第11話 洞窟探検

 所持品の喪失、すなわちネコババ。『真の第一発見者』が、知らぬ顔をして死体のポケットを漁った可能性は大いにある。四十年近く前なら、人によっては、キャッシュカードの暗証番号をメモ書きして財布にいれたりしていたとも聞く。でなくとも、自分の生年月日をそのまま使う事例もざらにあった。むろん、どの時代だろうと、他人の金をなりすましで引きだしたら犯罪なのは当然だ。それでも、溺死体が勝手に金を引きだされた当人だと認定されるまでの時間差を利用すれば、バレにくくはなる。この場合、二人目の発見者が、図らずも第一発見者になってしまったとも考えられるだろう。

 そうではなく、本人達が、自分達の手であらかじめ貴重品を処分してから入水したという推察もなりたつ。ただ、そこまでして現世への未練を絶ったなら、一気に死ぬ手段を選ぶだろう。しかし、この辺りに断崖絶壁はない。海岸から沖にむかって泳ぎ、力尽きることによって自殺したという手段もなくはない。それにしても、一人だけならともかく、二人そろって実行するのはどこか違和感があった。

 もっとも、そんな素人推理にはなんの根拠もない。行政からすれば、二人は死んだから死んだ。死体は法律に則って処理した。それだけだ。

 溺死体が和辻とかかわる証拠もない。強いていうなら、その当時、和辻の年齢はおおむね十代の末から二十代の序盤くらいか。

 はたと気づいた。夜木聖町に和辻がいたとして、引きこもりをしていたとはとても思えない。そんな経歴があれば、むしろ積極的に宣伝の材料にしただろう。テレビで見ただけながら、そんな雰囲気は一つもなかった。

 社長令嬢の話しぶりからしても、和辻がこの町で水産業にたずさわっていてもおかしくない。それは、まだ若いころの話だろう。それこそ二十代から三十代くらいまでの。逆算すれば四半世紀ほど前の。

 その時分に、町に実在した水産業の会社をこそ探らねばならない。

 さっそくスマホに新たな検索候補を入力した。

 実のところ、夜木聖町には現存する水産会社がなかった。四半世紀ほど前なら、たしかに一社だけあった。

 大間水産おおますいさん。一九八八年創業、資本金一千万円。社員数約十名、社主は大間 博男。生きていれば、今年で六二歳になる。創業時は二六歳か。ちょうど、バブル時代まっただなかだ。そして、二○○三年八月五日に倒産している。放漫経営による資金繰りの悪化が原因だそうだ。負債総額は約十億円。会社の所在地もはっきりした。

 さっき考えたとおり、いま大間水産の跡地を訪れるのはよくない。むしろ、明るくなってから偶然いきついたという演出をとったほうがいいだろう。黒銀町のように、隠れる場所がどこにもない以上はしかたない。それに、犯罪者が巣くっていたとしても、陽が昇っていればおおっぴらには危害を加えにくくなる。もっとも、更地か、せいぜい駐車場になっていてもおかしくない。

 和辻が大間水産とやらに就職していたとして、少なくとも二○○三年には失業したことになる。そういえば、和辻は養殖場を開く前に建設業を経営していた。それはいつから始めたことだったろう。ついでにネット検索したが、こちらはどう調べても虚しかった。大間水産は上場こそしなかったが、一時期は築地市場にまで商品をだしていた。だからこそ、倒産したときもそれなりのニュースになった。それにひきかえ、和辻の建設業は、ただの地域産業にすぎない。

 などとつらつら考えながら足を動かすうちに、車からかなり隔たってしまった。さっきの女性のいいぐさではないが、縁のない土地で車を置きっぱなしにするのはよろしくない。

 引き返そうとした直前。百メートルほど進んだ先に、崖があった。かれこれ数キロは足跡を残してきたから、もう町境まできていてもおかしくない。スマホで地図を確認すると、当たらずとも遠からじであった。

 崖といっても、たまたま小高い丘が海にせりだしているだけだ。等間隔に街灯のついた、県道が通っているのもわかるし、道路まで登り降りできる階段もある。なんなら階段をあがって、道路を使って車までもどったほうが能率的だろう。

 引きかえすのも面倒なので、県道ルートを選んだ。必然的に崖に近づいた。干潮になるかならないかのころあいと見えて、波打ちぎわはずいぶん引っこんでいる。

 たわむれに、波が寄ってくるぎりぎりを選んで歩いた。すると、崖のむこうがわがかすかに見えそうで見えない角度になった。数十秒もすると、崖にぽっかりと開いた穴に気づいた。風化してえぐれただけではない。立派な洞窟だ。

 エビスの話もあるし、ここまできたなら中を拝んでおきたくなった。ただの空洞があるきりだろうが、気晴らしにはなるだろう。時間が切迫しているのは百も承知ながら、こうした息抜きをうまく活用するのもまた賢さというものだ。

 もっとも、用心はする。治安が悪くなっていると耳にしたばかりだし、廃倉庫の一件もある。

 洞窟の出入口を前に、まずはスマホのライトをつけた。潮に濡れた砂が広がっているだけで、蟹一匹見当たらない。洞窟自体は別として、辺りにボートを隠すような場所もない。不審な足跡や、脱げた靴などもない。

 まだ安心はできなかった。スマホで潮の満ち引きをたしかめると、ちょうど干潮にあたる時刻ではあった。潮は小潮で、満ち引きの差は非常に小さい。これから洞窟で時間を過ごしても、海の底にはならずにすみそうだ。泳げないわけではないが、そんな事態になったらスマホが犠牲になるかもしれない。服を乾かしても塩がこびりついてごわごわになる。買いかえるくらいな金はあるが、そんな格好で店にいこうものなら不審者そのものだろう。

 一方で、家をでるときに、風呂だの寝床だのはできるだけ切り詰めるつもりで出発している。車中泊は覚悟のうえだし、体臭は芳香スプレーでどうにかする。表稼業で個人運輸をやっていると、夏場など車を少しでただけで汗だくになる。体臭で客に迷惑をかけたくないので、芳香スプレーだけは必ず持参するようにしていた。ちょっと靴やズボンの裾が湿るのを妥協するのはかまわない。とはいえ、着替えくらいは持ってくるべきではあった。タオル一枚持参してない。夜逃げは一晩ですませねばならないので、逆に、出先で数日かけて仕事する感覚が育っていなかった。表稼業の個人運輸も、日帰りですむ範疇はんちゅうでしか請けおったことがない。今後の教訓とせねばなるまい。

 恐らく、この洞窟は、干潮のときだけ完全な姿を現すのだろう。でなければ、もっとゴミが落ちていても不思議ではない。ただ、人が利用しにくいという点では、彼が抱える問題の解決につながらない可能性が高い。

 洞窟のうえにのびる県道には、車も歩行者もまったく往来がなかった。好都合は好都合だ。

 出入口の脇で、矢磯はスマホのライトを奥にむけた。地面から天井まで照らしたが、いびつな光の反射だけが返ってきた。

 時間を浪費するつもりはない。難しい話にあれこれ思い悩んでいるので、気晴らしが欲しくなった。

 思ったより深い洞窟のようだが、どうせ一本道だ。危険はないようなので、出入口から中へと踏みこんだ。

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