第10話
教会に入ると、シスターがステンドグラスの前で跪いて祈りを捧げていた。
「シスター・パーシャルレップス! もう体は大丈夫なんですか!?」
エリシアが駆け寄ると、シスターは穏やかに微笑みながら立ち上がった。
「ええ、エリシアさん。もう大丈夫ですよ。心配をかけましたね」
「さっすが筋肉。頑丈だねぇ」
「ナインさん」
シスターがナインに近づいた。
「な、なに!? やるっていうの!?」
ナインはあからさまに警戒したが、シスターに敵意はない。
彼女はそっと、ナインの頭の上に手を置いた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、わたくしは進むべき道を見つけました」
「へ?」
「世界は広いものです。まさかこんなにも貧弱なマッシブの少女に力負けするなんて」
「いや、それはあーしがゴーレムだからで……っていま、あーしの胸みていったよねぇ!?」
ナインは自身の胸を隠しながら叫んだ。
「わたくしはわかったのです。待っているだけでは駄目だということに。そして決めました。我らがマッシブ教を、我らがテストステロン神の素晴らしさを! この足で伝えようと!」
シスターは両手を天に掲げながら宣言した。
破壊された壁から差し込む夕日に照らされ、彼女の肉体は陰影がくっきりと浮かび非常に強そうに見えた。
「足でってことは、まさかに旅にでるってことですか!?」
「その通りですエリシアさん! わたくしは布教の旅にでることにしました! なので、その、非常に心苦しいのですが……闘技大会の件は断らせていただいてもよろしいですか?」
「ええー!? そんなぁ……それじゃあ闘技大会に出場する人数が……」
エリシアはそこまで言ったところでナインを見た。
「え、あーし!? あーしが戦うの!? いやいやいや、あーしはだってほら、人間じゃないし! 生き物ってゆーか、物だし!」
「ナインはアレクの所有物になったんだよね?」
「それはそうだけど……」
「武器の持ち込みはオッケーなんだから、ナインが出場しても問題ないよね?」
「ええと……ルール的にはたぶん……オッケー。でもさでもさ! あーしはアレクくんの所有物なんだよ? アレクくんがいいっていわなきゃ」
「いいよ」
「雑ぅ! 雑だよぅ、アレクくぅん! あーしもっと甘やかしてくれなきゃやぁーだぁー!」
そんなこんなで闘技大会に出場する三人目が決まった。
ナインなら戦力としては申し分ない。きっといい働きをしてくれるだろう。
その夜、俺たちは教会の中でキャンプをすることにした。
なぜあえてキャンプといったかというと、実際に火を焚いているからだ。
教会で使われていた長椅子を解体して、薪の代わりに火にくべている。
焚火で焼いているのは俺が塔の上から持ってきた食料だ。
量的には四人で食べても十分余裕があるはずだったが、みんなすごい食べるのでどんどんなくなっていく。
俺もよく食べる方だがシスターはもっと食べる。驚いたのは、シスターよりもエリシアの方が大食いだったことだ。
彼女はとにかく食べる。それはもうたらふく食べる。
食べ方はおしとやかなのだが休みがない。
一定のペースでひたすら食べ物を口に運んでいる。
しかも終始無言。食事を楽しむというより、食事と戦っているような、そんな雰囲気さえ感じるほどだ。
ナインは相変わらずあの不味いキャンディを舐めていた。
食後は交代で教会にある風呂に入り、その後みんなでゲームをしたいとナインが駄々をこね始め、シスターが「いいゲームがありますよ」といって礼拝堂の奥からなにかを引っ張り出してきた。
一片が二メートルほどの大きな正方形の板だ。
板の上には赤、青、緑、黄色の四色で色分けされており、さらにその色の中には手や足の模様が描かれている。
「これは?」
俺が尋ねるとシスターはにっこりと微笑んだ。
「マッスル・ゲームです」
なんとも汗臭そうな名前である。
「やぁーだぁー! あーしやりたくないぃー!」
速攻でナインが嫌がり始めた。
嫌がる気持ちはわかるのだが、やってもみないで拒否するのはシスターに失礼だ。
エリシアも同じ気持ちなのか乾いた笑みを零しながらルールを聞いていた。
「ルールは簡単です。このルーレットを回して決まった色に手か足
「ひとついいですか、シスター」
「はい、エリシアさん。どうぞ」
「普通に手か足じゃ駄目なんですか?」
「駄目です。さあ、レッツ・マッソー!」
エリシアの質問をばっさりと切り捨て、シスターは実に楽しそうに手を打ち鳴らした。
まずは一戦目。エリシア対シスター。
コイントスの結果、先攻はエリシア。後攻がシスターになった。
「じゃあルーレットをまわすよぉ。ほーいっと」
ナインがルーレットを回すと、黄色にとまった。
「黄色ね」
エリシアは板の傍にしゃがんで、すぐ手前にある黄色の枠に指先をおいた。
「じゃあ、次ー」
次はシスターの番。ルーレットは赤色で止まった。
「ここですね」
シスターは赤色の枠に足の指を置いた。置いた、というより乗った。彼女はいま足の指先だけで直立している。
手も胸の前であわせており、その姿はまるで、というか、修行僧そのものだった。
「ちょっと不気味なんだけどぉ……」
「ナインさん。はやく次を」
「はぁーい」
次は青。エリシアはしゃがんだまま、隣にある青い枠に指を置いた。
「次はー……また赤!」
シスターのターン。二回目はまたしても赤。彼女はエリシアの方向に倒れこむと、人差し指で赤色の枠に触れた。
格好はまさに片手指立てふせだ。
迫りくるシスターの巨体にビビったのか、エリシアの顔が若干ひきつっていた。
「はい、青!」
ここにきてエリシアも動き出さなければならない状況になってきた。
エリシアはすでに両手の指を使っている。次に両手が使えるのは三ターン後だ。
エリシアは体を伸ばし、シスターの体の下にある青色の枠に足をのせた。
「あ、すいませんシスター」
「ふふ、いいのよ。このゲームではよくあることだから」
足を伸ばした時、エリシアの足がシスターの胸に触れてしまったのだ。
このゲーム、進行するにつれてかなり密着するのではないだろうか。
俺の予想は的中し、四ターン後になるころには、エリシアもシスターも完全に板の上におりエリシアの体の上に覆いかぶさる様な形でシスターが姿勢を維持している状態となった。
シスターの体の下にいるエリシアは、ブリッジ状態で手と足の指先だけで耐えている。
けれど、それも時間の問題だった。ちょっとした気のゆるみから、彼女は姿勢を崩して負けてしまったのだった。
「残念……それにしても、とても汗をかくゲームですね」
「ええ。みんな汗をかくためにこのゲームをやるのですわ」
シスターとエリシアの間には奇妙な友情が芽生えているようだった。
次は俺とナインの番だ。
「二人とも準備はいーい?」
ルーレット係はエリシア。俺たちは同時に頷いた。
先攻は俺だ。ルーレットは青。
ここはシスターの戦法を参考にさせてもらうことにした。
最初に手の指から始めると、その後は手の指を起点に体を動かさなければならずどうしても窮屈な姿勢を強いられてしまう。
まずは足から。次に手を使うことで板を広く使うことができ、安定した姿勢を維持できると言うわけだ。
そこで俺はまず、青の枠の上に足の指だけで立つことにした。
はっきりいってこれくらいの身体操作は楽勝だ。
「あ、また青!」
ナインも青がでた。
「ふっふっふ、アレクくん。あーし、気づいちゃった。このゲームの必勝法」
「どうでもいいからはやくしろ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。あ、そーれ!」
ナインは俺と同じ枠に足の指を置いてきた。
当然だが枠は小さい。その上に二人も乗れるわけがなく、俺が弾き飛ばされてしまった。
「ぐえ! え? 俺が弾き飛ばされた!?」
「キシシシ! 質量に差があるからねぇ」
ナインの体重がどれくらいかわからないが、さっきの感触からして少なくとも百キロ以上はあることだけはたしかだ。
体重差で勝敗が決まるなんて糞ゲーすぎる。
「キシシシ! ねぇねぇアレクくぅん、いまどんな気持ちぃ? 悔しい? あーしと密着できなくてギガ悔しぃーい?」
俺は言い返さなかった。
ただナインの胸を見て鼻で笑ってやった。
「キー! なにその態度! いいもんね! アレクくんには絶対に触らせてあげないもんね! ほらエリシアちゃん!」
「え?」
ナインはエリシアの手を握って自分の胸に押し当てた。
なにをやっているんだあいつは。
「どうどう? 実はそこそこでしょ? 細く見せるためにタイトなシャツ着てるんだぁ!」
「うーん……ん? え? ちょっとまってもしかしてわたしより……」
「へ? どうしたのエリシアちゃん? 顔が恐いよ?」
「……別に、なんでもない」
ナインは四方八方に敵を作るタイプのようだ。
最終戦はナイン対シスター。
先攻はナイン。
「はい、じゃーいきまーす」
あからさまにやる気がダウンしているエリシアがかららら、とルーレットを回した。
回されているルーレットもどこか悲しそうだ。
止まったのは黄色。ナインは足の指を置いた。さすがのバランス感覚だ。ちっとも揺れない。
「さあ、どっからでもかかってきなよシスター」
「ふふ、覚悟してくださいね?」
シスターはなぜかローブを引き裂いた。
たぶん本気になったということなんだと思うけど、その度に毎回ローブを引き裂くのだろうか。
この教会の経営難の真の原因って、シスターのローブ代なんじゃないか。
シスターが足の指を置いたのはなんと先ほどの試合で見せたナインと同じ、相手の枠。
質量ではどちらが上かはわからないが、二人とも大質量であることに違いはない。
凝縮された鉛のゴーレムか、膨張した鋼の筋肉か、どちらが勝つんだ。
瞬きもせずに勝負の行方を見守っていると、なんと二人は同じ枠の中で立っていた。
互いに倒れることなくバランスをとり姿勢を維持している。
ナインに至ってはほとんどシスターの胸に顔が埋まっている状態だ。
「勝負はこれからだからねぇ!」
シスターの胸からナインの声が聞こえてくる。
なんというか、勝敗とは無関係のところで圧倒的に敗北しているように見えた。
その後の二人は熾烈な攻防を繰り広げた。
好機とみれば常に相手と同じ枠に手や足を伸ばし、相手の動きを封じ込めるといったテクニカルな技も使われた。
一時間に及ぶ激戦のさなか、応援している俺とエリシアの熱も高まってきた。
「うおおおおおおおお! あの状態から次の場所に指をおくなんてどんなバランス感覚なんだ!?」
「きゃあああああああ! 駄目! 見ていられないわ! もうどっちが負けてもおかしくないんだもの!」
それはもうとにかくすごい戦いで大盛り上がりだった。
激しい攻防の結果、シスターの汗が板の上に水たまりを作るほどになっていた。
体格の関係上、シスターの体の下に入り込む格好になったナインもまた全身がびしょ濡れになっていた。
「はぁはぁ……不利な下側にいながらも、よく戦いますね」
「キ……シシ! あーしは負けずぎらいなの! シスターこそ、生身の人間がここまで食い下がるなんて表彰ものだねぇ!」
二人は交差した状態で互いに称え合っていた。
このゲームをやるとなぜ友情が芽生えるのかはわからない。しかし、芽生えるのだ。なぜか。
もしかすると、これこそがテストステロン神のご加護なのかもしれない。
「次。ナイン。青」
結着の時は唐突に訪れた。
ナインが触れた青の枠。そこにはシスターが流した汗で濡れていた。
彼女はとても優秀なバランス感覚を持っている。だからこそイレギュラーに弱い。
彼女の手の指先が汗で滑った瞬間、全てが瓦解した。
「うぅー! 悔しいぃー!」
「はぁはぁ……ナインさん」
「なによ! 勝ったからって調子に乗らないでよね!」
「いいえ、違います。これをあなたに」
「これは?」
シスターが渡したもの。それは金のダンベルだった。なぜか持ち手の中央に鎖が埋め込まれており、輪っか状になっている。
「これは我らマッシブ教のシンボルです。純金製で重さは五十キロ。友情の証に受け取ってくださいますか?」
ナインはきょとんとしていたが、照れくさそうに頬を染めて「受け取ってあげるわよ」といってダンベルを手に取った。
「それは首飾りになっています。もしよければ、つけてくださいませんか?」
「こう?」
ナインは金のダンベルの鎖の部分を首にかけた。
ネックレスだったんだ、それ。
重さ五十キロを首にかけるのは、俺でもちょっと嫌だな。
「とてもよくお似合いですわ!」
「そ、そうかな……キシシ……たしかに、ちょっと可愛いかも」
明らかに脳をマッシブに犯されている者の発言だった。
だけど、そんなことはどうでもいい。みんなが笑顔になるのだったら、この時だけでも筋肉に染まろう。
夜も更けてきた。
焚火に照らされたステンドグラスの中で、金のダンベルを握りしめたテストステロン神が笑っているように見えた。
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