第53話 救世主

 千沙は理性を捨て、生存本能だけに従い首を縦に動か――。


「……………」


 やれやれ、と首を横に動かして由香里が身体の向きを変える。

 座標変更(ポジションチェンジ)で逃げた千沙をお姫様抱っこする男を見て、


「てっきりアルベルト様の方に行くと思い無警戒でしたが、私のレーダーをくぐり抜けて気配なく近づくとはお見事です」


 と言葉を送る。

 とても魅力的な餌を用意したのにも関わらず、食いつかなかった男に由香里は優しい眼差しを向ける。

 人間なんて一貫性があってないようなものだ。

 さっきまで悪だった人間が急に天使のような笑みを浮かべることだってある。

 また相手によって瞬時に態度を変えることだってある。

 それは軽蔑されるような悪ではない。

 だからと言って誰かに否定されるような悪でもない。


「――ッだから?」


 口から洩れた声は怒りを含んでいた。

 普段人に見せることがない明確で純粋な怒り。

 それを見た由香里はクスクスと笑う。

 魔法使いは千沙を支配する恐怖よりさらに大きな恐怖を背後に見せて叫ぶ。


「お前が今回の黒幕。だったら俺がここに来ることも計算通りだろ?」


 黒い瞳で由香里を見て、真っ直ぐに言葉の刃を向ける。


「お前はペテン師だ」


 東城明久には、由香里が考えていることが、わからない。

 一体なにを目的としてこんな酷いことをするのか。


「かもしれませんね。ですがそれはお互いさまではないでしょうか?」


「否定はしない」


「その様子から優しさだけでは負けると知り、力を取り戻したようですね」


 心に掛けたプロテクトが相手に解除されるより早く相手の心を支配する戦い。

 まるで剣の達人同士が対峙するように、それは静かに始まりを迎える。

 自身と対峙しているように錯覚した東城は一瞬の油断やミスが命取りになることを直感で知る。

 そして――魔力で生成した剣を両手で持ち物理的な攻撃も同時に行う。


「私の幻想盾にヒビ……。なるほど、その剣は何でも切り裂く剣というわけですか」


 それならと由香里は幻想盾を捨てて、東城が持つ剣と全く同じ物を生成し両手で持ち対抗する。

 二人の剣技は互角。

 剣と剣が衝突する度に火花が舞う。

 一死攻防の闘いは千沙を死の恐怖から遠ざける。

 絶体絶命の危機に現れた黒魔法使いが救助と同時に掛けてくれた魔法が心を浄化してくれる。そして目の前で教えてくれる。落ちこぼれた少年が、どん底から這い上がって、輝く奇跡を目の前で見せてくれている。そして迷いのない目は――。


「もう二度と大切な仲間を真奈と同じ目に合わせない!」


 ――誰よりも自分自身を信じている目だった。

 決意が力になった男は相手が誰でも関係ないと言わんばかりに、強敵に立ち向かう。


「既に心が折れた少女はもう立ち直れません」


「だったら、立ち直るまで俺が支える。心の痛みや絶望ってのは、一人で乗り越える必要がない。誰かと一緒に乗り越えてもいいはずだ!」


 瞬間魔力安定率九十五パーセントの二人が本気になった。

 千沙の視界の先では無数の残像だけが写し出させている。

 ただ速いだけじゃない。

 幻術魔法を組み合わせた攻撃はどれが偽物でどれが本物なのかがわからない。

 パチンッ。

 東城が指を鳴らした。

 心臓を貫かれた東城が千沙の視界から消え、背後から由香里を切り裂きながら登場する。

 幻術魔法と座標変更を組み合わせた本来の東城明久がそこに居た。

 これが本気となった国家公認の魔法使い同士の戦い。

 感覚を取り戻し、戦いにキレが生まれ有利に進める東城に由香里の傷が増える。

 だが身体にできた傷がすぐに消える。

 これがアルベルトの力を受け継いだ由香里の本来の姿。

 そして――由香里が指を鳴らすと東城と同じ動きを見せた。


「チッ……なんだこの違和感」


 あまりの理不尽展開に舌打ちする東城。

 それも当然。

 アブルートは既に解除される寸前まで来ている。

 なのに、こちらは精神干渉で負け、物理的な攻撃でも負けていた。

 極限の命のやり取りの中、東城の脳は冷静にこの状況が長く続かないことを理解していた。まるで鏡の中にいる自分と対峙している、そんな感覚に東城は苦笑い。そして鏡の中の自分は物理的な攻撃で死なないことを良いことに防御力を攻撃力に回している。やっと攻撃が通ったと錯覚させイラつかせるタイミングでの幻術魔法と座標変更を組み合わせた攻守はとてもイヤらしい。


「私は東城様の核を知りたいのです。もっと見せてください。そして開花させてください」


 東城との感覚とは違う。

 徐々に戦況が悪くなる由香里は油断しない。

 瞬間魔力安定率九十五パーセントではない。今は魔力安定率九十六パーセントを常時維持して東城が攻撃していることを魔力レーダーで感知したからだ。それは数秒から後数分もすれば九十七パーセントの境地に達するだろう。そうなれば魔法の精度で一段階上昇する。言い方を変えれば魔法を発動する次元が変わる。

 それを魔力レーダーで読み取り、己の力に還元する由香里。


「九十六パーセント……コピーしたのか?」


「はい」


 魔力レーダーで素早く分析し、自分の力に還元した由香里の成長速度は異常だった。

 だけど東城は不思議には思わなかった。

 魔力レーダーを通して伝わってくる力の波動が教えてくれたからだ。

 由香里はアルベルトの遺伝子――つまり力を受け継いだ者。

 それは言い方を変えれば。


「経験の差か……」


 と、結論付けた。

 東城とは比べ物にならない経験の差が由香里の強さに繋がっていると確信した。


「会談の時とは明らかに違いますね」


「あぁ。心を犠牲にした以上、中途半端な覚悟はもう要らない」


「一瞬とは言え、私の心に強引に干渉するとはお見事です」


 そして魔力安定率九十七パーセントに到達した東城を見て由香里が剣を捨てる。


「もう隠しても仕方がありませんね、私は今年五百五十一歳になります。そしてアシュラ隊最初の被検体であり、唯一の成功体です。それが私の正体です」


 東城はなるほど、と心の中で納得した。

 今の由香里の強さは異常過ぎる。

 剣での攻撃が全く通る気配がないぐらいに、本当の由香里は剣帝の領域にもう居るんじゃないかと思える。

 戦いのなかで覚えた違和感もそれなら納得ができた。

 生きてきた時間が圧倒的に違うのなら、そんなありえない話があっても不思議ではない。

 だけどそうなると別の疑問が生まれる。


「それだけの力があるなら、なぜアルベルトを自ら奪還しない?」


「わかりませんか?」


 言葉に隠された棘に、東城が首を傾ける。


「それは私の本心に反します。しかしアルベルト様は私よりも強い。だから従うしかない」


「お前はどっちの味方だ?」


「アルベルト様は千年以上を生きた魔法使いにして私にいつでも強制干渉と強制支配する力を持っています」


 由香里は来ていた服を脱ぎ、黒いブラジャーのホックを外して、大きな乳房を東城に見せる。

 恥じらいは一切なく、どこか冷たい視線を向けられた東城は由香里の胸を真剣に見る。

 千里に負けないぐらい大きな胸は十代後半と言ってもわからないぐらい張りがある。

 心臓部を中心に刻まれた青色の刻印は奴隷紋。

 自ら心のプロテクトを解除した由香里は東城の精神干渉攻撃を受け入れる。


「そういうことか……」


 東城は全てわかってしまった。

 なぜ会談中、完全復活した黒魔法使いに会いたいと由香里が言ったのか。

 心の中を除くと、常にアルベルトと繋がった魔力回路を見つけた。

 少し見ただけでも心のリンクがアルベルト側から強制的にいつでも開けるタイプの物だとわかった。つまり身体と心が常にアルベルトに支配されていると言っても過言ではない状態に由香里もまた被害者だと知った。


「私は私の運命を変えられる、この時をずっと待っていた。五百年以上待っていた。死にたくても死ねない。一人孤独と戦う日々に終わりが来る日を」


 由香里は淡々と続ける。


「アルベルト様は命じた。傀儡人形を煽て、世界にアシュラの怖さを教えろ。そのタイミングで弱まった封印を解除し俺を助けろと。だから私はそれに従う振りをした」


 嘘ではない言葉を東城は黙って聞く。


「アルベルト様に一目惚れされたことをきっかけに私の運命は大きく変わった。望まない力と永遠の命を与えられた。それから幸せな日々はなかった。過去に恋人を何人も殺しました。私の身体はアルベルト様だけの物だと愛を感じる度に心に教え込まれた。わかりますか? 意識が戻った時に目の前で殺された恋人と身に覚えのない返り血を浴びてる私の気持ちが? 私の心は穢されいて、逆らうことを許されない。だから自分に幻術魔法を使い六道に強い好意を寄せた。だけど六道を殺すことは叶わなかった。ならば、とアルベルト様の関心が忠犬に向いた今がチャンスだと考えました。アシュラを弱体化させるには今しかないと」


「俺たちならそれができると?」


「はい」


 東城は由香里の心の中を見て「千沙は保険だったわけか」と呟いた。

 雑草が踏まれて、強くなって立ち上がるように。

 千沙の心の強さに目を付けた由香里の真意。

 自分を復讐の対象に、建前上家畜として飼いならすことを考えていた事を知った。

 異性ならまた殺してしまう可能性がある。それを恐れた由香里が同性の千沙に目を付けた。そして千沙を家畜として飼いならせばそれを奪還しようと小柳と東城が必ず動くことまで計算していたことを知った。

 真奈の一件で千沙が心の奥底でかなり恨んでいることを知った。その恨みの裏に隠された怒りと自分の人生を滅茶苦茶にした女に対する復讐心すら計算した作戦には由香里の執念を感じられずにはいられなかった。


「この五百年。世界は少しずつではありますが、東城様が願う世界に少しずつ近づいています。東城様なら首謀者と幹部を失ったアシュラを解散させることができるはずです」


「ずっと疑問だった。武力行使を善とするアシュラがなぜ昨日まで核や魔導兵器を一切使わなかったのか……」


「それは単なる気まぐれでしょう。私はそこにいるお嬢さんを殺そうとしました。さぁ、その恨みと怒りで私を殺してください、黒魔法使い」


 復活を目前にして油断しているのかアルベルトからのリンクが今はない。

 だから本音を言えたのだと見抜いた東城は由香里が他の者に禁忌魔法を使って強制干渉用のリンクを持っていないか確認する。

 しかし、そんなものは一つもなかった。

 あるのはアルベルトと繋がりそこから伸びたリンクの物だけ。

 愛とは支配である。一昔前ならそれも通じたかもしれないが、今の時代ではその考え方は少し古臭いと感じた東城は三秒ほど沈黙してから口を開く。


「万能の魔法使いがこの世に居る訳がないだろ」


 瞬間、魂が抜かれた人形のように由香里が地面に倒れた。

 東城は魔法兵器工場の破壊が終わった焔に連絡を取り、千沙の状況を説明し緊急回収を命じた。

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