第10話 急な問いかけ

 夜木聖町よきひじりちょうは、海か山かの差こそあれ、黒銀町と似たり寄ったりな自治体だった。人口六千人、その大半は六十五歳をすぎており、役場と農協と郵便局が『基幹産業』である。黒銀町もそうだが、数十年前に実行された全国規模の市町村合併から数えて、半分の人間しか残ってない。

 そんな町でも、静岡県と神奈川県の間において、主要都市の中間地点にあるのはとりえといってよかった。町にあるコンビニに、長距離トラックがきて飲食物を買ったり、地価が安いからアパートを一時的に借りる単身赴任の社会人がいたりする。

 とはいうものの、真夏でもないのに夜中の海辺を漠然と歩く人間は珍しい。釣りでもしていればともかく、手ぶらならなおさらだ。矢磯はその希少な例となった。

 和辻と夜木聖町の結びつきを、どこから検証していくか。候補はあれこれあるが、考えを整理したくなり、矢磯は月明かりに照らされた波打ちぎわを踏んでいた。

 駐車スペースは、町と砂浜を区切る防潮堤の裏にいくらでもある。どこの自治体でも、この類の海岸には、観光客のために青空駐車場とあずまやとトイレを整備している。たいていは自販機もセットだ。ここもご多分にもれず、実にありがたい。

 和辻が、この町で養殖にかかわるなんらかの技術を学んだことは察しがつく。町内の水産業など、どうせ数えるほどしか残ってないだろう。昨今はプライバシーに厳しくなっているので、和辻本人について会社に電話しても、まず答えてくれない。それはそれでいい。やり方というものがある。問題は、すでに倒産か廃業かしてしまった会社だ。存在しない会社には、確認のしようがない。

 いっそのこと、それらしい廃墟があればダメ元で漁るか。妥当な時間帯ではある。

「今晩は。お散歩ですか?」

「うわっ!」

 いきなり声をかけられ、不覚にも叫んでしまった。

 身体ごとうしろをむくと、一人の女性がいた。矢磯より多少は歳上で、小柄だが、いかにも意志が……または意見が……強そうなはっきりした目鼻だちをしていた。身なりはほどほどに金がかかっているようだ。都内の一流企業社員というよりは、官公庁の職員めいた、四角四面な服装だった。そういえば、背筋もまっすぐだし肩幅もがっちりしている。

「驚かせてごめんなさい。この辺の方じゃないですよね?」

 きびきびした口調に、甘さは一つもない。もっとも、矢磯は、知りあいでもないのに親しげに寄ってくる人間はすべからく警戒リストにいれる。職業意識というものだ。

「はあ、そうです」

「私は警察の人間です。最近この辺りの治安が悪くなっているようなので、声をかけました。お気を悪くなさらないでください」

「私服警官ですか?」

「いえ、休暇中です。ただ、ここが地元なもので」

 事実なら凄まじい正義感だ。むろん、職務質問ではない。あくまで個人的な声かけにすぎない。身分証をだしてみろといいたいところだが、本当に地元の人間だというのなら、いさかいは致命傷になりかねなかった。

「そうですか。ただの散歩ですけど」

 軽くいなすように、矢磯は答えた。

「観光客ですか?」

「ええ」

「失礼しました」

 彼女は頭をさげて、あげた。厳しい顔つきには、なんの変化もなかった。

「どうも」

 黙って見つめあっていると、ついべらべら喋りたくなる。こういう手あいとは、さっさと距離をとるのが定石。話も終わったのだし、すたすた遠ざかった。

 治安が悪い……わざわざ休暇中の警官が声がけするなら、暴走族や賽銭泥棒といったレベルではないだろう。和辻の死体が発見された可能性もあるが、昨日の今日ので矢磯にまでたどりつけるはずがない。そもそも彼は和辻の死と無関係だ。

 だから、当面は無視していい。しかし、少なくともいますぐ廃墟を探索するのは考え直さねばならない。なんといっても地元の人間……それも警官に面が割れてしまったし、誰が地主だろうと不法侵入だ。それに、警察に捕まるのも論外だが、彼女の主張がほかの形であてはまっていたら。たとえば、犯罪者のグループがいすわる廃墟に自分からのこのこやってきたら、どんな破滅がもたらされるのか。想像したくもない。そうした点では、彼女との出会いもまるきり無駄ではなかった。

 一口に警官といっても幅が広い。身なりや喋り方からして、末端の女子警官などではないだろう。国家公務員のキャリア組か、それに近い筋だ。

 キャリアであろうとなかろうと、厳しい試験と訓練の積み重ねを経なければ、警官にはなれない。それは尊敬に値するが、どうせなら、和辻が死ぬのを未然に防いで欲しかったという気持ちもないではない。警官は、犯罪がなければ動くに動けないのであるから、無理難題ではあるのだが。

 逃がし屋には、資格も免許も不要だ。客の依頼が実行できればいい。できなければ廃業となる。

 矢磯は、犯罪者の夜逃げは頑として断った。自業自得というのもあるし、逃亡の幇助ほうじょで自分もやられる。そこに、わずかながらも、表社会と完全には絶縁してないという自負めいたものを感じてはいた。

 歩みを絶やさないないまま、漠然と水平線を見渡しつつ、ふと思いたった。彼女のいう治安とは、それこそ溺死体にかかわる話かもしれない。まだ事件性は明らかになってないものの、個人的に怪しいと踏んでいる、など。

 溺死体としてのエビスについてなら、夜木聖町にそうした伝説があるかどうかは軽く調べた。車をとめてから、浜辺に降りるのを二十分ほど先延ばしして、ネットで検索をかけてはいた。成果はゼロ。漁村ならどこにでもある伝説で、逆に、特定の地域にだけ語り継がれているというわけではない。

 発想をかえたらどうか。海に面しているなら溺死体の一つや二つ、やってきてもおかしくないだろう。

 スマホをだして、さっそく『行旅死亡人 溺死 神奈川県夜木聖町』と検索した。行旅死亡人とは、身元不明の行き倒れである。官報で公表されている。

 一件あった。一九八七年三月七日、五十代とおぼしき男女二人。いずれも死因は溺死。

 男性は身長一七一センチ、体重八四キロ。服装は青いデニムのズボンに赤い長袖シャツ、緑色の手編みセーター。

 女性は身長一六五センチ、体重七一キロ。服装は茶色いチノパンにピンク色の長袖シャツ、茶色いダウンジャケット。

 所持品の記載はなく、身寄りがないと判断されたために遺体は夜木聖町役場の手配で火葬された。

 その年月日について、さらに新聞記事……とくに神奈川県のローカル紙を検索すると、たしかに取りあげられていた。もっとも、官報と大同小異な内容であり、『夫婦で無理心中か』と書かれたきりだった。続報もない。遺骨は、無縁仏として埋葬されたのだろう。

 まさか、現代社会でこの溺死体をエビスに祭りあげたりはしないはずだ。仮にやったとしたら、正気の沙汰ではない。

 しかし、裏社会にも間接的にかかわる人間として、矢磯は胡散臭さを感じた。衣服以外に所持品が一つもないのはおかしい。腕時計でもつけていただろうし、海上で嵐に巻きこまれたのでもなければ、財布なり家の鍵なりあってもいいだろう。念のために天気も調べた。死体が発見された日から、数日前までさかのぼった。たしかに、少々波が荒れてはいた。めちゃくちゃな高波というレベルではない。

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