第20話 次の『取材』

 まむかいの青年は、和辻その人だった。いつの写真かははっきりしないが、巨安の歳からして二○○○年になるかならないか。

 その当時、特に小さな会社で、社長が社員を招いて交流会をするのは珍しくない。和辻は大間社長のお気に入りだったし、さぞや宴席でも大見得をきったことだろう。

 和辻を想起させるイニシャルまであったのに、鉄だか真鍮だかのエビスはわざわざ祠まで作って安置したままだった。写真はビリビリに引きさかれて捨ててあった。エビスは処分に手間がかかるし、下手に扱うと祟るかもしれない。大間社長の身になって考えればそうなる。会社にもエビス像があったくらいなのだし。しかし、写真はどうなろうとかまわない。いや、目ざわりなことはなはだしい。ほかとまとめて可燃物のゴミ捨て場にだしたいが、そのときには会社は倒産していた。つまり、世間体や債権者のつきまといもあり外出できない状態になっていた……としたら。

 和辻の退職は、やはり、大間水産の破滅になにかしらのかかわりがありそうだ。

 ここで重要なのは、関係者一同でほぼ確実に生存が期待できるのは巨安のみということだ。

 巨安が、廃屋同然になっていた夜木聖町の実家を、ある種の隠れみのにしていたのは疑いようがない。ジェントルローズ側も、返事がこないのならこないで告訴に踏みきることだろう。どのみち無視されるのを前提として、形式的に手紙をだしただけの可能性が高い。

 和辻が、巨安の犯罪にどうかかわるのか。あるいはかかわらないのか。ジェントルローズの釣部店長に聞きこみをしても、門前払いを食らうのがオチだろう。矢磯は釣部にとって有益な情報をなに一つ持ってない。

 先に赤楠から詳しい話を聞いてから、彼女をダシにするという手はある。矢磯は、できるだけそんな手を使いたくなかった。卑劣というのもある。それ以上に、赤楠のような立場の人間を利用して釣部のような立場の人間から情報収集するのは、矢磯がこだわるわずかばかりな人間性をも危機にさらす。

 反面、赤楠自身にあらゆる手練手管を用いて、えられる手がかりをすべてえるのはなんら良心が痛まない。そうしないと大間に……ひいては和辻の死の真相にたどりつけないのだから。

 一応、ジェントルローズに姉妹店がないのはネットではっきりさせておいた。

 復元した写真もまた、スマホで撮影しておいたが、細切れを残してもしかたないのでビニール袋に捨てた。どうせちぎられているのだし、チョコレートの空箱などとまとめてどこかのコンビニにあるゴミ箱へ入れればいい。

 矢磯は、赤楠からの手紙に記された差出人住所を取りかかりにして、スマホから電話番号案内サービスに電話した。ダッシュボードから筆記用具をだして、回答に備える。赤楠が固定電話をかまえてなかったり、サービスから自分の番号を外したりしていれば空ぶりになる。とはいえ試す価値はあった。

 結論はすぐにでた。登録されている番号が告げられ、即座にメモする。迷う必要はなかった。すぐに赤楠へ電話した。

「はい、赤楠です」

 薬局で耳にしたのと、ほぼ同じ声音だった。同一人物の可能性が非常に高くなったが、どうにもならない。

 どうせ手を加えられないのなら、また別の要素にこそ頭を使わねばならなかった。

 電話は声が陰うつに聞こえがちになる。矢磯も、表稼業で電話するときは、意図的に快活な口調を用いる。

 赤楠のそれは、日々の仕事で疲れきっているのに、このうえどこの馬の骨やらわからない人物の相手をさせられるのかといわんばかりだった。そうした人間は、サザエのようなもので、警戒心こそ強いが一度自分の本音に踏みこまれるとお手あげになる。

「どうも、今晩は。私、フリージャーナリストの祖宮と申します。ジェントルローズの大間さんについて、釣部店長からあなたのことを伺いました」

「え?」

 この『え?』は、聞こえなかったという意味ではない。聞かれたくないことをいきなり聞かれたという意味だ。

「私は横浜市のホストクラブ、つまりジェントルローズで起きた着服事件を追っていましてね。大間さんは、あなたがご贔屓していたということで」

「あのう……なんのことだか……」

「大間さんは岩手県の姉妹店に出張するってお話でしたよね? でも、岩手県にそんなお店はないんですよ」

「……」

「釣部店長からは、大間さんが、あちこちの贔屓客に結婚すると声がけを……」

「知りません! なんなんですか、あなたは!」

 ここで逆上しても、矢磯を窮地にたたせたりはできない。その逆ですらある。

「大間さん、結婚詐欺の疑いもかけられているんですよ。だからこそ、一番親しいあなたからのお話を聞きたいんです。私が調べたところでは、あなたはほかのお客さんとは明らかに隔たりがありますね」

 赤楠は、なかなか相手ができないことに焦りを感じていた。まして大間の実家にまで直筆の手紙をだしている。『一番』、『隔たり』といった言葉は彼女の心境をすくいとるとともに自尊心を刺激するだろう。

「私の話で、こ……大間さんがどうなるっていうんですか」

 手紙のように、こあん君と口にしかけたのだろう。

「ひょっとしたら、疑惑を晴らす助けになるかもしれませんよ。あなたからすれば、まさか大間さんが着服や結婚詐欺なんてするはずがないですよね」

「それは……まあ……」

「じゃあ、さっそく……」

「証拠をだしてください」

 赤楠は赤楠なりに反撃してきた。

「証拠?」

「釣部店長から本当に話を聞いたっていう証拠です」

「なら、店長が大間さんの自宅に宛てた手紙の移しをメールで送信しましょう。宛先の住所も添えましょうか?」

「はい、お願いします」

「わかりました。アドレスを教えてください」

「アドレスはお伝えしますけど、あなたからのメールに、このメールを送信し次第私のアドレスを廃棄して今後一切使わないと添えてもらいます」

「いいでしょう。ただし、こちらのメールを受信して、信用ができたのなら速やかにお話に応じて頂けますか?」

「かまいません」

 取引が成立し、矢磯は赤楠のメールアドレスを入手した。電話を切らないまま、大間家の住所を本文に書きこみ、赤楠の条件どおりの文言を加えた。そして、釣部が署名した手紙の画像を忘れずに添付して送信した。むろん、スマホの固定メールからではなく、フリーメールだ。先方も同様だった。

「先ほど送りました」

「はい、きました……たしかに、正確な住所です」

「ありがとうございます。これで、話をつづけられますね?」

「はい。でも、電話ではお話しにくいこともあります。できればじかにお会いしませんか?」

 これは意外だった。初対面の、それも女性である赤楠から誘うとは。

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