第11話



11.




十一月二日。


エリザベスは裏の庭で妖精の森をスケッチしていた。いつだったか、似たようなことをしていた……気がする。もう遠い昔のことのように思える。


(おかあさまの死の真相を知るだなんて……夢のまた夢)


泳ぐように飛び跳ねる妖精たちのきらめき。その光を反射して黄色に赤に光る森。下生えの雑草はそろそろ枯れ始めている。寒い。


エリザベスは身を縮こまらせる。きちんと厚着した上に、ショールも羽織ってきたのだが。誰かがさんざん使い倒した後らしい、紫色の悪趣味なショールはぜんぜん風を防ぎやしなかった。


森へ至る道を商人の一団が通った。それを追う大きな黒い犬の元気な吠え声に、エリザベスはちょっとだけ、頬を緩めた。


(ワーナー夫人も、ヘレンもいなくなった。リチャードまで……私がいたから、死んでしまった。おかあさまと同じに)


リチャードの死に顔を夢に見ない日はない。大事な宝物が壊れてしまった日から、エリザベスは声を発していない。


彼は――リチャードは、グランパという不気味な貴族のスパイだったのだ、と父ジョージは言う。


「お前を通じてグレイウィル伯爵家の内情を探ろうとしていたのだろう。子供を連れた客人? いいや、そんなものは私は招いていないからね」


それからぽんと放るように付け加えた、


「お前が無事でよかったよ」


にっこり笑う顔は背筋がぞっとするほどの美貌だったけれど、エリザベスの心を動かすことはなかった。


彼女はスケッチブックに鉛筆を走らせる。シュッ、シュ、と軽い音がする。描いているのは妖精の森と、その上を飛び交うヴァンパイアたち。牙があって、髪の毛が長いのも短いのもいる。みんな揃って長い裾のローブやマントを身に纏っている、あの本の挿絵と同じように。


ヴァンパイアがやってきて、みんな殺してしまうといい――とエリザベスは思った。


そのときはもちろんエリザベスも一緒に死ぬのだ。自分の死体でグレイウィル伯爵家を汚すことを考えると、エリザベスは暗い喜びを覚える。死ぬときはローラのワードローブの中にしてやる。ミンクの毛皮の襟巻や、キツネのロングコート、絹の羽織りものなんかを思う存分血で汚してやるのだ。きっとローラは床を叩いて悔しがることだろう。


ヴァンパイアが、本当にいればいいのに。大陸の方に行けばまだいるのだろうか、ヴリコラカと呼ばれていた人たちの、子孫のヴァンパイアが?


けれどこの妖精帝國コールスランドにおいて、実在が認められている人外は妖精だけである。ここは人間と、妖精のための国なのだ。


「いたっ」


と呟く自分の声で、エリザベスは我に返った。小石は耳の上のところにちょうど当たって、髪留めがその衝撃でずれた。


左からの投石だった。そっちを見ると、目に涙をためたヴィクトリアがいた。


ヴィクトリア、この六歳の異母妹と、エリザベスはほとんど話したことはない。


「痛いわ、ヴィクトリア。なんで石なんて投げるの」


と、思った以上にするすると、言葉は喉を滑り出た。エリザベスは苦笑して立ち上がる。物語の姫君のように、心に受けた衝撃のあまり声が出なくなり、指文字で王子様と会話するような殊勝さが自分に会ったらよかったのに。


ヴィクトリアはじりじり後退しながら、腕に抱えた石を次々エリザベスに投げた。


「痛いっ。痛いったら」


と、さすがに子供の三歳差は大きく、エリザベスはそれらを払いのける。


ヴィクトリアは憎しみの籠った、涙の浮かんだ目でエリザベスを睨みつけると、渾身の大声で叫んだ。


「死ねっ、死ねっ、死ね! おねえさまなんか死んじゃえ! 死ねェ!」


そして残った石をその場に散らばらせて、だっと駆けだしてしまう。


「あ――」


エリザベスはあとを追うことはしなかったが、走りながらもヴィクトリアは切れ切れに、


「おまえがあー、いるからあ、ヴィーはお父様に可愛がられないっ。かわいそうな子なんだああ! うわあああああああん!」


エリザベスは左耳の上をさすった。指を見ると血がついていた。


彼女はため息をつく。グレイウィル伯爵家の内情がこうだということを、他人に知られるわけにはいかない。貴族には自分の家の評判を守る義務があるのだから。


だから――だから、もしリチャードが父の言う通り、どこかからやってきてこの家の中のことを探り、その情報を売り渡していたのだとしたら。エリザベスは大きな罪を犯したことになる。それは、わかる。


でも、リチャードを殺されて許せるものでもない。


エリザベスの心の中はぐちゃぐちゃだった。スケッチブックのところまで戻り、描いていたページを開くと、どうしたことだろう、描けたと思っていた妖精の森は、汚い鉛筆の線のかたまりにすぎない。空を飛ぶヴァンパイアの表情や手の表現も、うまくいったと思っていたのにまるで落書きだ。


絵は心が静かなときしか描けないのだ、とワーナー夫人は言っていた。どうやらその通りだったらしい。


エリザベスは膝を抱えて森を見つめる。森は相変わらずいろんなところが光り輝き、見るからに楽しそうなのに、あそこに踏み入れては二度と帰ってこられないのだった。


(もう二度と絵は描けないのかもしれない)


とエリザベスは思った。少し前まであれほど美しく見えた森は、真っ黒な痩せた木の集合体にしか見えなかった。


……もう二度と、綺麗だと思えないのかもしれない。



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