第9話 独学による解釈
車のドアをしめるが早いか、矢磯はすぐに山を降りた。ふたたび町境の空地へ進み、エンジンを切ってから和辻養殖場へ電話をかけた。
定時から一時間ほどたっているので、空振りの可能性が高い。さりとて運転中のながらスマホは絶対に避けねばならない。くだらないことで警察に目をつけられる行為は、厳に慎まねばならなかった。スマホ用のマイクを買ってきてハンズフリーにしてもいいが、どのみち片手間にできるような会話ではない。
『はい、和辻養殖場です』
やった。これまでと変わらない、あの女性の声だ。
『地野様のご紹介にあずかりまして、今一度お話をしたく存じます。あ、申し遅れました。お昼にお邪魔した祖宮です』
形式通りに名乗ると、即座に切られる可能性がある。先方にとってなにより重要なキーワード、『地野』を冒頭にだすのは必然だった。
『あのう、はっきりいって迷惑なんですけど』
『地野社長のご子息も、お宅様に関心があるみたいなんですよ。どうか、一言。一言だけでも
『地野社長の息子さん……』
明らかに、嫌悪感のこもった様子だった。
『はい、ただ、地野社長とご子息とは少々ご意見が噛みあわないようで、そこのところで是非とも……』
『わかりました。でも、お答えするのはこれっきりにしてください』
『はい、ありがとうございます。もちろん、ご迷惑にはなりません』
必要ならこれから何度でもかけるつもりだし、出待ちも
さりながら、この女性に必要以上の危害や苦難をかけるつもりもなかった。そんなことは、あらゆる意味で馬鹿げている。あくまで自分を裏切った元顧客にいきつくための非常手段である。
『それで、なにを聞かれたいんですか』
『単刀直入に伺います。和辻社長は、事業を展開するためにかなり強引な手段をとられましたよね』
『知りません』
『まとまった人数の解雇があったということですが、あなたはどうして残ったんですか?』
『社長の一存です』
『ということは、やっぱりずば抜けて優秀でいらっしゃったんですよね?』
これまでの対応から推し量るに、その反対の印象しかない。
『いえ……その、私は社長の娘ですから』
『ほおうっ!? これは大変失礼しました。社長のご令嬢と。なら、それこそつまらない偏見にさらされたんじゃありませんか?』
謎の一つが解けた。典型的な箱入り娘の世間知らずだ。
『もう慣れました』
『旅館の松空にもエビスを刻んだ石灯籠があって、町ぐるみでエビスに助けられたっていうエピソードを地野社長から伺いました。どうしてそのエビスを撤去なさるんですか?』
『あれは、そんなにいいものじゃないんです』
『いいものじゃない……何故?』
『父……社長がいうには、本当は、海辺にある漁村からエビスを盗んできたっていうのが真相らしいです』
『盗んできた!』
エビスは立派な神様である。昔話のこととはいえ、人間ごときが盗める代物ではないだろう。
『ち……社長は、最初はエビスが町の守り神だって本気で信じていました。でも、最近になって真相がわかったって急にいいだしたんです』
『最近とは、たとえば数日前ですか?』
『そうです』
『あなたは前々からあまりエビス像をよく思ってなかったんですよね』
『ただの迷信ですから』
『ちなみに、どの漁村から盗んできたのかは突きとめられたんですか?』
『夜木聖町です』
『夜木聖町! 神奈川県の!?』
まさにそこは、元顧客を逃がそうとしていた町だ。たしかに、ひなびた漁村が点在する町でもある。
『ご存知なんですか?』
『ええ、親戚がいましてね。でも初耳です』
『むこうでは、黒銀町って名前こそでてませんけど、エビスを盗まれたせいで貧しい地域になったっていう言い伝えがあるんだそうです』
『それを、社長は独力で調べられたんですか?』
『はい』
学者なみの、ちょっとした偉業だ。もっとも、明るみにしたところで誰の得にもならない。
黒銀町の町民としては、エビスが、神様らしく自発的に手をさしのべにきてくれたとしか認識していないだろう。夜木聖町の方も、自分達が貧しくなったことの『合理的な』根拠として、エビス云々を持ちだした程度にきまっている。実際には、漁獲量の低下や燃料代の高騰、食生活の欧米化に基づく需要の低下などが絡みあった結果のはずだ。
『社長はまだ帰られてないんですか?』
『はい。当分、出張するとのことです』
とってつけたような、説得力の欠片もない理由だった。しかし、ここで反論するのは有害無益としかいいようがない。
『ひょっとして、社長ご自身が夜木聖町の出身ということでしょうか?』
『知りません』
『でも、お墓参りとかいったりするんですよね』
地方市町村最大の義理ごとの一つ、墓。社長令嬢なら、引きこもりでもなければつきあわされるはずだ。同時に、必ずしも彼女自身が納得しているとは限らない。
『それは……まあ、ありますけど……』
やはり。学者でもない人間が、縁もゆかりもない地域の昔話など簡単に検証できるはずがない。つまり、和辻社長は夜木聖町に一定のかかわりがある。
『なにか、水産業にかかわってらっしゃったとか?』
『知りません』
声の抑揚が、わずかに変わった。墓参りで揺さぶりをかけた直後でもあり、これはアタリだと判断した。
『わかりました。いろいろとありがとうございます。私としては、社長が帰られたら改めてお話したいと思っていますので、何卒よろしくお願いします』
『お伝えはしますが、そちら様からはもうかけてこないでください』
冷ややかに断定してから、一方的に電話は切れた。
死んだ社長は、夜木聖町にエビスのルーツがあると踏んでいたらしい。最初はエビス像を飾っておいて、盗難に由来することがわかると撤去しようとするとは。律儀というか信心深いというか。
重要なのは、当人の死亡と真相の把握がほぼタイミングを一つにしているということだ。いうまでもなく、どこかのカルト宗教が、自分らに不利益な真相を知ったことで和辻社長を消したのではないだろう。突飛すぎる。ただ、夜木聖町で和辻社長がなにをしていたかを探れば、死に至る手がかりが掴めるはずだ。
夜木聖町を元顧客に勧めたのは矢磯自身だが、思わぬ偶然だった。土地鑑を身につけるべく、あれこれ下調べしてはおいたが、まさかこんな形で役だつとは。
矢磯はスマホを胸ポケットにしまい、車をだした。速やかに夜木聖町へむかわねば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます