第5話 吊られかけたエビス

 矢磯をハメた人間が、和辻を殺して廃倉庫まで死体を運んだということか。そこまでして彼を陥れる理由がわからない。矢磯の恨みを買うのはもちろん自分の犯行も簡単にバレる。

 総合すれば夜逃げは嘘か、嘘に限りなく近い。和辻の死体こそが、元顧客からすれば主従の主だ。事故か事件かまではまだ不明瞭なものの。

 こうなると、おたがい匿名のやりとりだったのが裏目にでた。さすがに、矢磯も使い捨てのアカウントからくるフリーメールをもって、相手の特定などできない。

 いずれにしろ、死体は数日のうちに警察が発見するだろう。腐って異臭を放つし、野犬が手足を噛みちぎって、どこかにくわえていくかもしれない。

 そうなれば、誰が死体を廃倉庫にもたらしたのかはすぐ明らかになる。

 矢磯は、警察の力を大いに恐れている。目をつけられたが最期とさえ思っている。この季節なら、明日には腐敗が始まるだろう。本格的に臭いが広がりだすのはさらに一日たってからで、警察に通報されるまでもう一日。合計三日。

 元顧客が、矢磯になんらかの罪をなすりつけたがっているとして。彼が逆襲するには、長くとも三日の猶予しかない。これだけの仕掛けをもたらしたのなら、ただのいたずらであるはずがない。

 黒銀町役場、松空、和辻養殖場の各サイトはウェブでお気に入り登録しておいた。しかるのちに、たっぷり寝ることにする。次に寝られる機会がいつくるか、なんの保証もないのだから。

 翌朝、通勤ラッシュが一段落した時分に矢磯は起きた。

 三時間半後……真昼には、愛用のポンコツ軽四で黒銀町に到着した。死者が養殖場を経営していたなら、直接調べにいくまでだ。あらかじめスマホで地形を調べ、養殖場の頭上から双眼鏡で観察する。

 防犯意識というのは、軒先に直接やってくる存在に対してむけられる。頭上から覗かれるのは心理的な盲点になりやすい。ましてや黒銀町は山の中にあり、隠れる場所はいくらでもある。

 双眼鏡は、多少かさばっても倍率の高いものをあらかじめ買ってあった。逃がし屋にとって、一分一秒でも早く正確に情報をえる手段は必須。追っ手が迫ってくるのを双眼鏡で知り、間一髪……という展開もこれまでにあった。

 それにしても、いざ現地にくると、無個性な杉の植林が延々と連なっていた。矢磯は奇跡的に花粉症と無縁だが、罹患者があとを絶たないのもまた理解できた。伸び放題の枝は、素人目にもろくな手いれがされてないのがわかる。

 車は道路沿いにある小さな空地に置いた。双眼鏡の紐を首にかけ、斜面を歩いていると、先客にでくわした。双眼鏡を手に、向こう側の稜線を眺めているようだ。

「こんにちは」

 今さら回れ右するのも馬鹿げている。いっそ清々しく先客の背中に声をかけた。

 激しく突きとばされたかのように、肩を大きく揺らしながら先客は振りかえった。当然、双眼鏡は顔から外している。

 三十代になるかならないかの、中肉中背な男性だった。白いポロシャツに黒い長ズボンで、街中にいても違和感がない。そのくせ、どこかで目にした記憶があった。

「こ、こんにちは」

 はなはだぎこちない挨拶だった。

「あなたもバードウォッチングですか?」

 双眼鏡の定番はこれしかない。そして、機先を制するのは絶対条件だ。この点、矢磯は淀みも抜かりもない。

「え、ええ」

「この時期はホトトギスが良く現れますよね」

 おかしな話題ではない。ホトトギスは初夏の鳥だ。バードウォッチングをネタにするからには、矢磯とてそのくらいの知識は仕いれてある。ただし、植林にやってくるかどうかは定かでなかった。

「はぁ、そうですね」

 相手は、明らかに矢磯を迷惑がっているようだ。

「私は都内からきたんですが、あなたも?」

「いや、私は県内の人間で……」

「なら、私よりはここに詳しそうですね」

「いえ、にわかなものでして」

 ある意味で好都合だ。

「ホトトギスなら、ちょっとむこうの尾根で鳴き声を聞きましたよ」

 矢磯は平然とでたらめを口にした。

「それはどうも。ちょっといってみます」

 そそくさと、相手は去った。

 彼がバードウォッチャーなどしていないのは明白だ。そして、立ち位置といい角度といい、明らかにある一点を凝視していた。

 試しに、同じ場所で同じように双眼鏡を構えてみた。テレビやネットで見聞きした、和辻養殖場がありありとレンズ越しに拡大されている。こちら側と同様、植林に囲まれた山の中だ。

 だからといって、和辻の死体とさっきの男性を結びつけるのは時期尚早だろう。いくらなんでも不自然すぎる。

 それよりも、和辻養殖場にパトカーや警官が出入りしているかどうかだ。それらの気配はない。和辻がいなくなったのはとうにわかっているが、目だった騒ぎにはまだなっていない。

 と、養殖プールの端に一人の人間が現れた。距離が距離なので、小指より少しましくらいの大きさにしかならない。一応、女性なのはわかる。

 しばらく時間をかけたが、ほかに現れた人間はいなかった。

 双眼鏡を外しかけた矢磯は、ふと視野に現れた奇妙な物体に注目した。養殖プールの隅に、一体の彫像がある。それほど大きなものではなく、せいぜい彼の胸くらいまでの高さか。純白で、材質が石なのか金属なのかまではわからない。

 じっとレンズをむけながら集中すると、七福神の一柱だとわかった。釣竿を右肩に担ぎ、真鯛を左脇に抱えている。さほど古典の教養に恵まれてない矢磯でも、エビスだとわかった。

 だが、エビスにはなんとも異様な演出……でなければ作業……が施されていた。首にロープがかかっている。ロープは、エビスをいまにも絞首刑にせんばかりであった。すなわち、端を輪にして喉をしめるように巻きつき、もう一方の端は背中に垂らされている。

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