四 異世界での初イベントがこの上なく重い
ユラ ユウラ ユラララ
蝋燭につけられた炎が消えることなく、風で揺れている。
夕焼けに照らされることのないこの部屋は、この心もとない灯りのみで賄われている。
ここは、ポラリスが治める町、マンズルームの城の客間である。
三階の東に位置するこの部屋は、日の出のときは眩しく、午後になるにつれ寒くなる。
と言っても、窓が開いているおかげで五月の陽気が部屋に入ってくる。
俺がこの世界に来て一週間。
色々なことを学んだなぁ。
例えば、部屋から見える空の色からして、だんだん夕飯の時間に近づいている気がする。
ただ、そんなにお腹が空いてないんだよなぁ、と思いながら意識を机に戻す。
俺、金原春希は現在、この世界の言葉を勉強している。
スピカの父親で、俺より先にこの世界に来ていた日本人は、この世界をコスモスと名付けた。
それによって、この世界、コスモスの言葉はコスムルグ語と呼ぶようになった。
ポラリスとスピカとエルドラド卿の三人にしか通じないらしいけど。
まぁ、それは置いておこう。
コスムルグ語は英語に似ていて、31 の文字を組み合わせて単語を作ってる。
それを並べて、会話なり文章なりを作るんだが、今俺は文字の書き取りをしている。
形自体は簡単だからだいぶ覚えた。
だいぶ書いたことだし、先生のスピカに見せるか。
目線を彼女に向けると、暇そうに椅子の背もたれを抱えながら座っていた。
相変わらず、足を広げて座ってるのだからパンツが丸見えである。
見て欲しくない素振りをする割には見せつけてくるから、乙女心は複雑なものだ。
たぶん、パンツが見えていることに気付いてないだけだけど。
「どうした、春希? ボクの顔に何かついてる?」
「いや、何も。まぁ、字は書けたから見て欲しい。」
「はいはい。分かったぜ。」
少し嬉しそうに近づいてくるスピカ。
俺の近くに寄れることよりも、暇じゃなくなったことに心弾ませてるんだろうな。
彼女は机に来ると、俺の書いてた紙を取り、じっくり見る。
そこまでして見るかと思うほどだ。
なんか恥ずかしい。
「スピカ。見つめすぎじゃないか? そんな面白いことは書いてないと思うけど。」
「春希は勘違いの塊だろ。初めのうちにしっかり見とかないと後々が大変だぜ。」
「ユニャールの話か。」
そう、俺はユニャールって言葉の意味ははき違えていた。
英語で『Hey』みたいな意味かと思っていたら、意外や意外。
『挨拶』と言う意味しか『ユニャール』には無いらしい。
では、どこでこんな勘違いが起きたかと言うと、
ユニャール ド ガンパン → 『昼の挨拶』の意 → こんにちは(意訳)
となる。
そして、ユニャール ド ガンパンと言うのが長いから、省略してユニャールになったらしい。
つまり、町の人は普通に、こんにちはと挨拶していただけだ。
まぁ、挨拶は大事だけど。
この勘違いが分かってから、スピカは俺の勉強に対してかなり気を使っている。
気持ちは嬉しいが、根を詰めすぎている気もして心配だ。
俺が言える立場でもないが。
一通り俺の文字に目を通した彼女は持ってた紙を机の上に戻す。
「よくできてるぜ。先週初めて書いたときはかなり心配したけど、これなら普通に読めるぜ。」
「まぁな。それなりに頑張ったし。お前にもしごかれたしな。」
「じゃぁ、あとは文章の読み書きか…。」
スピカの表情は曇る。
確かに言語を覚えるとなると、ここからが本番かもしれない。
だが、俺にはもう出来てる自信があった。
「そんな心配しなくてもいいんじゃないか。ポラリスやスピカと話すときは日本語だけど、エルドラド卿とはコスムルグ語で話せてるからな。語彙の無さは感じるけど、この調子なら来月には日常会話はできると思う。」
「はぁ。春希はまさかここまで馬鹿だとはね。エルドラド卿は春希と話すとき、なるべく簡単な単語と文構造で話してるんだぜ。それに、春希の発音は日本語だから、カタカナ英語ならぬカタカナコスムルグだ。」
「まじか。俺そんなに酷い?」
「中学一年生がアメリカで暮らせるって言ってるくらいひどいぜ。」
「そっ、そんなにか。」
「この調子なら、書くのはさらに苦戦すると思うぜ。なにせ、発音と綴りに差があるからな。」
これが現実なんだろうが、俺はかなり落胆した。
ここまでの言われようとは。
特に、俺は話せると思っていたのに、エルドラド卿にはかなり無理をさせてたようだ。
恥ずかしいというか悔しいというか、いろんな気持ちが混ざってる。
「でも、春希はいい線してると思うぜ。来月は無理でも半年後ならお使いに行けるレベルにはなってると思うぜ!」
落ち込んでいる俺にスピカは必死に励ましてくれる。
嬉しいのも確かなのだが、これはこれで心にグサッとくるものがある。
「イヒヒヒヒ。様子を見に来たはいいが、落ち込んでんじゃねぇか。どうした、スピカとの初エッチでも失敗したか?」
言葉遣いが汚い、と言うよりは言葉のチョイスに悪気しかなさそうな男が会話に加わる。
燕尾服を銀の鎖で飾っている五卿の一人、エルドラド卿だ。
彼は冗談でこんなこと言ってるんだろうが、今の俺が聞くと、それが現実になりそうで怖い。
スピカとエッチなことする予定なんてないけど。
それに彼女も俺のことは眼中にないだろうって、意外と顔赤いぞ、スピカ。
「ボッ、ボクと春希はそんなことする仲じゃないぜ。ただ、春希がコスムルグに自信があるっていうから、まだ半年は早いぜって言っただけで…。」
「ん~、そうかぁ。まぁ、男なら誰だって、女の子の前ではカッコつけたいものさ。その気持ちは汲み取ってやりな。」
「そうなの、春希?」
スピカの問いに、俺はそこまで考えて物は言ってないと答える。
「イヒヒヒヒ。そんな強がらなくてもいいぜ、気持ちはわかるがな。まぁ、俺様が言ってることが分かってんなら十分じゃないか。そうだろ、スピカ。」
「半分ぐらいは分かって欲しくないけどね。ただ、春希とエルドラドが会話できるんだったら、ボクとしてもうれしい限りだぜ。」
「だとさ、小僧。」
「そう言ってもらえるなら、少しは励みになるかな。」
俺はそっと呟く。
エルドラド卿は言葉は汚いが、良いことを言ってる時が多い。
そんな彼と簡単に会話ができているだけで、今は十分なのかもしれない。
「それよりもエルドラド、用があってここに来たんだろ? ドアベルも鳴らさずに部屋に入ってくるときはいつもそうだからな。」
「ほぉぅ。俺様のことよく観察してんじゃねぇか、スピカ。その通り、ポラリスからの伝言だ。耳の穴かっぽじって聞いとけ。」
口は悪いが、俺でもちゃんと言葉の意味は理解できてる。
スピカはご飯前に急務かと、苦笑いしている。
「『ドゥーベから手紙が来た。これより早急にかの地へ向かう。』だとよぉ。とりあえず旅支度して、玄関前に集まっとけばいいんじゃねぇか。」
「あいまいな状態で伝達するなよ。ボクもポラリスも困るぜ。」
「なぁ、ポラリスって本当にそんな口調で話したのか?」
二者二様の返事をする。
返事って言うよりはただの感想か。
しかしエルドラド卿はスピカの感想にしか興味を示さなかった。
「なんせポラリスが焦っていたかなぁ。まぁ、俺様も準備があるからもう暇させてもうぜ。」
彼は一度手を挙げて部屋を出る。
バイバイのジェスチャーらしいが、今はどうでもいい。
それよりもスピカの慌てっぷりの方が重要である。
「今すぐ準備しないと。予備の分はあれがあるから…。そうだ、春希の服や日用品はボクが準備するから。それ以外に欲しいものは自分のカバンに入れて持ってて。じゃぁ、すぐ戻ってくるから、準備するんだぜ。」
彼女もさっそうと部屋から出て行った。
旅支度ぐらい自分でやるのに、と思いつつも言う相手がいないから仕方ない。
リュックサックにこの世界に来た時に持ってた物全部入れていくか。
あと、日コス語辞典も。
日本語とコスムルグ語の辞書で、スピカの父親が作ってくれたものだ。
とりあえず、これで大丈夫、なはずだ。
数分後、スピカは戻ってきて俺を玄関に連れていく。
玄関には五、六個の荷物とエルドラド卿、そしてポラリスがいた。
おいおい、みんな準備が早いな。
俺は、適当にものをリュックに詰め込めればいい話だが、他の人は服や歯ブラシに常備薬って色々準備するもんがあるだろ?
なんて疑問を抱いていたら、真剣な顔をしたポラリスが口を開く。
「春希は準備できた? エルドラドは馬車の準備して。スピカはミケを連れてきて。ご飯はみんなの分準備したから、もういらないわ。あとは…、ねぇ春希、荷物の詰め込み手伝って。」
「あぁ、分かった。」
半分くらい聞き取れなかったが、荷物運びをやればいいんだろう。
エルドラド卿が乗ってきた馬車に、せっせと詰め込む。
「なぁ、ポラリス。遠くに行くなら俺は自転車を使おうか? そっちの方が明かりもあるし、荷物が増えても運べるけど。」
「う~ん、そうだね。ちょっと大変かもしれないけど歩くよりは楽だと思うから、春希には自転車で行ってもらおうかな。」
「分かった。取ってくる。」
俺は自転車をガレージから取り出して、玄関まで戻ってくる。
そしたら、みんなも馬車に乗って準備ができてた。
町への案内をしてくれた爺さんの馬車とは違い、立派な馬車だ。
屋根付きの馬車にポラリスとスピカが仲良く並んで座っている。
荷物はその下に置かれていて、一瞬荷物に座っているのかと思った。
エルドラドは御者係で、前に座り二頭のロン毛馬を操っている。
彼の足元にはミケがいるが、眠たそうにしている。
落ちるなよ。
「イヒヒヒヒ。揃ったみたいだなぁ。じゃぁ、出発するぜ。」
御者の鞭でロン毛馬は走り出す。
こうして、俺はコスモスに来てから最も速い展開で、マンズルームから王都、ドゥーベに向かうことになった。
あたりはすっかり暗くなっていて、人と言う人は皆、家に帰ったのか見当たらない。
道を照らすものはランタンの灯りと自転車のライト、そして地平線付近の赤い月だけだ。
白い月はまだ昇っていないようだ。
馬が引く馬車のスピードは意外と速かったが、自転車の比ではない。
道さえ知っていれば、俺が一番最初にたどり着くな。
しばらくは沈黙が続いてた一行だが、スピカがそれを破った。
「急にドゥーベに行くって聞いたからびっくりしたぜ。アルカイド王に何かあったのか?」
「…。うん…。」
頷いたポラリスだが、沈黙が続く。
だが、決心したのか話し始めた。
俺は車内が見えないから想像だけど。
「お父さんの体調が悪いって…。危篤状態だから来るようにって…。」
涙声で話す彼女。
だがすまん、ポラリス。
俺はまだ、コスムルグ語マスターしてないからちゃんと意味が分からない。
でも、王様は調子が悪いんだろ?
心配だな。
そんな理由があるなら準備も素早く、怒涛な勢いで出かけたいわけだ。
「あいつとは死線をくぐり抜けた仲だからなぁ。そう簡単にへばるやつじゃないぜ。きっと町に着いたら出迎えてくれるだろうよ。」
エルドラド卿も慰めの言葉を掛ける。
「そうだぜ、ポラリス。心配なのはわかるけど、グラグル見ながら元気出そうぜ。」
グラグルってなんだと思って馬車を覗くと、スピカの手の上に小動物がいた。
「スピカ。そいつは何だ? 小さくて可愛らしいけど。」
「あれ? 春希は初めましてか。この子はバッテグランのグラグル。ボクのペットなんだぜ。」
とスピカはグラグルを見せてくる。
背中に針の生えたハムスターみたいな生き物か。
そんな印象を受けた。
「ちなみに、好物はダレンガの種。ほっぺたに頬張って膨れ上がるんだぜ。」
植物の種が好きなのか。
ますます、ハムスターみたいだな。
よく見てみたいが、今はやめておこう。
だってポラリスが必要としているから。
彼女に癒されてもらおう。
ちょっとは気遣えたかな。
そう思いながら自転車のペダルをこいだ。
しばらく進むと湖の隣を走るようになったが、これが長い。
腕時計で確認しても、かれこれ一時間半は経っているぞ。
「なあ、あとどのくらいでドゥーベって町に着くんだ?」
俺は煙草をふかしているエルドラド卿に質問をした。
未成年が多い場で煙草を吸うのは如何と思うが。
彼は相変わらず何かをたくらんでいるような笑顔で返事をしてくれた。
「まだまだ時間がかかるぜぇ。なんて言ったって、ウルサ一大きい湖を迂回しねぇといけねぇからなぁ。」
「まじか。まだ四分の一くらいだよな。あとこれの三倍もかかるのか!」
「日中なら、明るいからスピードも出せるんだがなぁ。きさまの明かりでいつもよりは見えるが、今の状態が関の山だぜ。」
「まだまだ続く旅路、ってことか。」
としょぼくれる俺。
しかし、俺の愚痴に答えた者がいた。
「てめえらの旅路は、ここで終わりだっぜー。」
耳に残る語尾とともに、男達が出てきた。
露出度高めの人達だから町の人か?
こんな夜遅くに町の外を出あるいているなんて不用心だなぁ。
人のことは言えないけど。
「おれたちはリブラ盗賊団だっぜー。そしておれが団長のブラキウム・リブラだっぜー。てめえらは大金持ちの匂いがするっぜー。だから金銀財宝、その他もろもろ置いていくんだっぜー。そうじゃないと、ここでお前たちの旅路は終わりになっるっぜー。」
「なんか、キャラの濃いやつが出てきやがったなぁ。」
バンダナを巻いた、語尾が独特の男にエルドラド卿が答える。
あんたも十分キャラ濃いと思うぜ…。
「で、どおすんだぁ? こいつらこのままだと、襲いかかって来るぜぇ。」
「…。戦いたくないけど、今は急いでいるし…。降参しないなら、怪我させないように追い払って。」
「と、俺様の姫君はおっしゃるんだが、どうすんだぁ? 盗賊さんよぉ。」
「状況が分かってるのかって、聞きたいっぜー。こっちは馬車を囲んで有利な状態なんだっぜー。」
「交渉決裂かぁ? スピカ、準備しなぁ。」
「え~、ボク眠いのに~。」
声のトーンを落としたエルドラド卿の呼びかけに、スピカはため息交じりに答える。
今からここで、戦いが起きる。
異世界らしいイベントだが、俺も一肌脱ぐ時が来たのか!
「ハルキは馬車に入ってなぁ。俺様の餌食になりたくなかったらなぁ。」
布に包まれた棒を持ったエルドラド卿が、馬車から降りる。
その布をほどくと、緑色に染まった槍が出てきた。
刃は日本のように細長いのではなく、洋風のように太く、デザイン的にもカッコいい。
見た目がいいが、こんだけ金属部分が大きくて使いこなせるのか?
「死にたいやつからかかってきな。」
「おめえら、怖気づくんじゃないっぜー。やっちまな、だっぜー。」
エルドラド卿のセリフに恐れることなく、盗賊達も剣を持って立ち向かう。
字面だけだと、こっちが悪者みたいで嫌だな。
盗賊達は雄叫びをあげてエルドラド卿に近づくが、彼の見事な槍さばきの前に倒れる。
槍の先端が重いだけあって、振り回すと遠心力がかなりかかる。
その勢いで敵を吹っ飛ばしていくさまは、戦闘を司る神にすら見える。
見事な暴れっぷりで、俺も馬車に近づくことができないけどな。
「なっ、なかなかやるっぜー。ぜも、この攻撃は防ぎようがないだろうっぜー。」
盗賊の親玉が準備するんだっぜーと叫ぶ。
シリアスな場面のはずなのに、この人の語尾のおかげで気が抜ける。
と思ったが、盗賊の動きは敵ながら素晴らしかった。
近づくことができないと判断すると、弓矢やクロスボウを手にしはじめた。
まぁ、エルドラド卿なら弾き飛ばしそうだけどな。
びゅん
放たれた矢が俺の目の前を通過する。
危ないだろ、頭に当たってたら死んでたぞ、本当に。
てか、こんな至近距離で矢が放たれたら速すぎて、エルドラドのおっさんでも防ぐのは無理だ。
「ちょうど、ハワン(『白い月』のこと)も出てきたし、映えるんじゃないかぁ。」
槍を肩に担いだエルドラド卿に悟った様子はない。
それどころか、彼が背にしている満月に近い白い月が、いつもよりも輝いて見えた。
しかし、その月は一瞬、人影によって隠される。
バンッ ババンッ
大きな音が湖岸に鳴り響く。
それと同時に盗賊達が手にしてた武器が壊れていく。
「ポラリスが平和主義で良かったな。命令が無かったら遠慮なく胸を打ち抜いていたぜ。」
紫のドレスを身にまとった少女が、戦場の中心地に舞い降りる。
彼女の両手には、銃が握られていた。
しかも、筒がわりと長めの。
こ、この世界に銃なんてあったのか!?
いや、そもそもどんな武器があるか知らないけど。
ただ、そんなことよりも衝撃的な事実に、俺は驚いていた。
「スピカ、お前が撃ったのか?」
「そうだよ。惚れ直してもらって構わないぜ。」
彼女は銃口に息を吹きかけた後、俺にウインクする。
確かにほれぼれはするけど、今はスピカが銃使いってことに驚いている。
てか、俺スピカにほれたことあったか?
「イヒヒヒ。パンツ見せながら宙を舞っている姿に、俺様は惚れ惚れすると同時に感心してるぜ。なんてったって、それだけで敵の注意を引き付けてくれてるからなぁ。」
「…。死にたくなかったら口を噤みな、エルドラド卿。それとも、僕を娼婦扱いするとどうなるか教えてやってもいいぜ。」
銃口をエルドラド卿のあごに当てるスピカ。
彼女の方が背が低いため、自然とあごの下側から頭の頂点が一直線になる角度に銃は構えられている。
それに、無表情であることからも、スピカがどれだけ怒っているかが分かる。
とても、毎日俺にパンツを見せている人の行動とは思えないな。
俺も気を付けないと、命が危ないのか。
緊迫した空気のなか、エルドラド卿はいつものように奇妙な笑顔で話す。
「わりぃな。ただ、敵は崇高な者を見る目をしてるけどなぁ。」
確かに盗賊達の目つきが変わった。
しかし、かれらは恐怖に直面した表情ではない。
まるで、どん底にいた人々に、光が当てられた瞬間を目撃した感じだ。
「め、女神が地上に参られた、っぜー。」
盗賊の頭、ブラキウムはバンダナを取りながら、スピカの前に現れる。
そのまま片膝をつき、手を差し出す。
「強くて、美しくて、そして何より少女。おれたちが探していた女神に会えるとは、もう感激だっぜー。」
「
「いや、実はここが天国なのかもしれないでっせ。」
お頭どころか、部下まで感極まって泣いている。
「げー、まさかのロリコン! 言っとくけどボク今年で十四だからな、対象外だろ。」
「そんなことないっぜー。つるぺたな子供でもなく、馬車に乗っているような成長しきったおばさんでもなく、成長中のあなたぐらいがおれたちの理想だっぜー。」
「わ、私は十八だよ。おばさん扱いしないで。」
ポラリスが顔を赤めているけど、これは珍しく怒っているのか?
確かに、十八でおばさん扱いはなぁ。
俺だって十七だけど、おじさん扱いされたくないし。
そういえば、俺はエルドラド卿をおっさん扱いしてるけど、実際どのくらいの年齢なんだ?
まだ二十代だったら、失礼極まりないな、俺。
そんなことを考えている間にも、盗賊はスピカに詰め寄っている。
「ボクっ娘ってのも、胸が躍るっぜー。どうかおれを踏みつけながら、お仕置き、いや、ご命令を、だっぜー。」
「ロリコンに加えて、ドMだぜ!? もう、引くわーってレベル通り越して、恐怖しか感じないぜ…。」
「あぁ、その表情もそそるっぜー。野郎ども、おれは決めたっぜー。この方に一生ついて行くっぜー。」
「ついてくるなぁ!」
「最高ぅ、だっぜー。」
怒りに身をまかせ、スピカはブラキウムの顔を蹴っ飛ばす。
そのまま頭さんは鼻血を出しながら倒れたが、怪我をして出した鼻血だよな?
スピカに蹴られた喜びのあまりに、ってことはないよな!
「さすが頭…。そんなご褒美をもらえるとは…。おれたちもお願いしやす。」
「わわわ、だからついてくるなって言ってるんだぜ。なんでこうなるんだよぉ。」
盗賊から逃げようと走り出すスピカ。
しかし、彼らも捕まえようと、必死に食らいつく。
「イヒヒヒヒ。そろそろ助けるかぁ。」
「そうだね。到着も遅くなると困るし。」
エルドラド卿の努力の結果、騒ぎは落ち着いたが、ドゥーベに到着が一時間遅れることになった。
カツ カツ カツ
著名な画家が描いた絵画が飾られた廊下を、パイプ煙草をくわえた男が歩く。
お目当ての部屋にたどり着くと、呼びベルならぬ、呼び踏み箱を鳴らして部屋に入る。
「よぉ、よく眠れたか? それとも二人で一心不乱に夜の営みを楽しんでたかぁ?」
「そんなこと、したように見えるか?」
不愉快なほどハイテンションの来訪者、エルドラド卿に俺、金原春希は答える。
「その様子だと、振られたようだなぁ。」
「そもそも、告白も交際もしてないけどな。」
ベッドで寝ることが許されず、床で寒い思いをしながら夜を明かした俺に、彼は哀れそうな目を向ける。
確かに、酷い目には遭ってるけどな。
状況を説明しよう。
ここは王都、ドゥーベにある城の一室だ。
昨日の夜、盗賊をエルドラド卿が倒した後、逃げるようにしてこの城まで来た。
到着した時間が深夜だったこともあり、みな部屋で寝ることにした。
この部屋はスピカの父親が生前使っていた部屋で、現在は子である彼女がこの町に来た時に使っている。
部屋は高級そうな家具がそろえられているが、全部一人用。
そのため、スピカと同室で過ごす俺には布団すら与えられない。
それなら、俺が一人で使える部屋を借りれば良かったのだろうが、今は客用にとってある部屋が埋まっていて使えないらしい。
そこで誰かと相部屋にしてもらうことになったんだが、王の娘であるポラリスも卿の階級であるエルドラド卿も、部屋に客人の位を得ている俺を入れることが禁止されている。
そこで、スピカの部屋に来たわけだがこの様である。
「まっ、もうそろそろアルカイドと面会の時間だ。従者である俺様やスピカが不在ではポラリスの沽券にかかわるもんでなぁ。そいつを起こして、応接間に来てくれ。起こし方はもちろんキスで頼むぜぇ。」
「スピカが起きてたら、ヤジが飛んでくる起こし方だな。」
「イヒヒ。よろしく。」
手を挙げて部屋を出ていくエルドラド卿。
俺は仕方ないかと言いながら、スピカを起こしにかかる。
しかし、昨日の騒ぎもあって疲れたのか、なかなか起きない。
揺すっても摩っても、起きる気配がしない。
まいったなぁ、でも夜更かしした次の日は寝坊したい気持ちは分かるんだよなぁ。
それに寝顔も可愛いし。
いつも俺と勉強している時間以外は、掃除や洗濯に料理と動きっぱなしだから、こうしておとなしい姿を見るのは新鮮だ。
目を閉じてるとまつげが長いのもよく分かるしって…、こいつ目、半開きじゃん。
ってことは起きてるな。
こうなったらあれを使うか。
「起きろ、スピカ。昨日のロリコン盗賊団が、お前を探しに来たぞ。」
「えっ、銃を取って、春希。今日は仕留めてやるぜ。」
彼女は昨日のいざこざの場を思い出したのか、すぐに跳ね起きた。
寝ぐせの付いた紫の髪に、しわだらけの服装を見ると昨日の面影はないが。
「あれ、春希。盗賊は?」
「嘘だけど…。仮に本当だとしても、この城は警護も使用人も多いから、ここまで来ることはないと思うけど。」
「…。」
恥ずかしくなったのかスピカはうつむく。
しかし、ベッドの上で立っている彼女の顔は、下にいる俺からだと丸見えだ。
めちゃくちゃ赤くなっている。
「まぁ、さっきエルドラド卿が応接間に来いって言ってたから、行こう。王様と会う時間らしいし。」
「えっ、もうそんな時間!? 髪は梳いてないし、服はクシャクシャだし…。春希、着替えるから手伝って。」
「分かった。って、普通部屋から出ていってじゃないのか!」
勢いで頷いてしまったが、とんでもないこと言いだしてるぞ、ボクっ娘。
「大丈夫。ボクが着替えてる間に、春希はボクの髪を梳いて。」
「女の子の着替え中に、男がいることが問題だろ。」
「女の子は美しさのために、時には恥をも捨てるんだぜ。」
「美しさのために、恥を持っとけよ。」
と言ってる間にもスピカは服を脱ぎだしたから、もうしょうがない。
俺は紫の髪の毛だけに集中することにした。
五分後、俺とスピカは豪華な内装の廊下を走りながら、応接間に向かっていた。
誇大な広さを誇る城だが、廊下は意外と暗くなってしまうようだ。
太陽の光が届かないからか。
その廊下を走っているのだから危ないと思うのだが、スピカはさらに自分の髪をツインテールに結んでいる途中なのだから余計に気が気でない。
建物の中を移動しているだけなのに、こんなにも走るのかと思った頃に応接間に着く。
パッフとマンズルームの城とは違う音の呼び踏み箱を、スピカが踏み入室する。
「ウルサ家伯位、ポラリス姫付き人、スピカ・ヴィルゴ、遅れてですが到着いたしました。」
スピカはスカートの裾を摘み、軽くお辞儀をする。
「そして、こちらは我が父と同郷出身の春希・金原です。現在はポラリス姫が客人として迎えております。」
ボクっ娘が敬語連発で俺の紹介をする。
俺は驚きながらもよろしくお願いしますと言って、頭を下げる。
「時間は間に合ってるから気にしなくていいよ、スピカ。春希も無事ここまで来れてよかった。二人ともこっちに座って。」
ポラリスは笑顔で俺達を迎えてくれた。
部屋には中央に大きめの机があって、その周りを十脚くらいの椅子が準備されている。
しかし、椅子の数は足りているはずだが立っている人の方が多い。
腰かけているのはポラリスと、向かい側に一人。
青い髪をポニーテルで結んでいる、物静かそうな女性。
服装も青系統の配色で、冷たいイメージも受ける。
露出度はポラリスくらいだから、結構身分が高い人だ。
目元が鋭いところは似てないが、それを除いたら数年前のポラリスと言われれば納得してしまいそうだ。
ってことは、彼女がポラリスの妹か。
そう考えると緊張するな。
彼女の後ろに、男の人が二人。
一人は眼鏡をかけた、白髪のおじいさん。
もう一人は筋肉質で背が高いおっさんだ。
二人も燕尾服に銀色の鎖を付けているから、エルドラド卿と同じく卿の階位を持っているのだろう。
明らかに、こちらの方が品性は感じるが。
品のない卿の持ち主はポラリスの後ろに立っている。
まぁ、お姫様二人しか座ってないのに俺が座るのも場違いなようだが、座らさせてもらうか、招かれたし。
と俺はポラリスが指した椅子に向かおうとしたが、スピカは動かなかった。
「ボ、ボクはここで侍ってますよ。皆さんがお立ちになられてるのに、座るなんて…。」
かなりあたふたしながら、スピカは断る。
それなら、俺も立ってた方がいいのか?
「え~、どうしたの、スピカ。今日はやたら改まって。いつも通りでいいよ。フェルもそう思わない?」
「…。ええ。私たちは小さい時から遊んだ仲。遠慮はいらない。客人もどうぞこちらへ、自己紹介もしたいから。」
「姫!」
フェルと呼ばれた青髪の彼女は、抑揚の小さな話し方で俺とスピカを椅子に招いた。
ただ、後ろにいる白髪の爺さんが、ものすごい嫌そうな顔してるんだけど。
座りにくい。
「じゃあ、有難く座らせてもらうぜ。」
いつもの調子に戻ったスピカはポラリスの隣に座る。
この子から遠慮取ったらいつも通りになるのか…。
大人になったら、もう少し立場をわきまえろよ。
と自分のことを棚に上げて、彼女の隣に座る。
一段落着いたと見えたのか、ポラリスが話し始める。
「改めて紹介するわ。彼が日本から来てくれた春希。今は私の家に招いているの。まだこちらに来て日が浅いから、分からないことも多いけど仲良くね。」
「よろしく、…、お願いします。」
よろしくだけで終わらせようとしたら、爺さんがにらんできた。
こわ…。
それに気づいたのか、ポラリスは爺さんに目配せをしてから青髪の少女の紹介を始める。
「彼女は私の妹、フェルカド・ウルサ。今年で十五歳だから春希がお兄さんだね。」
「改めて、よろしく…。姉さまやスピカからは『フェル』と愛称で呼ばれてる。ハルキも立場を気にせずフェルと呼んでほしい。」
一度立ち上がり、スカートを摘みお辞儀をする。
その様は洗礼されていて、スピカとは大違いだ。
身長はポラリスくらいか。
年が一つしか変わらないのに、スピカとフェルカドはどうしてこんなにも成長の差が?
「春希、失礼なこと考えてるのバレバレだぜ。背が低くて悪かったな。」
隣の少女が日本語で呟く。
それを見たフェルは控えめに苦笑いをした。
それから、彼女は白髪の爺さんの手で指した。
「次はわたしの付き人の紹介。お年を召された彼は、アルフェッカ・ボレアリス卿。父よりも早くに生まれていて、知識・経験ともに豊富。わたしもいつも助けられている。」
「アルフェッカでございます。日本からようこそ御出でなさいました。宜しくお願いいたします。」
アルフェッカ卿は手を巻き込むように深々とお辞儀をする。
「そして、もう一人。背の高い彼は、アルキバ・コルヴス卿。武芸に励んでいて、戦ではいつも功績をあげている。」
「うっす。よろしくっす。」
アルキバ卿は低い声で、野球部みたいな挨拶をした。
まぁ、二人とも挨拶から性格が出てるなぁ。
そう考えると俺はみんなからどう映ったのかぁ。
そんなことを気にしている間に、フェルは椅子に座る。
そして、目を輝かせながら俺に話しかけてくる。
最初に受けた印象とは違い、前のめりになっている。
「ハルキ、日本のことを教えて欲しい。姉さまだけ色々聞けてずるい。」
「そう言われてもなぁ。ポラリスにもそんな話したことないぜ。学校に通ってるとか。」
「学校?」
「そう。日本では一定の年齢になればみんな学校に行って、字の読み書きや計算、歴史や生き物についても勉強するな。だんだん嫌気がさすけど、今、この世界の勉強を改めてしていると行っててよかったと思うぜ。あと、休憩時間はみんなと遊んだり、給食や食堂があってご飯が食べれる。」
「わたしや姉さま、スピカみたいに位持ちではなく、万人が通えるの?」
「そうだぜ。最近はいろいろ問題がって学校にいけない子もいるけど、原則9年は通ったぜ。俺はさらに学校に行ってるけどな。」
「私も最初聞いたときはびっくりしたよ。この国だと商人が何とか出来てることを、春希たちはみんなできるって言うんだから。今度私たちの町でもやってみない?」
「それは…、面白い。万人が文字を読めるようになれば、教養が増え、芸術にも触れあえる機会が増える。ハルキの世界はもう行っていて、素晴らしい。」
「いけません、フェルカド嬢。勉強も芸術も上位階級であるからこそ触れ合えること。平民が触れあるなど、異世界人の妄言でしかありません。ポラリス嬢も、自らの立場をお考えなさい。」
…。
悪いが、俺にはフェルの時点で途中から何を言ってるか分からなかったが、爺さんの方だからアルフェッカ卿か、彼が必死に止めようとしていることは分かった。
教育は大事だと思ってそうな顔してるけど、やっぱりこの世界の常識が許さないのか。
パッフ
愉快な音が鳴り、俺達が入ってきた扉とは反対側にある扉が開く。
そして、存在が俺と、いやエルドラドや他の二人の卿とも超えた存在の男が入ってきた。
彼の背丈や体格はいたって普通。
だが、アルフェッカ卿よりも頭が切れ、アルキバ卿より武芸をたしなみ、そしてエルドラド卿よりクレイジーになれると感じた。
服装も燕尾服に金色の鎖を装飾としている。
室内でもサングラスをかけているから、目が悪いのだろうか。
しかし、それ以上に目につくのは右頬に裏返したはてなマークの傷跡だ。
「スピカ、この人だれ。」
俺はスピカに日本語でこっそり聞く。
「彼はレグレス・レオ卿。王に使える階位持ちで最も高い位が卿なんだけど、それは五人しかなれないんだぜ。その五人の中で一番偉いのがレグレス卿。だから装飾も金色を付けることが許されてるんだぜ。」
めちゃくちゃ偉い人だった。
確かに、俺の周りにいる三人の卿よりも一線を画してるように見えるわけだ。
「客人にスピカ、何を話しているのですか! 無礼極まりない。」
「構わん。それより、アルカイド王と面会の時間となった。王は危篤状態であらせたが、今日奇跡的に回復なされた。だがいつ倒れられてもおかしくないため、面会中も医者の保護下になられてしまうが、お許しいただきたい。」
「お父さんはそれほど体調が悪いの?」
「わたしも、かなり心配。」
ポラリス、フェルカド姉妹の表情は曇っている。
実の父親が危篤と言われているのだ。
笑っていられるはずがない。
「お二方にとっては、王のお姿を見るに堪えないかもしれません。昔と変わられてしまいましたから。では、どうぞ。」
レグレス卿の表情はサングラスで分かりにくかったが、切ない雰囲気だった。
それほど、王様は体が悪いのだろうか。
不安な空気のまま、レグレス卿に続きポラリス、フェルカドと順に部屋に入っていく。
当然俺はスピカと待たされる。
「ポラリス達のお父さんってどんな人なんだ?」
「この間言った通り、人を見る目は優れている人だぜ。」
「風貌を聞いてるんだけど。」
「フウボウ? えっと、見た目のことか。少し丸い顔の形をした、優しい笑顔のおじさんって感じだったぜ。これはボクの記憶の中だけど。肖像なら、そこの壁にかかっている。似てないけどな。」
とスピカは壁にかかった絵を指さす。
そこには小太りで、優しい笑顔のおじさんの絵があった。
説明通りじゃないか。
しかも、写実主義と言えばいいのか、多分見たままに描かれてると思う。
少なくとも、江戸時代の肖像画よりそっくりだと思う。
「スピカ伯、客人様、お待たせしました。どうぞ中へ。」
やっと番だぜ、とスピカが言って、俺達は王がいる部屋に入った。
先に部屋に入ってたポラリスとフェルカドはベッドのそばにいる。
エルドラド達は少し離れたところで神妙な顔つきをしている。
俺達もベッドに近づくと、そこにはやせ細って弱弱しくなった人物がいた。
「お父さん…。こんなに痩せてしまって…。」
「…。辛くて何も言えない…。」
姉妹は今にも泣きだしそうな声で呟いた。
てか、この人が二人のお父さんなのか!?
さっき肖像画で見た人と全然違うじゃん。
病気でここまで見た目が変わってしまうとは…。
俺の世界でも治るかどうか。
それくらい重篤な状況だ。
よく、こうして会える機会が作れたな。
「これこれ、娘たちよ。そう悲しむでない。人はいずれ死ぬ。わしはそれが少し早そうなだけじゃ。」
弱弱しく、細い声だったが、間違いなくベッドの上の王様、アルカイド王が話した。
「そんな縁起でもないこと言わないで、お父さん。私達にはまだ、お父さんが必要なの。」
「そうだよ、お父さん。お願いだから、死ぬなんて言わないで。」
「ふぉっふぉっふぉ。いい娘を持ったものだ。しかし、ポラリスは八年、フェルカドは五年もそれぞれの町を守ってきたのじゃろ。もうわしができることなどないのぉ。」
王様は優しい笑顔で二人に話しかける。
その顔はきっと、元気なころにも見せた笑顔なのだろう。
しかし、ポラリスは今年で十八なのに、もう八年も町を治めているのか!
「この地域では、10 歳になった王族は一つの町を任されるんだぜ。そうやって後継者を育てていくんだ。もちろんバックサポートが必要だから、ポラリスにはエルドラド、フェルにはアルフェッカとアルキバがついてるけど。」
素早くスピカが解説をしてくれる。
ありがたいことだが、雰囲気はぶち壊しだな。
「ポラリス、おぬしはこれからの時代、町を治めるために必要な思いやりが溢れんばかりとある。辛いこともあるじゃろうけど、わしの後を頼んじゃぞ。」
「そんな…。私よりも、お父さんの方が素晴らしい政治家だよ。町の人だって、お父さんの帰りを待ってるよ。」
「ふぉっふぉっふぉ。それは嬉しいことじゃの。」
王の優しい笑顔に、一粒の涙が浮かぶ。
「フェルカドよ、おぬしは一人で抱える癖があるが、周りには素晴らしい人ばかりじゃ。たまにはわがまま言って、困らせてやれ。」
「そんなことないよ…。でもわがまま言っていいなら今言う。お父さん死なないで。」
「ふぉっふぉっふぉ。困ったのう。ポラリスが国を治め、フェルカドがそれを支える。一度でいいから見てみたかったのう。」
もう自分の死期を悟っているのだろう。
俺は王の会話から、そう感じた。
まったく、無責任な人だ。
娘達がちゃんと成長した姿を見届けろよ。
「ポラリスがいるからエルドラドも来とるんじゃろ?」
「ここにいるぜぇ。まさか死にかけのお前に会えるとはなぁ。」
「まったくじゃ。もう一度、昔みたいにおぬしと町に出て、騒ぎを起こしたいと思っていたんじゃが。その夢も叶わぬようじゃ。」
「夢は叶えるためにあるって言ったのはてめえだろ。勝手に諦めるんじゃねぇぜ。」
「ふぉっふぉっふぉ。ポラリスとこの国のこと、頼んじゃよ。」
「そんなのポラリスが生まれた時からやってるんだが。いまさら言われてもなぁ。」
そうじゃの、と言って王は一度せき込む。
しかし、王様とエルドラドは昔、一緒にやんちゃやってたのか。
驚きだ。
「アルフェッカもおるんじゃろ。」
「はい。小生はこちらにいます。」
「おぬしには父の代から世話になってるのお。フェルもこんなに綺麗に成長したのも、おぬしのおかげじゃな。」
「もったいないお言葉です。」
「一つ気がかりなのは、ポラリスを跡継ぎにするのを反対してることじゃ。今再び、この地に戦いが持ち込まれようとしてるのは話に聞いている。あの子は優しくて戦場を嫌うが、大きな戦が終われば平和な時代が来る。その時に女王としてふさわしいのは彼女じゃ。分かってくれ。」
「…。王の仰せの通りです。」
なんか、歯切れの悪い返事だな。
「アルキバもおるの。」
「ここに。」
「武芸の腕は認めるが、おぬしは頭がちくと弱い。もっと勉強するのじゃな。」
「御意。」
頭が悪いと、死に目にも心配されるのか…。
「奥にいるのはスピカと、客人か?」
王は急にこちらに話を振る。
まじか。
俺に関しては話すこともないだろうに。
「ボクの隣にいるのはなんと日本から来た来訪者だぜ。一週間前に来たけど、自己紹介はできるぜ。ほら、春希、自己紹介。」
「ああ、俺は金原春希です。今はポラリスさんの城でお世話になってます。」
コスムルグ語難しいけど、勉強はしたからな。
日本語を直訳したから多分合ってるはず。
「ふぉっふぉっふぉ。ハルキと言うのか。近くに来てくれぬか。お主の顔を見たいからのお。」
皆に見守られる中、スピカとともにベッドにいる王の隣に行く。
王はじっくり俺を観察して、あの優しい笑顔になる。
「おぬしもフェルに似たところがありそうじゃのう。自分の直感を信じて欲しいのう。」
ネイティブと会話できるほど俺はコスムルグ語を習得できていない。
だから、スピカが通訳してくれる。
タイムラグが発生するが、無理して一人で話そうとするよりはましだろう。
「俺が、フェルに似ている?」
「ふぉっふぉっふぉ。死にかけの戯言じゃ。おぬしに頼むのもおかしいかもしれぬが、これも何かの縁じゃ。ポラリスとフェルカド、そしてこの国の力になって欲しいのじゃ。」
「俺はなにもできないけど。」
「隣にいるだけで、心強いものじゃ。ふぉっふぉっふぉ。」
咳をしたりはするが、この笑顔を見てるととても死期が近い人とは思えない。
「スピカには苦労をかけたのう。父親から二代続けての功績を考えたら、卿にしたかったんじゃが…。わしの代でできんのが無念じゃ。」
「ボクは…、何もしてないぜ。全部お父さんの功績だ。それにどんな階位でも、ポラリスを守ることはできる。そんなことを気にしなくていいぜ。」
「ふぉっふぉっふぉ。わんぱくっ子だったおぬしに、慰められるとわのお。ふぉっふぉっふぉ、ゴホ、ゴホゴホゴホ。」
「王! 医者よ、早く見て下され。」
咳こんだ王に、レグレス卿が駆け寄る。
やっぱり王様は無理をしていたのか、面会はこれで終わった。
部屋を追い出されるように、俺達は部屋を出た。
そのあとは各々の部屋に戻ったのだが、アルフェッカ卿に睨まれた。
俺、何かしただろうか?
まぁ、出身が異世界でどんな人間か分からない人物が王に会ったんだ。
向こうからすれば、それだけで気分が悪いのかもしれない。
スピカの部屋に戻った俺とスピカは、無言であった。
スピカにとって、王様は恩人みたいなものだろう。
その人があんなに弱ってる姿を見せられたら、落ち込むだろう。
だが、俺は彼女にかけれる言葉が思いつかない。
何もできない悔しさも込み上げたが、それ以上にもどかしさに苛立った。
「フフフフ。なんだよ、春希。こんな時に変な顔するなよ。笑いが止まらないじゃん。」
「えっ、俺そんな変な顔してたか?」
「してたぜ。まだしてるから、鏡持ってこようか?」
「いや、やめてくれ。…。悪いな、何もできなくて。」
「もしかして、自分に何ができるか考えていたのか? 短い付き合いだけど、春希がそんなに器用じゃないことは分かってるぜ。」
「そうはっきり言われると、泣きたくなるなぁ。」
「じゃぁ、ボクが一つ仕事をプレゼントするぜ。」
そういった彼女は俺を立たせ、俺の背中に抱きついてきた。
「こっち、向くんじゃないぜ。」
いつものように、強気のセリフを語った彼女は、泣き出した。
顔を見る事は出来ないが、たぶん大粒の涙を流しているのだろう。
何もできねえなぁ。
スピカにも、ポラリスにも。
俺は天井を見つめてるしかなかった。
ダダダダダダ
著名な画家が描いた絵画が飾られた廊下を、紫の髪を揺らしながら彼女は走る。
客間に着くと、呼びベルならぬ呼び踏み箱を鳴らさず部屋に入る。
俺は勝手に入っていいのかと聞いたが、彼女の耳には届いてなかったようだ。
そのまま、王の寝室があった部屋に突入する。
部屋に従者はおらず、レグレス卿が一人立っていた。
「! スピカ、ハルキ殿、お聞きになられましたか。」
「ああ、昼間は普通に会話したのにな。死んだって聞いても信じられないから、この目で確認しに来たぜ。」
厳しい表情を見せるスピカは、そのままベッドに近づいた。
ベッドには横たわっているアルカイド王と、そばで泣いているフェルカドがいた。
…、本当に死んだのか?
俺は王様を見て思った。
ただ寝ているだけじゃないかとも。
王の訃報は太陽が沈んで、しばらくしたころ届いた。
昼間に会ったときは棺桶に片足突っ込んでいる状態ではあったが、普通にしゃべってたし、わずか数時間後に死ぬなんて思っていなかった。
最期に娘に会いたかったから、まさしく命がけで頑張ったんだろうか。
「王、また来てやったぜ。昼はいろいろ言いそびれたからな。ボクは感謝してるんだぜ。右も左も分からないお父さんを取り立てるだけでなく、娘であるボクにも優しくしてくれて。ありがとうって伝えたかったんだ。なのに、なんで聞かないで、死んじゃうんだよぉ。」
…、残念ながらコスムルグ語があやふやな俺には、彼女が何を言っているのか全てわからない。
それでも、泣いていることだけは分かる。
「おいおい、死んじまったってのは、本当かぁ。」
「まさか、今日崩御とは。レグレス卿、事実なのですか。」
「…、仰天っす。」
エルドラド、アルフェッカ、アルキバの三卿も部屋に来る。
アルフェッカとアルキバの名前は『アル』から始まるから、どっちがどっちかややこしいんだよなぁ。
まぁ、そんなこと今はどうでもいい。
三人も亡くなった王を見て、愕然とする。
普段奇妙な笑顔のエルドラド卿が、これでもかと言うほど絶望した顔をしている。
学校のテストで赤点取ったクラスメートもこんな顔してたが、エルドラド卿の絶望と比べたら赤点なんて可愛いもんだ。
次テストが受ける機会があって、赤点取ったとしてもこの顔はならないようにしないといけないな。
と俺は心の中で、どうでもいいことばっかり考えている。
誰かの死とは、悲しい出来事だが、会って数言を話しただけの人にそこまで情がわくものでもない。
ただ、俺が冷たいだけかもしれない。
卿の階位を持つ大の大人ですら泣いている状況なのに、俺はただ、みんなを見ていることしかできなかった。
「お父さん!」
大声とともに、緑色の髪をした姫が部屋に入ってくる。
息を荒げているポラリスは、スカートがめくれることも気にせず大股で歩く。
ベッドにたどり着いた彼女は、眠るように横たわっている王を見つめる。
「お父さん?」
優しい呼びかけに、ベッドの死者は答えることはない。
「お父さん…、なんで…。昼間はあんなに笑っていたのに…。」
呟くように言葉を出すも、泣き崩れるポラリス。
フェルと並んだこの光景に、家族以外の者が入り込む余地はない。
ただ、この人は王の最期を看取ったのだろう。
レグルス卿は二人に話しかける。
「実は、王は医者からあと一年の命と三年前から言われていたのです。しかし、おふた方に心配されたくないと気を張り、ここまで存命になられた。しかし、その効果も限界を迎えられた。三日前に倒れられたので、御手紙を出したのだが…。」
彼のサングラスに隠された眼は、涙がたまっていた。
「ただ、アルカイド王は最期までお二人のことと、この国のことを案じていました。お二人が仲違えなさらないかと…。」
「お父さん…。」
ポラリスが呟く。
「お父さん、大丈夫だよ。私とフェルは仲良しだから…。心配しないで。」
彼女は妹の肩にそっと手をのせる。
しかし、その手をフェルは、フェルカド・ウルサは薙ぎ払った。
「フェル…?」
緑の女王は戸惑った。
青の女王が彼女をにらみつけていたからだ。
「姉さまの、姉さまのせいで、お父さんは死んだ。」
「フェル、何言ってるの? なんで私がお父さんを…。」
「姉さまは恐れていた、お父さんがわたしが次期王に任命すると言い出すことを。だから、暗殺者のハルキを客人として迎え、三年前から準備していた。」
「それ以上続けると、お姉ちゃんも怒るよ。」
剣幕の表情で二人は見つめ合う。
「おいおい、フェルカド嬢。言いがかりも甚だしい限りだぜぇ。自分の親を殺したがる娘が、どこにいるって言うんだぁ。」
エルドラド卿が脅すように声色を変える。
間延びした感じはいつもと同じなのに、言葉の一つ一つに殺気がこもっている。
「いえいえ、あくまで憶測に域ですが、フェルカド嬢が言ってることは一理あります。」
アルフェッカ卿がエルドラド卿をにらみつけながら話す。
よく話す白髪の爺さんが、アルフェッカ卿。
よし、覚ええた。
「王の地位になれるなら、何をしてでもと考える人などいるはずです。それに、客人の現れたタイミングはあまりにも良すぎる。三年前から毒物を王に飲ませていたが、想像以上に長く存命であったために直接手を下したと考えられます。」
「あぁ? てめぇは俺様たちの計画でアルカイドを殺したと言いてえのか!?」
「事実かどうかは重要でないのです。ただ、疑わしき人物がいるだけで、民は脅え、宮中は疑心暗鬼となり、ウルサ家は滅亡を迎えます。」
感情的になっているエルドラド卿に対し、アルフェッカ卿は淡々と言葉を返す。
スピカが通訳してくれてるから、俺も会話の内容は分かるが、途中途中で彼女の意見が入るからややこしい。
「火のない所に煙は立たぬと言いますが、今回は証拠もないので見逃しましょう。ただ、疑わしき人物、ハルキ・キンバルのお命と引き換えに、ですが。」
「ふざけるな、なんで春希の責任になるんだ。彼は一週間前にボクらの前に現れた。それだけでハルキが暗殺者じゃないって証拠になるぜ、違うか。」
スピカが通訳をやめ叫ぶ。
相当鬱憤が溜まっていたようで、白髪の爺さんに噛みつく勢いだ。
「ですから、事実かどうかは重要ではないと申したはずですよ。」
アルフェッカ卿はスピカを、そして俺をにらみつける。
「アル、もういい。わたしがここでケリをつける。アル、ルーウエンを。」
「うすっ。」
立ち上がったフェルカドはアルキバ卿に何かをとるように命令する。
おいおい、アルフェッカ卿もアルキバ卿も、よく『アル』と呼び名で自分かもう一人か判断がつくな。
ってそんなことを考えている場合ではない。
フェルは青の宝石が付いた杖を受け取り、バトンのように扱う。
近寄る彼女に、表情はない。
ただ、冷たい視線だけが俺に向けられている。
もしかしてそれで俺を殺すつもりか!?
死刑執行みたいな雰囲気だが、俺殴り殺されるのか!
普通剣で打ち首とかだろ。
約束と違う。
「ちょっと、フェル、落ち着こうぜ。ボクもお父さんが死んだときは取り乱したけど、誰かを傷つけようとは思わなかったぜ。」
「どいて、スピカ。彼はお父さんの仇、必ずわたしの手で…。」
スピカの制止も虚しく、フェルは俺に襲いかかる。
しかし、その攻撃を受け止めた人物がいた。
緑の宝石を付けた杖で俺を、そして彼女自身の身を守っている。
「ポラリス!」
「! 姉さま、邪魔しないで。」
ポラリスは珍しく怒っているのか、目に力が入っている。
その顔はまるで、フェルカドだった。
こうしてみると、二人はやっぱり姉妹なんだなぁ。
と納得しているあいだに、ポラリスがとんでもないことを言い出していた。
「フェル、あなたの考えは全部間違ってるわ。私は王になれないことを恐れてないし、ハルキが暗殺者だなんてもってのほか。それでも、彼を殺したいなら、戦場で決着をつけましょう。私は命を懸けてでも彼を守るわ。あなたはどう、命を懸けれる?」
まじか!
戦争するのか、ポラリス。
お前争いごとは嫌いじゃなかったのか?
「姉さま、わたしたちに二言は許されないわ。今の言葉、宣戦布告と受け取るけど、構わない?」
「フェルも優しいわね、聞き返してくれるんだから。いいわよ、次は戦場で会いましょう。」
「分かった。」
フェルカドは攻撃をやめ、二人の卿に命令をする。
戦の準備をせよ、と。
そのまま二人を引き連れて、部屋を後にした。
ばたんと扉が閉まると、ポラリスはへなへなと座り込んだ。
「どうしよう。戦うことになっちゃった…。」
「ポラリスが言い出したことだぜ。ボクらはその指示に従うしかない。」
「久しぶりに大暴れできると思えば、腕がなるなぁ。」
彼女の付き人は、意外と乗り気である。
しかし、この戦いは俺がいたことによって起こったと言っても過言ではない。
てか、俺のせいだろう。
「すまない、ポラリス。俺のせいで戦うことになるなんて…。」
「春希は気にしないで。たぶん、アルフェッカの企みでフェルが動いただけだから。彼はフェルを次の王にしたいから、戦いを持ち出すようなひどいこと言ったのよ。」
「だったら、まんまとその作戦にのってるじゃないか!」
「うん。でもいいの。ハルキを悪く言った妹にはお仕置きしないとね。」
彼女は笑顔だった。
心の内では泣いているけど、それでも無理して笑っているような笑顔だった。
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