第8話 社長の評判

 たいして交通量がない地域なので、やりにくいのは間違いない。面も割れているので、いやでも距離をとらざるをえなかった。

 もっとも、正味二十分とかからない作業でもあった。目当ての車は『武末葬儀店』なる葬祭業社の正門をすぎた。さすがに、用もないのに自分までいくわけにはいかない。尾行はそれで終わり、ナンバープレートまでは暗記せずにすませた。持ち時間からしてやれることがかぎられているし、当人が社員であるのはほぼまちがいない。客なら葬儀の案内看板がでているはずだ。

 何の気なしに過ぎ去る格好になるよう、そのまま車を流しながら、新たな収穫を頭の中で反芻はんすうした。

 タイミングとして怪しいのは当然だが、かかわりがあると決めつけるのは馬鹿げている。まずは、葬儀社について簡単に調べておきたい。

 黒銀町から隣町に至る境目の辺りで、うまい具合に空地があった。田舎道の空地に、休憩目的で車が止まるのは珍しくない。さっそく駐車した。

 スマホをだして、武末葬儀店を検索すると、ありきたりなホームページが見つかった。死者の尊厳や遺族の心境について、まっとうな主張が連ねられている。葬儀の料金も、世間なみな相場だった。

 ただ、社長の顔写真や略歴こそあるものの、他の社員についてはなんの紹介もない。社長についてはとりたてて気を引く点はなかった。

 黒銀町に、これ以外の葬儀店があるかどうかも調べた。結論として、存在しない。逆説的に、和辻の死はまだ公になっていないことがわかった。いくら町外に死体があるとはいえ、葬式そのものは地元でやるだろう。仮に葬式が始まっているなら、武末葬儀店の門前にしかるべき案内がでているはずだ。

 いまのうちに、葬儀店とはまた異なる話題も抑えておきたかった。

 エビス。山にある町が、どうしてああもエビスにこだわるのか。

 矢磯がスマホをつつくと、意外な知識がもたらされた。

 もともと、エビスは七福神において唯一、日本土着の神らしい。起源をさかのぼると古事記にでてくるヒルコにいきつくそうだ。そして、地域によっては、海で溺死した人間をエビスの遣いとしたりエビスそのものの化身としたりして崇拝したらしい。

 黒銀町は、海からエビスがきて飢饉を救われたことがあると、旅館の地野社長から教わった。ならば、可能性によっては、溺死体が海から山にきて人助けをしたのか。

 黒銀町の民話や昔話をいくら調べても、手ごたえはなかった。失望は特に感じない。よほど熱心な郷土史家でも地元にいればともかく、大半の人々にとってはただのお伽噺とぎばなしだろう。細かいいきさつがわかる方が珍しい。

 ただ、エビスが溺死にかかわるのは面白い知見だった。和辻は、毒殺される寸前に養殖プールへ突きおとされた可能性もある。

 しばらく思案していて、だいぶ陽が傾いてきた。車の窓ガラスから差しこむ夕陽が、矢磯の腕や横顔を焼いている。

 そこで、彼は唐突に閃いた。犯人は現場にもどるというではないか。あとわずかな時間で定時になる。

 車のエンジンをかけて、矢磯は回れ右した。もう一度、『バードウォッチング』の真似事だ。スマホには車内充電器の端子をさしておいた。

 目的は和辻養殖場ではない。和辻養殖場を監視……といっていいものかは迷うが……していた人間だ。だから、彼と最初に会った場所を見張ることができる地点を選んだ。

 この時期は、定時から日没まで多少の時間がある。先方からすれば、矢磯は通りすがりのバードウォッチャーにすぎないだろう。だからこそ、監視に便利な場所を簡単に諦めたりはしない。高さや距離もさることながら、うまい具合に植林が密生しているのでレンズを日光から隠し易い。その辺りは、矢磯も大いに利用しところである。

 位置について二十分とたたないうちに、くだんの男が現場にやってきた。

 矢磯はあえて車を使わず、双眼鏡だけだして徒歩で男をめざした。相手が素人とはかぎらないし、こちらの与える情報は必要最小限にしたい。その気になれば、車は個人情報の塊だ。どのみち時間のかかる距離でもない。

「こんにちは。またお会いしましたね」

 できるだけ明朗快活に、矢磯は声をかけた。相手は飛びあがらんばかりに驚いたが、どうにか自分の双眼鏡は握ったままだった。

「ど、どうも」

「ホトトギスは見つかりましたか?」

 白々しくならないよう、自然な様子で問いかけた。

「いえ、まだです」

「ああ、そういえばあそこに工場みたいな建物がありますね。火葬場でしょうか?」

「いや、あれは養殖場ですよ」

 カマをかけると、簡単に口を割った。

「養殖場?」

 知っているとはおくびにもださず、矢磯はとぼけた。

「ええ、テレビにもでました。ヒラメを養殖しているんです」

「へー、こんな山奥……いや、失礼」

「かまいませんよ、山奥ですから」

 その口ぶりには、自嘲よりも積極的な他者への悪意が感じとられた。

「申し訳ないです。とにかく、山にヒラメとは斬新ですね」

「斬新かもしれませんが、地元はいい迷惑ですよ」

「えっ、どうしてですか」

 矢磯は素で驚き、新たな情報の可能性を期待した。

「テレビでは、さらっと建設業から転業したなんていってましたけどね。これまで地域を支えてきたのはまさに建設業なんです。社員の大半がクビで、町に金が落ちなくなったんですよ」

「でも、町内に建設業が一社しかないわけじゃないでしょう? 最近は人手不足だって耳にしますし」

「そうですけど、全員を即座に吸収できるわけじゃありません」

「ヒラメは町の外に出荷されるんですか?」

「ちょっとは町内でも消費されますよ。旅館のレストランとか」

 養殖場に対しては辛辣な批判を緩めない彼が、旅館にはほんの微妙ながら加減が甘くなった。

「ああ、通りすがりに……松原だか杉空だか……」

「松空です」

 知らないふりをすると、養殖場よりもずっと強く食いついてきた。

「そうでした。地元の目玉メニューとかにするんですか?」

「一時的には、よそから客がくるかもしれませんね。一ヶ月もすれば、町で金のある奴が、見栄を張って食べるくらいですよ」

「へー。ちょっと失礼」

 矢磯は、スマホをだした。お気にいり登録しておいた松空のサイトを呼びだす。

「ああ、わざわざ写真まであげてありますね。社長は地野さんっていう方なんですね」

 とうに把握ずみだが、いかにも知ったばかりという風に矢磯は述べた。

「自慢じゃありませんが、俺の親父なんですよ」

「ええっ!?」

 たしかに、似ているとは思っていた。親子とはまた。

「自分で口にするのはおこがましいですし、だからなんだというのでもありません。まあ、親父は和辻養殖場の社長と仲いいですから」

「それはまた……じゃあ、町内ではお父さんをやっかむ方もいるんですか?」

「俺が一番にやっかんでますね。恥ずかしいですよ、いくら本業が儲からないからって」

「えー、それでは、あなたもまた建設業かなにかを……」

「いや、葬儀社で働いてます。葬式やら法事やらの精進落としに、和辻養殖場のヒラメが使われるんでしょうね」

 ことほどさように和辻養殖場を嫌っているということは、経営にケチをつける可能性を探してしつこく監視していたということか。だとしたら相当な粘着質だ。

 旅館の社長である父と不仲で、その父が和辻養殖場を贔屓しているから面白くないという線も、わからなくはない。だが、それだけで処理するには、あまりにもいびつすぎる。もっと巨大な塊があるはずだ。

 もうずいぶん陽も傾いてきた。黄昏時といってもいいくらいだ。地野社長の息子が葬儀業に勤めていて、和辻養殖場を快く思わない。さらには、親子仲もギクシャクしている。このネタだけで十分すぎるだろう。

「私はよその人間ですから、なんともいえません。ただ、養殖場がいいことづくめでないのはよく理解できました。暗くなってきましたし、この辺りで失礼します」

 我ながら他人行儀な口調だが、なまじ理解や賛意を示すのもおかしいだろう。

「はい、お疲れ様です」

 地野の息子も、引きとめはしなかった。

 矢磯はすぐに車まで帰った。ぐずぐずしていると、文字通り夜になる。ろくに土地鑑のない山の中で暗くなると、わずかな距離でも道に迷うことがある。幸い、簡単にたどりつけた。

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