0011 Footsteps of Classical Horror Ⅱ

―――僕らは二人で並んで夜の学園を歩いていた。


…というのも、エリーと一緒に部屋で待っていてもクゥが戻って来ないからだ。


 昼間は賑やかな校舎も夜になると、最初から他に人なんて居なかったんじゃないかと思ってしまうくらい静まり返っている。

 しかしふとした瞬間に首筋を生暖かい人の吐息のような風が通り過ぎ、それからは僕やエリーの後ろにもう一人誰かがずっと着ているような気分が拭えない。

…不安になって後ろを照らして見てみるが、そこには何も居る訳が無い。


 僕とエリーの進む廊下は懐中電灯が道先を照らしてくれてはいるが、たかが数m先の足元を照らすだけの光が今はとても心細かった。


「にしても、まさか音楽室のある方面に向かうことになるとはね…本当にクゥはこっちに来たのか?」


「部屋を出てこっちに走っていく姿が見えたから、たぶん…」


 クゥが護衛としての役割を放棄して居なくなったとは考えづらい、それが僕の思考のノイズとして微かな危険信号を発している。


「廊下の端まで来た。一応、この部屋の中も見て行こうか」


 一階の廊下の端にある部屋は…図書室か。




―――夜の図書室というのは、人によってはあまり立ち入りたくない場所なのかもしれない。


 様々なジャンルの本棚が所狭しと並んでいてその裏側からいかにも何かが飛び出してきそうな影が出来ているし、本を借りるためのカウンターも人の大人が簡単に隠れられるぐらいの高さはある。


…要するに物陰が多い訳だ。

 だから怖がりな人ほど、こういった場所に夜は来たくないと思うのかもしれない…ちょうど僕の後ろに居る、エリーみたいに。


 創作物であれば夜の間だけ図書室の本の中に住む恐竜や怪物、悪霊と様々なものが創作の世界から抜け出して歩き回っている…なんてこともあるみたいだけど……。


「さっさと見回って次、行きたいね…」


「だったら行けば良いじゃない、こんな所にクゥが居るわけないでしょ…!?」


「…僕もそう思うから、さっさと見終えたいんだけどね。」


 結局、しばらくして図書室には恐竜もクゥもお化けも居なさそうだと分かると一階の見回りを終え、僕らは階段を登ることにした。


「そういえば夜の階段って数えながら登ってみると段数がひとつ足りな…」


「私のことからかって遊んでるでしょシノっ!?」


「さすがにバレるか」


 そんな雑談を交わしながら校舎の二階に着くと、ちょうど図書室の上階に当たる部屋は化学の実験などを行う理科室だった。

 もうエリーにも怒られてしまったので声にはしないが、夜の理科室というのは扉の窓から懐中電灯で中を照らして見えた人体模型のように、学校で語られる怪談話の中でも王道と言える場所かもしれない。


「………」


 懐中電灯の光が部屋の中を照らし、その明かりが様々な薬品のしまわれている棚や、耐火塗料の塗られた黒いテーブルを照らしていると、懐中電灯が人体模型を照らした瞬間に人影を見たような気分になって手元が止まる。


「………」


 もちろん、人体模型が動くことは無かった。

 それにしても…人間の肌色の皮膚が剥がされ、その赤やピンクの内面が半分だけ見えている人体模型のデザインはなんであんな不気味に映るものなのだろうか。


 やっぱり人間も動物だからこそ、あの皮の剥がれた中身のよく出来たピンク色の肌を見てしまうとケガや危険を感じて無意識に身構えてしまうのだろうか。


 僕は理科室は扉の外から懐中電灯で照らすだけに留めて、しきりに袖を引っ張ってその場から目を離すエリーのためにも別の場所に向かおうとした…のだが。


「………?」


「あ、私この曲知ってる…けっこう有名なやつ。…よね?」


「聴こえるのは…まぁ上、からか……」


「う、うぇ…? っまさか音楽室…!?」


 夜中の静かな校舎に響くピアノの旋律。

 いくら学校とは言えピアノがそんな何台も校舎内にあるとは考えられない…ピアノがありもしない場所から音が聞こえて来るのもそれはそれで恐ろしいが、少なくともこの音は…携帯端末の価格帯を重視したスピーカーから聴こえる音よりは澄んだものである気がした。


 この曲の名前は月光…ドビュッシーでは無く、ベートーヴェンの。ピアノソナタ第14番と言った方が良かったかもしれない、聞こえてくるのはその三楽章ある内の第一楽章だ。

 特に三楽章の激しい曲調はピアノ演奏者の難関曲としても有名だが、この古典的なホラー演出として流れて恐ろしく思えるのはゆったりと低い音が流れ続ける第一楽章の方かもしれないと、いまその状況に立たされる僕は思った…。


「エリー…」


「い、行くなんて言わないよね?ねっシノ…?」


「でももしクゥがこの音を聴いたら、確かめに行くと僕は思うんだけど?」


「それはそうかも、しれないけど……。

……ああもう、解ったわよ……クゥの方が大事なんだから…!」


 半ばヤケになって決意を決めたエリーの向う見ずさに小さく笑みを浮かべながら、再び僕は掌の中にコインを一枚忍ばせた。


「…っ、…ぅ…ぅ……」


 階段を一段登る度に、心臓の音はその何倍ものペースで鼓動を鳴らす。

 酷い動悸がし始める緊張の兆候に、掌の中の硬貨がじっとり汗で濡れるイヤな感触に蝕まれる。

 クラシック音楽のこの先に流れる第三楽章の幻聴が、僕を焦りで包み込む。


「……っ」


 二階と三階の間の折り返し地点である踊り場に着くと、さっきまでよりもクラシックの音は大きくなっていた。


 そして、音楽は第二楽章に突入する。

 第一楽章のゆったりとした夜の静寂とは正反対に、今度はピアノを奏でる指が鍵盤の上を跳ねるような明るい曲調に様変わりする。第二楽章は第一楽章ほど長くは無い、階段を登り切った僕が懐中電灯の照らす明かりの中で見つけたのはクゥの後ろ髪をまとめていた髪留めらしきものだった。


「あれは…!」


 エリーが僕より前に出たと同時に聴こえたのは彼女の正面にある音楽室の扉を破り、木の幹のような太さの触手のような黒い影が迫る光景。


「……!!」


 僕やエリーは誘い込まれたんだと。

 そんなどうでもいい思考よりも先に構えた銀の拳銃がエリーに襲いかかろうとした得体の知れないモノを撃ち抜く。


 間一髪でその何かがエリーに触れることは無く、僕は髪留めを拾おうとしゃがんでいたエリーの手を引き彼女を強引に立ち上がらせると彼女に走るよう怒号を飛ばした。


「走るよっ!!」


「何処に!?」


「とにかく真っ直ぐ!!」


 背後を気にしながらも全力で夜の廊下を駆ける。動きながらのリロードは少し手間がかかるが、こんな時だからこそ落ち着いた方が良いのは間違いない。


「シノ、銃なんていつから持ってたの!?」


「…僕、一応キミの護衛なんだけど!?」


「だって今まで使ってるとこ見たこと無かったんだもん!」


「こんなモノ日常的に人に向けるわけ無いだろっ!!!」


 余裕から出てきた会話を中断させたのは、今朝も聞いたような気がする何かが崩れる轟音。その音は僕らの横…壁を挟んで教室が並んでいる筈の場所を何かが物凄い勢いで迫っていた。


「…!っ階段を降りるしか!!」


 僕はエリーが声を聞いて廊下を曲がったのを確認しながらその場で振り返り、教室の扉の窓に映るソレに向けて再び拳銃を向ける。


「…シノ!?」


 僕らの動きを追って来るなら、この教室から真っ直ぐに階段へと向かってくるはず。そしてさっきの様子から全く痛みを感じない訳では無い。

 つまりここでの足止めこそがエリーを逃がす為に一番確実な手段!!!


「っ!!」


―――何発かは解らないが、確実に当てる!!


 不退転の決意と共に引いた引き金がもたらす結果。


詰まジャムった…!?」


 それは正体不明の怪物との相対という陳腐な物語の結末としてはあまりに面白味の無い、物語性なんてクソ喰らえと言わんばかりの終幕。


「……!」


 違う、銃は確かに動いている。銃の不調でもなく、弾丸が飛んでいなかったのだ。


…しかし、それがエリーの声の聞こえなかった原因だと解ってももう遅かった。僕は死ぬ、この何かも分からない黒いモノが校舎を破壊する濁流のような勢いに呑まれて。


「……!!」


―――静かな夜の校舎に響く、轟音と高音。


 校舎の教室のある側とは反対の廊下の壁をガラス窓と黒い何かごとぶち破った存在の赤く燃える長髪が目に入った瞬間、僕が死ぬ運命は確かに変えられた。


「……手応えは、そこそこ?」


 そこには僕の知る限り聖典において『蒼い太陽』と形容される天使であり、最も神と近しい神秘の力を持つとされる名前を持つ少女が立っていた―――

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