第5話

 おぼつかない足取りで洗面所を目指す。青白い顔を鏡に写せば、数時間経っただけなのに老いを感じた。

 頭を冷やすように顔に冷水を浴びせれば、だんだんと熱が引いて頭も冴えてくる。

 私のなかのサツキがもつエネルギーに抗うように生きていれば、記憶がフラッシュバックした日の翌日でも会社に行けるくらいには安定した。今日も満員電車に揺られて、会社へと歩を進めた。

 人と挨拶を軽く交わしたあと、後輩が心配そうにこちらにやってきた。

「先輩、顔色めっちゃ悪いですよ。大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。昨日寝れなかったの。それだけ」

「よかったです。これ、暖かいお茶どうぞ」

「ありがとう。体調よくなった?考えすぎてない?」

「はい!強い精神をもてるように私も頑張ります」

「頑張りすぎてもダメだよ。自然体であなたはいいんだから」

 そう告げると彼女は照れるように頬を赤くした。それがあどけなくて可愛いと思った。彼女は少しサツキに似ている。

 後輩はよく笑うけれど、サツキはよく泣く子だった。声を荒げて闊達と泣く。泣くことで負のエネルギーを放出しているように見えた。傍から見て幼くはない、むしろ大人っぽいサツキが泣いてる姿は私の瞳をひどく震わせた。

 サツキが強く私に訴えた言葉をふと思い出す。

「生まれてきた意味なんか求めたって無駄なのに考えちゃうの。考えれば考えるほど死にたくなって苦しいのに。生きているのがそもそも前提なんだからそこに意義なんか求めなくていいのに。こんなことを考えない人は忙しないほど生きているんだろうね。私は怠け者なくせに考えることをやめれなくて、それが私の生きるってことなのかな」

 サツキは本当は自尊心が低く、押しつぶされそうなほどにか弱かった。

 弱って悪いことばかり考える状態で生きる意味など模索しても無駄だということを、サツキはとうに知っていた。それなのに、矛盾するように思考の海に溺れるサツキはただただ苦しそうだった。 本当の自分を見失ったサツキに励ましの言葉をかけることは、さらに追い打ちをかけそうで黙ってサツキの涙が流れるのを見つめるか、サツキの泣く声を聞いているしか出来なかった。

 サツキは独りで抗ってもがいていた。その姿を一番近くで見つめていたというのに私は救えなかった

「...い!先輩!」

 急に傍で声がしたことに驚いた反動で後ろを振り向くと、後輩が不安そうな目で私を見つめていた。

「先輩、大丈夫ですか。すごい力を込めて集中しているように見えます」

 私は笑顔を作って言葉を返した。

「...大丈夫だよ。何か用?」

「今日飲み会ありますけど辞めときますか?体調悪そうだし」

「ごめん。今日は先約があるから欠席でお願い」

 顔の前に手を合わせて愛想良くそう告げた後、パソコンに向き直ると、先程打ち込んでいた文章にところどころ誤字があるのを見つけた。

 私は深い溜息をついて席を立ち、トイレに向かった。

 鏡に見える自分の顔は、今朝洗面所で見た顔よりも疲れて見える。夜には友達に会うというのに、こんな暗い顔ではいけない。

 私は自分の頬を軽く叩いた。生じた痛みに反応した筋肉が動いて、少し目が開いた気がした。

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