第9話
ネロは五歳の頃にイルカワナリに捨てられた。
両親の顔は覚えていない。捨てられたと認識した直後から彼の中でもう両親は両親ではなくなっていたし、どうでもいいと思うようになってからいつの間にか忘れてしまった。
前世の記憶を持つルークほどではないにしろ達観した子供だったのは間違いない。
捨てられてすぐ、彼は一人で生きていく術を身に着けた。
それは盗みであったり、小悪党の使い走りだったり、周囲の人間をよく観察し見よう見まねで行動し徐々に力をつけていく。
ユミールと出会ったのは捨てられて一年が経ったころだ。
ぼろぼろの布切れを体に巻いて蜥蜴人の赤子をその腕に抱きながら、瞳に涙を浮かべて彼女はごみの町の中に立っていた。
興味が湧いたのは単に年が近かったからか、それとも涙を浮かべる彼女の目に確かな憎悪の感情を読み取ったからか。
「食うのか、その赤ん坊」
思わず口をついて出たその言葉に、彼女は怒りを露わにした。
「食うか! 向こうに捨てられてたんだこの子。このままじゃ死んじまうから……私が」
ユミールは拾ったその赤ん坊をなんとか育てようとしていた。
自分自身も満足に食事をできていないのにである。
その哀れみや、慈愛の心というのはネロにとってなじみがなく、理解の難しいものであった。
ネロはすぐにユミール達と仲間になったわけではない。
最初の頃はユミールのことを「他者のためにがんばる変な奴」という認識を持っていた。
それ以上かかわるつもりはなかったし、興味もなかった。
ただ、「イルカワナリ」の町はそこまで大きな町ではなかった。
さらに、子供がお金を稼ぐ方法はそう多くあるわけでもない。当然行動する範囲は似通ったものになり、意識せずともユミールの姿はたびたび視界に入ることになる。
ユミールは盗みの腕も、世渡りのうまさもネロと同等かもしかするとそれ以上だった。それはネロ自身も認めるところである。
そのころネロは町の隅に古びた廃墟を見つけてそこを拠点にしていたし、生活力も自分一人くらいなら十分に食べていけるくらいには身についていた。
ユミールも恐らくそうだっただろう。しかし、ネロが彼女を見かけるたびに彼女はどんどんとやつれていった。
ユミールは稼いだ分のほとんどを拾っただけの赤の他人である蜥蜴人の赤ん坊のために使っていたのである。
ある日、ネロが盗みを終えて廃墟に帰宅しようとしたときである。
帰り道の途中、少し離れたところで倒れる赤い髪の少女を見かけた。ユミールである。
彼女は全身傷だらけで、全身ぼろぼろになりながら前に進もうと地面を少しずつ這っていた。
その光景を見ただけでネロは何が起こったのかをだいたい理解する。
「イルカワナリ」は統治する貴族がまだ逃げ出す前から治安の悪い土地であった。
貧富の差は激しく、貧しい地区には小悪党がはびこっている。
彼らの気象は相当荒く、「肩がぶつかった」だの「目つきが気に入らない」などの些細な理由で始まる争いごとは日常茶飯事だった。
そしてそれは子供に対しても少しの遠慮もなく行われる。
ユミールはだれか大人に襲われたのだ。暴力を振るわれ、彼女が一日中かけて集めたささやかな金銭は小悪党たちの飲み代のために奪われた。
「胃のあたりが熱い」
ネロは自分のおなかのあたりを抑えて呟いた。それが、他人が理由で芽生えたネロにとって初めての怒りの感情だった。
「おい、大丈夫か」
倒れるユミールにネロは声をかけた。彼女は地面に顔を伏したまま、ぴくりと反応を示す。
ただ、返事はない。
ネロはユミールを助け起こし、肩を貸す。
顔を上げ、ユミールはネロの顔を見て驚いた表情になる。
「お前……」
「アジトはどこだ。連れて行ってやる」
ネロのその言葉にユミールは戸惑う。前に会った時、ネロは他人に興味がなさそうにしていた。
その彼がなぜ助けてくれるのかわからなかった。
そして、彼を信用してもいいのか。
ただ、少し悩んだ末彼女はネロを信用することにした。
この場で手を貸す利点がネロにはなかったからだ。それと、この町に来て誰かに優しくされたもが初めてだったからでもある。
ネロはユミールの案内の元、彼女をつれて彼女の住む場所に向かった。
そこは町の隅に小さくあいた横穴から入ることができた。
「町の下水道だ。ちょっと臭うけど、入り口が小さいから目立たないし、子供には安息の場所なんだ」
ユミールはそう説明した。
下水道を少し進むと、空間が広がっていて部屋のようになっている場所があった。
そこにろうそくの火が灯されていて、蜥蜴人の子供がいる。
子供は一人ではなかった。五人いた。
また、その中に前回みた赤ん坊はいなかった。
「蜥蜴人の子供は成長が早いんだ。それに、種族の特徴として一度に産む子供の数が多い」
ユミールはそう言った。
蜥蜴人は一度に何人もの子供を産む。しかし、その多くの子供を育てられるほどの財力はない。
成長が早い分、独り立ちするのも早いのだが、その前に捨てられてしまうというのも決して少ない話ではなかった。
現に、「イルカワナリ」の町には捨てられた蜥蜴人が多く集まっている。
ユミールはそうして捨てられていた子供を見つけるたびに拾ってきていたのだ。
ユミールががりがりに痩せているのに対し、子供たちはそれなりに満足に食べれているように見える。
「お前、バカなんだな」
ネロのその言葉にユミールはイラっとして反論しようとした。しかし、その気持ちも失せる。
ネロが静かに微笑んでいたからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます