第29話 喉の潤しかた

 大間が奏太の死を知っていると認めたこと、礼美は父と不仲極まること。これらは重大極まる暴露だ。あとは、大間が奏太の死にどうかかわるのか、具体的かつ時系列の整理された事実。これは、なにがなんでも録音せねばならない。

 警察はおろか、民家一軒ない山の中を車は進んだ。

「ちっ、電波がこなくなった」

 自分のスマホをだした大間は、いまいましげにポケットにもどした。

「ラジオぐらいつけろよ」

 大間に命令され、矢磯は運転しながらカーラジオのスイッチをいれた。ついでに、カーラジオと一体化している時計で時刻を知った。午前三時五分。

 ラジオからは、周波数をどういじってもなんの反応もなかった。

「やってらんねぇな。トンネルまであとどのくらいだよ」

「もうすぐだ。寝てたらどうだ」

「こんなときにグーグー寝られるわけないだろ」

 大間の不満にもうんざりしかけたとき、カビとシミに覆われた看板が山肌に設けてあるのが見えた。白地に『黒銀森林鉄道跡地』と黒書きしてある。看板にはまた、こどもが喜びそうなデフォルメされた鉄道のイラストが大きく描かれていた。機関車が、丸太を満載した無蓋貨車を牽引している。

 心配していた割には、意外なほどあっけなくトンネルにさしかかった。廃線とはいえ鉄道用であるから、道路と並行する形になる。普通車ならぎりぎりだが、軽四ならゆうゆう出入り可能だ。

「ついた」

「よし。車をトンネルに隠せ」

 わかりきったことをいちいちしきるのも、大間の悪癖の一つだろう。矢磯は口を閉じたまま実行したが、頭のなかでは全速力で方針を練っていた。

 とりあえず、大間の信用を最低限は維持できた。これは絶対条件で、達成するのがあたりまえ。

 大間としては、隠れ家ができて気が緩めば、自分がリーダーなのを誇示したくなってくるだろう。

 最後の砦……奏太の死にまつわる直接の動機と手段、実行直後の行動……を語らせるのは、簡単なようで難しい。

 赤楠については、殺意がないのにやむをえず死なせてしまったという大間の主張があった。それ自体は、矢磯も否定しない。本当に殺す気なら、音信不通になったりしない。赤楠がああまで暴走するとは、矢磯も想像できなかった。

 大間が意図的に奏太を殺したのなら、巻きこまれた第三者……大間からすればそうなる……の矢磯に喋るようなまねはしない。

 考えつつも、矢磯は車庫入れの要領で車をバックさせながらトンネルに隠した。なるべく中間地点にしておいたが、どちらがわの端からだろうと簡単には見つからないようにするためだ。

「丸一日待てば、警戒は緩む。そのとき町外へでればいい」

「一日か。どうやって時間潰すかな」

 大間が喜びそうな娯楽などあるわけない。強いていえば礼美と恋人ごっこをするくらいだが、まさに矢磯が邪魔だ。

 そう。隠れ家と車をもたらしたことで、矢磯の安全は危うくなっている。なんなら彼を殺し、車を奪うということもありえる。

 予防するには、作業をさせて気をそらせるしかない。

「食料は、買いだめしたチョコレートの残りがある。水が必要だ」

「自販機も水道もないのにどうするんだ」

 大間は口を尖らせた。

「谷川でも探して汲んでくるしかない。容器は、お茶のペットボトルがある」

「人数分あるのか?」

「いや、一本だけだ」

「おいおい、お前と間接キス? やめてくれ」

「じゃあ、捨てられたのを拾ってくるしかないな」

「お前がそれ使え」

「間接キスはいやなんじゃないのか?」

「洗えばいいし。ゴミよりまし」

「それならそれでいい。暗いうちにすませよう。明かりはスマホのライトがある」

「パトカーに見つかったらどうする」

「正面は俺が見張る。山なら光を遮る障害物がいくらでもある。うしろは耳でエンジン音を用心するしかないが、こだまが響くからすぐ聞こえる」

「ならお前、先頭。いっとくが、包丁も持っていくからな。礼美、その辺にペットボトルがあるか?」

「はい」

 礼美は両手で持って見せた。全二リットルの、まだ四分の一は残っている。

「いつ買ったんだ、これ」

「昨日」

「残りを飲んで腹壊さねぇか?」

「一日くらいなら、そうは腐らない」

「へえ。じゃあいこうぜ。礼美、ペットボトルを忘れるなよ」

「はい」

 一同は車からでた。矢磯はスマホのライトをつけた。

 トンネルは、コンクリートでできており、内壁はコケがびっしり繁殖していた。廃墟のような落書きさえないのは、矢磯からすれば不安をかきたてた。ここで殺されても簡単には発見されない。

「冷てっ」

 天井から落ちてきた水滴が、大間の首筋を叩いた。

「うわっ」

 演技で声をだし、身をすくめるふりをした。

「あ!? どうした」

「スマホの画面に水がついた」

 背後の大間に答えつつ、矢磯はスマホをぬぐうふりをして動画撮影モードを起動した。これで、声も拾える。自分の身体が衝立がわりになるから、大間からは見えない。どうせ電波は届かないのだから、大間はさほど用心しないだろう。

「さっさと案内しろよ」

 大間の横柄さは、本人の危機察知を鈍らせる効果しかなかった。

「こっちだ」

 矢磯は車をいれたのと反対側になる出入口から、線路伝いにでた。大間と礼美がつづいた。

 線路をたどっていけば、迷子にはならない。ずっと歩けば、いずれは谷川にさしかかる。そんな程度の発案だが、いたずらに山に踏みこむよりは賢明だろう。

「まるで夜逃げだな」

 線路を照らしながら、矢磯はわざと軽口を叩いた。

「へっ、俺もほとぼりを冷ますつもりで利用しかけたぜ。前金まで払ったんだからな」

 枕木を踏みしめながら、大間が答えた。

「お待ちかねの引っこしってか?」

「いや、ひっこしおいそぎだった」

「ひっこしおいそぎ?」

「ああ、ネットでそういう看板だしてた逃がし屋がいたんだ」

「夜中はやってないだろ」

「二十四時間営業のプロってうたい文句だったぜ。ま、たしかに仕事ははやかったな。すっぽかしたけど前金はだしたから文句ねぇだろ」

「前金……一万円くらいか?」

「おいおい、学生バイトじゃねぇんだぞ。一五万はかかった」

 厳密にはその八割ほどだ。

 業界では、互いの区別をつけるために、まぎらわしい手順を避けるのが暗黙の了解となっている。すなわち、矢磯に依頼する要領はほかの逃がし屋と関係ない。

 これで、大間が元顧客だと確実にわかった。しかと録音できたはず。

「それにしても、ジェントルローズはもっと従業員をかわいがるべきだった」

 もうすぐ夜明けなのを意識しつつ、矢磯は二発目の弾丸を撃った。

「かわいがるどころか、お前、従業員を人間扱いしねぇろくでなしの店だったよ」

「興奮すると方言がでるせいでか?」

「俺のは共通語だろうが!」

「ああ、意識して聞かなければな」

「俺は方言なんて使ってねぇ!」

「でも店長はいやがらせで直せっていってきたんだろ」

「そうだ、クソむかつくぜ! 俺の稼ぎでどんだけ潤ったと思ってるんだ!」

「そりゃ誰でも逃げたくなる」

「逃げただけじゃねぇ! 一泡吹かせてやった!」

 着服なのはいうまでもない。

「和辻社長に相談したらよかったじゃないか」

「そ、それは……つまらない心配かけるとまずいだろ」

「そうだな」

 ここで結論を焦るのはよくない。矢磯は知りすぎたと結論づけられたら、大間の包丁が背中をえぐるだろう。

 さらに数十分トンネルから遠ざかり、谷川を発見した。川幅は三メートルといったところで、線路はちょっとした鉄橋で川をまたいでいる。傾斜はそれほどきつくなく、負傷した矢磯でも往復は難しくなさそうだった。

「礼美、パトカーを見張ってろ。お前は俺が監視しとくから、川の水をペットボトルにつめろ」

 大間にしては妥当な人選だった。小学生でも思いつけることではあるが。

「なら、ペットボトルを渡してくれ」

 矢磯は顔だけうしろをむけた。

「はい」

 リレー競争のような格好で、礼美からペットボトルを受けとり、矢磯は線路から外れた。大間がすぐうしろについてきた。

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