0014 Footsteps of Classical Horror Ⅴ
幸い、今のところ劇場支配人の意識はミハエルだけに向いていた。
僕の持っている拳銃はほぼ無力と言っていいし、エリーはそもそもそういった力を持たない。
…三人居てもあの劇場支配人とか言う奴に現状でまともな対抗手段を持っているのはミハエルだけだ。
(クソ…今に見てろよ……)
なので今は彼女に時間稼ぎを任せ、僕とエリーは劇場支配人とミハエルの居るステージの裏側に潜り込んだ。
「エリー、今のうちにこれ着けといて」
「これ…?」
「…いや、僕がやろうか」
エリーではソレを着けるまでに手間取ると思い、彼女に手渡しかけた物をさっと引き戻す。そして彼女に後ろを向かせエリーの長い金髪の下に手を潜らせて淡々と手を動かしていく……。
「ねぇこれってミハちゃ…」
「少しで良いからむこう向いて黙っていてくれ、僕も人に着けさせるのは慣れてないんだ」
「慣れてないって…全然そんな風に見えないって言うか、むしろ手慣れ過ぎてない?…さっきの銃を撃った時とか、だしんぼうを使ってた時も思ったけど…」
「いま役に立ったんだから僕が手慣れてるのは良い事だろ。ほら、君のは出来たから僕が着けるまで近くにクゥが居ないかでも見てて。」
単純細胞なエリーを黙らせるには簡単な役割を任せるのが一番だ、クゥを探すことに集中したエリーは僕の思惑通りに口数を減らして周囲を見渡している。
その間に僕の方も準備が終わり、あとはクゥを見つけるだけが重要な点になっていた。
「………。」
エリーには言わなかったが、クゥが無事では無い可能性だってあっただろう。しかし僕らを侮っているのか無駄にお喋りな劇場支配人の語り口から見るに、星紡の力は彼にとって利用価値のあるものだという事実が解った。
その点を踏まえればクゥは、無事である可能性が少しは高くなったと言える。
そして予想通りにクゥは見つかった。彼女を捕縛する縄を解き確認すると腹部には大きな打撃痕…あの幹のような触手から受けた傷だろうか。
「シノ…!」
「よし、生きてる…!」
「…ぅ……」
「クゥ…!?」
彼女の外傷は腹部にかなり手酷い打撲痕であり、すぐに彼女が起きたのは僕の予想を裏切るものだった。しかしこんな状況でクゥに説明をする余裕は無く、僕はクゥの安全が確認できるとエリーに彼女と僕が手に持っていた物を押し付けて駆け出した。
「シノどこ行くの!?」
「ミハエルの援護に、クゥは頼んだから!」
「ちょっ、ウソでしょ……!?」
走りながら考えを研ぎ澄ませる。
僕が主に武器とする火薬類は現在劇場支配人によって無力化されている、クゥやミハエルのようなフィジカル面も期待できない……それに、あの劇場支配人の力は音が出るものなら一度でも手札を見せてしまえば対策されてしまう。
時間の無い僕はステージの上に登れるものを探して周囲を見回した、舞台用の昇降機…は相手に勘づかれるから駄目か、脚立でもいい。とにかく上に行く手段だ。
僕が目を着けたのはこの大きな地下空間のステージ上部に存在する、10kg弱の重さはある照明が何個もバーに連なったサスペンションライト。
少なくとも劇場支配人の力の影響によって僕の体が軽くなった気はしない、なら重量をそのまま相手にダメージとして与える有効打となるのではないか。
照明が軽く二十個は吊り下げられているステージ上のバーの紐を切ることが出来れば、そのまま真下にいる劇場支配人とか言う奴に当たるはず……!
「…っ」
サスペンションライトの吊り下げている棒の上に立つと気分はサーカスの演者だ。ただし命綱を着ける余裕も無い、失敗の許されない綱渡り。
僕は照明を吊り下げるロープにナイフの刃を当てその紐を切ろうとするが……それは数秒後にも全く刃が進まない。刃物が紐を切る音が立たなかったんだ。
そうなると地道に紐を解いていく以外の方法はなく、残る五本のロープが視界に入ると最初から考えていた策よりも大幅に時間の掛かる事実に心中で舌打ちが漏れた。
「……」
最初の二本は慣れないながらも劇場支配人の奏でる音楽に紛れながら外せたが、そこで一気にバーが不安定さを増す。僕は真ん中を吊る紐には手を掛けず、いま解いた紐とは反対側のものを先に外すことにした。五本ある紐の真ん中を最後に外すためだ。
バーの端を吊る三本目のロープが外れるといよいよ完全に安定性を無くし、僕の不安定な動きに釣られて左右へ揺れ始める。辛うじて物音は劇場支配人の奏でる音色の大きさに紛れているようだったが、不安定に揺れるステージ上の照明はいつそれが露呈してもおかしくは無い状況だった。
「…っ」
視界に入ってきた、劇場支配人の巨躯を宙に浮かべる羽虫のような半透明の羽。よく観察すると彼の言う音楽というものはその巨体から生えるいくつものソレや、口かも分からない空洞の中で檻のように並んでいる弦、膜のように張った皮膚のような物などが奏でているらしい。
教科書で初めて怪異を見たときはこのような生物が存在することが信じ難かったが、実物はミハエル以上に生物とは掛け離れた姿に見えた。
そしてそのミハエルも……僅かにだが動きが鈍っている。普段は炎の勢いによって動かす鎧を無理に身体能力で補って全力で動き続けているんだ、むしろあの状況でクゥと模擬戦をしていた時からそこまで速度の落ちているように見えない事実の方が驚異的だった。
「さすがにこれは身に堪える、かも…!」
…それどころか笑ってるように見えるのは僕の気の所為だろうか、いやガスマスクのような器官でミハエルの口元は見えないんだけどさ……。
とにかくあと、一本。バーの揺れる焦りから指先に不必要な力が篭もり始め、今までの何倍も長い時間が掛かっているような錯覚に苛まれる。
「よし、外せ…っ!?」
その一瞬、僕は自分が猫みたいに身軽な動きで別の場所に飛び移ることが出来ればと思った。
しかし全身が嫌な浮遊感に包まれ、舞台ステージの木目模様が嫌なくらい鮮明に映り込み、それが刻一刻と近付く…猫ならこの高さであっても無事だったのかもしれないが…いや、この高さは普通なら猫だとしても無事では済まない高さだ。
「っぐ…ぅ……!!」
身体が痛くはなかった、恐らく劇場支配人の力のお陰だろう。しかし劇場支配人の妙に柔らかい体やステージ床に強く打ち付けられた勢いで肺や身体が重力で押し潰され、身体の中から押し出された空気が苦悶の声とともに出てきた。
周囲にはサスペンションライトが落下していたが、そのバーから外れたものはひとつさえ無いのが劇場支配人の支配する場の影響の強さを証明している。
「……」
だが、舞台照明は約20mの高さから一切の減速無しに劇場支配人の巨体を直撃した。およそ建物6階の高さから、200kg+僕の重りが突如として降り注いだ訳だ。
一瞬にしてステージ上で倒れていた僕が劇場支配人を見上げると、少し前はステージに浮いていた巨体が地面に叩き落とされた状態で動かない。目論見通り…押し潰せたか?
「…っが…!?」
僕が立ち上がり劇場支配人を確かめようとした瞬間なにかが首に巻き付き、舞台裏へと引き摺り込まれる。
(後ろに何かが、居る……!)
その姿は背後にあるせいで見えないが、首を締め付ける感触は人とは思えない冷たさで。まるで何匹もの蛇が素肌の上を這っているような感触がした―――
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