第16話 廃墟訪問

 地方のドラッグストアは、駐車場がやたらに広い。短時間なら、便乗駐車をしても大目に見てもらえる。むろん、できるだけ店舗から遠い位置を選ぶくらいな配慮はする。

 いざ大間水産にいったとして、どうするか。

 警備会社が建物を管理していたら、ほとんどお手あげだ。せいぜいが、ざっと外から眺めるくらいしかやりようがない。その意味では、更地より若干ましか。

 駐車場にでもなっていたなら、新しい地主がいるわけだから、まだしも尋ねようはある。

 建物が残り、なおかつ放置されていたら、どうにかして中に入りたい。不法侵入なのは百も承知だが、なりふりかまってはいられない。だらだら時間をかけずに、さっさと有意義な情報を獲得して撤収できるかどうかが肝心だ。

 ドラッグストアが開店する時刻は、朝の通勤渋滞が一段落している。相対的には人目につきにくい。

 妥協案できまり。矢磯はハンドルを握った。

 ドラッグストアでの買い物は、三分とかからなかった。軍手も新調した。これから廃墟を漁るので重宝する。

 車の中で、矢磯は肘に湿布を貼り頭痛薬を飲んだ。軍手はズボンのポケットに押しこむ。彼しか客がきてないので、駐車場もガラガラだが、ことここに至っては実行あるのみ。

 車からでて、彼はスマホのナビを頼りに歩きはじめた。道路はぽつぽつ車が過ぎさるくらいで、歩行者も自転車もない。

 そういえば、ここからは海は見えなかった。まばらな民家と、とうに廃業した飲食店のほかは、田畑があるきりだ。大半が兼業農家なのだろう、野良仕事をしている人もいなかった。

 湿布がよく効くのはありがたかった。休息をとったこともあり、苦痛は大幅に遠のいている。

 ナビの導くまま十ニ、三分進むと、二階建の小ぢんまりとした建物が現れた。壁に密着する形で縦長の看板がある。白地に青いペンキで『大間水産』と……書かれていたのだろうが、『大 水 』となっていた。『間』は文字のあった部分が赤黒くなっているのでどうにか判別できるが、『産』は完全に消えていた。白地の部分も、長年の風雨であちこち錆びが浮いている。雨水が壁の艶をはぎとって久しく、出入口のガラス戸も割れていた。

 看板はプラスチック製で、直方体をしている。下の方に割れ目があった。そこから蛍光灯の一部が垣間見える。往時は、夜中になれば電気をつけて所在を示したに違いない。と、一羽の鳩が割れ目から空中に飛びたった。笑い話ではなく、ここ最近は滅多に人がこない証拠だ。

 建物は、出入口や看板だけでなく、あちこちの窓ガラスが割られていた。かつては暴走族や不良少年が、面白がって石でも投げたのだろう。中身も漁ったはずだが、これから矢磯が探すのは金目の品ではない。だから、残っている可能性は高い。

 今なら、人目はない。ぐずぐずせず、買ったばかりの軍手をはめてからガラス戸を開けた。ぎしぎしいいながら、床に落ちたガラスを噛みこんでなかなかいうことを聞かない。業を煮やし、こじ開けた隙間に身体をすべりこませた。

 案の定、屋内は荒れ放題になっていた。床も壁もカビまみれだし、ラッカースプレーで下手くそな落書きがそこかしこに吹きつけてある。

 時間が惜しいので、一階はあえて飛ばした。上層部の人々は上の階に集まりたがる。欲しいのは人事の記録と、できれば社長の自宅住所だ。電話番号は、とうに使えなくなっているだろう。

 二階にいくと、社長室と資料室があった。こちらも、荒れ具合は一階と大差ない。両方とも、ドアは半ばくらいの部分に穴がうがたれている。戸口も開きっぱなしになっていた。

 社長室のドアを開けると、床は書類と大小様々な封筒で埋まっていた。社長用の執務机や椅子のほかに、ソファーやテーブルもあるが、ほこりと動物……恐らくネズミ……のフンに覆われている。執務机のむこうに、横倒しになったエビスの木像があった。一メートルほどの身長で、かなり重そうだ。工業製品のようで、整ってはいるが個性はない。無残にも、原色のラッカースプレーでめちゃくちゃに塗りたくられている。それでも、にこにこ笑って釣竿と鯛をしっかり手にしていた。その、醜悪な滑稽さは七福神というより祟り神にすら思えた。

 戸棚はからで、在りし日に詰まっていただろう古い六法全書や世界の魚類図鑑などがあちこちに落ちていた。

 床を覆っている書類や封筒を足でかきわけていくと、差出人として、とある法律事務所の住所が押印された封筒がでてきた。拾って表を見ると、当然ながら大間水産……つまり、この建物……の住所が記してある。封は開けてあった。本文もはいったままなので、封筒からだしてざっと読んだ。

 要約すれば、銀行からの督促状……いや、最後通牒だ。融資の利息が払えなければ、裁判所を通じて資産を差しおさえるとある。日付は二○○三年六月二日、倒産の約二ヶ月前だ。

 本文にはまた、社長の自宅住所も明記されていた。差しおさえ候補の筆頭となっている。すみやかにスマホで本文を写真にして、現物は封筒に入れ直してから手ばなした。もう社長室に用はない。次は資料室だ。

 資料室は、社長室に輪をかけて無秩序な体たらくになっていた。倒産当時は電子化がまだ進んでいない。フロッピーディスクが現役な時代である。だから、資料は原則として紙が中心だ。

 決算報告だの財務諸表だの、広報用のパンフレットだのがモザイクになって、紙という紙が洪水さながらの様相になっている。

 人事資料とてないはずがない。集中して探すしかない。

 床にかがんで、矢磯は片っぱしから書類を読んでは弾き読んでは弾きしていった。平衡感覚がおかしくなりそうだ。

 苦節三十分、ついに本命を釣りあげた。和辻 奏太、昭和四三年(一九六八年)七月二日生まれ。本籍は東京都台東区。都内の中堅私立大卒業、両親とは死別。平成四年(一九九二年)四月一日入社。所属は営業と経理を三年ずつ、それから養殖を四年。二○○二年三月三十一日付で退職。最終階級は養殖班長。

 人事評価は社長が直々につけていた。もっとも、ほかの社員も全員がそうされていた。小さな会社なので、人事取締役も社長が兼務していたのだろう。

 ともかく、一貫して熱心な社員であり、将来を期待されていたようだ。退職においても何度か慰留されている。

 和辻がどうして退職に至ったのか、そもそもなぜ大間水産を選んだのかはまだわからない。就職の面接で語られる志望動機など、当人の本心とはまるでかけ離れていることも珍しくない。

 和辻以外の資料は、手をつけないでおく。生きていたとしても散り散りバラバラだし、どのみち一人一人に聞きとる時間はない。

 思案はあとにして、和辻の人事資料も写真にしておいた。もうこの建物に用はない。

 矢磯は資料室の窓から道路を見おろした。あいかわらず、滅多に車はこない。昼休みの手前になる時間帯なので、職場に拘束されている人々が大半だろう。

 いうまでもなく、油断は許されない。人気ひとけがないのを充分に見計らい、道路にでた。

 それからは、できるだけ平静を装ってドラッグストアの駐車場にもどった。帰りの道すがら、下着をかえたのとはまた別な公園を検索してある。車にはいってすぐ、新たな駐車場所を求めてエンジンをかけた。

 運転しつつ、一つの重大な推測を矢磯はまとめた。

 まさに蛇の道は蛇。大間社長は、夜逃げしている。倒産の後始末を、具体的に誰がしたのかはどうでもいい。まっさきに社長が会社を切りすてた。残った社員からすれば、そんな会社の資料や残務などまともに管理するはずがない。現代のような、プライバシーや個人情報にやかましい時代でもない。

 当時でさえ、一千万円程度の資本金で十人の社員といったら、人件費だけでも相当に経営が苦しかったはずだ。なるほど、放漫経営ではある。

 しかし、それだけだろうか。どうして社員をそこまで増やす必要があったのか。和辻は、大間水産に就職するまで、明らかに夜木聖町とは無関係だった。そんな人間まで採用した理由は。

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