第12話 落鱚もう見えぬ、冬

 拝啓 冬の寒さが身に沁み入る季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 顔を合わせないようになり、早三か月が経過しましたね。携帯電話が一切通じなくなってしまったことから、親御さんに何かしらの制限を掛けられてしまっているのだと推察します。もし、純粋にブロックしているだけの場合は、すみません。この手紙はこれ以上読み進めず、破って捨ててください。燃やしていただいても結構です。

 さて、今回筆を執るに至ったのは、他でもありません 。

 阿原さんの、将来についてです。

 ご存じの通り、僕は大した人生を歩んでおりませんので偉そうなことは言えませんが、世界のどこにも居場所がない人間の先輩として、お伝えしたいことがあるのです。拙筆で申し訳ないのですが、お付き合いいただけると幸いです。

 まず、阿原さんは、来年成人されますよね。確か、冬生まれだったと思います。

 成人すると、親権が消失します。すなわち、進学や就職、結婚、転居などに際して、保護者の同意が不要になるということです。

 更に、阿原さんは成人した数か月後に高校を卒業することになると思います。

 そこで、僕から一つ、提案があります。

 来年の、阿原さんの誕生日に、僕と籍を入れませんか。

 そして、高校卒業と同時に、家を出ませんか。

 僕はようやく再就職先が決まり、今は転居について検討しているところです。ですので、新しい家を、一緒に見に行きませんか。僕は在宅ワークをする予定なので、新居の住所にこだわりはありません。阿原さんが進学を希望する場合は、大学の近くを選んでもよいですし、二度と親御さんの手の届かない場所に行きたいというのであれば遠方への転居も検討します。

 また、阿原さんが、進学の道を選んでも、浪人や就職の道を選んでも、僕は応援しようと思っています。進学を選択する場合は、学費の援助もやぶさかではありません。とはいえ、全額の負担は難しい可能性が高いので、一部は奨学金を借りていただくことになると思います。今から勉強を頑張れば、無利子の奨学金の貸与を受けることも可能だと思います。

 僕からの援助金については、返還していただく必要はありません。阿原さんが就職し、ご自身でお金を稼ぐことができるようになったら、今度は阿原さんの奢りでカフェ巡りをしましょう。

 一つ断っておきますが、僕は阿原さんに対して恋愛感情があるわけではありません。それは阿原さんも、同じだと思います。

 ですので、寝室をどうするだとか、婚外恋愛をどうするだとか、そういった具体的な事柄については、この話を進めると決めた場合にゆっくりと二人で話し合いましょう。

 これは、選択肢の一つだと思ってください。

 阿原さんがご自身で考えて、ご自身で望み、そう生きたいと思う場合は、僕が全力で援助します。ですが、これはあくまで、提案であって強制ではありません。僕が阿原さんを唆し、かどわかすわけではないということです。

 もし、阿原さんがご実家を出た後に、親御さんが警察や弁護士などに「娘を攫われた」と相談した場合、僕ははっきりと「本人の意志です」とお答えします。決して、「先生に言われたから」という主張は成立しないと思ってください。

 この案を実行する場合は、阿原さんがご自身で今後のことを考えて、自分の言葉ではっきりと、親御さんや警察や弁護士や行政員に対して「自分の意志だ」と言える自信がついてからです。ご自身の人生をご自身で決める、覚悟ができてからです。

 もし、そうありたいと望むのであれは、お返事をください。切手を貼った封筒を同封しています。便箋はメモ用紙やルーズリーフで構いません。住所は既に封筒に記載しておりますので、手紙を入れたら、そのまま投函してください。たしか通学路にポストがあったかと思います。

 最後になりますが、僕は阿原さんのことを、戦友のように思っています。気味が悪いかもしれませんが、半身のように思ったこともあります。

 僕たちは居場所のない孤独者かもしれませんが、一緒になれば、それなりに満足のいく人生を送ることができるのではないかと思っています。お互いの不得手を、補い合える関係になれるのではないかと考えています。

 まあ、それが駄目そうであれば、またその時に解決策を考えればよいですね。一緒に。

 阿原さんが良き年越しを迎えられることを、心よりお祈り申し上げます。敬具 袴田睦郎


 鍵をかけた自宅のトイレの中で、私はその手紙を読みながら、必死に嗚咽を堪えていた。決して声が外に漏れないよう、そして零れ落ちる涙が手紙を汚してしまわないよう。

 何枚にも渡るシンプルな便箋には、先生らしい、几帳面で美しい直筆の文字が並んでいた。内容にもあった通り、住所の記載されている封筒も同封されている。どうりで、分厚いと思った。

 先生は、私のことを、未成年の子供だとかただの元生徒だとか、そういうふうにカテゴライズして見ているわけではなかった。枠に入れて、箱にしまって、上から眺めているわけではなかったのだ。

 先生は、私のことを、一人の人間として認識してくれていた。

 そして、こんなふうに、向き合ってくれている。

 その事実がただただ嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。

 誰にも依存せずに、自分の頭で考えて、そうしたらその先に、こんなにわくわくする選択肢があるだなんて思いもよらなかった。自由になってもいいなんて、穏やかで幸福な暮らしを望んでもいいなんて、考えもしなかった。

 誰かと共に生きる、資格があるなんて、誰かと向き合って生きていける未来があるなんて。とても。

 私は涙をぬぐった。

 最近は家の中で意味もなく涙を流してることが多かったから、涙の痕を見ても、充血した眼を見ても、母はいつも通り何も言わないだろうと思った。手紙だけは見つからないよう、服の中に、落ちないようにしっかりと隠した。

 自分が何をしたいのか。

 どこへ行って、どんなふうに稼いで、どんなふうに生きたいのか。

 考えようと思った。母は頭の中までは覗けない。幸い、どこにも行けない時間はたくさんある。調べられるときに色んなことを調べて、あとは頭の中で計画を立てよう。なりたい自分を、ちゃんと描いてみよう。

 そうして、その先に、先生との結婚が見えるのならそれも悪くないと思った。

 私はこの家や、籍や、名字を捨てて、先生と生きていく。先生に対する恋愛感情は確かになかったが、別にそれでも構わないと思った。新しい生活は、楽しいものに思えた。少なくとも、今よりはずっと。

 私はトイレを出て、俯いたままで自室に戻り、勉強机に向かってすとんと座った。

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