第21話 『彼』の模索

 いうまでもなく、浮いた話ではない。それどころか、なにかの罠ということも大いにありえる。

 が。しかし。虎穴に入らずんば虎子を得ず。赤楠が、すでに顔を会わせた薬剤師ならば相手の職業まで判明したことになる。電話以上の収穫が期待できるだろう。こちらの面も割れるが、あくまで座興の冒険ごっこからきた負傷とすれば、真意まで見ぬかれるはずがない。

「はい、願ってもありません。場所はどちらにしましょう」

「横浜市内のファミレスでいいですか?」

「はい、どこなりと」

 赤楠は、具体的な場所を述べた。ここからなら一時間半ほどでつく。つまり、夜の十時を回る。

「かなりあとになりますが、いいですか? 二時間くらいは先になりますが」

「ええ、いいですよ」

 これまでの様子からして、矢磯はかすかな違和感を覚えた。不愉快な電話にむりやりつきあわされているといわんばかりのそっけなさが、突然きれいさっぱり消えている。

「目印になるような服の特徴を教えてください」

「モスグリーンのワンピースです」

「ありがとうございます。ちなみにこちらは青い長袖のシャツに青いデニムです。では、一度失礼します」

 長袖なら、肘の負傷を隠せる。湿布もはがして、臭いがとれるよう芳香スプレーをかけてティッシュペーパーで何度もふいておく。小細工だが、赤楠が例の薬剤師だとして、いきなりあのときの怪我人と特定されるのはなるべく避けたい。

 ともかく、約束は約束だった。赤楠がなにをたくらんでいようと、大間の新しい情報が最優先となる。

 電話を切ったあと、二通の手紙も改めて写真に撮影したうえで、大間家の宴会写真のように破ってからゴミ袋いきとした。法律事務所からの督促状は、いちいち中身など読まないまま細切れにして同じ袋に捨てた。

 あとは、先方の指定したファミレスへ一路。

 ついたときには、夜の十時ちょうどだった。店は、横浜とはいえ、中心部からはずっと南西にそれた場所にあった。街外れになるかならないかという辺りになる。時間帯のせいか、駐車場もガラガラだった。

 矢磯は、スマホの動画撮影モードを起動した。スマホをポケットからだすつもりはない。だから、画像は期待しない。それより、録音。こちらが最重要。このやりとりは、あとあと極めて有用になるはずだ。

 車をでて、自動ドアをくぐると、ウェイトレスがすぐに人数を聞いてきた。待ちあわせと答えてから、店内を見わたす。奥のテーブルに、モスグリーンのワンピースを着た女性がいた。ほかに同じ格好の客はいない。

 くだんの席へいくと、彼女はほとんど減ってないホットコーヒー……とうに冷めているようだが……を前に、スマホをつついていた。このファミレスではホットコーヒーだけでなく、たいていの飲み物がドリンクバーで定額飲み放題となっている。

「失礼、赤楠さんですか」

「はい」

 スマホをテーブルに伏せてから、彼女は矢磯を見あげた。顎にずらしたマスクといい、ざっとうしろにくくった髪といい、不細工ではないが野暮ったい。さりながら、たしかに薬局にいた薬剤師だった。三十路になるかならないかという歳だそうだが、なるほど老けている。

「祖宮です。座ってかまいませんか」

「どうぞ」

 矢磯は赤楠の正面に座った。ウェイトレスがすぐに注文をとりにきたので、ドリンクバーを頼む。あっさりと受けつけられた。セルフサービスであるから、一度席をでて、ホットコーヒーを手にもどった。

「この度は、いろいろと失礼な話になり申し訳ありません」

 矢磯は軽く頭をさげた。芯から恐縮しての行為ではなく、社交の潤滑油にすぎない。

「いえ、こちらこそ」

 堅苦しい表情を崩そうともせず、赤楠もまた儀礼的に許容した。

「それで、大間さんですが……じつのところ、かなり深刻なパワハラを受けていたようですね」

「そうなんです。よく調べられましたね」

 感心されるのは、本来なら悪い気はしない。こうした状況だと、皮肉に思えて素直には喜べない。

「具体的には、どんなパワハラかご存知ですか?」

なまりがぬけない田舎者とか、しょせんは高校中退の薄ら馬鹿とか、小さな失敗でいつもネチネチいわれたそうです」

「店長から?」

「先輩からもです」

 事実なら、かなり陰湿だ。それだけでも誹謗中傷にあたるだろう。

「大間さんは、やはり我慢できなかったということでしょうか?」

「いえ、歯を食い縛って我慢すると、いつも私に語っていました。お金を貯めて自分の店を開くんだって」

「訛りというのは、あなたも感じていましたか?」

「ええ……ときどきは」

「どこの地方かははっきりしますか?」

「たぶん……関西とか近畿とか、その辺だと思います」

 関東地方で、方言が理不尽な蔑視を受けることはたまにある。

「失礼ですが、ここ最近でいきなり羽振りがよくなったりはしていませんか?」

「ないですね。いつもかわらないです」

「大間さんからは、あなたとのご結婚にかかわる話もでていましたか?」

「はい。私の親に会うはずでした」

「いつごろの予定でしたか?」

「二ヶ月ほど前です」

「あなたの親御様は、大間さんのお仕事をご存知でしたか?」

「はい……いえ、詳しくは知らないです」

「でも、大間さんは自分からあなたの親御様に説明するとおっしゃったんですよね?」

「そうです」

 赤楠は、心持ち誇らしげになった。手紙を読んだあとだけに、矢磯は気の毒に思った。自分から説明するので、細かいことは黙っておいて欲しいというのは、結婚詐欺師の定番だ。

「そこまで固まったのなら、わざわざぶち壊しにする必要なんてないですよね」

 矢磯は無難に持ちあげた。

「そうですよ。着服なんて。私もお金をだしていますから」

「ほう、独立資金として?」

「はい。だから、お金に困っているはずがないんです」

 結婚詐欺は金に困ってやるのではない。金を巻きあげるためにやる。だましとった金をどうするかはまた別個の話だ。むろん、そんな理屈は、口が裂けても明らかにしない。

「案外、店長の方こそ問題があるかもしれませんよ」

「パワハラが、ですか?」

 赤楠も、さすがに無関心ではいられないようだ。

「それだけじゃありません。責任転嫁です」

「責任転嫁……」

「最初にお断りしますが、これはあくまで私の主観です。事実でなくとも私を非難しないでください」

「はい」

「着服したのは店長で、大間さんは罪をなすりつけられようとしているんです。だから、つまらないとばっちりを避けるために、あなたとの連絡を絶ったのではという推測です」

「そうなんですか!?」

 そうであったなら、完璧に清められた解決がつく。赤楠にとって、だが。

 矢磯は、赤楠が欲しがっている物語をもたらしたにすぎない。彼女からすれば、全財産を投げうってでもその推測が実現して欲しいだろう。それに、事前に警告はした。

 どう警告されようと、人は自分が見たいものしか見ようとしない。逃がし屋をしていて、そんな場面には何度かでくわした。

 ある種の人々は、認めたくないのだ。大なり小なり、己の失策で夜逃げせざるをえない状況に至ったのを。何者かが、無慈悲にも自分を追いつめただけであり……そうした存在がいないときでも、むりやりこしらえてまで自分の責任を全否定する。

「はい。かなり手ごたえを感じていますよ」

「で、でも、どんな根拠なんですか?」

「なに、簡単ですよ。本当に着服されたのなら、さっさと警察に訴えればいいでしょう。そうしたら、当然あなたにも問いあわせがきますよね。きましたか?」

「そういえば……いいえ」

「と、いうことですよ。店の経営を直撃する事態なのに、おかしいでしょう」

「でも、店長さんがどんな着服をするんですか? 株式会社とかでもなさそうですし」

「平たくいえば脱税です」

 なんとも生臭い話になった。だからこそ説得力がある。矢磯の口からでまかせという一点を無視するなら。

「もしそうなら、店長さんは捕まるんですよね」

「はい」

「大間さんはどうなるんですか?」

「いうまでもなく、無罪放免ですよ。誰がジェントルローズの出資者か知りませんが、大間さんが二代目になる可能性だってありますね」

 赤楠の顔が、これまでで最高に華やかな輝きを放った。そうなると、顔がかわるはずでもないのに、思わず男女の仲になりたくなるような魅力が広がってきた。

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