第14話

 小さな音が私の眠りを浅くしていく。

 暗闇のなかに忘れていた自我を認識すると私は細く目を開けた。目の前には、眉間に皺を作って怪訝そうな顔をした友人がいた。 自分以外の人間が一人暮らしの家にいることに驚く間もなく、彼女が口を開けた。

「体調が悪くなったって言ってたから、会社終わりなのに来てやった」

 何故か威張った顔でそう言うと、彼女は中身が入っているポリ袋をこちらに差し出した。

 泣いて乾いた顔に張り付いた髪が邪魔になって言葉を発せずにいた。動かずに友人を見つめていると、彼女は袋をローテーブルに置いてそのまま窓の方に足を運んだ。窓のロックを解除して勢いよく開けた。

 生ぬるい風が侵入して部屋の空気を更新させる。

 遮光カーテンが風になびいて、夜の光が真っ暗な部屋を少しだけ照らす。彼女のシルエットと窓の四角い枠がフローリングに映し出された。

「まだ暗いな」

 そう言って友人が部屋の電気をつけると、夜の光は人工的な光に完全に負けた。

 久しぶりに感じた明るすぎる照明に体ごと背けて目を腕で隠した。

「なんか言ってよ、ほんとに心配」

「......」

「...私と会った日から体調崩したっていうんなら私のせいじゃない」

 威勢のあった声は姿を変えて寂しげだった。

「違うよ、ずっと考えてただけ」

「なにを?」

「サツキの死を受け入れるために、サツキのことを色々」

「...なんか、それをしちゃったら本末転倒な気がするけどね。まあ、サツキちゃんの死を受け入れるのだって私が言ったことだし、やっぱ来てよかった。ほら、飲んで」

 袋がこすれ合う音がしたと思ったら、私の顔に影が重なり、暗くなった。

 薄く目を開けると、栄養ドリンクが友人の手に握られていた。

「飲んで」

 彼女の低くなった声色と圧のかかった表情に諦めを感じて上体を起こし、液体を流し込んだ。

 酸味の効いた味が喉につっかえて変な気分だ。

「そんなに不器用だったっけ。サツキちゃんが亡くなったときも普通だったけど」

 椅子に腰かけた友人が私の方を見て呟いた。

 窓から入ってくる風は随分冷たくなっていた。

 不器用という言葉はかつて私がサツキを表したものだったのに、まさか自分に使われる日が来るとは。

 冷えた風が当たって冴えていく頭には、自虐する言葉しか浮かんでこない。

 嘲笑うように私は言った。

「...だから受け入れられてないの。ずっと。向き合ってなかったから」

 ベッドと接地している壁にもたれかかり、ゴンと頭をぶつけた。

 ずっと横になっていたせいか、長い前髪の分け目が変な方向に流されて視界が半分閉ざされた。

「まさか、サツキちゃんがほんとは死んでないとか思ってるの」

 友人は驚いた顔をしているのだろう。

 怖くて見れなくて、私は視線を下に向けた。声の表情で彼女を感じとった。

 長いあいだ切っていない爪が伸びすぎていた。

 でたらめに生きている気がして情けなかった。

「そういうことじゃない。サツキがいなくてつらいし、どうすればよかったのかも分からないし、そんなこと考えても意味ないし」

 私の涙腺が緩む根源は、悲しいことや悔しいことが起きたときじゃない。

 サツキの想いが募ったときと、その衝動に痛みを感じたときだ。それ以外はなにも感じなかった。

 私は壊れている。

 想いすぎている。

 私がサツキにしていることは偶像崇拝で、その私を理性的な私が殺そうとする。お互いを痛めつけるなかで、なにが正しいのかなにがしたかったのかもう分からなかった。

 はじめて死にたくなった。

 そうすれば、サツキも許してくれるんじゃないかと思った。

 死という危ういものは、暗闇のなかで正解を探すことより救いになるのかもしれないと思った。

 私は、馬鹿だ。

 いまさらにサツキを死なせてしまったことや、救えなかったことを罪として許しを乞うような自傷行為は自己満なだけだ。大体、それらが罪であるのかさえ分からない。罪かどうかを決める人も、許してくれる人ももういない。

 サツキは誰よりも生命の重みを知っていたのに、それでも死んでしまった。

 選択の権利をもたずにただ生かされたというこの世界の不条理のなかで、苦しんでもただ純粋に幸せを願って生きようとした。

 サツキを死なせたのはサツキの弱さじゃない。

 醜いこの世界がサツキを奪ったのだ。

 矛盾している基盤がサツキの心を殺した。

 私は、自分がこの世界で生きているという証がどうにも受け入れられない。

 伸びすぎている爪、前髪の変な癖、人工的な青白い光、生ぬるい風、私を囲う全てが気持ち悪かった。

 私の核が壊されていく。

 私が黒い海に捨てられていく。汚されることのない過去の記憶だけが心に残って縋りたくなってしまう。

 私はなんのために生まれてきたのだろう。

 ただサツキに会いたいだけだ。

 大粒の涙が落下して、手や太ももを濡らしている。顔を上げて照明に視点を合わせると、偶然かその光がパッと消えた。

「軽い停電かなあ」

 そう友人が呟いた。

 痺れて伸ばした脚の先を数センチだけ夜の光が照らしている。

「...海に行きたい」

 私は友人にそう告げた。

 雨はとっくにやんでいた。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る