0015 バカは天才の裏拍子
僕がステージの上部に吊り下げてあったサスペンションライトとともに落下した直後、首に違和感を覚えた瞬間にはソレが巻き付いてステージ裏に引き摺りこまれた。
その正体は背後にあるせいで見えないが、首を締め付ける感触は人とは思えない冷たさで。まるで何匹もの蛇が素肌の上を這っているような感触がした。
それは首から服の中に潜り込み、何本もの腕が胸元や腕回りを蠢く様子は非常に生理的嫌悪感を覚えるものだったが……僕はそれを声にしようにも呼吸さえままならない。
途中、隠し持っていた拳銃が見つかるとそれを地面に落とされ、それは床に落ちてすぐ遠くに蹴り飛ばされたような音がした。
首にまとわりつく何かを掴もうともがいていると、背後から声が響いてきた。
「しかし……貴方にもゆくゆくはこの閉鎖空間を創り出した彼のように、ワタクシの私兵になって頂ければと考えていたのですが…。ずっと近くをウロウロされるだけならまだしも、ステージ上を汚されては少々目障りに思えてきますね。
ですがもう逃がしませんよ、貴方にはもう他の武器は無さそうですし、この規模の閉鎖空間であればもうあの天使の力も使わせはしません。
仮に使えたとしても、広域を支配するのとでは空間に作用する力の密度が違いますから…とは言え、空に大穴を空けられた瞬間にはワタクシもヒヤリとしましたが、ねぇ?」
「…っ!」
「フフフフ…」
…呼吸がキツくなってきた……!!
「ワタクシの力がある以上、この場で物理的な被害を与えることは敵いませんが……頸部への
それに絞殺も、実に良い音が鳴るんですよ。力を込めると喉が呼吸を阻害して他では聞こえないような、カエルの潰れる音に近しいものが聞こえてくるんです。」
「…げぅ゛…ぐ…ぇッ…!」
「ええ…本当に素晴らしい音色です……。
…貴方々にとって呼吸というのは不可欠な物でしょう。必死に生きようともがくアナタの脈動の音、感触…その音を手に取って直接感じられるのが、音を好むワタクシにとってはとても心地がよいものなのでしょうね……。
この空間の中であれば、ワタクシはどんな相手にも勝る力を持つことができる…あの場所に居る天使の力も通用しないのであれば彼女の主であれど、この力に抗うことはそう容易では無いでしょう……」
ミハエルは翼が扱えないにも関わらず数メートルの高さを飛び上がるが、直線的な動きが見切られると黒いツタのようにしなる腕がその身体を叩き落としてしまう。
彼女がステージ上に弾き戻されるとそのまま追撃に迫る黒い腕を受け身でバク転を数回転繰り返しながら回避し再び上空に浮き上がった劇場支配人の巨体を見上げていたが、その呼吸が僅かに乱れていた。
「く…っ!」
「フフフ…本当に……素晴らしいですね。こちらからの打撃も通りませんが……先程の仕返しのお気持ちだけは返させて頂きましたよ、万が一にも傷が付いては大変ですからね……。
何故なら…聴こえるでしょう。いま、貴女の頭に流れる音楽は素晴らしいでしょう…? 貴方の御学友様もワタクシの演奏を大層気に入ってくれたそうなのでね……。
さてそれではいよいよ、劇場も幕引きと致しましょうっ!!」
「……!」
化け物のような姿の劇場支配人が無数の黒い腕をステージ上で広げ、高らかに声を上げる瞬間……その異音が確かに僕の耳に届く。それはステージ上に立っていた、この空間を作り出していた存在の倒れる音。
「何故!?倒れて…!?」
「行きますッ!!」
それは僕にとっても予想外の声だった。
ステージ上から飛び出した小さな黒い影が紫の霆を纏った脚で劇場支配人の巨体を踏み付け、真上へと飛び上がり、百戦錬磨の彼女が決闘では一度も攻撃に使ったことの無かった脚が黒い稲妻の重低音を響かせる。
「雷!双っ!……撃ッ!!」
クゥの足が劇場ホールの天井を蹴りつけ、その天井から微かな光が差し込む。
クゥは戦闘スタイル上、彼女の靴には彼女の足を『保護』する蹄鉄のようなものが入っているとは聞いた事があるが、まさか体から発生する雷の衝撃だけで地上まで届く亀裂が入るなんて……。
「閉鎖空間の…星紡の力を破られた!?何が…」
「判らない…?」
クゥの凄まじい反撃に劇場支配人が狼狽えるのも束の間、僕の耳にあの耳をつんざく航空機の高音が聴こえる。クゥによって閉鎖空間が破られ、ミハエルの今まで抑圧された焔は解放された瞬間に激しい駆動音が劇場支配人の音楽を掻き消したのだ。
「…音を消す力も、音楽もたしかにすごいものだった、けど……!
あなたの敗因は自分の力と音楽に酔って…音を目で見ようとした、こと……!」
「っこの微かな『音』…成程…!!」
ステージ上に居た彼が突然倒れた理由は『ガス』だ。
そのガスは本来はミハエルの炎の勢いを増すために鉄翼から発生させるものだとこの場所に訪れる前に作戦を立てていた彼女は言っていたが、彼は自身の奏でる音楽に紛れた本当に聞くべきこの音が聴こえていなかったんだ。
だからクゥを運ぶエリーにはミハエルのようなガスマスクを着けていてもらったし、僕は酸素缶でその影響を遅らせながらサスペンションライトを落としたりで時間を稼いでいた。
……ギリギリまで劇場支配人にバレないよガスマスクも無しに陽動に徹したせいで僕は本当に苦しかったよ、首まで締められるし。
僕らは音楽室に来る前に襲われた後、あの星紡の力で学園がそうなったように閉じ込められる事を見越して可能な限り音をたてずに彼を無力化する作戦を立てていた訳だ。
…でも正直、僕はこの劇場支配人のによる事件の全貌を憶測として話した時にミハエルが提案してくれたこの作戦には驚きを隠せなかった。
彼女はクゥと殴り合える程の強さを持っていて、それが話として通用しないほど怪異というものは圧倒的な能力を持っていたが、それさえも彼女は掻い潜ってこの流れを掴んだのだから。
ミハエルの飛行や戦闘のアグレッシヴなイメージに引き摺られていたが、単純な力押しだけが彼女の力では無いらしい。
ガス兵器はときに非人道的と糾弾される代物だが、少なくともこの状況下ではベストに近しいだろう答え合わせに、僕はあの機械仕掛けの天使が味方で良かったと心の底から思った。
まぁ、それでも彼女が呟いた『閉鎖空間を作り出す星紡』の言葉を信じて、閉鎖空間を作り出したのは人間である前提の作戦を立てたのは賭けだったのだが。
「ミハエルは…音楽は耳で聴くもの、だと思う…から…!!」
そしてこの空間を満たしたガスはミハエルの背中の翼から遂に放出された炎の勢いを何倍にも増加させ、彼女はほぼ爆発するような勢いで飛び上がった。
「フフ…!いえ、まだワタクシも諦めはしませんよっ!!」
勝負の瞬間。僕は背後に居るはずの劇場支配人へと向け、その手に持った
首の束縛感が弛むとそのまま背中側を思いっきり蹴り飛ばし、前の地面に転びそうにながらも振り返り意識の薄れるなか数瞬前に自身のいた場所に向けて更に数本の果物ナイフを投擲する。
「何処に隠…グぅっ!?」
そのまま劇場支配人に肉薄し、迷いなく果物ナイフをそのオペラマスクの眼の隙間に突き立てた。それが命中すると同時に僕の背後のステージ上で飛び上がりかけたミハエルに向かっていた黒い魔の手が硬直し、その一瞬にミハエルの殴りつけた衝撃でこの劇場の高い天井に劇場支配人の巨躯を叩き付けた。
やった……!!
「いけ……ッ!?」
―――『行ける』『行け』『いけるか』
あるいは。僕は感情のままに言葉の出かけたそのとき、酷く息苦しい感覚が僕を襲う。
―――いや、僕だけじゃ無い。
倒れ込み視界の霞む中で空中にあった赤い炎が揺らめく。
―――止められた。
「しん…っ!!」
―――心臓……音…!!
朧気な視界を赤い閃光が染め上げ、意識が途切れた―――
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