第7話
村をでて平原を歩いていると、スライムと遭遇した。
この世界でもっとも弱いとされる魔物との初めての遭遇にどうすればいいのか戸惑ったが、核を踏みつぶしたら倒せた。
これでよかったのだろうか。
もっと丁寧な倒し方があったのではないか、と心に棘が刺さったような気持ちになった。
「アレクー? そんなところでどうしたのー? はやくきなさいよー!」
丘の中腹辺りから、エリシアが呼びかけてきた。
「いまいくよー」
俺は彼女の後を追った。
振り返るとグレイシャーウッドの村の風車が遥か下方に見えた。
丘とはいうものの、小山くらいの標高はありそうだ。
傾斜もそれなりにあるものの、前を歩くエリシアの足取りは軽い。
「なぁ、そういえば気になっていたんだけど」
「なぁに?」
「エリシアは騎士なのか? それともその鎧はただの装備?」
エリシアの鎧の肩のところには、盾と翼の紋章が刻印されている。
だが人間領であるブルースフィア、もといアステリカ王国の国旗は青い宝石に絡みつく白い薔薇だ。
騎士団ならその紋章が刻印されているはずである。
「わたしは、騎士団アカデミーの生徒よ。これはアカデミーの紀章なの」
「そうだったのか。てことは、卒業後は騎士団に入るのか?」
「ええ、そうよ。わたしは今年で十九歳になるから、あと四年で卒業。無事に卒業試験を突破できれば晴れて騎士団に入団できるってわけ」
「へぇ、それはがんば……ちょっとまて、十九歳?」
俺が十七歳なんだぞ?
十九歳? エリシアが?
俺の疑問にエリシアは「なに?」といって振り返りながら睨みつけてきた。
この、俺よりも高い場所にいるのに俺と目線の高さが同じ少女が、俺よりも二歳も年上だと。
あらためて頭の先から足の先まで眺めてみる。
顔は美しい。さらさらの金髪も、森の泉のような透き通った瞳も、いつまでだって眺めていられるほどだ。
ただし、彼女の体を包む白銀の鎧は装飾こそそれなりに立派だが、彼女の慎ましい体を誇張させるほどではない。
なんなら胸の装甲は絶対に盛っている。俺にはわかる。たぶん、二割増しくらいのオーバーサイズを装着している。
ウエストの装甲は逆に締め付けすぎというか、かなりフィットさせており、腰回りはもはやスカートのように広がっている。
この構造にどのような戦術的アドバンテージがあるのかわからない。
胸部の厚みを増やすのはまぁ、急所だからわかる。しかしそれなら胴体部も重要な臓器が入っているのだから厚くするべきだ。
逆に腰回りは動きやすいように装甲を減らした方がいい。
俺が想像する理想的な鎧は、いわゆる寸胴体型だ。
ただ、それを正直にいうわけにはいかない。きっとあの鎧には彼女なりのこだわりがあるのだろう。
前にヨームさんのメイド服にその服は機能的ではないといった時、修行のメニューを倍に増やされたことがある。
女性とは、えてしてそういうものなのだろう。
「ねぇ、わたしのことをじっと見つめているけどなにか失礼なこと考えてない?」
「エリシアの可愛さに見惚れていただけさ」
「ふっ、ありがとう」
エリシアは金髪をふぁさぁと振り乱して再び傾斜を昇り始めた。
これぞヨームさん直伝の秘儀、失礼なことを考えた時はあえて褒めろ大作戦だ。
それにしてもエリシアは流石だな。きっと可愛いなんて言われ慣れているのだろう。
よく小説なんかだとこんな時に顔を赤らめて恥ずかしがるものだけど、現実はそううまくいかないということらしい。
「ん? エリシア、なんか歩き方が変じゃないか?」
「そ、そうかしら? 気のせいじゃない?」
「いやでも、前に出す手と足がいっしょになってるぞ……」
「こういう気分なのよ!」
背中を向けたまま怒鳴るエリシアの耳は真っ赤に染まっていた。
どうやら怒らせてしまったらしい。しばらく黙っていよう。
傾斜を登りきると、頂上にこじんまりとした教会が建っていた。
ざらついた土の壁に白いペンキが塗られた粗末なつくりで何度も塗りなおしているのか、壁はところどころ斑に色が変わっている。
鋭い角度の屋根は青い洋瓦が積まれており、ちょうど折り返している部分の屋根下には鳥が巣を作っていた。
その巣の下には二つの丸とその間を架け橋のようにつなぐ棒が一本描かれた彫刻が彫られている。
「たのもー」
エリシアが入口の扉を開いて中に入った。教会だというのにその扉はまるで地獄の門のように厚い黒鉄の扉だった。
扉の材質よりも気になったのはなぜ彼女はいつも「たのもー」というのかということだったが、彼女なりの礼儀をこめた挨拶なのだろうという結論をだし、あえて思考を止めた。
彼女のこだわりに深く追求するなどという愚行は犯さない。
教会の中に入ると、そこは礼拝堂だった。
天井のシャンデリアに火は灯っておらず、薄暗い。
長椅子が左右に四つずつ並べられており、正面には巨大なパイプオルガンが鎮座している。
そのさらに奥の壁には、白い装いの老人が力こぶを作っている様が描かれたステンドグラスが飾られている。
ステンドグラスから差し込む色鮮やかな光だけが唯一の光源で、その頼りない光はざらついた影を沈殿させたが、陰と陽がせめぎ合うその景色はどこか神秘的でもあった。
教会のシンボルマークらしきものも礼拝堂の中のいたるところに飾られていた。入口の上にあったものと同じ、二つの丸の間を一本の線が繋いでいるような形だ。
人間領で広く親しまれているのはたしかアストラ教という宗教だ。
あそこのシンボルは五芒星を真上から貫く矢印の形だったはずだが、どうやらここはそもそも信仰の対象が違うらしい。
それにしても、ひとっこひとりいないとはどういうことだろう。
「おかしいわね、いつもなら汗臭い集団で一杯のはずなのに……」
「汗臭い?」
「いまにわかるわよ。だれかー! いませんかー!」
エリシアが叫ぶと、礼拝堂の奥の扉が勢いよく開かれた。
「まぁ、お客様ですの!?」
奥から出てきたのは異様に背の高いシスターだった。
さっき村で戦った大男と同じくらい身長がある。
外の世界では女性でもあんなに大きくなるものなのか。
いままでヨームさんやエリシアのような女性としかあったことがないから知らなかった。
その時、前世の記憶がフラッシュバックした。
……いやいやいや、おかしいって。あの大きさは絶対におかしいって。
「シスター、お久しぶりです」
エリシアが丁寧にお辞儀をすると、シスターは「まぁ!?」と大げさに驚いた。
もともと目が細いのか、見開いてもなお微かにしか瞳が見えなかった。
それが逆に威圧感を与えているというか、なにを考えているのかわからない獣を前にしているような不安感を煽ってくる。
「あなた、たしか前に合宿で来た騎士団アカデミーの生徒さんね!? 覚えているわ! 名前は、たしか、エリシア! そう、エリシア・ガードナーさんね!?」
巨大なシスターはエリシアを見るなり彼女の肩をがしっと掴んでまるで人形のように持ち上げた。
「は、はい……あの、シスター・パーシャルレップス。申し訳ありませんが、下ろしていただけませんか」
「あらあら、ごめんなさい」
パーシャルレップスと呼ばれたシスターに解放されたエリシアはほっと胸をなでおろしていた。
どうやらエリシアはアカデミーの授業の一環でここにきたことがあるらしい。
「いいんです、シスター。またあえて光栄です。ところで、どうしたんですか? 教会の様子が前と違うようなんですが」
「やっぱり気づいたかしら。前はこの教会もテストステロン神を崇めるマッシブ教徒たちでいっぱいだったのだけれど、ここ最近は新しい入門者がこなくて……それどころかいままでいた教徒たちも次々と辞めてしまったの」
「どうしてそんなことに……」
「あのー、ちょっといいか?」
「どうしたの、アレク? いまは大事な話をしているのよ?」
いや、どうしたのじゃないんだが。
「すまない。でも、さっきから微妙にひっかかる単語ばかりが飛び出してきてて俺はもう我慢ができそうにないんだ」
「いったいなにがそんなに気になるっていうの?」
「まずシスターの名前はパーシャルレップスっていうんだな?」
パーシャルレップスとは負荷をかける筋肉の可動域をあえて減らすことによって高重量を扱うトレーニング用語である。
大きく動かした方が広い筋肉に刺激を与えることができるが、あえて小刻みに動かすことによって狙いすました部位に高重量の負荷を与えることができるのだ。
するとどうなるか。
筋肉が大きくなるのである。
「ええ、そうよ。それがどうしたの?」
「いや、別に……あと、マッシブ教徒とかテストステロン神っていうのは?」
テストステロンとは成長ホルモンのことだ。
女性よりも男性の方が分泌されやすいため男性ホルモンとも呼ばれている。
主に筋力トレーニングなどをすることで分泌される。
分泌されるとどうなるか。
筋肉が大きくなるのである。
「そうよ。もうなんなの? さっきから変な質問ばかりして」
「いや、だって……」
「きっと聞きなれない言葉に戸惑っておられるのですわ。わたくしの名前もテストステロン神も古代文明の古文書にしか記されていない言葉ですもの」
馬鹿な。
ヨームさんを通して親父から教えられた内容によるとそれらは全部筋トレ用語だぞ。
まさか、古代文明の知識だったのか。あの修行が。
「他にはなにかある?」
「いや、もういい……大丈夫だ、話を続けてくれ」
俺はもうなにも気にしないことにした。
親父は単なる戦闘狂に見えて意外とインテリなところもあるから、どっかしらの文献から古代の修行方法を見つけ出したのだろう。
もうなにも気にすることはない。
「とにかく、いまは新しく入ってくる教徒もおらず非常に困っているのです。わたくしの父であるワークアウト神父も今後の教会の行く末に胸を痛めてしまいプロテインが足りない状況なのですわ」
「それって筋肉痛なんじゃ……」
「可哀そうだわ……わたしたちでなにか力になれないかしら」
エリシアが尋ねると、シスターは首を左右に振った。
「いいえ、これもまた神の試練なのですわ。負荷をかければかけるほど強くなる筋肉のように、わたくしたちもまたこの負荷を乗り越えることで一段と強く! 大きく! 勇ましぃぃぃいいく!」
シスターはなぜかローブを引き裂いた。
黒いぴったりした生地の下着を上下に着ており、彼女の露出した腹筋や大腿部の筋肉は凄まじい。
特に腕なんか親父と同じくらいはありそうだ。なんならシスター自身の太腿くらいはあるぞ。
なにより目を引くのが、全身に装着された謎の装置。
見たところバネで強制的に体に負荷をかけるギプスのようなもののようだ。
シスターがポーズを変えるたびに、ぎっちょんぎっちょん、と全身から軋む音が聞こえてくる。
「なるのですわ」
最後にサイドチェストのポージングをしながら、シスターはそういった。
ステンドグラスを背景にポーズを決めたシスターは、神よりも神々しく見えた。
「そうだわ! ねえ、シスター、もしよかったらわたしたちといっしょに闘技大会にでてみたらどうかしら!」
「闘技大会ですか? あの、王都で開催されている」
「それです! シスターの力を借りることができれば、きっと優勝できると思うんです! それに名前を売る絶好の機会ですよ! ね、アレク! そう思わない?」
同意を求められて少しだけ戸惑ったが、たしかにこのシスター、かなり強い。
塔の上の魔物たちにも負けないと思う。
ただし、絶望的に魔力がない。普通、神を信仰する者は魔力が高いはずなんだけど、どれだけアストラ神に嫌われればこれほどまでに魔力がなくなるのかわからない。
「あ、ああ、エリシアがいいならいいと思うよ」
「まぁ、嬉しい! わたくしの筋肉をそんなに評価していただけるなんて! アレクさん!」
「え、俺!?」
「とっても嬉しいですわ!」
シスターが両腕を広げて駆け寄ってきた。
するとどうだろう、俺の感じる時の流れがゆっくりになった。
つまりはこういうことだ。
シスターに抱きしめられるのは、命に関わることなのだと。
本来であれば躱さなければならない。そんなことはわかっている。
だが見てみろあのシスターの顔を。
喜びに満ちてやがる。
緩やかな時の流れの中で、俺はシスターの細い目からうっすらと顔を覗かせている金の瞳を見て覚悟を決めた。
シスターの岩のような両腕が左右から俺を挟みつぶそうとしてくる。
シスターの体が大きすぎて、これはそう、地割れにでも巻き込まれているような錯覚さえ覚えた。
俺は、彼女の抱擁を受け止める。
受け止めて見せる。
「ぬううううううううん!」
やっぱ無理だった。
怖すぎる。筋肉量だけなら親父を越えているかもしれない。そんな大質量の筋肉が全力で俺に向かってくるのだ。
怖すぎる。
俺はシスターの手に自分の手を重ね合わせ、手四つの形で受け止めた。
それでも床の上を数メートルほど滑ってしまい、教会の入口に踵とリュックが触れてようやく止まったくらいだった。
「まぁ! アレクさんも素敵な筋肉をお持ちなのですね!」
シスターはさらに力を入れてきた。
ここは緩めるところじゃないのかよ。
「死ぬ死ぬ死ぬ! 背筋が死ぬうううううう!」
全力で対抗するが、俺の背筋が悲鳴を上げている。
少しでも力を緩めればたちまち上半身が半分に折り曲げられてしまいそうだ。
「あらあら、これは失礼しましたわ! わたくしったら、ついはしゃいでしまって!」
ぱっと手を離すシスター。
俺は滝のように汗を流して床の上に両手をついた。
「はぁはぁ……。死ぬかと思った……」
「危ないところだったわねアレク。シスターは一度握ったものは本能的に握りつぶしてしまうの。無事でなによりだわ」
エリシアに背中をぽんっと叩かれて、顎に伝う汗を拭った。
この人はあれだ、人面獣心の人よりのタイプ。人の心を持つ獣だ。
魔力はからきしだが、たしかにこのパワーは戦力になる。
超物理攻撃特化ではあるが。
「それじゃあ、さっそく準備をしてきますわ!」
「お父上に報告しなくてもいいんですか?」
「お父さまはいま、武者修行の旅に出ておりますの。さらなる高負荷を追い求めて」
ここの教徒がいなくなったのは、単に厳しすぎる修行から逃げ出しただけなのではないだろうか。
シスターが礼拝堂の奥へと行こうとしたその時、俺は外から強大な魔力が近づいてきていることに気づいてすぐさまエリシアを抱きかかえて扉の前から飛びのいた。
すると巨大な魔法弾が礼拝堂を吹き飛ばした。
「な、なに!?」
「いまのは!?」
あれは、純粋な魔力による攻撃。俺がゴブリンの頭を吹き飛ばした時と同じものだ。
サイズを大きくすることで貫通力こそ衰えているものの、その代わり破壊力が増大している。
俺とエリシアは間一髪のところで回避したが、シスターは直撃したはずだ。
礼拝堂の中央に視線の送ると、シスターが片膝をついていた。
「シスター! 大丈夫ですか!?」
エリシアが呼びかけると、シスターは「問題ありません」といって立ち上がった。
その表情は険しい。
「はぁー、だっるーい。なんであーしがこんな辺境にまでこなくちゃいけないのって感じぃ」
砂煙の向こうから、少女の声が聞こえてきた。
シスターの目がかっと見開かれた。
「はあああ!」
シスターが空中に正拳突きを放つと、砂煙が一瞬で吹き飛んだ。
姿をあらわしたのはエリシアよりもさらに小柄な少女。
編み込んだ銀髪を側頭部で輪っかのようにしており、前髪は蝙蝠のピンで止められている。
瞳の色は冷たい夜を思わせる鉄紺色。眼のふちに赤いアイラインを引いており、右目の斜め下には割れたハートが描かれている。
耳には星のピアスをぶら下げており、右耳は軟骨のところについているリングと鎖で繋げられている。
唇は真っ赤な
かなり美意識が高いのか服も装飾だらけ。というかわけがわからない。
ハートやダイヤが大量に描かれたシャツに、金の飾り紐やカフスがふんだんにあしらわれた黒いジャケットを袖を通さず肩にかけている。
カボチャのように膨らんだ赤いスカートにはバツ印のスリットが切られており、そこから少女の華奢な足が顔を覗かせている。
赤い靴の先端は明らかに動きにくそうなまでに大きく膨らんでおり、童話の世界からもってきたかのようなコミカルさだ。
極めつけは彼女がもっている傘だ。
傘に鎖で繋げられた鳥籠がぶら下がっている。
その鳥籠の中にいるのは鳥ではない。黒猫だ。赤い首輪をした黒猫が鳥籠の中にいる。
意味が分からない。
分析すればするほどいったいどういうコンセプトでなにを目的に装着しているのかわからないものばかり。
およそ実用性とは無縁ながら、不思議な存在感を放つ少女がそこにはいたのだった。
「なんのようですか? ここはあなたのような人が来る場所ではありませんよ?」
「ひっどーい。宗教って誰でも受け入れてくれるところじゃないのぉー? いわゆる
「ここは筋肉を信奉し、筋肉の神を崇める場所です。あなたにその心がありますか?」
「ないけどね。あーし、汗臭いの嫌いだし」
謎の少女は鼻をつまんでそういった。
なんなんだ、あの子。
ただものじゃない。それだけはわかる。姿かたちは間違いなく人間だし、会話も成立している。
なのに、なぜだろう。
俺にはあの子が、人間だと思えない。
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