第2話

 ここは世界のどこかの森の中。


 世間から隔絶されたこの場所で、俺は木の上で本を読んでいる。


 本はいい。文明を感じる。汗臭い筋トレとか剣を振り回すとかそんなことよりずっと楽しい。


「なるほどなるほど、王都には貨幣というものが流通しているのか」


 俺は貨幣を知っている。見たこともないし、ましてや使ったこともないけど知っている。


 俺には前世の記憶があるのだ。年齢も性別もわからないが、その世界で常識だったことを微かに覚えている。


 とはいっても、これは既視感デジャ・ビュに似たようなものだ。


 初めて聞く単語や景色をみたときに、俺はこれを知っていると気づくことができる。


 自分がなにを知っているのか確認する作業はわりと楽しくて、それが本に夢中になった理由の一つかもしれない。


「見てみたいな。いつか見ることができるだろうか」


 本を閉じてこの世界の貨幣に想いを馳せる。


 町の景色。海の景色。草原の景色。


 本で読んだいろんな景色を想像してみる。


 でも、わかるんだ。俺の想像よりも、この世界の実物の景色はずっとすごいんだろうなって。


「外の世界にいけば、友達もできるかな……」


 どんなに素晴らしい景色も一人で見たってつまらない。


 その素晴らしさを語り合う友がいてこそ、景色は完成するのだ。


 と、本に書いてあった。これは前世の記憶にはない新たな知識だ。


 曰く、友達とは苦楽を分かち合い、時に衝突しながらも最後には互いに認め合って夕刻の原っぱで寝転がる仲なのだそうだ。


 よくわからないがなんか素敵だ。


 俺は友達が欲しい。


「グオオオオオオオ!」


 まだ見ぬ友達に思いを馳せていると、椅子代わりにしていた木が揺れた。


 木の下ではねじれた角をもつ巨大な魔物、ベヒーモスが何度も頭突きをしている。


 うるさくて想像に浸れない。


 しかたがない、面倒くさくて相手をしていなかったがそろそろ片づけるとしようかな。


 腹も減ったことだし。


「よっ」


 俺は木から飛び降りながら、腰に携えた直剣を抜いた。


 そのまま重力を利用してベヒーモスの脳天に剣を突き刺す。


 体重と重力だけでは切っ先も刺さらないため、腕に力を入れた。


 二の腕の筋肉が隆起りゅうきすると、剣はするりとベヒーモスの脳天を貫いた。


「下ごしらえもしておくか。血抜きが遅いとヨームさん怒るしな」


 ベヒーモスの尻尾を木の枝にしばりつけて吊るしあげる。


 逆さづりになったベヒーモスの首を一太刀で切り落とすと、血がどばどば出てきた。


「さて、血抜きが終わるまでもう少し読書しようかな」


 そう思って木の上に飛び乗ろうとしたその時、背後の茂みから殺気を感じた。


 とっさに振り返るとナイフが飛んできていた。瞬間、時間がゆっくりに感じられた。


 俺には死を見切る力がある。これも前世の記憶と同様に生まれ持ったものだ。俺はこの力を【死を見切る魔眼デッド・アイズ】と呼んでいる。ヨームさんによると、神様が俺に授けてくれた特別なチートなのだそうだ。


 ナイフの数は三本。距離にしておよそ三十センチ。俺の眼球、喉笛、心臓を狙った投擲。


 剣で薙ぎ払うまでもない。俺は右手を振り上げ、心臓、喉笛、眼球に投げ込まれたナイフを掴み取った。


 命の危機から逃れると、ぎゅっと凝縮していた時間が再び元の速さに戻った。


「お見事です、ロイドぼっちゃま」


 茂みの奥から姿を表したのは、艶のある短い黒髪の女性。彼女の側頭部には特徴的な巻き角が生えている。種族は知らないが、人間ではなく魔族であることは確かだ。


 メイド服を着ており、肌は病的なまでに白い。血のように赤い瞳が浮いて見えるほどだ。


 彼女はヨームさん。俺のお世話係で親父の部下だ。


 俺が物心ついた時から姿が変わっておらず、いまでは俺の方が背が高い。


 なのにいまだにぼっちゃま呼びで俺のことを子供扱いしてくる。


「いいかげんぼっちゃまはやめてくれよ、ヨームさん」


 ナイフを人差し指と中指と薬指の上に立ててバランスをとりながら、俺はヨームさんに訴えた。


 なのに彼女は「ふっ」と鼻で笑って「ぼっちゃまはいつまでもぼっちゃまでございますよ」なんていってきた。


「俺はもうヨームさんより背が高いし、力だって上だ。なのになんでまだ子供扱いするのさ」


「まだまだ子供だからでございますよ、ぼっちゃま」


「子供じゃないって。本だって読んでるんだ。勉強して頭が良くなれば子供じゃないだろ?」


「そうではありません。力の強さや頭の良さは大人になることとは関係ないのです」


 彼女のいっていることはいまいちよくわからない。


 もしかしたら悔しがっているだけなのか? なんて考えが頭をよぎったが、彼女の余裕しゃくしゃくな態度をみているとどうにもそれも違う気がする。


 考えてもわからない答えに、俺はムッとすることしかできない。


「ところで、なんでここに来たんだ?」


「ぼっちゃまの帰りが遅いので」


「心配性だなぁ。俺がこの森の魔物になんか負けるわけないのに」


「はい、心配でした。もしもぼっちゃまが狩りをさぼっていたらどうしましょうか、と」


 ぎくり、と体が強張った。


 ヨームさんはじとっとした視線を投げかけてくる。


 どうにも居心地が悪くなったので、俺はベヒーモスの尻尾をほどいて家に帰ることにした。


「さ、さー、はやく家に帰ろうか! この後も修行があるしな! うん! よーしがんばるぞー!」


「はぁ……ちゃんとメニューを消化してくださいね?」


「あ、当たり前だろ!」


 ベヒーモスを引きずりながら、俺は胸を叩いた。


 森を抜けると開けた場所に出た。


 一面の地面が掘り返されて雑草すら生えていない広場だ。


 広場の中央には煙突付きの小屋が一軒建っており、その横には井戸と小さな畑がある。


 広場の他のスペースには、岩を加工して作ったダンベルやバーベル。何本もの杭が飛び出した木人形。瞑想するための切り株が置かれている。


「さて、じゃあ修行するとしようか」


「ちょっとまってください。その前にこれを運べるサイズにしてもらえますか」


「おっと、そうだった」


 俺はベヒーモスを切り刻み、ヨームさんでも持ち運べるサイズに切り分けた。


 ヨームさんが肉の輪切りを小屋に運んでいる間に、俺は修行器具に歩み寄る。


 まずはバーベル。丸く切り取った岩に鉄の棒を差し込んだだけの粗末なものだ。とりあえず岩の数は左右合わせて四個にした。重さにして四百キロくらいだ。


 このくらいなら軽いものですいすい持ち上げられる。さっき運んでいたベヒーモスと同じくらいだからな。軽く百回くらい上げ下げして終わりにしよう。


「なにをしているんですか」


 バーベルを持ち上げているとヨームさんがぬっとあらわれて重りを増やされた。


 左右あわせて十個。重さは1000キロだ。


「ヨームさん、食料はどうしたの?」


「もう小屋にしまいました」


 仕事が早すぎる。 


「ところでヨームさん……この重量は俺でもきついんだけど……」


「きつくなければ修行にならないでしょう」


「それはそうかもしれないけど……やります」


 とん、と顔の横にナイフが突き立てられて即答した。


 ヨームさんに見守られながら二十回ほどやって終了した。


「二十回もできるのですね」


「もう胸がぱんぱんだけどね」


「ですが、これでももう重量が足りなくなってきたようですね……理想は十回前後が限界の重量なので……」


「まだ増やすのか……」


 初めてバーベルを持ち上げた時はバーだけで精一杯だったのだから、我ながら頑張っていると思う。


「まだまだ増やします。ぼっちゃまはいずれグリード様をこえる実力を身に着けてはもらはなければならないのですから」


「親父をこえる、か……っと、噂をすればだな」


 ヨームさんと話していると、空から嫌な気配が近づいてくるのを感じた。


 広場の中央に砂塵を巻き上げて降り立ったのは、俺の親父、グリードだ。


 といっても、実の父親ではないらしい。詳しくは知らないが、親父は俺の才能を見抜いていつか自分を倒す存在にするために拾ったのだそうだ。


 実際のところ、俺には戦いの才能なんてろくにない。


 幼い頃から鍛えに鍛えられて、初めて森の魔物を倒せるようになったのは七歳くらい。ヨームさんと互角に戦えるようになったのは十歳くらいだ。


 いまだに親父の足下にも及ばないという自覚がある。

 

 親父も、俺の成長があまりにもちんたらしているものだからいつ来ても不愛想だ。


 外じゃなにをしているのかは知らないが、いつも軍服みたいな立派な服を着ているから、たぶん軍人かなにかなのだろう。


 俺は親父のことを何も知らない。ただ戦いが好きだってこと以外、なにも。


「よお、親父」


「ふん、まだ修行中なのか貴様」


 血が繋がっていないとはいえ息子相手に貴様呼ばわりかよ。


「俺は親父と違って戦いだけが生き甲斐じゃないからね」


「ほう、では貴様には他になんの生き甲斐があるというのだ」


 真剣な顔で問い詰められ、俺は返事に困った。


「ええと……読書とか……歌……とか?」


「……ふっ」


 鼻で笑われた!


 なんて嫌な奴なんだ。


「なにが可笑しいんだよ」


「いや、なに。貴様の下手糞な歌声を聞かされる森の木々があまりにも不憫でな」


「この野郎!」


 俺はバーベルの重りを掴んでぶん投げた。


 ひとつ100キロの重りだ。いくら親父といえども無事ではすまないだろう。


 なんて、そんな優しい相手なら苦労はしない。


 俺は重りの影に隠れるように駆け出した。


 俺の予想通り、親父は人差し指をちょんと当てて重りの軌道をかえた。重りは親父のはるか後方へと飛んでいき、森の木々をなぎ倒す。


「木を泣かせてんのはお前だろうが!」


「ふん、口だけは達者な奴だ」


 接近して顔面に右の拳を打ち込んだ。躱される。今度は左。それもまた躱される。


 さらに三発目を打ち込むとき、俺は親父の爪先を踏みつけた。

 

「むっ」


「おらあ!」


 顔面に渾身の右ストレートをぶち込むが、親父の手によって阻まれた。


 拳を掴まれた時に俺の脳裏に浮かんだイメージは、壁。いや、崖だ。巨大な崖に拳を叩きこんだような、そんなイメージが頭に浮かんだ。


「へっ、手を出させてやったぜ」


 それでも強気な言葉をあえて使うのは、自分の弱さを悟られまいとするわずかながらの抵抗だったのかもしれない。


「ふ……ふふ……ふはははは! よい! よくできておる! この拳を受け止めた時、我の頭に雷がよぎった! 鋭く! 速く! 的確で、傲慢! 実にいい拳だ!」


 親父が上機嫌になったことで呆気にとられていると、親父はすたすたと小屋の方に歩いていき、入口の傘立てに置いてあった直剣を投げてよこしてきた。


「くるがいい、ロイド。久々に相手をしてやろう」


 親父は腰の鞘から剣を抜き、構えた。


 一気に迫力が増した。もともと二メートルを越える大男だけど、いまは素手の時の倍は体が大きく見える。


「やってやらあ!」


 俺は直剣を拾って切りかかった。


 剣を振り下ろす刹那、時間がゆるやかになるのを感じた。


 いま、死が迫っている。気づけば顔の右側から親父の剣が迫っていた。


 もうこんなに近くにあるのかよ。


「ぐぅ!」


 とっさに切りかかるのをやめて防御の姿勢になった。体がふっとばされたが、空中で姿勢を立て直して着地する。


 頬が熱い。皮膚に刃が食い込んだ瞬間に自分の剣を当ててわざと弾かれなければ、いまごろ俺は顎から上がなくなっていた。間一髪で受け流すことができたが危ないところだった。


「昔から防御だけは上手いな」


「やかましい!」


 その後もなんども攻め込むが、俺の攻撃よりも親父のほうが何倍も早くまともに切りかかることさえできない。


 一時間ほど経過して、俺は息があがって倒れた。


「はぁ……はぁ……化物め……」


「ふぅむ、ここ半年ほど伸び悩んでおるな……ヨーム」


「はっ! ここに!」


 親父の傍でヨームさんが跪いた。


 親父は平手を振り上げる。


「甘やかすな、馬鹿者め」


 親父がなにをするのかわかって、俺はヨームさんの前に立ちはだかり止めにはいった。


「やめろ親父いいい!」


 けれど親父は一切緩めることなく平手打ちをした。


 頬に凄まじい衝撃が走り、俺はそのまま気を失ったのだった。

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