0002 特異世界『ソフォル=ルエル』


―――であるからにして、約80年前の人類は宇宙を行き来するハザマ船に乗り、この特異世界ソフォル・ルエルに移住したのですね。

 ここで人類は複数の宇宙を航海する技術特異点テクノロジカル・シンギュラリティを迎えた訳です。この技術特異点こそが多元宇宙時代の始まりになるのですが、何故これがシンギュラリティと呼ばれるのか……」


 楽しい昼休みを目前に迎えた最も退屈な授業のひと時、僕は頬杖を着いて窓の外を眺めていた。

 窓から見える中庭は聖ミシェラ星術学院なんて大層な名前らしい青々とした庭園の丁寧に整えられた草木が並んでおり、退屈な長言の時間を紛らわせてくれる……あ、鳥が空に飛び上がった。


「ではちょうど宇宙に思いを馳せているレシュノラくん、答えてください。」


…どうやら、今朝のことを未だ整理し切れていない僕の現実逃避を神様というものは赦してくれないらしい。

 小さく溜息を吐きながら重い身体を手で机を押し持ち上げると、隣から聴こえる小煩い声を無視しながら壇上の存在せんせいを睨みつけ糾弾……はしなかったけど、解答者として視線を向けた。


「シンギュラリティが起きた一番の要因はソフォルの地に様々な宙域から人類が集まったことでしょう。

 平行宇宙には『魔法』や『怪異』と言ったそれまで非実在的と考えられていた様々な技術が存在し、それらが一点に集まることでお互いの技術を躍進させたと言われています。僕達の扱う『星紡』も、彼らにとってのは信じ難い現象だったと伝えられていました。

 では何故、人類がこの特異点に集まったのかと言えば……」


「ストップ!そこまでで良いわレシュノラくん、よく予習してたみたいでなにより。

 それじゃ授業続けるから、レシュノラくんもちゃーんと聞いて復習するようにねっ」


 先生の少し強めの語気に話を止められ、僕は席に着く。これならきっとすぐ次に当てられることは無いだろう、これでまた逃避が出来……


「ぷぷっ、シノってばよそ見してるから当てられたんだ」


 誰の所為で…


「何してたの、先生が言ってたみたいに宇宙に思いを馳せてた?それとも平和な時間でも祈ってた? あっ、もしかしてだけど……」


…僕は、構うだけ時間の無駄だと解っているつもりだったけど。隣の席から聞こえてくるちょっかいを掛けてくる声に振り返って言い返そうとした瞬間だった。


「じゃあラスティナさん、いまレシュノラくんが言いかけたことを教えてくれる?」


「えっ!? えっえっえっとえっと……!」


 立ち上がってあたふたするラスティナの忙しなく動く姿を隣で見上げながら、僕はいい気味だと嘲笑の笑みが溢れる。

 これはあくまでも想像でしか無いが、きっと彼女は僕が先生に当てられたことを面白がっていたせいで僕がなんて答えたのかも全く聴いてなかったんだろう。

 つまり今の彼女が慌てているのは授業を疎かにしてまで人の不幸を笑った罰だ、せいぜいクラスの笑いものになってくれ。


「あぅ……」


 結局答えられなかった彼女が意気消沈して座り込むと僕は嫌な予感がしたので自然観察に戻ろうとするが、ほお杖をつこうとしていた腕の制服が引っ張られ僕は危うく姿勢を崩しかける。

 そんなことをする犯人の目星なんて一つでいい、僕はすぐに振り返ると隣の席にいる悪辣な女を睨み付けた。


「ちょっと、シノのせいで私まで答えさせられたじゃないっ」


 授業中なので小さな声で話し掛けてきたラスティナは金色の瞳をジトりと細めて睨んでくる、その上なぜか僕が諸悪の根源だと言わんばかりの口調だ。


「なんでさ、僕が何をしたって言うんだ?」


「シノが窓の外なんて見てたから、貴方だけじゃなく隣にいる私まで先生に目を付けられたのよっ」


「……どう考えたって君が人のことを笑って授業を疎かにした方が悪いだろ、ラスティナ」


「そんなの外を見てたシノだって同じじゃない」


「こう見えて僕はちゃんと授業内容を聴いてるよ、万年落第手前に居る君なんかと同系列に扱わないで欲しいね。」


「なっシノ、私が誰なのか解ってそんな事を言っ…」

「そもそも僕が外を見ていたのも元を正せば朝の…」


 ラスティナの言葉を遮って突然と教室に響く何かを叩き付けるような音。

 その意識外から聴こえた大きな音で両者の身体が跳ねると、冷静になった僕にはどこから聞こえて来た音かはすぐに解った。


 今まで睨み合っていた存在と一緒に教室の壇上へ視線を向けるとそこでは教師が閉じた教科書の表表紙をこちらに向け、静かな笑顔を浮かべていた。


 笑顔と言えば、友好の証だ。

 しかし笑顔と言うものは不思議なことに様々な種類を持つもので、今朝のラスティナが浮かべた相手の機嫌を伺う愛想笑いや、感情の高揚感から溢れる笑い声。そして根源的には威嚇の意味を持つらしく、いま目の前に見える表情がその内のどれなのかは語るまでも無いだろう―――













―――…で? 結局コレは何なんだ?」


 僕は昼休みになるとすぐに逃げたラスティナを屋上まで追い掛けて問い詰めた。

 僕が指を指す先では赤髪の少女がその首をこてんと傾げ、自身のことを指さすとガスマスクによって籠った声のまま話し始めた。


「ミハエルのこと…? ミハエルの名前は…ミハエル……」


「………。」


「えっと…辛いもの、好きだよ……あ、ですっ」


「いや、聴きたかったのは自己紹介とかじゃなくて…」


「え……じゃあ……ミハエルは壊すの得意…だから、そういうこと、任せて……!!」


「護衛なのに何を壊そうって言うんだ…」


「はいはいっ!私、視力検査得意!!この前測った時は30.0までちゃーんと見えたわっ!」


「…ラスティナ、僕はそんなこと聞いてないから答えなくていい……会話に混ざれなくて寂しかったのか?」


「うん」


「………そうかい」


 一先ずコレのことは置いて置くとして。

 立場上あまり聖女様を疑いたくは無いけど、この馬鹿っぽくて少し難しい話をしたら簡単に騙せてしまいそうなラスティナを前に僕はやっぱりコイツは天使なんかじゃ無いのではと、そう思わずにはいられないよ……。


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