第5章

第15話 5

 家族には、友達の家に行くと連絡した。勇太も貴奈もそうだ。「急にどうしたの?」母の美子はそんなことを言っていたが、別に不審に思ったわけではなさそうだった。

 そして、二人は今、これまでの人生の中で最も高級な場所に足を踏み入れていた。

「さあさ、遠慮しないで。のんびりしていいわよ。」

 高級なタワーマンションの一室。アリアに言われても二人は、緊張していた。どこかの倉庫群の一角にでも連れて行かれるかと思ったが、違った。

「とりあえず、今はこれで我慢してくれるかな? あんまり、ご飯前に甘い物を食べると、ご飯が入らなくなるからね。」

 千哉が手作りの蒸しパンを持ってきてくれた。湯気がほかほか立っている。干しぶどうが入った蒸しパンはおいしそうだ。

「甘さ控えめにしてあるよ。ちょっと物足りないかもしれないけど。」

 勇太や貴奈の家よりお金持ちそうだけど、普通の家庭のようで二人は面食らっていた。子供の写真が棚に飾ってある。

「はい。紅茶もどうぞ。本場のスリランカのお茶よ。」

 どこか高級そうな紅茶の香りが漂った。

「あの、頂きます。」

 とりあえず、勇太は礼を言って紅茶を一口飲んだ。

「あちっ。」

「ああ、火傷に気をつけて。水を持ってこよう。」

 千哉がすぐに冷蔵庫からミネラルウォーターを出してコップに注ぎ、持ってきてくれた。

「すみません。」

 勇太は水を飲んだ。

「ほら、斉藤さん、あなたも食べて。」

 アリアが皿に載った蒸しパンを勧めた。

「あの…!」

 唐突にうつむいていた貴奈が顔を上げた。

「あの…。すみません。」

「いいのよ、話してくれる? 何があったのか。わたし達も知りたいし、現状を把握しておきたいの。」

 アリアに言われて貴奈は何か話そうとして、表情がゆがむ。堪えようとしたが涙があふれた。思わず勇太は、蒸しパンをかじろうとしていた手を止めた。

「大丈夫よ。怖かったでしょ?」

 二人には車の中で、祥二が事情を説明している。二人も確認をされたりして、うなずいたりなんだりしていた。

「あの、リズ先生って何者なんですか? もしかして、スパイですか?」

 勇太は貴奈の代わりに聞いた。

「そうだね。スパイというか、まあ、そういう役割もあるようだけど。はっきりは分からないが、おそらく、すでに潜り込ませてあった、暗殺者かスパイか何かというところだろう。たまたま君達の学校にリズ・シェイマンという名の敵のスパイらしき人物がいたんだ。」

 千哉の説明に勇太は納得した。

「リズ・シェイマンはおそらく偽名だろう。彼女は斉藤さんを脅した。そうすることで、余計なことを口に出すなという警告か、こちらのリセット日本支部の場所を確かめるためか。とにかく、わざとそういう行動に出たんだと思う。

 でも、安心していいよ。そう簡単に向こうにはバレないから。月曜までに何とかするつもりだよ。ご両親にも心配をかけるしね。」

 千哉が説明してくれると、なんだか落ち着いて聞けるから不思議だ。初めて会った人達なのに大丈夫だという安心感がある。

「ただいまー。」

「ただいまー。」

 その時、玄関から子供の声が二つした。

「おかえりー。」

 アリアと千哉が大きな声で返事を返す。ぱたぱたと廊下を走ってくる足音がして、ドアが開かれた。

「ただい…パパ、お客さん?」

 まず入ってきたのは小さな男の子。小学一年生か二年生くらいだ。

「ただいま。」

 後から、少しお姉さんの女の子が入ってきた。二人とも制服を着ている。この辺では有名な私学の学校だ。

「おかえり、二人とも。お客さんだよ、ご挨拶をして。」

 女の子の方は、まずは勇太を見、それから貴奈の方をチラ見して小さく頭を下げた。

「……こんにちは。」

「こんにちは。」

 男の子の方は元気に頭を下げてくる。

「こんにちは。」

「こんにちは。お邪魔してます。ごめんね、びっくりさせちゃって。」

 貴奈が涙を拭いた目で、にっこり笑ってみせる。

「わたしは斉藤貴奈。こっちは近田勇太。よろしくね。」

「……山岸花月かづきです。」

「ぼくは山岸のぼるです。ねえ、二人はこい人どうしなの?」

 昇が無邪気に聞いてきた。

「違う違う。家が隣同士の幼馴染みなの。」

「ふーん。おさななじみって?」

「えー、そうね、なんて言えばいいんだろ。勇太、あんたも考えなさいよ。分かりやすい説明。」

 もくもくと蒸しパンを食べていた勇太は、いきなり話を振られて急いで飲み込んだ。だが、すぐには話せない。水を飲もうとしてむせた。

「げほっ、げほっ。」

「汚い、あんた。あー! こぼしてる! すみません、汚しちゃって!」

「いいよ、いいよ。大丈夫。それくらい。」

 千哉が布巾を持ってきて拭いた。

「ねー、ママ、おさななじみって?」

 目の前の騒ぎを見ながら昇がアリアに尋ねた。千哉が布巾を持って一度、奥に引っ込む。

「小さい頃からのお友達ってことよ。」

「ふーん。そしたら、昇にもいるよ。るみちゃんときゅーたくん。」

「そうね。」

 そんな親子の目の前で、勇太は貴奈に叱られて叩かれていた。アリアもその場面を楽しそうに見守る。

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