第8話

「素直に謝るのなら、扉を壊したことも、神への暴言も許しましょう。ですが、素直にならないというのであれば……」


 シスターはギプスの留め金を外した。


 ずしん、と音を立てて床に落下するギプス。


 ぼん、とシスターの筋肉が隆起した。


 信じられない。あのギプスでこれほどの筋肉を抑えていたっていうのか。


 親父と同等どころか、親父以上の筋肉量だ。


「素直にならないとぉ、どぉーなっちゃうのぉ?」


 少女は咥えていたロリポップをシスターに向けた。


 挑発するようにわざとらしく獰猛な笑みを浮かべながら。


 シスターは胸の谷間からフィンガーレス・グローブを取り出すと手に嵌め、次に手首に巻いていた紐をほどいて長い黒髪を後頭部で結んだ。


「おしおきです」


 シスターもまたうっすらと目を開いて微笑んだ。


 血も凍るような笑みを向けられても、少女は少しも動揺した様子が見られない。


 というよりも、俺にはその様子が感じられない。


 普通の人間、いや、生き物なら、魔物だろうと動物だろうと緊張と弛緩がある。


 俺の目はそういった些細な体の変化を見逃さない。


 なのにあの少女には俺の見識眼が通用しない。


 体の部位のどこも緊張していないし、どこも緊張しているように見える。

 

 本来ならあり得ない状態だ。緊張と弛緩を両立するなんて。


「きなよオバサン。あんたの相手をしないとあーしの用事が終わんないからさ、遊んであげる」


「わたくしはまだ二十六ですよ」


 シスターが低く構えた。


 タイミングを計っているようだ。


「だからさぁ……」


 少女が口を開いたその時、シスターが地面を蹴った。


 その姿はまるで暴れ牛。しかし隼の如き速度。


 走りながら、右腕を蛇のようにしならせ少女の顔面に打ち込んだ。


 しかし、彼女の拳は少女の顔面には届かなかった。


「オバサンじゃん?」


 少女は右手一本でシスターの拳を受け止めていた。


 明らかに異常な状況だった。


 体格差からしても少女とシスターの体重ウエイトは明らかに違う。


 物理法則に則って、軽い方が吹き飛ばされるはずだ。


 ところがどうだろう。目の前の光景は、そんな常識を覆している。

 

 明らかに小柄な少女が、巨大な筋肉を搭載したシスターの一撃を受け止め、なおかつ少しも動いていない。


「なっ!? くっ……嘘……離れない!?」


 シスターもこの異常事態に気づいたのかすぐに体を引こうとした。


 足で踏ん張り後ろへ下がろうとしている。なのに動かない。


 少女の足はいまだに床の上についている。


「すんごい体してるけどさぁ、オバサンにも女の子らしいところがあるんだねぇ」


 少女はそういって、掴んでいた右手を持ち上げた。


「な、なんですって!?」


 シスターの体が宙に浮き上がった。


 まるでシスター自身が少女の手のひらの上でバランスをとっているかのようだが、それは違う。


 少女の腕力によって、推定体重百キロを越えるシスターの巨躯が持ち上げられているのだ。


「軽いっていうのは、女の子らしいと思うよ。オバサン」


 少女が手を離した。


 自由落下を開始するシスター。


 胸の前で腕を交差させて防御の姿勢をとった。


「無駄じゃんね」


 少女が足を振り上げる。


 一直線に蹴り上げられた彼女の靴は、シスターの腹部に深々とめり込んだ。


「がはっ!?」


 少女は自身の足の上にシスターを乗せてしばらく見上げていた。


 シスターの口から垂れた血を、彼女は自身の口で受け止めていた。


「んー、なるほどなるほど。いいデータがとれた……と思うけど、まーあーしには興味ないかなぁ」


 少女は体を捻り、再び落ちてきたシスターに回し蹴りを食らわせた。


 シスターはこんどこそ腕で防御したが、彼女の体は礼拝堂の奥まで吹き飛び、パイプオルガンを粉砕して沈んだ。


「シスター!」


 エリシアが駆け寄ってシスターの肩をゆすると、シスターはエリシアの手を握った。


「逃げてください……エリシアさん……あの子は、人間ではありません……」


「シスター! シスター!」


 シスターは気絶しただけのようだ。


 急所は外れている、というよりも、あえて外したようだ。


「はぁーあ、これにて任務しゅーりょー。さぁーて、次の目的地はっとぉ……」


 少女は突然虚空を見つめてボーっとし始めた。


「おい、お前」


 俺が呼びかけると、微かに反応した。


「おいってば!」


 怒鳴りつけると、少女は舌打ちをした。


「うるっさいなぁ! なんなの!? 死ぬの!?」


「お前は、何者なんだ? 魔王の刺客……なのか?」


 俺が尋ねると、少女は鼻で笑った。


「魔王の刺客ぅ? はっ、あーしはその魔王をぶっ殺すために作られた兵器だよ」


「作られた?」


「そ。あーしはドワーフ科学研究団が開発した対魔王用兵器。名前はナンバー・ナイン。ナインたそって呼んでちょ」


 ナインと名乗った少女は、ロリポップにキスして俺に投げ渡してきた。


「いらないんだが……」


「いいから食べてみ。ほれほれ」


 ロリポップを見てみる。


 色は茶色。チョコレート味だろうか。


「……マジ?」


「マジマジ!」


 機械と関節キスかぁ、と思いつつ、機械相手に躊躇するのもなんか気持ち悪いなと思いとりあえず口に入れてみる。


 凝縮されたオイルの匂いが一気に口の中に立ち込めた。


「うげっほ、げほ、ごほ! な、なんだこれ!?」


「キシシシ! それはあーしたちゴーレム専用のオイル・キャンディなのだ!」


「ゴーレムだって!? あれは実用化できない机上の空論だろ!?」


 ゴーレムっていったら、たしか古代技術だったはずだ。


 古代ではアンドロイドとかサイボーグと呼ばれていたものを現代技術で復活させたものがゴーレム。


 ヨームさんにかしてもらった本にはたしかそう書いてあったけど、まだ実用できる技術じゃなかったはずだ。


「机上の空論を現実の理論にするために本気で人生を捧げるあたまのおかしい集団があーしの生みの親なのさ!」


「古代技術の機械兵士。それが、対魔王用兵器……」


「あーしはいま武者修行……いやロボ修行? の旅に出ているのさ。世界各地で強い奴と戦って戦闘データを更新。ついでに相手の生態情報を奪って自分の身体能力に反映させているのよ。だからほら、こんな動きだって簡単にできちゃう」


 少女はバレリーナのように爪先で立ったり、右足を振り上げて抱きしめたりと柔軟な体をアピールするかのように踊りだした。


 筋力ではなく、出力で制御しているようだ。


 その出力のバランスにまったく無駄がない。


 見ていても危ないげない感じがしない。


 こいつ、強い。


「アレク! そいつは危険よ! 離れて!」


「好きにすればぁ? あんたたちはリストに名前がないし、別に戦う必要なんかないしぃ」


 ナインには戦うつもりが無いみたいだ。


 だけど、俺にある。


 初めて地上に降りてからであった俺と同等かそれ以上の強者。


 正直言って、体の震えが止まらない。


 怖いんじゃない。


 嬉しいんだ。


 楽しみなんだ。


 どんな戦いになるのか、まったく予想がつかないから。


「エリシア……ひとつ提案がある」


「まさか、戦うっていうの!?」


「ああ。戦う。でも戦うだけじゃない」


「ふーん、あーしとヤルつもりなんだぁ?」


 ナインが小馬鹿にしたような目で俺を見つめてくる。


 俺は、無意識に笑い返していた。


「なにその顔……ムカつく」


 俺はゆっくりと彼女に近づき、向かい合う。


「聞いてくれ、エリシア。そしてナイン」


「え?」


「あーし?」


「俺はいまからナインと戦う。正々堂々、正面からのガチンコを申し込む」


 俺はナインに指を向けた。

 

 するとナインは一瞬、驚いた様な表情になったが、すぐにロリポップを噛み砕き、三日月のように口元を歪ませた。


「キシシシ! え? なに? あーしもしかして決闘を申し込まれちゃった感じですかぁ?」


「やめてアレク! そんなの放っておきましょう!」


「ああ、決闘を申し込む。俺が負けたら……俺の秘密を教えてやる」


「あんたの秘密ぅ? なにそれ、超つまんないんですけどぉ」


 へなへなとうなだれるナイン。


 そのナインの前で、少しだけ押さえていた魔力を解放する。


 途端にナインの目つきが変わった。


「お前は強いやつと戦いたいんだろ? これでどうだ?」


「いいね……うん、すごくいいよ。いまあーしの網膜情報端末で、あんたが最優先任務に切り替わった!」


「ただし! 俺が勝った時の条件もつけさせてもらう」


「あんたが勝った時ぃ? なんなの? いってごらんよ?」


「俺が勝った時……その時は、お前をもらう!」


 俺ははっきりと告げた。


 これはもちろん、仲間にするという意味だ。


 ところがナインの反応は俺の予想を上回るほどショックを受けているようだった。


「は? え? なに? なんて?」


「あ、アレク……あなた、そういうのが趣味なの? 人形が好きっていうか……人形に罵られたいタイプなの……?」


「だー! ち、違う! そうじゃなくて! 俺はだなぁ!」


「いいよ……」


 ナインが呟いた。


 彼女をみると、ナインは心から嬉しそうに笑顔を浮かべていた。


「いいよね、博士? あーし負けたら、この男の物になっちゃってもいいよね?」


 ナインは鳥籠の中の黒猫に話しかけた。


 それから彼女は「うん、うん」とひとりで頷き始めた。


「わかった……じゃあ、決まりだね。いいよ、アレク……くんだっけ? あんたが勝ったらあーしの所有権をあげる。その代わり、あんたが負けたらあんたは一生あーしの奴隷ね」


「ど、奴隷ですって!? まさか、奴隷の烙印を押すつもりなの!? 人形なのに!?」


 奴隷の烙印。それは絶対に破ることができない主従関係を結ぶ契約魔法だ。


 その名の通り、奴隷の烙印をおされたものは主のいかなる命令にも逆らうことができなくなる。


「あーしは特別な人形なの。同じゴーレムシリーズの中でも最強なんだよぉ」


「そうなのか」


「自称だけどねぇ!」


「自称なのか……」


 なんかところどころ緩い感じのするゴーレムだ。


 だけどそんなことと実際の強さはなにも関係がない。


 俺は今、純粋に戦いを楽しもうとしている。


「エリシア、合図してくれ」


「いい、アレク……絶対に負けないでね」


「……ああ」


「キシシ……あーしに挑むなんて身の程知らずな奴……」


「用意……始め!」


 エリシアの掛け声とともに俺はすかさず直剣を抜いた。


 出し惜しみはしない。全力でぶった切るつもりで切りかかった。


 ところが俺の剣はナインの傘によって防がれた、俺の斬撃は、その衝撃波で教会の窓を全て粉砕するまでに留まった


「顔に似合わず激しいじゃん!」


 時がゆっくりになる。


 腹部への蹴りが迫っていた。俺は右手の前腕でそれを受け止めたが、あまりの重さに体が浮き上がる。


 抵抗しても無駄だと切り替えて、ナインの力を利用して天井まで飛び上がった。

 

 天井から地上を見下ろすと、すでにナインの姿はなかった。


「どこだ!?」


 見失った。


 再び時が遅くなる。


 どこだ。どこにいる。デッド•アイズが発動したってことは、攻撃してくるのは間違いない。


 俺は視界の中を注意深く観察する。どこかにヒントがあるはずだった。


 俺の視界の中にあるのは、俺が着地・・した衝撃で割れた天井の欠片と、さっきの斬撃で粉砕した窓ガラス。


 窓ガラスの欠片が煌めいた。


 俺はその欠片を凝視すると、背後のシャンデリアの上にのって畳んだ傘をこちらに向けているナインの姿が見えた。


「粉々になっちゃえー!」


 ナインが繰り出したのは、教会の扉を吹き飛ばした時につかった魔力弾。


 範囲の広さからして回避は不可能。


 俺は魔力を……切ることにした。


「はああああああああ!」


 直剣に俺の魔力を帯びさせて、空中で体を回転させながら切り裂いた。


 俺の斬撃は教会を縦に切り裂き、ナインがいたシャンデリアをも切り裂いた。


 俺が着地して数泊遅れでシャンデリアが落ちてきた。


 すかさず振り返って直剣を構えると、シャンデリアの残骸を片手でどかしながらナインが姿をあらわした。


「あっは! 強いじゃんあんた! やばい! 惚れそうかも!」


「そいつは光栄だな!」


 一気に接近して剣を振り下ろす。ナインは傘で受け止めた。


 その後も連続で切りかかるが、すべて防がれた。


 傘にあんな邪魔なものをぶら下げているのになんつー反射速度だ。


 俺の攻撃の切れ目を狙ってナインが傘を振り回してきた。


 剣術は素人並みだ。軌道がわかりやすすぎる。


 刺突の構えをしてきたので半歩下がる。


 目の前で傘の先端が止まった。


 そこで、時の流れが緩やかになった。


 不味い。こいつ、あれを撃つ気だ。


「キシシ……じゃあね、アレクくん」

 

 ナインの傘の先端に開いていた黒い穴が白く染まった。


 魔法弾を放つ気だ。


 この距離であの威力を食らったらさすがにひとたまりもない。


 俺は横に移動して傘の射線から逃れようとしたが、ナインはまるで俺の動きを読んでいるかのようにぴったりと捕捉してきた。


 半円形に移動したのと同じ軌跡を傘が描いている。


「しまっ……!」


 目の前が真っ白に染まり、魔法弾が放たれた。


「アレクううううう!」


「キシシシシシ! 脳天吹き飛ばしちゃったぁ! でも大丈夫! ちゃんと代わりの頭をつけてもらえるように博士にお願いしてあげるからねぇ! キーシシシ!」


「そりゃありがたい話だけどさ、俺はけっこうこの顔が気に入ってるんだよ」


「は!?」


 隙だらけのナインに切りかかる。


 彼女の左腕に刃が食い込み、切り落とした。


 ナインの左腕は頭上をくるくると回転して、彼女の背後に落ちた。


「な、なんで!? 頭を吹き飛ばしたはずなのに!」


 ナインは失った左腕を庇いながら叫んでいた。


 防いだのさ。あの距離で。


「アレク、頭のそれ、いつのまに……?」


 エリシアは気づいたようだ。


 そう、俺はいま兜をかぶっている。


 親父の装甲魔法の真似だ。


 まだ全身とはいかないが、それでも絶大な防御力だということは証明された。


「ぶっつけ本番だったけどけっこううまくいくもんだな」


「赤い兜……まるで魔王みたいだねぇ」


 俺の兜は赤なのか。自分じゃ色なんて確認できないからどんな物を被っているのかわからない。

 

 ようは地属性魔法の応用で、とにかく硬さを追求した兜にしたつもりだった。


 その結果、おそらくは竜の骨が結晶化してとれる鉱石、竜結晶の兜を俺はいまかぶっているのだと思う。


 魔法も斬撃も防ぐ親父の兜とは性質が違うかもしれないが、それでもかなり強靭な装備だ。


「っと、時間切れか」


 兜がぼろぼろと砕けた。


 本来はこの場に存在しない物質を出現させていたのだ。いつまでも存在させることができたらそれはもはや神の御業。無から有を生み出す行為に等しい。


 俺がやっているのは、あくまでも疑似的な錬成にすぎない。


「さあ、仕切り直しと行こうぜ!」


「やめー! やめやめやめぇ! こーさーん!」


 ナインはバツ印が刻まれたスカートをぱたぱたさせながらそういった。


「へ? 降参?」


「無理無理、これ以上壊されたらたまんないし。自己防衛プログラムっていうの? 最適な状態を保つために最適な回答を瞬時にアンサーする機能なんだけど、あーしはこれ以上あんたとは戦わない。戦って壊されてもメリットないし、仮に勝っても割に合わない」


「いや、でも……勝ったらきっと嬉しいぞ?」


「はいそれ脳筋のはっそー。あーしはね、科学の象徴なの。そういう感情論が挟まれる余地はまったくないわけ。おわかりぃ?」


 ナインはジャケットの胸ポケットからロリポップを取り出して包みをむしりとると、口に咥えた。


 科学っていうのは、なんていうかつまらないものなんだな。


「じゃあ、あなたはアレクの?」


「そ。これからあーしの所有者はアレクくんになりまーす。よろぴくねぇ」


「ああ、そうなんだ……」


 なんか最後の方でずいぶんと煮え切らない感じになってしまった。


 けど、まぁ。勝ったからいいか。

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