第19話 音信不通
こうやって家が残っているからには、まして名義がはっきりとかわってないのであれば、手紙がくれば機械的に配達され続ける。夜逃げしたあとにきた手紙もまた、重大なヒントになることが多々ある。ただし、封を開けるからにはここに残しておけない。現物は、一通たりとも絶対に人目に触れてはならない。
まず、こども部屋と夫婦の寝室の窓から、家の近辺に人がいないのを念いりにたしかめておいた。
屋内はこのくらいにしておくときめて、矢磯は勝手口でサンダルから自分の靴にはきかえた。裏庭にでてからふたたび施錠し、鍵をあった場所にもどしておく。
それから正門までいき、ポストの中身をごっそり手にした。数通あるが、一通も落とさないようズボンの右前ポケットにねじこんだ。さらに、手をつっこんで万が一にもまさかが起こらないようにする。のんびり一通ずつ吟味していたら、いつ誰に見つかるかわからない。ポケットの中を抑えつけながらさっさと裏庭にもどり、柵を越えて道路にでた。夜中でもあるし、傍目には、ポケットに手をいれながら歩いているようにしか見えない。
最後の収穫にもとづく高揚と、二件目の不法侵入に窃盗が加わった重苦しさがかわるがわる矢磯の精神を
せめて、走りでもしたら気が紛れるものを、それすらできない。
忍の一文字で車に到着した。手紙と写真の欠片はダッシュボードの中にいれておき、隠しておいた二着目の服をだして公衆トイレへ進んだ。一着目は、機会がくるまでは車に保存しておかねばならない。
着がえも終わり、夜木聖町そのものから外にでた。これ以上町に留まるのは、いたずらに危険を増やすだけだ。
静岡方面は、黒銀町で探索したところでもあるし、避けた方がいいだろう。それより、横浜方面を目指し、どこかまた駐車場つきの公園にいく方がいい。
海岸沿いに車を流していくと、そうした公園はスマホに頼るまでもなく簡単に見つかった。
駐車場に車を置いてから、まず周囲を確認した。うまい具合に、まばらに車がある。これなら、パトカーがやってきても自分一台だけよりは怪しまれにくいだろう。
いうまでもなく、車のドアにはロックをかけている。夜中だし、わざわざ車内を覗きこむような物好きはまずいない。
ダッシュボードを開けて、矢磯は手紙の束をだした。全部で八通あった。そのうち六通は、大間水産にもあった法律事務所からのものだ。消印も二十年ほど前になる。無視。
残る二通の内の一つは、差出人に赤楠 仁江とあった。住所は神奈川県横浜市。
赤楠。処方箋を受けとってくれた薬剤師の女性もその名前だった。楠本や楠木といった名前ならともかく、赤楠とは珍しい。同一人物かもしれないが、もしそうなら痛し
さておき、消印は二○二四年四月二三日……約一ヶ月前。これまでの資料からすれば、斬新なほど最近の情報だ。しかも、宛名は大間 巨安。とにかく封を破った。
『前略
こあ君、どこにいますか。メールのお返事、待ってますけど、怪我とかしてませんか? 私の両親もすごく心配しています。ちっともモテないまま、三十路を迎えた私にとって、あなたは本当に王子様です。岩手県に出張ということですけど、それから二週間たってます。雪崩にでも巻きこまれたのでしょうか。
お店には連絡しないで欲しいということですから、まだなにもしていません。でも、このままだとしてしまいそうで怖いです。
お店の人は、あなたのことを高校中退とか田舎者とかいってバカにしてるそうですけど、それなら私がちゃんと抗議します。あなたがお店を抜けるのにお金がいるなら、親と相談して工面します。
怪我でないなら、病気でしょうか。それなら病院にはいきましたか? お薬はちゃんと効いていますか?
どうか、お返事をください。待っています。
早々』
きれいな直筆だった。なんとも切ない。古典的な言葉で表現するなら、
ただ、岩手県に出張とやらが事実かどうかはあやふやだ。会社ではなくお店という表現も気になる。
さらに、田舎者という一言。巨安は一家ぐるみで夜逃げしている。どこに落ちついたのかは不明瞭だが、神奈川よりは地味な場所だったのかもしれない。夜逃げという屈辱的な体験が、田舎者という罵倒とあわさって巨安にある種の決断をさせたとしても無理はないだろう。
もちろん、だからといって赤楠を心配させたまま消えていいはずがない。怪我や病気なら話は別だが、彼女のやるせなさはさすがに伝わってきた。
とうに承知のうえでやっていることだが、夜逃げには、こうした傷心を他人にもたらすことがある。矢磯も含めて、逃がし屋自身にはなんのかかわりもない。逃がし屋は、いわば生身の乗り物のようなものだ。金と引きかえに顧客を安全な場所へ送る。それだけだ。
一方で、夜逃げという言葉にまとわりつく業は、心の隅に留めてある。そうした良心を、ひけらかしたり自慢したりするつもりはない。良心を失って損得まみれな仕事に
もう一通も、宛名は巨安で、消印は二○二四年五月九日。さらに新しい。もはや数日前だ。差出人は、神奈川県横浜市にある『ジェントルローズ』なる人物……または会社か。まずは開封。
『警告
貴殿が着服した当店の売上約壱千万円について、二○二四年五月末日までに当店に出頭し、謝罪とともに全額を返還すれば、当店は一切の遺恨を水に流し告訴をおこなわないものとする。さもなくば、二○二四年六月一日付をもって警察に被害届をだし、かつ、弁護士に相談をおこなう。なお、本状に記載されている以外の、貴殿からもたらされるあらゆる可能性や主張は一切を認めない。
ジェントルローズ店長
プリンターから打ちだされた、無機質な文章は赤楠からの手紙よりもはるかに深刻だった。署名の部分は印字ではなくスタンプで、名前のすぐうしろに釣部というハンコまで押してある。ともあれ、『ジェントルローズ』が個人ではなく店舗なのはすぐ理解できた。ついでに、巨安をこあんと読むのも最終的にはっきりした。
矢磯は、手紙の文面を二通とも写真に残してから、ダッシュボードにしまった。それからジェントルローズをスマホで検索した。住所まで判明しているので簡単だった。
つまるところ、典型的なホストクラブだった。店そのものについて、とりたてて特筆することはない。巨安がそこでホストをしていたのは明白だ。
まずまちがいなく、巨安は着服のみならず結婚詐欺にも手を染めている。実際に赤楠の両親に会ったかどうかはともかく、彼女の愛をいいように食い物にしてきたのはほぼ確定だろう。
二通の手紙に押された消印と、和辻の死がほぼ重なるのは意味深な暗示を感じた。和辻は巨安の父に雇われていたのだし。
写真も復元せねばならない。ポケットに入れたまま歩いたこともあり、相当傷んでいるが、被写体がわかればそれでいい。
五分ほど首をひねって、どうにか元のようになった。大間家で、居間と和室の仕切りを外して即席の宴会場をこしらえている。ビールや唐揚げ、焼き魚などがならんだテーブルを十数人の男女が囲んでいた。和室側の、いわゆる誕生席には巨安に似た中年の男性が座っていた。その右隣には四、五歳くらいの男の子が座っている。その子が巨安なのはすぐわかった。誕生席の左隣には、中年の女性。中年の男女は、巨安の両親と見てまちがいない。
以下、十人近い人々が席についていたが、和室側の誕生席のまむかいには一人の青年が座っていた。撮影は居間のガラス戸側から和室側の誕生席へおこなっており、まむかいにいる青年は座ったまま身体ごとレンズへ対面してピースサインをしていた。他の客達も、思い思いにレンズへ笑顔を投げかけていた。
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