第18話 ここにもエビス

 裏庭は、長年の放置で雑草が密集していた。ましてこれから夏になる。いよいよジャングルさながらになるのは簡単に想像できた。

 草いきれのお陰で、不法侵入がバレにくくなっているのはありがたい。ただ、大間水産と異なり、窓ガラスや戸口は原形のままだった。住宅地で投石などしようものなら、たちまち警察がやってくるだろう。狙いがそれて、よその家や住民に石が命中したら、言い訳は一切効かない。その場は逃げられても、血眼になって狩りだされる。住宅地というのは、地域住民にとってもっとも重要な生活と憩いの場だからだ。潰れた会社の廃墟とは別次元の話になる。だから、落書きより暴力的な嫌がらせはなかなかできない。落書きとて充分に低劣な行為だが。

 勝手口に取りつき、矢磯はノブを回した。鍵がかかっている。むろん、わかりきったことだ。

 腰を低くして、勝手口を背に、裏庭をじっくりと検分した。ひっくり返った植木鉢や、破れたホースなどが転がっている。

 元は花壇だったであろう、同じ大きさの石をならべてこしらえた区切り。そちらへにじり寄り、一個一個石をはがしては元あった場所に目をこらした。家に近い方の端から数えて三個目に、鍵があった。

 大間一家でなくとも、夜逃げしたなら、元の家の鍵は処分せねばならない。そもそも、古い因縁を全て断ちきるために夜逃げをする。どのみち帰ってくるなどありえない。へたに所持していると、そこから元の素性が割れる恐れもある。

 人情というべきか、夜逃げのさい予備の鍵をこうして隠したままにする者もいた。意図的に残す場合もあれば、本当に忘れてしまっていた場合もある。逃がし屋としては、忠告した以上、あとでどうなろうと知ったことではない。

 なんにせよ、鍵を勝手口にあてがうと簡単に回った。ドアをゆっくり開けて、自分の体格と同じ隙間ができ次第、鍵を外して中に入った。もちろん、ドアを閉じてから鍵は閉めなおした。スマホのライトをつけたが、光は常に爪先へむけねばならない。あらゆる窓に分厚いカーテンがかかっているものの、少し油断すると光は簡単に屋外へ流れてしまうからだ。

 屋内は、ぐちゃぐちゃにこそなっていないものの、カビやほこりは大間水産顔負けだった。窓という窓が閉じたままなので、風通しがない。そのくせ細かい隙間から小さなゴミやカビの胞子はやってくる。

 勝手口の土間には、サンダルが一足あった。天の救いと靴からはきかえ、そのまま土足であがった。自分の足跡から足がつくのは、笑い話にもならない。

 勝手口は台所に直結しており、そこから食堂へは十数歩の隔たりだった。社長の自宅にしては、ずばぬけて豪華というほどでもない。煮炊きはIHのようだが、食器棚からしても食卓からしても、いわゆる中流家庭の様式だ。

 放漫経営をするような社長なら、もっと贅沢三昧な内装にしてもおかしくない。敷地もたいして広くないし、部下の生活水準より多少はましという印象だ。

 食卓からは居間へと至る。これまでのところ、台所も食卓も片づけてはあった。しかし、居間は、新聞紙や手紙がテーブルに山積みになっている。

 新聞紙の日付が二十年以上前のものばかりなのは当然として、手紙からはたいした収穫を得られなかった。大間水産と同様、督促状がほとんどだ。

 居間の隅にあるゴミ箱に、矢磯は興味を引かれた。ストーカーじみた行為だが、選りごのみできる立場にない。まさか生ゴミがあるのでもないだろう。

 ゴミ箱の前に片膝をつき、矢磯は手袋をはめたままの手でゴミをかきわけた。大半は日用品の箱や袋だったが、いくつか写真の欠片がでてくる。細かくちぎったものではないが、十数枚には達した。元は一枚の写真だったようだ。ここでパズルの真似事をするのは有害無益なので、まとめてズボンの右前ポケットにいれた。

 居間はそのくらいでいいだろう。ここからは、隣の部屋をしきる引き戸と、それとは別のガラス戸越しに階段があるのが見えた。

 引き戸を開けると、和室だった。金色のエビスが鎮座している以外、なにもない。正確には、床の間の壁にちょっとしたほこらのような囲みがあり、そこにエビスが安置されていた。金色とはいえ、換金できるならしただろう。つまり、純金などではない。鉄に金色の塗装でもほどこしたか、せいぜいが真鍮しんちゅうだ。

 材質はさておき、またエビスか。いや、像が中空になっていて、大事な書類が隠してあるかもしれない。

 和室に足を運び、矢磯はエビスを祠からだした。バチが当たるといった、素朴な考えは持ってない。それより一つでも有意義な情報が欲しい。

 両手で頭を抑えながら引っぱると、意外にもさほど重くはなかった。五、六キロといったところか。祠から簡単にでてきた。横倒しにして、底を確かめると、やはり中空になっている。もっとも、ただのがらんどうだった。

 ただ、足の裏になにか刻んである。

『二○○一年六月四日 大間水産ボーリング親睦会優勝記念 寄贈 SW以下養殖班一同』

 SW……和辻奏太。絵馬もそうだが、イニシャルは西洋式に姓名が逆になっている可能性を想定せねばならない。社員が十人いて、全員が養殖班に所属しているはずがない。となれば、同姓同名であったり、東洋式のイニシャルで別人……佐藤和歌子など……は存在しにくい。それに、二○○一年なら和辻は養殖班長だった。あらゆる可能性が、和辻を示唆している。

 彼の部下達もなにがしかは金をだしたのだろうが、全部合計しても数万円にさえならないだろう。要するに座興だ。

 エビスそのものよりも、それがここにある背景こそが肝要。ゴマすり根性で養殖班が準備した可能性も、なんら否定できないが、寄贈の年月日は和辻の退職時期に近い。ゴマすりを匂わせつつ、和辻がなにか皮肉な気持ちをこめていたとしたら。

 ここでは、それ以上の考察はできない。エビスの足の裏と、全体像を写真に撮ってから祠にもどしておいた。

 やはり、個人的に重要な品は二階か。さっさとガラス戸を開けて、階段をあがった。

 二階には、トイレや物置もあったが、夫婦用の寝室とこども部屋があった。前者は、ベッド以外になにもない。本当に大事なものはここにこそあり、社長夫妻はそれらを抱えて逃げたのだろう。後者は、前者に反比例するがごとく当時のままになっていた。会社が倒産した時点で、社長は四一歳。こどもの二、三人がいても不思議ではない。こどもの持ち物は、大半が置きざりにされたことだろう。

 ならば、こども部屋にこそ、当家の様子を示唆するヒントがありそうだ。

 いざ目星をつけにいくと、窓ぎわにベッドがあり、学習机が向かいがわの壁に面して置かれていた。学習机の上にあたる壁には、何枚かの表彰状が画鋲でとめてある。幼稚園の仲良し友達賞、小学校五年生の弁論大会二位、中学校二年生の校内技術コンクール四位。受賞者の名前はいずれも、大間 巨安とあった。読み方はよくわからないが、こあんとでもしたものか。受賞した年月日と学年から逆算すれば、一九九六年生まれか。生きていれば、現在は二八歳。倒産当時は七歳。

 巨安をきょあんと読もうがこあんと読もうが、イニシャルはKだ。絵馬の一枚はKOとあった。大間 巨安……KO……。絵馬の日付当時なら十歳。

 幼稚園の表彰状の隣には、正装した両親とおぼしき男女に挟まれた、当人らしき男子児童の拡大写真が額縁にいれて飾ってあった。場所は小学校の正門のようだ。花飾りで縁どりされ、白地に入学式と墨書した立て看板が脇にある。当人の歳格好は、なるほど六、七歳に見える。立て看板に添え書きされた年度も一致する。

 この写真と表彰状は、まとめて撮影すべきだ。矢磯はスマホの保存画像を一枚増やした。

 学習机は本棚と一体化しており、中学校むけの問題集や参考書があった。机の表面は透明なプラスチックのシートで覆われており、それと机に挟まれた形で一枚の写真があった。海辺の崖を背景に、学生服姿の男女が写っている。男子は明らかに巨安だ。女子は、夕べ声をかけてきた、警官と名乗った女性にそっくりだ。歳がまったく離れているのは当たり前にしても、あの強靭きょうじんな意志を放つ目鼻だちは忘れようがない。惜しむらくは、写真に年月日の記載がないことだが、とにかくこれも保存画像に残しておくことにした。

 机の引きだしを片っぱしから開けたものの、役にたつものはなにもなかった。

 物置を調べたところで、二束三文のがらくたがでてくるだけだろう。

 もう一つ、極めて重要な捜索対象がある。郵便ポストだ。

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