第3話 竜の巣
「全く、ルルカってばどうして服を脱ぎ散らかすなんて真似をするのかしら…!」
ぷんぷんと、怒れる竜のご令嬢は猫になった私と散らかった服をまとめて持って、イライナが住む貴族寮まで来ていた。
豪奢な一室へと連れてこられた私はそのままベッドに置かれて、ぽんと優しく頭を撫でられる。
さっきまでの怒りようとは違い、猫を相手だとなんて可愛らしい笑顔だろう…。
「ふふ、さっきまでにゃあにゃあ鳴いてたのにもう慣れたのかしら?人懐っこい子なのかもしれないわね」
「にゃぁ」
まあ、私人間なんですけどね…。
しかし、私が猫になったのは呪いが原因で間違いないだろう。
恐れてた割には何も起きなかったから油断してたけど、まさか獣化の呪いだったなんて。
けど、どうしよう…。
元の人間に戻るためには薬を飲まなきゃいけないけど、このぷにぷにとした手じゃビンの蓋を開けられない。
ましてや、この状況…一体どうしたらいいの!?
「さて…この服はどうしましょう」
「ルルカは見たところ居ないみたいだったし、わたくしはルルカに避けられているし…」
「……ルルカのバカ」
「………にゃぁ」
ぎゅっと私の制服を握りしめるイライナ、その顔はひどく寂しげで…言葉の節々に私に対する怒りを感じる。
私が、イライナを避けている。
確かにそう、私は確かにイライナのことを明確に避けている。こうして怒りを向けられるのも仕方ないと思う。
「ねぇ、猫ちゃん…聞いてくれないかしら?私の言葉なんて分からないと思うけど、誰かに愚痴を聞いて欲しいの」
「…んにゃあ」
その愚痴、私に対してのことだと思うけど目の前の猫はルルカ本人だよ!
なーんて言っても猫語がイライナに届くわけもなく、私をただの猫だと思っているイライナは溜息をこぼしながら言った。
「ルルカは…大切な友人なの」
「学園に来て初めての友人。ため口で敬意がなくて無遠慮でバカで鈍感で万年赤点で運動音痴でちいさくて強がりで…」
「にゃっ!にゃにゃにゃっ!!」
おいこら!なーにめちゃくちゃ悪口言ってんの!?事実陳列やめろー!!
「でも、わたくしの大切な人なの」
「……!」
「一挙手一投ぜんぶかわいくて、なにもしらないわたくしにデートに連れて行ってくれたり、わたくしの秘密を受け止めてくれた…」
「なのに、今じゃ人が変わって敬語なんて使って畏まってバカみたい…!」
「わたくし以外の女に囲まれて、いつもいつも楽しそうにして…!」
「ほんと……ひどいひと」
ぎゅうっと拳を握りしめて、振り上げようとするもイライナの拳はゆるやかに落ちていく。
涙を含むその声には、確かに悲しみが宿っていた…。
「………
「あら?慰めてくれてるの?ありがとう」
違う、謝ったんだよ…。
まさか、イライナにここまでつらい思いをさせているなんて気付きもしなかった。
勝手に強い人だと決めつけて、私は友達を避けていた。
…イライナの言う通り、私達は友達。
学園に入学したとき、なんの偶然か知り合って仲良くなった。
そこに貴族と平民なんて関係はなくて、ただ同じクラスで仲のいい友達同士だったのに。
『平民風情がドラングレイ様と釣り合う訳がないじゃない?』
他人の一言で、諦めてしまうくらい私が弱かったのが悪いの。
…ごめんねの言葉なんかじゃ、謝りに謝れない。
なんとかして人間に戻らないと…!
「湿っぽいの見せてしまいましたわね、さてあなたを拾ってきたのはいいものの、どうしましょう?お腹は空いてないかしら?」
「ってあれ?どうしたのかしら?ルルカの制服の上に乗って……なにか探してるの?」
慣れない四足歩行で探すのは呪いの解除薬。
猫の身体だと視界が狭く、なにより小さくて分かりづらい…!
でも、おおよその場所は分かる。
ポケット辺りに大きくなっている箇所を見つけて、私は両手を使ってカリカリと瓶を取ろうとする。
…うぅ、爪が引っ掛かって邪魔だ。
それに思った以上に器用に手が使えないからやっぱり取れない!
万事急須か…と思った矢先、ぬっと大きな影が私を塗り潰し、私の行動を覗き見ていたイライナが不思議そうに聞いてきた。
「なにを探しているのかしら?」
「……って、これは………なにかの薬?」
ひょいっと、ポケットの中に入っていた解除薬がイライナの手中に収められる。
「にゃっ!にゃあ!!」
「なんの記載もないけど、薬なのは間違いないですわね、しかし中身は……うっ、ひどい匂いですわ」
瓶の蓋を開けて、一粒分の薬を手にとってイライナは怪訝そうに匂いをかぐ。
想像以上の臭いだったのか、イライナは顔を顰めて私を見やった。
「これはあなたが食べていいものではありませんわ、あとで何か食べれるものを持ってくるから我慢してなさい」
「にゃ、にゃ!!?」
そ、そんなっ!?
私それがないと戻れないのに!って、ちょっと!机の上に置かないで!!
にゃあにゃあと抗議を示すが、猫語で何を言っても可愛いだけ。
ちょっと可哀想だけど喋る猫はすごく可愛いな…と言いたげな顔をしたイライナは瓶の上に蓋を軽く置いてベッドに腰掛ける。
「さて、あなたのご飯を持ってくる前に…一つしておきたいことがあったわ」
イライナがガサゴソとベッドの上で何かしはじめてる。
しかし、困ったことになった…薬が取り上げられてあんな高いところに置かれるなんて…。
机の上といっても、この身体じゃあ身長差がありすぎてとても取れそうにない。
まるでそびえ立つ壁のように佇む机に、私は絶望感を覚えた。
いや、でも…まてよ。
猫って、かなり跳躍力があったよね?こんな机ぴょーんっと飛ぶことだって出来るはず。
でも…今の私は人間から猫になってる状態だ、猫の身体の動かし方なんてなんにも知らない。
だけど、やらなきゃずっと猫のまま…!
そんなのは…いやだ!!
「んにゃあっ!!」
後ろ脚に力を溜め込むようにして、私は着地したい位置を見定めて思いっきり蹴った。
瞬間、どういう理屈なのか分からないまま猫の私は宙に浮いていた。
すごい、なんて軽い身体なんだろう…!
動物の身体能力って、ここまで高いんだ!
こうして、感動しつつも薬のある机まで跳躍した私は薬の元まで駆け寄る。
よかった、さっき見た時と同じく蓋はただ置かれてる状態で、完全に閉められてないみたい…!
よかったあ〜!取り上げられた時はこの世の終わりを感じだけど、これで人間に戻れるぞ!!
ちょっとこの身体いいなって思ったけど、やっぱり人間の身体が一番だよね!
さて、蓋をどけて薬を……って、そういえばさっきからイライナは何をしてるんだろう?
途中で邪魔される覚悟はあったからなんだか拍子抜けだけど…なにかするとか言ってたしなぁ。
机の上ならちょうど見えるし、少し盗み見るくらい……ってなにしてんの!!?
上から見えたのは、思わず驚くくらい衝撃的な光景だった。
イライナはベッドの上でうずくまって目を瞑っている。
それは一見寝ているように見えるけれど、もぞもぞと動いているから寝てはいない。
イライナの周りには私の制服や持ち物が乱雑と置かれていた。
散らかっているように見えるけど、私はその光景が鳥の巣のように見えた…。
でも、驚いた理由はそれではなくてイライナの手にはある物が握られていた。
それを大切そうにして、すんすんと匂いを嗅いでいる…。
けどそれ、それってぇ!!
私のパンツじゃん!!
「すんすん…ルルカ、ルルカ♡」
「まさかルルカの下着がこんな形で手に入るなんて思いもしませんでしたわ…♡」
こ、こんな形って…もしかしてずっと狙ってたの!?
い、いやいや…!イライナとは友達だったけど、ここまで変態じゃなかったよ!?そもそもどうしてそんなことをしてるのさ!私の下着とか汚いよ!!
それにしても、なんて顔をしているんだ。
普段の毅然とした顔とは違い、今は恍惚とした表情を浮かべてすごく嬉しそうだ。
でも、さっきから息を荒げていてどこか苦しそうにも見える。
それに顔も真っ赤っかになっていて、熱がこもっているようだ。
なんか、すごく…興奮してる。
ベッドの上でピーンと尻尾が立っているし、イライナの空いている手がするすると股下の方へって…ちょ、ちょっとまったあ!!
「ルルカ…♡すき、すき♡大好き♡」
「あっ♡ルルカの匂いが全身に充満して…♡ルルカぁ…ルルカぁ…♡」
声を上がる前に、イライナは息苦しそうな声を上げながら身を丸める…。
どうしよ、とんでもないプライベートなところを見てしまった…こんなの、バレてしまったら殺されるどころの騒ぎじゃないよ…。
今は避けているけど、イライナとは友達だと思ってたのに…まさかイライナって私のことが…………。
いや、まさか…。
でも、たしかに…。
イライナって竜炎の魔女とか呼ばれてて…。
あ、もしかして。
イライナが……魔女?
思い出すのは今朝の記憶。
スーリア先生は私にかけられた呪いの本質を教えてくれた。
私に対する、異常な性愛だって…。
イライナって私のこと、大大大好きなんだ…。
私の匂いを嗅ぐくらい好きなんだ。
じゃあその、今日私に怒ってきたのって私がジェアリスやリアと話していたから、それで嫉妬…してきたってこと?
いやいや、それは流石に考えすぎだよ…。
でも、まじかぁ…。
「ルルカ…ルルカ…」
そんな切ない声をあげるくらい、私のことが好きなんだ…。
私、イライナの気持ちに全然気付けてなかったんだな。
うん、先生達が急に私のことバカにしてきた理由がちょっと分かったような気がする。
分かりたくはなかったけど!
さて、それはそうと薬を飲まないと…だ。
ただ問題が一つあって、イライナが臭いって言うくらいには丸薬がとてもひどい臭いを放っている。
蓋はまだどけてないけど、猫の鼻はとても優秀なせいか非常に酷い匂いだ。
けど、私も魔法使いの身だ、こんなくっさい薬の匂いなんて調合の授業とかで嗅ぎなれているからいいんだけど…。
これ絶対まずいやつだよね?
そもそも魔物の素材をこねくり回したものが美味しいわけないんだよ、絶対まずいよ猫が食えるわけないよ。
けど、けれど!!ここまで来て薬が飲めなかったら私は一生猫のままなんだよね!だからいったるぞこんにゃろぉぉおおおおお!
瓶に頭を突っ込んで、丸薬をまるまる一つ飲み込む…。
うんうん、頭を空っぽにすれば味なんて感じないから大丈夫〜なんて、これ一粒が大きすぎて噛まないといけないな……。
よし、ひと噛み…………。
「ヴォエッ!!!」
「な、なんですの!?」
「って、いつのまに机の上に!?しかも薬を食べてとても辛そうですわね…もう、あれだけ食べちゃダメだと言ったのに…」
「ウァーン…ウァーン…」
「はいはい、美味しくなかったのね…しかしルルカってばどうしてこんな薬を?そ、それはそうと猫ちゃんがいるのにお見苦しいことをしてましたわね…」
「うう…まさかあんなところでルルカの服や下着が手に入るとは思ってもいませんでしたから、ついつい匂いに釣られて興奮してしまいましたわ…」
う、うう…おぇぇ…おえっ、おぇぇ…。
ひどい、ひどすぎる…なんて味なんだ。
げぼろろろ……。
イライナが優しく背中をさすってくれてるおかげで少し楽だけど、口の中に広がる泥のような薬の味はまったく無くならない…。
もしかしてこれ、今後も食べ続けなきゃダメなやつだよね…猫になったらこれ食べなきゃいけないのほんと無理なんだけど!
けど、よし!これで元に戻れる!
戻ったらまず……まず、どうしよう。
よく考えたら私、猫とは言えすっぽんぽんな訳で…。
そんな状態で移動なんか出来る訳ないし、服は今イライナが持ってるし……。
あ、あれ?もしかして今の状況ってかなりヤバいのでは?
「にゃっ、にゃにゃにゃ!!」
「ど、どうしたのかしら?急に暴れて…」
「もしかして…薬を食べてしまったからなにか悪い効果でも出たのかしら!?」
違うよ!薬の効果で元に戻ったら大変なことになるって気付いたからだよ!
イライナが心配して私を逃さないよう力を入れる中、私は必死に脱出しようと抗う。
けど、猫ごときが竜に勝てるワケもなく私は抱きしめられたぬいぐるみのように、イライナの腕の中で拘束されてしまう…。
そして、抗う力もなくなった頃に…その時は来た。
「あら?急にどうしたのかしら?体重がずんと重く…」
「にゃ……にゃ…!」
ぐぐぐっと身体が伸びていくのを感じる。
特に痛みはないけれど、身長が急激に伸びていくような不思議な感覚は、少しだけ不快感があった。
檻のように小さかった私の身体は、元の形へと戻っていく…。
そんな中、一部始終を見ていたイライナは絶句していた。
「な、そんな…」
「あ、ううっ…はぁっ…」
「……ふ、ふぅ」
どうやら元の人間に戻ったみたい。
謎の虚脱感が襲ってきてすごくだるいけど、視界が元の位置に戻り、しっかりと五本指が動くのは見ていて感動を覚える。
よ、よかった…!人間に戻れた!
でも、喜ぶのはまだ早くて…。
「こ、これは!どういうことですの…!」
「あ、これは…そのぉ…」
「にゃ、にゃーん♪私が猫でした!……な、なんちゃて?」
にぱっと笑顔で誤魔化してみる…。
あ、だめだ、顔が余計に怖くなってる…野生のドラゴンでもそこまでの顔しない…!
「わたくしを騙してたって訳かしら?」
「そ、そうじゃないよ…!これにはその、理由があって…」
「ではその理由を話してくれてもいいんじゃなくて!?」
イライナに詰め寄られて、強く肩を掴まれる。
怒るのも当然の勢いで、恐らく今のイライナは私に悪趣味なイタズラをされたと思ってるのだろう。
だけど、理由を話してもいいんだろうか。
先生に止められているし、モルモットになんかなりたくないし……でも。
イライナが、私の探している魔女なら…。
「は、話すから!一旦落ち着いて!」
「…………わかりましたわ」
「その、今日起きたことなんだけど色々ありすぎてどう説明したらいいのか分からないんだけど…まず、これを見てほしいの」
そう言って、首に巻いてある包帯をつまむ。
イライナ目線だと肌色に見える包帯を、私はくるくるとほどいてゆく…。
そして露わになったそれを見てイライナは目を見開いた。
「それは…!」
「の、呪いじゃない!どうして隠してたの!?」
「それは先生に魔法使いからバレないようにってくれたもので…その、見てわかる通り私は今呪われてて、それで猫になってたの」
だから服が散らかってて、そこに猫がいたんだよね。
私の発言に感付いたようで、イライナは「そういうことでしたのね…」と呆れ気味に溜息をつく。
「ならどうして呪いの解除を……いえ、これは中々にひどいものですわね」
「あ、イライナは見たら分かるんだ」
「ええ、わたくしに掛かればこれくらい…ってルルカはどうしてこんなにも呪いを?7人も同時に掛けられるなんて相当のことでしてよ?」
一体何をやらかしたんだ…とジト目で睨まれて、思わず「あはは…」と苦笑がこぼれる。
「笑ってる場合じゃありませんわよ!?」
「だってその…この呪いはね?」
「私のことが大好きな女の子が無自覚でかけたものなんだって…」
「ルルカのことが…大好きな女性が、無自覚に……」
そんな馬鹿な…と言いたげな様子だけどこれが事実なんだよね。
そして…私は確認しないといけないことがある。
「それでその、イライナは…私のこと、好きなの?」
イライナが魔女なのか。
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