第28話 死は認められた

 矢磯は、おおざっぱな方向感覚から西へ車を走らせている。東と南は山を降りることになるから論外だし、北は町内を貫く広い県道にでてしまう。そこは警察が手ぐすねひいて待っている。うまい具合に、森林鉄道は町の西端に敷かれていた。

 当然ながら、この道にも警察は張りこんでいる。ただし、押さえるなら町境だろう。人質がいると警察が認識しているならともかく、矢磯がそうなっているとはまだ知られてない。暗いうちに人手を浪費して大間らを探しまわるのは非能率だ。よしんば今晩中に捕まらなくとも、夜明けと同時に町境から町の中心へとむかって捜索を絞りこんでいけばいい。どのみち袋のネズミだ。

 矢磯は警察の方針をそう推察していた。逆にいえば、適切な隠れ家さえあれば今晩はしのげる。むしろ、稼いだ時間をどう使うかが重要だった。

 ともかく町の明かりから遠ざかり、闇が深くなっていくのは、大間らにしても安心できるはずだ。

「れみ、俺だって殺したくて殺したんじゃないからな」

 最初に口を開いたのは、大間だった。

「れみ?」

 矢磯は本気で首をひねった。

「お前じゃない」

「礼儀の礼に、美しいで礼美れみです」

 社長令嬢の名前が、ついに判明した。和辻礼美。

「お前もいちいち解説するな」

 大間は礼美の解説そのものよりも、自分が話しかけているのを差しおいて、他人へ気をつかったことに腹をたてているようだった。それも、自分が使役している男に。

「ごめんなさい」

 矢磯には、恐縮というより恐怖をにじませた謝罪と聞こえた。

「そういうところがダメなんだよ。とにかく、赤楠は前に話した元カノだ。ヤンデレってやつさ。病的な束縛魔だったぜ」

 それはお前だ、といいたくなるのを、矢磯はどうにか抑えた。

 もっとも、赤楠が病的な一面を持っていたのは矢磯も感じとってはいた。隙あらば一服もろうというのが丸わかりだった。どんな作用があったにせよ、やった時点で大間まで本当におしまいになる。あるいは、間接的な無理心中のつもりで矢磯を利用したかったのだろうか。

「うん……」

「俺が養殖場にいたのを、どうやって知ったのかはわからん。まあ、ストーカーをやってたんだろうな。警察にもあることないこと吹聴してたんだよ」

「うん……」

「だから、あいつと同時に警察がきたんだ。俺も、包丁が手元にあったせいで反射的にやっちまった。けどあれは正当防衛だ。お前もそう証言するだろ?」

「もちろんだよ」

 礼美の答えかたが、はっきりとかわった。大間が有罪になったら、礼美まで共犯になりかねない。だから、どのみち必死に弁護せねばならない。

 その意味では、礼美は赤楠よりはまっとうな見識があるようだ。いや、たんなる世間知らずで、はっきりした判断のつかないまま流されているだけかもしれない。

「よくあんな短時間で、養殖場を脱出できたな」

 矢磯はするりと会話に滑りこんだ。

「へっ、俺はそこらのマヌケじゃないからな。礼美の親父、養殖プールのカスを貯めとく倉庫を地下にこしらえてたんだ。礼美から聞いたとき、使えると思ったね」

「カス?」

「食べ残しの餌とか、フンとか、そんなの。あとで濃縮して、肥料かなにかにするつもりだったらしい」

「商売上手じゃないか」

 矢磯はそつなく合いの手をいれた。

「で、地上からカスを吸いあげるための大きな穴が倉庫の天井にあるんだ。パッと見じゃわからねぇし、事務所から倉庫へはそのまま降りられる」

 和辻社長……奏太が生きていたら、実業家としての手腕で町は繁栄しただろう。その元手は、勤務先から奪った金。たとえ合法であっても、地野の息子のように、不満を抱く人間も大勢できるのも予測できる。

 きれいごとだけでは金は回ってこないという、陳腐なほど正確な真理を掴みかけたところで、彼の人生は終わった。尊敬すべきか軽蔑すべきか、矢磯はにわかには判別できなかった。

「警察は大失態だ」

「あんなやつら、どうせなにもできやしねぇって。ところで、どこにむかってるんだ?」

「森林鉄道だ。とうに使われてないが、地図にないトンネルがある。そこに車ごと隠れる」

「そうかい。なら早めに頼むぜ」

 大間は、思わせぶりに右手で包丁をもてあそんだ。

 ああした観光資源は、看板かなにかをたててあるのが常だ。看板をたてただけで、放置されていることも少なくない。そうした可能性に賭けた、荒削りな方針ではあった。うまくいくかどうかはぶっつけ本番でたしかめるしかない。

 ぶっつけ本番といえば、大間は最終的に奏太をどうしたのか。逃げられそうだという希望と、追われる身に変化はないという絶望で、大間はやたらに饒舌じょうぜつになっているようだ。この心理状態ならば、つけいる隙が……。

「森林鉄道のトンネルくらい、町役場の職員ならすぐに思いつくよ」

 礼美の一言は、ここでもっとも聞きたくない事実だった。大間と矢磯で、聞きたくない理由はまるで異なるのだが。

「黙ってろ、クソバカ!」

 顔だけうしろをむいて、大間は礼美を怒鳴りつけた。

「す、すみません……許してください……」

 礼美が両手で頭を抱えるのが、バックミラーでわかった。

「だったら黙ってろ! だいたい、ろくに役にたってないクセにくだらないことばっかりいいやがって、そんなに俺の足を引っぱりたいのかよ!」

「すみません……すみません……」

 無力無抵抗な人間を大声で恫喝するのも最低だ。だいいち、こうなったのも大間が結婚詐欺だの着服だのをやらかしたせいだ。彼の激怒は、責任転嫁としかいいようがない。

「こんな状況じゃなけりゃ、しつけをほどこしてやるところだ。それだけは勘弁してやる。いまはな」

「すみません……すみません……すみません……」

 消えいりそうな声で、礼美は何度も繰りかえした。

「おい、森林鉄道のトンネルはバレやしないんだろうな? 本当に大丈夫か?」

 さっきまでの虚勢はどこへやら、大間は矢磯に矛先をかえた。

「町役場の人間なんて、だいたいが警察と仲が悪いものだ。町の人間が殺されたんならまだしも、そうでなければ積極的には協力しないだろう」

 ハッタリである。新聞記者という勘ちがいを最大限に活用するしかない。

「そ、そうか……なら、いいんだ」

 急に大間がトーンダウンした。

「そういえば、和辻社長は元気か?」

「いや……ああ、元気だ」

 下手な取りつくろいが、すべてを暗示していた。

「俺が取材したときは出張中だって聞いたんだが、昨日、本人から電話があってな。養殖場は礼美さんに任せてあるから心配ないってことだった」

「そんなこと、あるわけねぇだろ!」

 あるわけない。矢磯としては、もっともっと苛ついてほしい。

「あるわけない……? どうして?」

「そ、そりゃあ、さっきのやりとりでわかっただろ。こいつは電話番さえできねぇような役たたずなんだ」

「礼美さんは、お見合いする予定だとも聞いたが……」

「はぁっ!? だから、あるわけねぇって!」

「社長から……」

「お前と話をしたのが誰だか知らねぇけど、社長はもういないんだよ!」

 単調なエンジンの音が、一同の沈黙にそって十数秒響いては消えた。

「もういないということは、死んだのか? じゃあ、俺は誰と話をしたんだ?」

「知らねぇ。こっちが聞きたいくらいだぜ」

「とにかく、社長は死んだのか?」

「ああ。死んだ」

 投げやりに、大間は認めた。

「元気なんじゃなかったのか?」

「あ、あれは……礼美が傷つかないようにしたかっただけだ。お前が俺の気づかいを台なしにしたんだ!」

 自分の失敗を他人のせいにするときにだけ力強い大間。

「それはすまなかった。なら、あんただけが社長の死を知っていたのか」

「そうだ」

「誰が社長のふりをしていたのかは、あとでつきとめるとして。礼美さん、お悔やみを申しあげます」

「はい、どうも」

 そっけないどこらか、冷淡とすら思える返事だった。

「で、死因は交通事故かなにかなのか?」

「病気」

 大間はぶすっと答えた。

「養殖場で亡くなったのか?」

「じ、自宅で」

「そもそもあんたは、どうして養殖場にはいることができたんだ?」

 脅されているはずの矢磯が、逆に大間を追いつめている。スマホの録音機能を使ってないのが、じつに惜しい。隠れ家を見つけられたら、そうした転機もあるだろう。

「俺が礼美の婚約者だからだよ。社長……ていうか、親父さんからも許可をもらった」

「そうだったのか。知らなかった」

 どうせ結婚詐欺の一貫なのだろうが、むろん、ここでは伏せておく。

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