第4話

 ヨームさんを埋葬した後、俺はヨームさんに言われた通り、彼女の部屋を調べた。


 机の中に十冊ほどの手帳を見つけた。軽く読んでみると、それはヨームさんの日記だとわかった。


「俺とここで暮らし始めたころから書いてるのか……」


 すべて読むには長丁場になると思い、俺は先に飯の仕度をすることにした。


 全身ボロボロだ。いまは食べなきゃならない。


 キッチンにいって干し肉にされたベヒーモスの肉を何枚か手に取った。


「……外で食うか」


 上を見上げると満点の星空が見えた。家は半分に切ってしまったから、外で食べても同じだ。


 俺はヨームさんの墓の前で焚火を起こし、肉を焼いた。


 焼いた干し肉を食べつつ、俺はヨームさんの日記を読み始めた。


 几帳面な性格に似合わず、ヨームさんの字は丸っこくて女の子らしい。


 この字を見ているだけで涙が込み上げてくる。


 書いてあるのは俺のことばかりだ。


 その日に上げた重量や回数。ヨームさんとの手合わせの時の感想など。


 それに食事の好みや、その日の栄養バランス。カロリーについてまで書かれている。


「ぐす……ヨームさん、俺のことよく見ててくれたんだな……」


 でも、足のサイズとかまで記録してあるのはさすがにちょっとよく見すぎだよ。


 ヨームさんの手帳のほとんどは俺に関する記録ばかり。

 

 違うことが書かれていたのは七冊目あたりからだった。


 このころから、ヨームさんは自分の心情を手帳に書くようになっていた。


 最初は単なる任務として命じられたことだったこと。俺に対しては情もなにもなかったこと。


 ヨームさん自身がサキュバスとして不完全で、精気を摂取したいと思わなかったこと。その代わり、自身を鍛え上げてだれにも負けない戦闘技術を身に着けたこと。


 俺があげた綺麗な花や石に価値を感じられなかったのに捨てられなかったこと。いまでは大切な宝物になっていること。


 いつしかサキュバスではない本能に目覚めていると自覚したこと。それが親父のいうところの母性というものだと、ヨームさんが気づいたこと。


 他にも、俺は異世界から召喚された人間だったこと。親父は過去に武力で魔族を統一しておきながら、たった一人で世界の国々に戦いを挑んで勝利したことなども書かれていた。


 なにがそこまで親父を駆り立てるのかはヨームさん自身も知らないようだったが、とにかく親父は自分より強い者を探していた。


 そこで目をつけたのが俺だった。異世界の人間である俺に特別な力を見出した親父は、親父自身の手で俺を親父を越える存在にしようと目論んだのだそうだ。


 別に驚きはない。だって俺と親父はぜんぜん似てないから、薄々血が繋がっていないことには気づいていた。


 ヨームさんの手記の最後には、俺への手紙が書かれていた。




『ロイドぼっちゃまへ。


 この手記をぼっちゃまが読んでいるということは、わたくしはすでにこの世にはいないでしょう。運が良ければ重症といったところでしょうか。


 わたくしはきっと、グリード様、いえ、魔王様に歯向かった報いを受けたことでしょう。


 それでも、わたくしに悔いはありません。ぼっちゃまの未来のためならば、この命を喜んで捧げましょう。


 これまでずっとがんばってきたあなた様には多くの未来があり、様々な可能性があります。


 騎士になることも、冒険者になることも、学者になることもできるでしょう。


 ですが、魔王様はきっとあなたを追い詰めるでしょう。わたくしがいないいま、この世界に魔王様を止める人はいません。ぼっちゃまがぼっちゃま自身の力で乗り越えなければなりません。厳しい言い方ですが、それは自由の代償なのです。


 いまのぼっちゃまでは、魔王様のもとにたどり着くことさえ困難を極めることでしょう。魔王様に勝利するとなるともっと厳しい現実が立ちはだかるでしょう。


 なので、わたくしはぼっちゃまに、二つのアドバイスを送ります。


 ひとつは、自分の身分を隠すこと。あなた様が異世界からきた人間であることや魔王様の息子であることは明かしてはなりません。


 魔王様のことです。きっとあなた様を追い詰めるために世界中に刺客を放つことでしょう。身分を明かせば四六時中、昼夜を問わず戦い続ける未来となってしまいます。


 あなた様はその生活の中で徐々に変化し、かつての魔王様のように戦いのみを求める怪物になってしまうことでしょう。


 それこそが魔王様の狙いなのでしょうが、わたくしは、どうかぼっちゃまには人の心を持っていて欲しいと願います。優しいあなたの心を大事にしてくださいまし。


 もうひとつは、仲間を集めること。


 これは私見ですが、すでにぼっちゃまの力は、同じ歳だったころの魔王様を越えています。


 ですが、魔王様はいまもなお強くなり続けています。政治に関しては五大天ごだいてんに任せており、魔王様自身は一日のほとんどを修行に費やしておいでです。


 肉体の衰えは感じさせず、魔力は充実し続けています。


 人外の化物を倒すには、自分もまた人の理の外に身をおくか、仲間を募るしかありません。


 どうかぼっちゃまは人でいてください。人ではない者に、未来はありません。


 信用ができる、共に戦える、強い味方を探してください。


 わたくしの部屋に世界地図があります。それを持って行ってください。それとこの森の魔物の素材を溜めてあります。それらを街で売って路銀にしてください。


 最後に、わたくしヨーム・フィングラルは、ぼっちゃまのお世話係という栄誉ある職務をまっとうできたことを誇りに思います。


 さあ、巣立ちの時です。


 がんばって、ぼっちゃま。


 親愛なるお世話係、ヨーム・フィングラルより』




 耐え切れない涙が溢れてきて、手帳に雫が落ちた。


 ヨームさんは最初から死ぬ覚悟だった。


 俺のために。俺の人生を切り開くために。


 その晩、俺はヨームさんの墓の隣で、星空を見上げながら眠った。


 夜明けとともに目を覚ました俺は、すぐに旅の仕度を始めた。


 ヨームさんの手記に書かれていた通り、彼女の部屋には世界地図があった。


 クローゼットの中にはベヒーモスの皮や一角狼の角、黒竜の牙など様々な素材が入った袋が置いてあった。


 次にキッチンでリュックの中に食料をぱんぱんに詰め込んだ。


 最後に武器の手入れをした。


 これで準備はできた。


 俺は必ず親父を倒す。ついでに俺を弱いといったあの獣野郎もぶっ飛ばしてやる。


 俺はヨームさんの墓の前に彼女が好きだったスノーホワイトの花を一輪だけ植えて、墓前に手をあわせて旅に出た。


 森の最南端。切り立った崖の上にくる。視界に広がるのは雲ばかりで、下界の様子はまったく見ることができない。


 ついにこの時が来た。この森から出ていく日が。


 俺は背後の森に振り返る。


 森が、俺を見送ってくれているような気がした。


「いってきます」


 俺はそう告げて両手を広げると、崖の下に落ちた。


 落下しながら体をひねる。


 体をまっすぐにして落下速度を加速する。


 やがて、雲を抜けた。


 俺は両腕を広げて全身で風を受け止めた。


 まず、眩しかった。


 遥か東の山脈の上から朝日が昇っている。


 その手前には微かに荒野が見えて、巨大な城が見えた。


 城を境目にした手前側には平原が広がっている。


 平原にはぽつりぽつりと小さな村や街が点在しており、それらは城に向かって一本の街道で繋がっている。


 俺は世界の美しさに目を奪われた。


 広い。とてつもなく広い。この世界の広さに感動した。


 あまりの迫力に見惚れていると、俺は受け身も忘れて地面に叩きつけられた。


「すげえええええ!」


 べりべりと体を地面から引き剥がして叫ぶと、森の鳥たちが一斉に羽ばたいた。


 世界はなんて素晴らしいんだ。あの山脈の向こうにいってみたい。あの城の頂上に登ってみたい。


 わくわくが、止まらない。


 立ち上がって服の埃を払った。まだ心臓が高鳴っている。


 ついに俺は外の世界に来た。


 といっても、周囲はまた森だ。木の種類が若干違うくらいで見慣れた景色が広がっている。


 振り返って自分が落ちてきた場所を確認すると、俺は初めて自分が住んでいた場所が山ではなく塔であることがわかった。


 俺の背後には円柱状の塔が建っていたのだ。先端は雲に隠れて見えないほどの巨大な塔だ。周囲は蔦に絡まれてずいぶん古い建物に見える。


「ここが俺の家だったのか……」


 どこかおどろおどろしい雰囲気の塔だったが、実家だと思うといくらか親近感が湧いた。


「さて、まずは現在地と目的地を確認しないとな」


 俺はヨームさんの部屋から拝借した世界地図を広げた。


 この世界、アステラは六つの国に別れている。


 高い知能と知的好奇心をもち、自然が豊かな土地で魔法の研究に勤しむエルフたちの里、シルバーコメット。


 工業と科学に心酔し、山岳地帯が国土の九割を占めるドワーフの都、アイアンクリムゾン。


 小さな国ながら百年間一度も戦争をしなかったフェアリーたちの平和の国、グリーンピース。


 世界のあらゆる商人たちが集まると言われている世界の中心、獣人の国イエローダイヤモンド。


 神の加護を受け原初の人類と呼ばれている人間の王国、ブルースフィア。


 そして神から過剰な愛を注がれた異形種が集う国、ブラックトルマリン。


 新聞の切り抜きによるといまはブラックトルマリンが実質的に世界を統一しているらしいが、国境はいまも変わらないらしい。


 俺がいまいる森はこの世界の北東。人間領ブルースフィアの片隅にある山の中みたいだ。


 ここよりさらに北に行くと北海と呼ばれる海があり、南に下れば王都がある。


 まずは王都を目指そうと思う。同じ人間なら俺に協力してくれるかもしれないしな。ヨームさんがいったとおり、俺は一人で親父を倒せるとは思っていない。


 これは復讐だ。どんな手を使ってでも必ず倒して見せる。


 最終的には世界の最南端にある魔族の国、ブラックトルマリンを目指すつもりだけど、まさか一番遠いところにいるとは思わなかった。


 最短ルートは王都から伸びる街道を通ってアイアンクリムゾンの領地の端っこを越えて、イエローダイヤモンドをつっきり、フェアリーが住むグリーンピースを横切って行くのが速そうだ。


 西側のシルバーコメットに寄ることはなさそうだけど、さっさと親父をぶっ殺しに行きたいからしかたがない。


 おおよその道のりは把握できた。


「さて、それじゃあまずは街道にでないといけないな。方向は……あっちかな」


 とりあえず南に向かえばいいはずだ。


 地上の森の中を歩いていると、様々な発見があった。


 まず、生息している動物も魔物も丸っこい。


 塔の上の森に住んでいた魔物は角やら牙やら鱗やらがとにかくでかくて尖っていた。


 大きさも俺の身長より小さな魔物なんかは稀で、基本的には巨大だ。


 仮に俺より小さな魔物がいたらその方が危険だ。確実に毒をもっている。


 それがどうだろう、地上の魔物は本当に小さくて丸っこくてなんかしょぼい。


 鳥でさえ手の平サイズだ。猛禽類なんか上空を旋回している数羽くらいなもので、それでもせいぜい俺よりちょっと大きいくらいだ。


 こんなに小さくても生きているんだからなんだか不思議で仕方がない。


「ん?」


 どこからか血の匂いが漂ってきた。


 それもかなり濃い匂いだ。気になったので、匂いがする方向へ向かってみた。


「はああああ!」


 ほどなくして、勇ましい声が聞こえた。


 茂みに隠れて様子を伺うと、白銀の鎧を纏った女騎士が魔物に囲まれていた。


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