第12話 謎の鳥居
いうまでもなく、洞窟の地面は塩水まみれで滑りやすかった。基本的には砂地だが、ところどころに膝までありそうな岩が突きでている。フジツボがびっしりへばりついており、うかつにもたれかかると服が傷みそうだ。
壁をスマホのライトで照らすと、無数の小さな蟹がさっと割れ目や突起の陰に隠れた。比較的乾いている部分と、完全に潮に浸かった部分とが、はっきりと線引きされているのも理解できた。おおよそ矢磯のへそ辺りか。中潮や大潮の日は、水面がもっと高い位置に至るのだろう。
天井から滴った冷たい水が、首筋に当たって身体をすくませた。洞窟にはつきものだ。
よく、テレビゲームなどで、こうした洞窟の終点に宝箱があったり敵が待ちうけていたりする。現実にはありえないことだし、息抜きはともかく浮かれていい状況ではない。そうはいっても、なんとなくわくわくする環境ではあった。元顧客云々が片づいたら、改めて遊びにきてもいいくらいだ。
そういえば、黒銀町も夜木聖町も、最近はやたらに観光業を重視していた。それこそバブル時代のようなリゾート計画ではなく、地元の特産品や景勝地を堅実に宣伝している。一時期、新型ウィルスの流行で深刻な打撃を受けたが、ようやく復調の兆しがでているところだ。
どの自治体も、消滅の危機を迎えて無為無策ではいられない。黒銀町のヒラメもそうだが、地元の人々が必死に努力するのは立派だし大事なことだと矢磯も思っている。
にもかかわらず、どこでも過疎や高齢化は止まらない。彼自身、東京をでていこうとは思わない。
足を滑らさないよう慎重にバランスを取りつつ、どのみち袋小路になっている終点へと身体を移していくのは、なにやら中小自治体の運命を暗示しているようでもあった。
洞窟は、思ったより奥ゆきがあった。まだ時間はあるので、興に任せてもどうということはない。あちこちに潮だまりがあり、試しにのぞきこむと、小指の爪くらいなサイズの魚が泳いでいたりもした。思わず写真でも撮りたくなったが、我慢した。ライトを使うと、必然的にスマホの待ちうけ画面をしょっちゅう目にする。ぼちぼち電波が遮断されてきたようだ。わかりきったことなので動揺はしない。
そのうち、潮だまりが減っていき、ついにはなくなった。足への負担からしても、洞窟の地面が登り坂になったのが実感できた。壁を二分する潮位の跡も、だんだんと低い位置になってきている。してみれば、大潮になっても、ある程度から先は海没しない地形ということか。坂道の傾斜はそれほどきつくないものの、確実に海面より高くなってきている。
さらに数分ほどして、唐突に、ちょっとした選択を迫られた。洞窟の天井と地面の間がひどく狭まっていて、腹ばいにならないと先にいけない。地面は岩肌で、少し水気はあるものの、砂利や泥はない。フジツボがないのもありがたかった。上着を脱いで、適当なところに残していくなら、服の心配はしなくていいだろう。
小潮とはいえ、これから少しずつ潮が満ちてくる。自分の置かれた事情に鑑みれば、座興もほどほどにせねばならない。考えるまでもないことだ。
反面、ここで放りだすのは、なんとなく
熟慮の末、矢磯はいったんスマホの猫波アプリを起動した。これは本体に録音データが記録されているので、電波が遮断されていても関係なく使える。
いつ聞いても猫の鳴き声と穏やかな波の音はいい。冷静さとどもに、勇気が湧いてくる。心いくまで耳と心を喜ばせ、スマホをズボンのポケットにしまった。さらに、上着を脱いでなるべく乾いた場所に残した。しかるのちに、地面を這って最深部を求めた。
ごつごつした突起がほうぼうに生えている天井に比べて、地面が滑らかなのは助かった。ヘルメットをかぶってないので、頭を天井にぶつけないようにすることが最優先事項である。片手でスマホを持ちながら這うのはのろのろとした進行になるが、その分慎重にはなった。
唯一の心配は、というより恐怖は、結局この狭まりがだらだら続いた末に、洞窟が終わってしまうことだ。そうなると方向転換する余裕はなく、這ったまま後退せねばならない。往路の倍以上の時間と労力がかかるだろう。明日以降の作業にも、悪影響をきたしかねない。だからといってやめるつもりはなかった。ここまできたら、白黒つけねば気がすまない。
なかなかの苦心だが、悩んだ割にはあっさりと難所を抜けられた。全体として、ほんの十数秒の苦行ですんだ。
いざ終わってしまうと、半球型のかなり広い空間に至った。高さだけでも五メートルはあろうか。もちろん、這う必要はなくなった。同時に、洞窟の終点でもあった。
冒険の成功に心から安堵するとともに、やり遂げたという満足感を味わいたい。というのに、なんとも奇妙な……それでいてあってもおかしくなさそうな代物が正面の壁に鎮座していた。
赤く小さな鳥居が、壁の窪みにはまっている。幅三十センチ、高さ五十センチといったところか。
鳥居は窪み全体を占拠しているのではなかった。むしろ、窪みの奥にあるものを守るかのようであった。
ミニチュア鳥居に、半ば隠れるような形で、何枚かの絵馬がある。鳥居に応じて、絵馬も手のひらのさらに半分ほどの大きさだった。窪みは、工業製品のような直方体や立方体をしていない。ひしゃげたいびつな四角錐が、底面をこちらにむけて倒れているような塩梅だ。だから、鳥居をはめることはできても、正面を人目にさらすような形で何枚もならべることはできない。書棚に本をしまうような要領で、窪みに側面から差しこんである。それだけで、窪みの容積はほとんど消費されていた。じかに手にしないと、絵馬の内容まではわからない。
これは……なにかのカルト宗教か。エビスの昔話といい、近年の溺死体といい、身構えざるをえない。
だいたいが、めったに人がこない海辺の洞窟という、その種の連中が大好きな環境だ。物好きな第三者が……矢磯もその一人になるが……やってこようものなら、そのまま生け贄にしかねない。
カルト宗教にも二種類ある。一つは、実態はともかく、健全な団体だと主張して活動するもの。もう一つは、徹頭徹尾、秘密主義で活動するもの。
後者は都市伝説か陰謀論で片づく話が大半だ。それに、この情報化社会で完全な秘密を保っていくのは、不可能にひとしい。
どちらなのかをたしかめたいなら、鳥居や絵馬をじかに手にしないと確実が期せない。そうした結果、せっかくの遺留品が傷んだり崩れたりする恐れは否定できなかった。なにしろ、湿気が四六時中たちこめている場所である。金属製だろうが木製だろうが、自宅の屋外とは腐蝕の度あいがまるで違う。そしていまさらながらに気づいた。軍手を家に置いてきている。自分で自分を怒鳴りつけたいとはこのことだ。素手だと指紋が残る可能性は否定できない。せめて、ピンセットでもあればどうにかなるものを。
そうまでして確かめたところで、和辻にかかわるという保証はない。カルト宗教ですらなく、たんに無関係かもしれない。
総じて、無視して回れ右するのが、安直にして妥当な決断だ。
危険性を無視するなら、一分とかからない作業ですむのも悩ましかった。時間を食う複雑な作業なら諦めもつく。窪みから絵馬を抜きだして表を読むだけ。その簡単さが誘惑でもあり腹ただしくもあった。この葛藤に比べれば、さっきの
決断する前に、もっと細かく観察することにきめた。ライトを鳥居ぎりぎりなところで照らし、鼻先が鳥居にくっつきそうなほど顔を寄せた。
絵馬は二枚しかなく、ひんぱんにだしいれした形跡もない。鳥居は素朴な手作りで、中学校の技術実習といってもいいような仕あがりだった。
カルト宗教なら、鳥居の周りに真言めいた呪文かなにかを刻んでいてもおかしくない。この空間を、特別な儀式の場にすることもありえるだろう。ああした連中は、催しごとそのものが目的化している。もっと露骨にいうなら、
では、カルト宗教は無関係だとしよう。次にややこしくなるのが、中途半端に和辻とかかわる場合だ。たとえば和辻の兄弟姉妹が奉納した、など。さんざん貴重な時間を費して、空ぶりだったら無残だろう。和辻の死にかかわる情報を集めて、元顧客にたどりつくことが主目的なのだから、そこがぼやけては支離滅裂になる。この場合、唯一の救いは、絵馬や鳥居に指紋が残ってもたいした追及にはならないことだ。それこそ、座興だったと主張すればすむ。
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