第2話 虎太郎Side① 告白
★★★虎太郎Side★★★
俺、杉田虎太郎はどこにでもいる平凡な男子高校生だ。
突然だが、一説によると高校生の三人に一人が既に初体験を済ませているらしい。
四十人のクラスなら十数人は経験済み。こう考えると多いように感じるが、裏を返せば三人に二人は未経験。まだまだ未経験が多数派なのだ。
そして残念ながら俺も多数派の一人。
……ふん。名誉のために弁明すると、俺だっていろいろ「可能性を感じた」場面はゼロではなかったさ。
ただ俺はどうしてもそこから先へ至ることはできなかった。選択肢を間違え続け、少数派の世界に飛び込めなかった。
俺が平凡とはつまり、そういうことだ。
なんだこの悲しい自己紹介は。
「好きです。私と付き合ってください」
だから、当時の俺は相当驚いたと思う。
人生で一度もモテたことのないまま卒業を間近に控えた、中学三年生の冬のある日。
悪友みたいな感じでつるんでいた幼馴染のあやかに「ちょっと面貸せ」と言われて屋上に向かうと、扉を閉めるなり真正面から告白されたのだ。
「つ、付き合うって今晩の買い出しのことか?」
「あんたもベタなこと聞くね」
「いやだってさ……」
あやかは首元に巻き付けたマフラーで顔の半分くらい埋めていたが、それでも真っ赤な頬を隠すことはできていなかった。
「急だったのは自覚してる」
「……お前、俺のこと好きだったのかよ」
「悪いか」
思わず悪態ついてしまった俺に、あやかはスンと鼻を鳴らして答えた。
いつも通りのようでいてどこか張り詰めた雰囲気を感じとって、本気なんだなと悟った。そして同時に茶化してしまったことに少しだけ罪悪感を覚える。
「で、返事は」
「そ、そう、だな…………」
「仲はいいけど好きではない?」
「……」
図星を突かれて黙り込む。
そう、それまでの彼女は俺にとって気になる女の子というより男友達に近い関係だった。
「男友達だよね。分かるよ、ずっと一緒だったんだから」
ふっと近づいてささやくように言うあやか。
テレパシーのような以心伝心。
キスできそうなくらいの至近距離で目が合って、にんまりと狐のような笑みに視線が吸い寄せられる。
その時はじめて――かわいいなと思った。
「でもさあ、あんた彼女なんていないじゃん。童貞じゃん。私もよく知らないやつから告られてめんどくさい感じじゃん。だからほら、お互いお試しでやってみるのも……ありじゃん? ライトな関係っていうかさー」
などと非常に適当なことを言いながら、むに、と今度は胸を押し付けられた。
冬の厚着越しでもなんとなく分かる柔らかい感触に俺のなけなしの理性や余裕が吹き飛んでいく。
「私ならなんでもしてあげるよ。なんでもさせてあげるよ。虎太郎がしたいこと、してほしいこと全部」
ここここいつ、こんないい匂いだっけ?
というか今とんでもないこと口走ってなかったか。それとも冷たい北風で俺の耳がいかれたのか。
「返事は?」
混乱の最中に再度催促されて、ほとんど無意識に俺は首を縦に振っていた。
はっと我に返ったところで、いつも強気なあやかが露骨に胸をなでおろす様子が見えて。
まあいいか、と思ってしまったのだ。
あやかと一緒にいて居心地がいいのは事実だし、この関係をもう一歩先へ進めてもいいんじゃないかと。
心のどこかで、もう一人の幼馴染の寂しそうな笑顔が脳裏をよぎったが――
「――っ、なんで俺は中学のことを思い出したんだ」
手持ち無沙汰のまま教室でぼーっとしていたら、昔の記憶が不意にフラッシュバックした。
原因は考えるまでもない。ちょうど屋上に呼び出しされたというシチュエーションから連想しただけだろう。
ちらと時計を見やると、約束の時間まであと数分になっていた。屋上は四階にあるので、ここから二つ階を上らなければならない。そろそろ向かわないとな。
人がまばらになった校舎に上履きの音をカツカツと響かせながら、階段を一つ飛ばしで駆け上がっていく。
屋上へつながる最後の階段には進入禁止のテープが張られていたが、それを無視してくぐる。そのまま屋上の扉の前にたどり着くと、少しさび付いたドアノブを回して扉を開ける。
そこには先客である女の子が壁際で静かにたたずんでいた。
「…………凛?」
「来てくれたんだね虎太郎くん」
俺の呼びかけに彼女はにっこりと笑顔で反応した。
牧島凛。
あやかと同じく、俺の幼馴染だ。
昔からどこへ行くにも俺の後ろをついてきた凛は、俺にとって妹みたいな存在だった。
男子人気はあやかと並んで一位二位だったが、二人がとにかく俺にべったりだったのでほかの男子連中からは嫉妬を浴びまくったものだ。
おかげで極上の優越感を味わえた反面、友達を作るのが苦手になり現在に至る。つまり俺の友達が少ない原因の一人と言っていいだろう。よくない。
ただここ一年くらいは……クラスが違うこともあって、ちょっと疎遠になっていた。子供の頃に一生の友情を誓い合った仲良し男女グループの、よくある顛末かもしれないが。
そんな凛から一通の連絡が入ったのだ。
二人きりで話があるので屋上に来てほしいと。
そう言われれば拒否する理由もない。むしろ今でも彼女のほうからそんな風に誘ってもらえたことが素直に嬉しかった。
「二人きりで会うのは一年ぶりくらい……かな。虎太郎くんは最近どう?」
「もうそんなに経つのか。まあ、何も代わり映えしない毎日だけどぼちぼちやってるよ」
「そっか。よかった」
そう言って立ち上がると、スカートをぱんぱんと手で払う。
短いスカート丈は白くて健康的な彼女の太ももをまったく隠すことが出来ず、なんなら正面からでもその奥が見えそうになっていた。
いや、久しぶりに会ったのにこんな邪な考えが真っ先に出るのはよくないな。
「凛は毎日ピアノだよな。またコンクール出てるのか?」
「うん」
凛は将来を嘱望されている天才ピアニストで、練習に明け暮れる日々を送っているのだ。
ピアノについて語っている彼女の目はいつもキラキラしていて、俺はそんな彼女を見ているのが好き。
だから俺たちの話題は必然的に音楽のことになる。
「ほんとにすごいよな~。俺にもなにか一つくらい特技があったらって思うよ」
「虎太郎くんもピアノやろうよ。いつでも教えてあげるよ?」
白く細長い指を空で奏でる仕草をする凛。
「中学の時に同好会で何回かやっただろ。右手と左手を別々に動かすところで挫折したんだよなあ」
「そういえばそうだったね」
「しかもあの同好会のせいで、文化祭に都合よく駆り出されたしな」
「あはは。当日の譜めくりもやってくれたよね」
けたけたと笑う凛。
そんなこともあったな。
本番数日前になって、凛が突然「譜めくりしてくれる人が必要」などと言い出したのだ。吹奏楽部の誰か頼もうにもみんな忙しくて、仕方なく俺がその役割を引き受けて一緒に壇上に上がった。
俺に対して冷ややかな視線を向けられたことは言うまでもない。
悲しい過去だ。
「運動部入ってるやつとかみんなそうなのかもしれないけど、なにかに打ち込めるってのはそれだけですごいよ。帰宅部の俺には真似できねえわ」
そう言って肩をすくめると、凛は何か言いたげにじっとこちらを見てくる。
「虎太郎くんは今好きなこととかないの?」
「強いて言えばゲームだけど」
自己紹介で「趣味:ゲーム」の頼りなさは異常。俺の中では旅行もスポーツ観戦も同じだろと思うのだが、世間一般でインドアはアウトドアに勝てない。
「ふふ。じゃあ好きな食べ物は?」
「スープカレー」
「昔から好きだよねえ。じゃあ……好きな人は?」
「好きな人は…………え、好きな人?」
思わず凛を二度見した。
他ならぬ凛からこういう話題が出てくるのが違和感ありすぎて、一瞬聞き間違いかと思ったのだ。
「虎太郎くんの、好きな、人」
凛は同じ質問を繰り返した。
ただし顔は俯いてこちらを見ておらず、表情も前髪に隠れて覗くことはできなかった。
突然なんだこの空気は。
「……凛こそどうなんだよ」
なぜか息苦しくなってきて、無理やり逆質問に逃げた。
「……わたしが今好きなことはピアノだよ」
「そ、それは知ってるけどさ。嫌いだったら毎日練習なんてできないし、続いてないんじゃないか」
「うん……好き」
控えめにほほ笑みながら発せられる「好き」という二つの音が、妙にねっとりと耳に貼りつく。
ほんの少しだけ、ドキッとした。
こんな大人びた感じだったっけ。
女子は男子より成長が早いと聞いたことがあるが……。
子供の頃のイメージとギャップに戸惑っていると、凛はさらに距離を詰めてくる。
「さっき、一瞬わたしだって分かんなかったでしょ」
最初の呼びかけが自信なさそうだったからね、と凛。
「いや、だってその恰好……」
「おかしい?」
「おかしくはないけどさ」
「じゃあ似合ってる?」
「あ、ああ」
なんか、今日はぐいぐい来るな。
凛は見た目はいいし守ってあげたくなる小動物的な可愛らしさから人気もあるのだが、基本的に男が苦手で俺以外とは碌に会話が続かない子である。
それで本人もなるべく目立たないようにしていたため、どちらかというと地味な印象があったのだが……少し見ないうちにだいぶ垢抜けただろうか、別人のような変貌ぶりだった。
校則でひざ下とされているスカートはしっかり太ももが露出するところまでたくし上げられていて、シャツも第二ボタンまで外れている。
それに、よく見ると薄っすらと化粧もしているようだ。
ルージュを塗った唇は、触れなくても分かるくらいぷっくりと柔らかそうで、自然と視線が吸い寄せられていく。
……いやいや、あの凛だぞ。
俺はくだらない妄想をかきけそうと頭を振って、話をもとに戻す。
「それより今日はどうしたんだ。なにか相談か?」
「うーん、そうだね。用件は二つあるんだけど」
「おう」
「一つ目はね、わたし、また文化祭で演奏することになったの」
「……え。そうなの?」
こくりと頷く凛。
「文化祭実行委員の出し物枠ということで、非常に断りづらくもありまして」
「初耳だな。俺も文化祭実行委員のはずだが」
うちの学校は文化祭の規模が大きいため、文化祭実行委員は一か月ブラック企業のように働かされる。
そんなゴミみたいな役職になぜ俺が就いているかというと、じゃんけんに勝てなかったからだ。俺はこの手の一発勝負にめっぽう弱い。
「虎太郎くん、最初の打ち合わせ来てなかったでしょ」
「そうだった」
もう、と頬を膨らませて怒って見せる凛、かわいい。まるで天使のようだ。
「で、いろいろ準備するのに問答無用で一人雑用係を指名していいって先生に言われたから虎太郎くんにやってもらおうと思って。というかもう指名しちゃった。また一緒に壇上に立ってね」
悪魔だった。
「………………………………また俺?」
「その間はなにかな」
「いや、もっと信用がおけて仕事できるやつを指名すればよかったのにと思っただけだ」
「虎太郎くんが一番信用できるよ。ピアノの演奏で譜めくりってすごく重要な仕事なんだから、信頼できる人にしか頼まないもん。他にもいろいろ頼みごとあっても、虎太郎くんなら言いやすいもん」
やんわりと逃げようとする俺を許さないとでもいうような、すべてを信じ切った曇りなき眼だった。
世界中を探してもここまで俺のことを信用している子は存在しないだろう。
「ま、まあ俺はやるとなったらちゃんとやるけどさ」
「ふふ。虎太郎くんならそう言ってくれると思った」
凛が安堵からか、くすりと笑う。
間違いなく子供の頃由来の高評価がむず痒い。今の俺は凛に兄貴面していたかつての自分から程遠い存在なのだから。
だが目の前の少女に「お願い」されることに、俺は昔から弱いのだ。
もちろん俺に音楽の才能なんてないし、ピアノをかじったこともない。間違いなく足を引っ張ることになるに決まっているが、そんなふうに俺が弱音を吐いて休もうとするたび、この魔性の幼馴染に誑かされて全力で働くことになるだろう。
そういう意味ではこの配役が慧眼と言えなくもない。
「ま、まあそれはいいとして、用件がもう一つあるって言ったよな」
「そうだね。二つ目だよね。うん。そっちについては相談というかなんというか……今日は言わなくていいかと思ってたんだけど、久しぶりに会ってやっぱり無理だったというか」
凛はもじもじと身じろぎして、すーはーと二度三度深呼吸した。
そして。
キッとした表情を作ると。
「好きです。わたしと付き合ってください」
突然、俺に告白をしてきたのだった。
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