第21話 出会いは突然で・1

 ナギサは魔界を歩いていた。

 魔界から見れば敵である月界の王女だが、聖界に戻ってまだ数か月。そのため、顔が知られておらず、変装をしなくても普通に歩けていた。

 とは言え、魔界に行くのが決まった際に、サガナに魔界で流行の服だと渡された服を着、尚且つ疑われないように注意点を叩き込まれたのだが。

 ナギサが歩いている場所は魔界の中心で、王都であるにも関わらず、月界の王都と違って、街中はあまり華やかさがない。そもそも、万年常春な月界は文字通り、花がそこら中に咲き乱れているが、乾季と雨季しかない魔界は極端な季節を生きるため、華やかさよりも堅実さを重視していた。

 道路の整備もそこまで整ってないものの、汚さなどはなく、民衆の活気は溢れており、この空気感はナギサも嫌ではなかった。

 城下町の中心にある噴水広場からは、四方に道が伸びていた。魔界は王都を中心に各地方に分かれており、その起点になるのが噴水広場のため、ここを中心に賑わっていた。

 ナギサはその噴水に腰をかけ周りを伺う。サガナに言われた「噴水広場から西へ向かう道を進むんだよ」を思い出していた。

 ナギサがこれから向かう予定の魔界両族領は、王都でも西の端に位置していた。王都内にあり、魔界では両族に対しての差別はないので、両族領は異国情緒を味わおうとする観光客も多く、しっかりした警備などが行われており、治安は悪くない。


 ナギサは一つ溜め息をついた。

「先日の、聖力を剣術に補うための資料ができたから、うちに来てよ」という、キョウノからの伝言を持って来たサガナと会ったのは、二日前。

 あまりにも突然だったが、キョウノの無茶ぶりは普段からあるのか、サガナも苦笑いを零していた。

「本当なら、私がお迎えに上がり、一緒に行ければいいのですが……すみません。手が離せない仕事がありまして」

 そうサガナに言われてしまっては、ナギサも我が儘は言えず、「そう。仕事なら仕方がないわね。大丈夫よ、一人で行けるわ。気にしないで」と気丈に答えた。

 結果、サガナから魔界の地図や服装などを叩きこまれたわけだが。


 ナギサは噴水に腰かけたまま立てなかった。あまりにも気が重く、立ち上がれなかった。こんなことなら冥界で会えば良かったと後悔していた。

 しかし、突然周りの人々の空気が変わった。気が重いナギサとは裏腹に、わっと熱いものになったようで、ナギサはハッと顔を上げた。

 周りを見れば、黄色い声を上げる人たちが大勢いた。それも女性たちばかりで、いずれもうっとりした表情で、溜め息のように心から息が漏れてしまっているようだった。

 皆、うっとりと眺めている方向は一緒で、ナギサは何事かとそちらに視線を向けた。


 そこにいたのは、やたらと美形の男だった。


 ナギサも思わず、あまりの美形に目を奪われてしまった。別に面食いではないのだが。

 一つ一つのパーツが整い、長めの明るい茶の髪を一つに結い、淡い紫の瞳は綺麗なのに冷たいものを孕んでおり、クールな印象を与えていた。しかし、それすらも女性たちを虜にしているようだった。

 服は仕立てが良く、高貴な身分なのだと言っているようだった。

 確かに、全ての女性が目を奪われ、感嘆の溜め息をつく理由もわかる。

 だが、ナギサはぶんぶんと顔を振った。

『私の好みではないわね。綺麗すぎるもの。まあ、目の保養にはなるけども』と、若干失礼なことを思いつつも、おかげで気分が切り替わり、やっとキョウノの屋敷へと向かう気になった。すくっと立ち上がると、まだ女性たちが黄色い声を上げている中を、横切って歩き始めた。


「ああ、またか」

 男は思わず口から悪態が出てしまった上、舌打ちまで出てしまった。

 いつものこととは言え、人通りが多いところを歩いただけで、女の視線ばかりを感じる。

「レイガ様よ」「ああ、今日もカッコいいわ」「あの冷たい視線に射抜かれたい」

 そう、女たちの囁きがずっと聞こえる。勘弁してほしい。彼女たちは聞こえてないつもりだろうが、普通に聞こえている。

 唯一の救いは、駆け寄ってくる女がいないことか。

 その点は、日頃の自分の行いなのだから、笑みを零すしかない。


 男の名は、レイガ=ルベラ。魔王、ルシフの長男である。

 魔界の第一王子という身分の高さと、すれ違う女性たちが必ず振り向くレベルの顔の良さで、言い寄ってくる女は数知れず。

 だが、それを台無しにするレベルで、冷徹な男だった。女性に声をかけられても無視はまだ良い方で、無礼な発言や態度で返すのは当たり前、という“クール”では済まされないレベルであった。とは言え、泣かされた女性たちと同じぐらい、その冷たい態度がより燃えるというマニアックな女性たちもいるせいで、変に人気があるのだが。

 結果、外を歩けば、女性たちが黄色い溜め息を吐きながら、遠くから眺めるという図が出来上がってしまっている。

 正直、慣れているとはいえ、これはこれで面倒なのも事実である。

「大体、親父がしょっちゅう呼び出すから、毎回こんな目に合ってるんだよな。あのクソ親父、いい加減にしろ」

 再び悪態を吐き、頭を抱えた。

 そんな中、ふと視線を上げた先で、思わず一人の女性が目に止まった。

 今、自分の視界にいる全ての女性が、自分に視線を向けている中で、彼女だけが別の方を見ており、そのまま立ち上がると広場を横切って行ってしまった。

『珍しい』

 最初に思ったのはその一言だった。自分と一切視線が合わず、横顔しか見えていないのだが、逆にそれが新鮮で、思わず目を奪われた。

 濃い茶の髪を二つに結び、歩くだけでツインテールがゆらゆらと揺れる。

 服も地味ではあるものの悪い仕立てではなく、むしろ生地は良いもので、どこの令嬢だろうと思った。

 そこでハッとし、レイガは苦笑いを零した。

 まさか、自分が一人の少女にこんなに心奪われるなんて。

 もう、恋なんて面倒だと思っていたのに。彼女が誰か知りたい。

 その思いが先走って、彼女を追いかけたい気持ちに駆られたが、すでに彼女の姿はなく、渋々と実家である王城へと向かった。

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