第9話 通い妻(2)


 ――春歩さんに言われるまま、自室に戻り数分後。


「お待たせしました」


 春歩さんは、料理の乗ったお盆を持って僕の部屋へとやって来た。


 ベッドの上で体を起こすと、ローテーブルに置かれた料理の正体がわかる。


 ふわふわと湯気を立てるそれは、卵雑炊だった。


「取り分けますね」


 春歩さんは、雪平鍋の中の雑炊をお椀によそう。


 そして、レンゲで掬うと――。


「ふぅ、ふぅ」


 熱を冷ますため、息を吹き掛け。


「はい、あーん」


 僕の口元に差し出した。


「………」

「……あ、ご、ごめんね! 恥ずかしいですよね!」


 いきなりやって来たラブコメ漫画のような看病イベントを前に、ただでさえ頭がフラフラの僕は言動の停止を余儀なくされる。


「え、えへへ……た、食べますか?」

「あ……はい」


 とは言え、わざわざ作ってもらった上に、好意で食べさせてくれようとしているので……。


 僕は、春歩さんの差し出したレンゲに、口を付けた。


「……美味しい」


 控え目に言って、凄く美味しい。


 体調不良だが空腹の体に、スッキリ染み渡る美味さだ。


 素直に、ありがたい。


 僕は春歩さんに付き添われながら、鍋の中の雑炊を全て平らげた。


「ごちそうさまでした」

「えへへ、お粗末様です」


 温かい料理をお腹いっぱい食べた事で、体温が更に上昇した。


 汗で湿ったパジャマを、僕はハタハタと仰ぐ。


「夜空先輩、服すごいですよ」

「さっきまで寝てたから……かなり、汗を掻いちゃったみたいだ……」


 寝間着は汗を吸ってぐっしょりしている。


 それに気付いた春歩さんは、「ちょっと待ってて下さい」と言って、食器を持って部屋を出る。


 そして、タオルを持って帰ってきた。


「パジャマ、脱いでください」

「え、あ……」


 僕がもたついていると、春歩さんがボタンを外して上着を脱がせてくれた。


「背中、拭きますね」


 そして、優しく、汗で湿った体を拭いてくれた。


「………」


 なんて甲斐甲斐しいのだろう。


 愛らしく、でも家庭的で、守ってあげたいと思うと同時に、癒されたいと思ってしまう。


 なるほど、『結婚したいランキング』一位も納得だ。


 春歩さんの存在を前に、僕は場違いな感想を抱いてしまった。


 そんな感じで看病をしてもらいながら、時間が過ぎていき……やがて。


「ありがとう、少し楽になってきたよ」


 だいぶ熱が引いてきたようだ。


 頭の痛みもほとんど無い。


 僕はベッドのわきにチョコンと座っている春歩さんに、そう報告した。


「本当ですか?」


 春歩さんは立ち上がると、「どれどれ……」と言いながら、自身のおでこを、僕のおでこに当てた。


「うん、確かに大丈夫そうですね」

「………」


 あまりにも自然に、そしていきなりの出来事に、僕は言葉を失う。


 春歩さんは「あ」と呟き、慌てて離れた。


「ご、ごめんなさい、わたし、お姉ちゃん達が風邪ひいたりしたときには、いつもこうやってるから、ついクセで……」

「いや、だ、大丈夫だよ……」


 熱が引き、頭痛が弱まり、僕も普段に近い思考を取り戻してきた。


 陰キャ特有の挙動不審な動きと共に、そう返答する。


 照れているのがバレバレだろう。


「……夜空先輩」


 そこで、春歩さんが僕に身を寄せた。


 ベッドの縁に手を置き、先程額を合わせた際のように、顔を近付ける。


「は、春歩さん、あまり近付くと、汗のにおいとか……」

「大丈夫です」


 春歩さんは、熱の籠もった声で言う。


「本当に……よかった、また、会えて」

「春歩さん……」

「夜空お兄ちゃん、あのね、わたし……」


 春歩さんは、言う。


 僕を、お兄ちゃんと呼び。


 長年胸に秘め続けてきた想いを、告げるように。


「わたし、夜空お兄ちゃんのお嫁さんになりたいです」

「………」

「あの動物園で、昔伝えた気持ちは、まだ変わってません」

「………」


 昔……。


 ……動物園?


 何か、重要なワードが出た、気がする。


 だが、次の瞬間――。


「たっだいまー、夜空大丈夫ー?」


 いつの間にか帰ってきていたらしい母さんが、僕の部屋のドアを開けた。


 そして、僕と、すぐ隣に寄り添う春歩さんの姿を直視。


「……へ?」


 時間が停止したのだった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「へぇ、じゃあ、春歩ちゃんは中等部の子なんだ」

「はい、夜空先輩とひょんな事から知り合いまして、今日は心配でお邪魔させていただきました」


 数分後――。


 春歩さんは、母さんと意気投合していた。


 ……凄いコミュ力である。


 ものの数分で、あんなに人の親と仲良くなれるなんて――と、談笑している二人を傍らで見ながら、僕は思った。


「よかったわねぇ、夜空。こんなに親切で可愛い後輩さんに仲良くしてもらえて。しかも、わざわざ自宅までお見舞いに来てくれるなんて」


 そこで、母さんは僕に顔を寄せ、声を潜めて言う。


「わかるわよ、夜空……この子、絶対に脈有りよ……逃がしちゃダメよ」

「か、母さん……」


 親にあるまじき発言をする母さんに、僕は慌てふためく。


「おっとっと、ついつい話し込んじゃったわね。ちょっと着替えてくるわね。あと、化粧も落としてこなきゃ」


 そう言って、母さんが部屋を出て行く。


「えへへ」


 今度は逆に、春歩さんが僕に顔を寄せて、ヒソヒソ声で言う。


「わたし、夜空お兄ちゃんのお義母さんにもご挨拶しちゃった。公認だね」

「は、春歩さん……」


 そんなことを口走る春歩さんは、とても上機嫌な様子だった。


 やがて、時間も時間ということで、春歩さんは帰ることに。


 僕は母さんと一緒に深くお礼をし、お土産を渡して玄関で彼女を見送った。


「………」


 そして、熱が下がり、冷静な思考を行えるようになって――改めて、僕は思った。


 昨日の楓先輩やひかりさんといい。


 今回の春歩さんといい。


 彼女達が好意を向ける本来の相手は、きっと僕ではない。


 このままでは、勘違いをさせて彼女達の気持ちを弄んでいる気分だ。


 明日、学校に行ったら、三人とちゃんと話そう。


 そして、確信を持って言おう。


 僕は、違うと。


 あれから、必死に昔を思い出そうとした。


 でも、自分には彼女達と出会った記憶も、交流した記憶も無い。


 きっと、自分はあなた達の言う夏野夜空とは別人……おそらく、誰かと勘違いをしているのだろう、と。


 だから、申し訳ないけど……そう、言い切ろう。


 心の中で、固く決心した。

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