第4話 意外な出演
淡々と道のりを消化し、矢磯は自宅についた。駆けだしの社会人が住むようなアパートで、部屋は三階にある。駐車場もアパートが抱えており、ぜいたくでもみすぼらしくもなかった。
矢磯はドアの鍵を開け、中にはいるなり後ろ手で閉めて鍵をかけた。土間で靴を脱ぐと、一度奥までいってハサミとコンビニのビニール袋をとってきた。そこからは、かまちに座って黙々と靴をバラバラにした。油断なく、下にビニール袋を広げてあるので、欠片が漏れるということはない。
作業が終わり、ビニール袋を食堂にある可燃ゴミ用の袋にいれた。どうせほかのゴミと混ざるし、まさか中身をぶちまけてたしかめたりはしないだろう。
とんだ無駄足だったが、とにかくシャワーは必要だった。速やかにそうした。疲れているし、食事はカップ麺ですませて缶ビールを二つほど開けた。
ほろ酔いになった矢磯は、眠気が本格的にくるまでの間、テレビをつけることにした。有料チャンネルは契約していないうえに、深夜だ。くだらないバラエティか、ローカルネタくらいしかやってない。それでも、ないよりはましだ。
『ここは静岡県の
なにかのグルメ番組だろうか。若い女性のリポーターが、おおげさに驚きながら料理を紹介した。矢磯とて、それくらいならたまに食べる。テロップによれば、二週間ほど前の収録だそうだ。
さっさとチャンネルを変えてもよかったが、黒銀町は、さっき死体を見つけた倉庫から車で三十分かそこらの場所だ。あの死体からは集魚剤らしき臭いもしていた。それで、つい注目した。
『こちらが松空さんの社長、地野 幸助さん。黒銀ヒラメ刺盛り定食を考えた立役者です!』
五十代後半くらいか、その年代にしては背が高い男性が紹介された。もっとも、体重については歳相応に脂肪がついている。
『これ、山の養殖場で育てたヒラメなんですよ! 山で海のお魚!? 港から直送!? ちがいます! 山奥がお魚の産地なんです! それでは社長、この黒銀ヒラメ刺盛り定食になくてはならない助っ人をご紹介してください』
『はい。和辻さん、お願いします』
『はい、こんにちは』
頭から冷水をかけられたかのように、酔いがさめていった。
現れた和辻なる男性は、顔も体格も、まさに廃倉庫の死体と寸分変わらなかった。他人の空似という可能性も、まだ完全には否定できないにせよ、酩酊どころではない。にもかかわらず、精神的に別な意味で酔っぱらいそうだ。呼吸が早くなって脈が増してきた。
『ここ静岡県の黒銀町で和辻養殖場を経営していらっしゃる、和辻 奏太さんにお話を伺いまーす! 和辻さん、このヒラメはあなたが育てられたんですか?』
矢磯の心情などお構いなしに、リポーターは話をつづけた。
『そうです。私が育てました』
『とても美味しそうですね。でも、どうして山のなかに養殖場を作ったんですか?』
『はい。むかし、私はここ黒銀町で建設業を営んでいました。しかし、町おこしのためになにか特色のある産業を始めたくなり、もともと魚が好きだったので勉強をしました』
にこにこしながら淀みなく答える和辻の姿は、倉庫で横たわる死体から想像もつかない。
『それは思いきった決断でしたね。どんなことが一番大変でしたか?』
『そうですね、なんといっても餌には神経を使いました。経費はもちろん、ヒラメの美味しさそのものに悪影響がでないよう試行錯誤でしたよ』
だから指先に臭いが残っていたのか。もはや本人だと判断せざるをえない。
地元のために、これほど熱心に働いてきた人間が、どうして死なねばならなかったのか。いや、死んだあとあんな場所まで運ばれる理由とは。
矢磯は、社会的道義心になど興味がない。にもかかわらず、自分自身の立場にも関わるだけに、いやでも首をつっこまざるをえなくなってきた。その気がなくとも、探偵めいた仕事をしなければならない。
リポーターがいちいちわざとらしい演技をしながら黒銀ヒラメ刺盛り定食を食べはじめた。さすがに、眺める必要はない。テレビを消した。
どうせならビールを飲む前に見ておきたかった。非建設な不満が湧いてくるのを我慢して、矢磯は食堂から居間に入った。充電器にさしたままの業務用スマホを手にとる。電話番号や登録住所は異なるが、アプリを始めとする中身は、帰る前に破壊したものと同じだ。
まずは猫と波の音を聴いた。酔いざましもかねてだが、愛煙家が煙草を吸うようなものか。
頭がすっきりしたところで、大事なキーワードをスマホで検索した。静岡県黒銀町、老舗旅館、松空、地野 幸助、和辻奏太、建設業、和辻養殖場、ヒラメ。
最初は、どこにでもありそうな町おこしに思えた。
黒銀町は、五千人ほどいる町民の大半が五十代以降である。小学校と中学校は一つずつしかない。高校はなく、主要な産業も実質的に存在しない。強いていえば観光業と建設業だが、前者はたいした収益にならず後者は補助金頼みだ。
そんな町で、老舗であれ旅館を切りもりするのは相当な苦心が必要だろう。温泉でもあればまだしも、それすらない。もっとも、町に残る宿泊施設は松空だけだった。ライバルがいないからには、来客次第で多少は潤う可能性があるだろう。
松空の社長……地野といったか……は、和辻と同じく五十六歳だった。バブル世代か。ならば、社員旅行だの慰労会だので、放っておいても客がきた時節を捨てられないのかもしれなかった。
和辻は、地野よりは柔軟な発想の持ち主らしい。そもそも黒銀町は海が近い。また、彼は土木業者でもあった。だから、ほとんど二束三文に等しい町内の盆地を買いとって、養殖用のプールを造成した。海水は地下に埋設したパイプから採取すればよく、技術云々より役所の書類が難物だった。使用ずみの海水は浄化してから海にもどすが、和辻自身が県内の業者や学者に話を聞いて専用の装置を購入した。
ヒラメは、水深が比較的浅い海で生きている。プールはそれほど深い必要がない。ひところ悪名を轟かせたアニサキスのような寄生虫も、水質管理さえできていれば問題ない。マグロやサンマのように、広い海域を泳ぎまわる魚でないのも管理しやすかった。
あとは、ヒラメそのものの質だけが問題だ。
テレビでも述べていたとおり、ヒラメを育てるエサは、まさにうまいまずいに直結する。ヒラメが卵から成魚になるまで二年はかかる。エサをまちがえたら、その二年はすべて無駄になってしまう。
だからこそ、指に臭いがしみつくほど努力したのだろう。
和辻の遺体に、争った形跡はなかった。外傷もない。しかし、死体をバレないように持っていくのは、よほどのタイミングに恵まれねばならない。タイミングとは、つまり、当人が死ぬ瞬間にたちあうのが理想だろう。いつ死ぬかなど、正確に予測するのはほぼ不可能だ。
つまり、和辻は殺された可能性が高い。あのときざっと調べたかぎりでは、外傷もなければ溺れたのでもない。ならば、毒殺か。それも、眠りながら静かに死ぬような毒。嘔吐したりもがいたりしたら、あんな風にただ横になっているだけのような状態にするには一定の手間がかかる。それこそ臭いも残りかねない。手の爪に残った臭いを消せなかったからには、使った毒の力にもたれかかっている可能性が高い。ちぐはぐだ。毒の効力はプロなみなのに。
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