第2章

第1話 僕と君との朝


―――チュンチュン………


「うぅぅん………」


外から聞こえるスズメの鳴き声により、僕は朝を迎えたことを知る。


いよいよ今日から勇者学園での活動が始まる……!

僕は気を引き締めてベッドから起きあがる!!

……つもりだったがベッドのあまりの寝心地の良さに身体が動こうとしてくれない……


いや確かに上質なシーツのベッドだけどここまでの程だったかな……?

それに……なんかこの寝心地は……身に覚えがあるような………

確か……5年前……井戸の底で………


「…………………………………」


僕は目を開ける。


「きゅぴー……きゅぴー……」


―――目の前に安らかに寝息を立てる漆黒の女の子の顔があった。


「うおおおおおおおおお!!!!????」


僕はベッドから盛大に飛び起きた!!


―――べとぉ~………


「うおわあ!身体中粘液まみれ!!」

「ん~……ふわあぁ…フィル、おはよー……」


漆黒の女の子……キュルルはあくびをしつつ、僕の身体にまとわりついた粘液を回収した。


「きゅ、キュルル!?

 なんでここに!?

 君、自分の部屋あるでしょ!?」

「ん~っとねー。

 最初はボクの部屋で寝てたんだけどね、

 すぐ近くにフィルいるんだよねー、って思ったら自分でも無意識のうちにここにいたの」


「いや無意識のうちにって……

 っていうか僕、部屋に鍵かけてたはずなんだけど……?」

「鍵、作りましたー!」

――ぐにょにょ


キュルルが掲げた右手の人差し指が鍵の形へと変形する……

………便利な身体だぁ……………


「えへへー、フィルと一緒に眠るの久しぶりー。

 覚えてるー?

 寒くて震えてたフィルをボクがぎゅー!ってしたげてー!」

「う………それは…………うう…………」


僕は顔を真っ赤に染め上げる………

『ぎゅー!ってしたげて』って………

あれ、そんな感覚だったの……

いや、でも、あの時はただのスライムだったし……


「あの時さー、フィルは無理しなくていいよ、って言ってたけどさ!

 ボクもね、フィルをぎゅー!ってしてると気持ち良かったんだー!」


えへへー、とキュルルは顔をにやけさせながら中々危険な発言をする。


うおお………!

ちょっと待ってくれないかキュルルさん………!


「だからね、だからね!

 ボク、もう一度フィルをぎゅーーー!ってしたいなーって思ったのー!

 ぎゅーーーー!って!」

「うう……あ、あの、キュルル……

 そのさ、そういうことはその……

 あまり言わない方が……」


「んきゅ?なんで?」

「いや、あの、もし誰かに聞かれたりしたら……

 その、非常にマズイような気がするんだ………」


「でもほら、もう聞かれちゃってるよ?」

「えっ」


キュルルが僕の後方を指差す。


その方向へ振り向くと――――


「………………………………………………………」

「………………………………………………………」

「………………………………………………………」

「………………………………………………………」


椅子に座っているアリスリーチェさんと、その近くに立つお付きの人達が、部屋の入口の前でこちらを見ていた………


あれ、なんで、部屋のドア、開いて?


「あ、そういえばボク部屋入ったあと、ドア開けっ放しだったっけ。

 きゅる……ごめんね、フィル」


キュルルが申し訳なさそうに俯いて謝罪する……



ふぅーーー………

落ち着け、フィル。

アリスリーチェさん達には昨日、僕とキュルルとの関係についてしっかり説明したはずだ。

井戸に落ちてからのことも、キチンと包み隠さず全部お話しただろう。

お互いにお互いを食べ合ってた辺りのくだりで割とドン引きされてたけど、それでも向こうは十分事情をご存じ頂いている状態なんだ。


だから、大丈夫。

何もやましいことなんてないんだ。

なんかアリスリーチェさんは不気味なぐらいに無表情だけど、大丈夫。

お付きの人達に至ってはまるでゴミを見るような、いや、汚物を見るような、いや、もう何だろう、いい例えが全く見つからないぐらい前代未聞の侮蔑の眼差しでこちらを見ているけど、きっと大丈夫。


「お………おはようございます………

 アリスリーチェさん…………

 その………何故………僕の部屋へ…………?」


「おはようございます、フィールさん。

 特に用ということもなかったのですが、お部屋も近いことですし折角ですのでご挨拶に伺おうかと思いましたの」


うわ、すっげぇ流暢なのに全く感情を感じない声。

人間ってこんな声出せるんだ。


「それは、その、ご足労いただきどうもありがとうございま―――」

「どうかお気になさらず。

 どうせもう二度と足を運ぶことはありませんので」


ダメみたいですね。


「それでは、永遠にごきげんよう」

――バタン


「あのちょっとおおおおおおおおお!!!!

 アリスリーチェさんンンンンンン!!!!」


「きゅる」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



《 - エクスエデン校舎・第二天 - 》


「それにしても減ったね」


ここは第二天と呼ばれるエクスエデン校舎下層部に位置する場所。

もっとも、下層部と言っても既に大地から相当に離れている高さにあるのだが。


そこに存在する広大な協議室の中には現在学園関係者全てが集まっており、本日の予定の最終確認をしていた。

その中でぽつりと放った男の声が、学園関係者達の耳を打った。


男の名はコーディス=レイジーニアス。

彼は身体を巨大な蛇に巻き付かれながら実に平然と窓際に立ち、眼下を見下ろしていた。

初めてその姿を見た者は恐らく誰もが動揺を隠せずにいることだろうが、この場にいる人間は既に見慣れているようで特に言及することはなかった。

彼が視線を向けている先には、つい昨日も使われた広場があり、本日が学園活動初日となる入学者達が集まりつつある。


彼の言う『減った』というのは……


「入学者ですか………

 そりゃそうでしょうが………」


昨日の受付女性が男の後ろから声をかけた。

その声にはどこか疲労感が漂っている。

あの後何度も彼に向かって抗議の声を上げたが結局コーディスは碌に取り合わず、あの魔物の入学が決定してしまったのだ。


「ブラックネス・ドラゴンを使役する前代未聞のスライム……

 『魔王』を名乗る魔物を勇者学園に入学させるなどという誰がどう考えても正気ではない判断を下されたのですから……

 誰だってここを離れようとしますよ……

 こう言ってはなんですけど、むしろここに未だ残っている人達の方がどうかしているぐらいですよ……」

「うーむ、ある意味予定通りではあるのだけどね」


前日までは広大な広場を埋め尽くさんとするほどの人数だったのが今やすっかりまばらだ。

数万人規模だったものから今は数千、おそらく万は超えていないだろう、といった所か。


「年齢以外の資格制限なし、入学者数制限なし、入学試験なし、入学料なし。

 当然大陸中から人が集まってくる。

 その全ての面倒をこちらが負担する。

 国王には相当無茶をしてもらったが、最も人が集まらなかった状態を仮定しても、1年で国庫の半分は消費するという試算だったね。

 おかげで、実現まで何年も協議を重ねることとなってしまった。

 魔物の活性化における実害が目に見えて出始めなければ国王や上級貴族達も首を縦には降らなかっただろう」

「もう今更言ってもしょうがないですけど、やはり何かしら制限はつけた方が良かったのでは?」


「『エクシードスキル』は未だに解明されきっていない部分が多い。

 私自身、いつ、何が切っ掛けであの『力』が開花したのかはっきりしていない。

 そして、あの『力』が開花するまでの私は間違いなく、自他ともに認める『落ちこぼれ』だったよ」

「………………………………………」


「誰にどんな『力』が眠っているのか、そもそも『力』など眠っているのかどうか。

 この『原石』の判別方法は未だ確立されていない。

 ならば、とにかくかき集めるしかないだろう」

「それは…………………」


「とはいえ、こちらの体力にも限界はある。

 いつまでも長々と入学者達を世話し続けるという訳にもいかない。

 故に、いずれは予定ではあった。

 勿論命を奪うなどではなく、退学を促すという形でね。

 徐々に学園での活動内容を過酷なものにしていき、見込みのない者には諦めてもらう、という訳だ」

「……………………………………………」


「中々に酷い話だとは思うがこちらとしてもそれ程余裕はない。

 それに、見込みがない者にいつまでも無理をさせ、たどり着けない希望を追い続けさせる、というのもそれはそれで酷な話だ。

 一応、学園内で好成績を残した者には『勇者』とは別の『功績保有者』という国家公認の肩書が与えられ、我が国直轄の業種の仕事に就くのに有利に働く、といった特典は設けているしね」

「傍から見たら『残念賞』、としか思えませんけどね」


受付女性は肩を落として溜息をついた。


「なんにせよ、入学者は減る予定ではあったんだ。

 少なくとも1年以内に当初の半分程にはね。

 しかし…………」


コーディスは改めて窓の外、入学者達の集まる広場を見下ろす。


「初日でここまで減るなんてね。

 せめて活動の一つでも受けて貰わないと『原石』の判別もなにもあったものではないというのに」

「………ですから、貴方の判断は余りにも非常識が過ぎると言っておりますでしょうに……」


受付女性は片手で頭を押さえる。

昨日の頭痛がぶり返してきたようだ。


「まあしかし、結局のところ『力』があろうがなかろうが、それ以前に『やる気』がないと始まらないのも確かだ。

 アレぐらいで去っていくのならどちらにしろこの先も長くはなかっただろうさ。

 それに、まだまだ2次募集以降もあるしね」

「『アレぐらい』、ですか……

 魔物を入学させることが………」


受付女性は語気を強め、改めてその判断を咎めたてた。


「ここは王都……国王のお膝元なのですよ?

 もし、万が一にもあの魔物による被害が出てしまったりしたら、貴方はどう責任をお取りになるつもりなのですか。

 仮にも『魔王』を討伐した『勇者』のお仲間が、よりにもよって『魔王』を――」

「『アレ』は『魔王』ではない」

「――!!」


受付女性の言葉を遮るようにコーディスは声を発した。


「少なくとも我々が定義し、脅威とみなした『魔王』とは別物だ」

「……『魔王』であろうがなかろうが、その判断が異常なことに何ら変わりありませんよ……

 フィル君から過去の経緯は聞き及びましたが……

 あの魔物が脅威でない保証などどこにもありません」


コーディスの眼下には件のスライムと少年の姿が見えた。

スライムは少年にべったりとくっ付いており人間を模した顔で、実に朗らかな笑みを浮かべている。

余談だが少年は豪華な椅子に座った少女に何やら弁明のようなことをしている。

とても必死そうだ。


「ま、そう心配することはないさ。

 私は国王よりこの学園に関するあらゆる事柄の最終決定権を託されている。

 君の言う、万が一の時の『責任』もしっかり果たすさ。

 君らは何も気にせず、君らの役割を全うしてくれていれば何も問題はないよ」

「………分かりました」


納得、というよりは諦めに近い感情だった。

どれだけこちらが常識を説いても、に対してはまるで意味がないのはもう嫌という程身に染みているのだ。


「さて、それでは次世代の『勇者』達に、記念すべき最初の学園活動を行ってもらおうじゃないか」

「……はい」


その言葉と共に協議室にいた学園関係者達が部屋を後にする。

受付女性もそれに続き、部屋から出ようとした、その直前――


「ああ、そうそう。

 その前に―――」


コーディスは受付女性に声を投げかけた。


「君の母君に話をつけておいてくれないか?

 後で1人の入学者を向かわせることになりそうだ」

「え゛っ」


受付女性は心の底から嫌そうな声を出した。

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