちらに向かって可愛らしくくねくねと身を捩らせ、首を傾げ、
「お父様ぁ、おはようございますぅ」
「おはよう、かわいいベス」
と伯爵は眠たそうに微笑む。と、言い間違いに気づいて、
「あっ。ええと、ヴィー」
と言い直す。
ローラとヴィクトリアはそっくりな表情と角度で頭をもたげ、威嚇する蛇の形相でエリザベスを睨んだ。
エリザベスはもう一度、室内の全員に頭を下げると、
「それでは、今夜。楽しみにしております」
と、一切心の通わない家族たちから離れた。
レディメイドが閉ざした扉の向こう、凄まじい絶叫と共にジョージに食って掛かるローラと、赤ん坊のように泣きだすヴィクトリアの声、ジョージの気のない返事が聞こえる。
「うーん、もういいじゃないか。確かにいっぺん紹介したって悪くはないよ」
「あの子はドレスも持ってないのにいいいぃぃッ!!」
「あーん、あたち、おねえさまにドレスとられう? とられーのぉ?」
エリザベスは歩き出した。
一つだけ、六歳だというのに舌ったらずすぎるヴィクトリアの滑舌が気になった。何か悪い病気でないといいのだが。
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