第19話

※  ※  ※


ロイド(※アレクの本名)が闘技大会の決勝戦に進んだ頃。


 魔王城、謁見の間にて魔王グリードは一人の老人と相対していた。


 老人の名はコタロー・フーマ。東方の普段着であるキモノを着用し、手には木刀をもっている。


「ふん、貴様がかの有名なコタローか」


「ほっほっほっ、どのコタローかは存じ上げませぬが」


 コタローは長い白髭を撫でながら、深く刻まれた顔の皺をさらに深く刻んで笑った。


「では、やろうか」


 グリードが直剣を抜くと、コタローもまた構えた。


「真剣ではないのか?」


「構いませぬ。して、いつはじめるのです?」


「すでに始まっておる」


「さようでございますか」


 コタローの姿が消えた。


 彼がいた場所には、木刀の刀身だけが残り、からん、と音を立てて床に落ちた。


「チェストオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 グリードの背後に回り込んだコタローが仕込み刀を横なぎに振るう。


 けれどもその刃は魔王に届かない。魔王は背を向けたまま右手をあげ、剣で受け止めた。


「なんじゃとぉ!? 我が一族の秘術が防がれたとは!?」


「貴様の術は体の表面に水滴をつくり、光の屈折で姿を隠す術。それを利用したつまらん不意打ち。そんなものは貴様の一族の誰もが使っておったわ」


 レンチキュラー効果、というものがある。


 それは普通の絵の上にかまぼこ状のレンズを重ねたものだ。こうすることによって見る角度を変えると、絵が立体的に見えたり別の絵に見えたりするのである。


 コタローが使ったのはまさにそのレンチキュラー効果を利用したもので、自身の体の前にかまぼこ状のレンズの代わりとなる水滴を作りだし、光を屈折させて背景の景色に溶け込んだのだ。


「ぐぬぬ、やはり貴様か魔王! 貴様が我が一族の里を滅ぼしたのだな!」


「囀るなおきなよ。すべては我が野望のため、その糧となったことをほまれに思うがいい」 


「天下を統一してもなおなにを求めるというのだ貴様は!」


「天下では足りぬ、我は天上をも手に入れる」


 グリードが振り向きざまにコタローを切り裂いた。横に薙ぎ、逆袈裟に切り上げ、縦に分断した。


 目にもとまらぬ三連撃にコタローの体はばらばらになったかと思われたが、床に転がったのは一本の丸太だった。


「……逃げたか」


 グリードが直剣を鞘に納めると、闇の中から黒いローブを着た女が現れた。


「追いましょうか? それとも、追われますか?」


「どちらも却下だ。また爪を研いで戻ってくるのを待つ」


「承知しました」


「驚いているのか? シルフィーヌ」


「……少々」


 シルフィーヌと呼ばれた女の視線は、床に転がる丸太に向けられていた。


「天下の魔王様が敵を仕留めそこなうなどと、といったところか」


「いえ、そのようなことは決して! わたくしはただーー」


「よい。我の力量はその程度である」


「そんなはずはありません、それで世界を統一することなどできるはずがありません!」


「我は向かってくる敵にしか勝つことができん。切る、叩く、あとはせいぜい小石のような魔力の弾を放つくらいか。できることといえばそれだけだ」


 魔王の独白に、シルフィーヌは困惑した表情になっていた。


「我の本懐は一対一にある。多対一では数千万回の一対一を繰り返しているにすぎん。ではなぜそのような戦い方になるのかわかるか?」


「……いえ」


「我は基本しか鍛えておらんからだ。技の基本は一対一から始まる。我はこれまでそこだけを練りに練ってきた。逃げるものを追う術は知らぬ。大勢を吹き飛ばす魔法も知らぬ。そして、それは息子せがれも同じこと。ゆえに……楽しみなのだ」


 魔王は丸太を踏みつぶして玉座に腰掛けた。


「実は、沈黙の星が王都に向かいました。おそらくご子息さまと対決なさるつもりでしょう」


「構わん。奴に自由にしろと命じたのは我である」


「殺されるかもしれませんよ?」


「ならばそれまでだっただけのこと。まぁ、しかし……」


 頬杖をつき、鬼の形相で笑みを浮かべた。


――――早く来い、我が子よ。



※  ※  ※

 

『さーいよいよ闘技大会も決勝戦となりました! 泣いても笑ってもこの一戦が勝者と敗者をわけるのです!』


 会場の熱気は最高潮に達している。


 相手は正体不明の仮面集団。だけど実力は折り紙付きだ。


「アレク。この試合が終わったら……」


 リングの中央に向かう前に、エリシアが服の裾を引っ張ってきた。


エリシアの言葉にナインがはわわわ、と焦っている。


俺は知っている。これ、死亡フラグだ。


「どうした?」


「……なんでもない、勝とうね!」


 彼女はにっこりと笑ってリングの中央に向かっていった。


 なんだろう、なにかいいたそうだったけど。


 試合が終わったら聞けばいいか。


なんにしても俺もナインも死亡フラグが回避されたことに安堵した。


 リングの中央に立ち、相手のチームと向かい合う。


 近くで見るとますます変なチームだ。


 明らかに強そうなのは太陽の仮面の男だけ。


 黒ドレスは魔力こそ大きいが戦い慣れている感じはしない。


 犬耳の女に関してはそもそも戦力にすらならなそうな感じだ。


 優先的に倒すべきなのは、あの太陽の仮面だな。


「エリシア、先に言っておきたいことがある。まずは太陽の仮面の奴を狙おう」


「ええ……? どうしたの、そんなあたりまえのことをいうなんて。もしかして緊張しているの?」


「……かもしれないな」


 ヨームさん、最近の俺はコミュニケーションの難しさを痛感しているよ。


『両者、用意はいいですか!? レディー……ファイ!』


 試合が始まった。


 エリシアが駆け出したが、俺が彼女を追い越した。


「アレク!?」


「まずは俺が様子をみる!」


 はっきりいって前の二戦とは格が違う。


 エリシアではいきなり戦闘不能になる可能性があるし、そうでなくとも怪我をするリスクはかなり高い。

 

 ここは俺が主軸になって戦った方がいい。


「賢明な判断ですな」


 太陽の仮面が両腕を交差させると、微かに煌めく何かが見えた。


 とっさにジャンプすると、靴底の表面が削り取られた。


 なんて切れ味だ。だがこの距離なら見切れる。


「きゃあ!?」


「うわぁ!?」


 背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると、エリシアとナインが背中合わせになって倒れている。


 最初から狙いは二人だったのか。


「拘束させていただきました。そしてこちらは」


「ティータイムの続きよ」


 仮面男の後ろでは、黒ドレスと犬耳が先ほどの試合と同様にお茶を飲み始めた。


 ありがたい。あの黒ドレスのわけがわからない攻撃をされたら対処のしようがなかった。


 まずは仮面男を倒す。それから後ろの二人の拘束を解いて、三人がかりでいっせいに攻撃だ。


 さすがに三人がかりで攻めればあの変な攻撃でも対応できないだろう。


「じゃあまずは、最初の関門を突破しないとな」


「では、踊りましょうか」


 仮面男は指先と腕を巧みに動かし、糸を操っている。


 俺は見識眼をもって事前に回避。試合である以上、致命傷になる攻撃はしてこないらしく時間の流れはそのままだ。


 逆に言えば、通常の反射神経で回避できる攻撃しかこない。


「やりますね。少し速度をあげましょうか」


「うお!?」


 糸の速度がぐん、と上昇し俺は回避ではなく剣で防御してしまった。


 そう、足を止めてしまったのだ。


 お留守になった足下を狙われるのは必然で、右足に糸が絡みついた。


「かかりましたね!」


 仮面男は右手を一気に引き寄せた。


 俺の体は軽々と宙に放り投げられた。まるで見えない腕に掴まれてぶん投げられたみたいだ。


 身動きがとれない空中に放り投げることも予想していた。


 このまま俺を拘束するつもりだ。


 俺の予想通り、俺の体を取り囲むように糸の球体が形成されていた。


 これじゃ多少切ったところで、残った糸に拘束されてしまう。


「ジ・エンドでございます」


 仮面男が拳を握ると、糸が急激に縮み始めた。


 完全に縛り上げられてしまっては対処できない。


 せめて時間がゆっくりになってくれれば。


 命の危機に瀕した時のように、俺の目が発動してくれれば。


親父と戦った時のように。


「う……おおおおおおおお!」


 目の奥でなにかが爆ぜた感覚がした。


 これは、時の流れが緩やかになっている!?


 でもそんなに長時間はもちそうにない、目の奥が焼けるように熱い。


 俺は糸の根元を探した。糸の数は全部で十本。それらはあの仮面男の手と繋がっている。


 根元さえ断ち切れば拘束を逃れることができる。


「はああああああああああ!」


 根元の十本を俺は的確に切断した。


 糸の球体ははらはらと地面に落下し、俺もいっしょに着地した。


「う……ぐぅ……目が、熱い……」


強制発動の影響だろうか。


眼球の奥がバーナーであぶられているようだ。


「む……なんですか、その虹色の目は?」


 虹色? 俺の目はいま虹色になっているのか……?  


 どっちにしろもう時間切れだ。時の流れは元に戻ってる。


 ずきんずきん、と目の奥が痛みを発しているが、このさい気にしている場合でもない。


「どうやらその力は使い慣れていない様子。ここからはわたくしの本領といきましょうか」


 仮面男はナイフを逆手に握った。


 きっとあの男はナイフが本来の武器なんだ。最初の試合でもあの男は飛んでくる銃弾をナイフで両断していた。


 気を抜くことはできない。


「いざ……まいる!」


 仮面男の姿が消えた。


 俺は振り返りもせずに剣の柄を背後に突き出した。


「げふっ!? ば、馬鹿な!?」


 なぜわかったのかわからない。ただ体が自然に反応した。


「まぐれはここまでですぞ!」


 仮面男がナイフを振り上げてきたが、俺は剣でそれを受け流し、仮面男の胴体に一閃切り込んだ。


 仮面男はどろん、という間抜けな音ともに消えて代わりに丸太がいっぽん地面の上に転がった。


「な、なぜ反応できるのです!?」


「な、なんでだろう……」


 俺にもわからない。たださっきの絡め手よりずっと戦いやすい。

 

 相手の動きが手に取るようにわかる。


 なんていうか、負ける気がしない。


 俺は剣を構え直した。


「くっ……ちぇりゃああああああああああああ!」


 仮面男がいままでにない速度で迫ってきた。


 超スピードに加えてジグザグにフェイントをかけてくる。


 その様相はまさに雷だった。


 だが、俺は正確にナイフの軌道を把握し、その軌道上に剣を置いて受け止めた。


「ば、馬鹿なああああ!? 我が一族の秘術、麒麟走りまでもが破られるとは!」

 

 俺は手首を返して切り上げた。


 仮面男は上半身を反らせて回避。後方へ飛びのいた。


 数泊遅れで男の仮面に亀裂が走った。


 半分に割れた仮面の下から姿をあらわしたのは、エルフィンだった。

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