第6話 聞きこみ

 エビスは豊漁の神様。養殖場にそれを安置するのもわかる。

 なぜロープを首にかける必要があるのか。まさにバチ当たりとしかいいようがない。当節流行の炎上商法でもないだろう。そんなことをする必要がないのは、夕べのテレビ番組でも明らかだ。

 さっき追いはらった男は、エビスへの常軌を逸したやり口を凝視していたのだろうか。

 しばらく注目したものの、一人で現れた女性にエビスをどうこうする意図はないようだ。

 残り時間を鑑みるに、くどくど迷っている暇はない。双眼鏡はこのくらいにしておいて、車にもどった。

 車内で、和辻養殖場のサイトをスマホのお気に入りウェブサイト一覧から呼びだした。サイトには電話番号も明記してあったので、すぐにかけた。

『はい、和辻養殖場です』

 十数回のコールを経て、若い女性の声がした。

『あっ、どうも。初めまして。私、東京のフリージャーナリストで祖宮そみやと申します。お世話になります』

 淀みなく、矢磯はでたらめを述べた。商売柄、こうした『身分』も必要なことが多々ある。たとえば、顧客の逃亡先を下調べするときなどは重宝する。しかるべき名刺も用意してある。むろん、表の個人運輸業にもとづく名刺もある。

『はあ』

 気のぬけた返事だった。社長が不在で……現実には亡くなっているのだが……動揺しているのはあるにせよ、電話に不慣れなのはすぐわかった。

『夕べのテレビで、お宅様が話題になりまして。是非とも取材したくてお電話しました。和辻社長はいらっしゃいますでしょうか?』

『あ……いえ、いません』

『お仕事でご不在ですか?』

『はい、まあ』

『それでしたら、お話しても差し支えない方はおいででしょうか?』

『いえ』

 困惑が滲みでる口調だった。

『かしこまりました。また機会を見てかけ直しますので、社長がもどられましたらよろしくお伝えくださいませ』

『はあ』

『失礼します』

 電話を切ってから、入手した情報を頭のなかで整理した。話の最中、別な電話が鳴ったり、誰かの話し声が聞こえたりはしていなかった。深夜枠とはいえ、テレビで紹介されたのならそれなりの反響があっていいはずだ。対応した社員も、気ぬけした様子を隠そうともしていなかった。

 まだ小さな会社で、人材確保にまで手が回らないのかもしれない。生き物、とりわけ食材となる生き物の管理は、繊細な注意が必要ではある。しかし、機械化を進めればある程度の省力化は可能だ。むしろ、魚が順調に育つメドがたったのなら、商談や宣伝にこそ神経を使わねばならないだろう。ある意味で、会社が急成長する節目に当たっているのかもしれない。

 いずれにせよ、はいわかりましたですませるつもりはない。矢磯とて自分の人生がかかっている。スマホを上着の胸ポケットにしまい、車のエンジンをかけた。逃がし屋が、一度目をつけた物件の所在をあやふやにするはずがない。和辻養殖場までの道のりは、頭に叩きこんであった。

 約三十分後。いざ到着すると、ネットでの印象よりはずっと大がかりな施設だった。

 植林はおろか、山の斜面が機械的に切りとられて敷地をこしらえている。学校の運動場が二つ半は入るほどの広さだ。盗難や愉快犯を防ぐためにか、敷地は城壁よろしくならべられた何千枚という鉄板にぐるりと囲まれていた。板のてっぺんにはまんべんなく鉄条網が張られている。

 さっき双眼鏡で観察したときは、遠距離であるのと斜め上からの角度なのとで、鉄板にはさほどの迫力を感じなかった。サイトで紹介されていたのは、養殖場の中身であって外見ではない。こうして直面すると、要塞さながらだ。

 防犯カメラを備えた柱も、いくつか鉄板ごしに見える。とどめといわんばかりに、警備会社のステッカーが何十メートル間隔かで鉄板に張りつけてある。

 そのくせ駐車場は、舗装もなく、白線すら引いてなかった。『和辻養殖場専用駐車場 弊社にご用の方以外の駐車はご遠慮ください』と白いペンキで縦書きされた青地の看板が、山道の脇にたっているだけだ。それでも、少し詰めれば、普通車が十台は停められそうではあった。

  駐車場の一番奥には、一トントラックと軽トラックが一台ずつあった。また、並級の普通車も一台ある。だから、空きスペースは実質的に七台分となる。

 あらたに一台分を、自分の軽四で埋めて、矢磯は車を降りた。

 正門は、鉄板の一部を長方形に切りとって、そのままドアとしてつけ直したものだった。両開きで、いかにも重々しい。

 門の右脇にあるインターホンを押すと、間ぬけなほど穏やかな音楽が流れた。インターホンにも防犯カメラがついていて、ゆめゆめ気はぬけない。

『はい』

 電話で聞いたのと同じ声音が、スピーカーから流れてきた。

『どうも、先ほどお電話したフリージャーナリストの祖宮です。たまたまこの辺りを通りがかりましたので、よろしければこの場ででもお話できたらなと』

『話すこと、ないですけど』

『養殖プールに、首を吊ったエビス像がありますよね』

 絶句は、知られたくない事実をつかれたからだろう。

『せめて、その由来だけでもお願いできませんか』

『あれはもうすぐ撤去します』

『え? どうしてですか』

『知りません』

『社長のご指示ですか?』

『おお……おおよそはそうです』

 言葉が不自然に途切れた。

『おおよそ?』

『私も、ない方がいいって思っていましたから』

 初めて本音めいた言葉を耳にした。

『でも、エビス様って漁業の神様ですよね』

『そんなの迷信です。帰ってください』

 ブツッ。

 インターホンが切れても、矢磯の思考は切れなかった。不自然にもほどがある。とりあえず、この場は引いた方がいい。

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