第4話

 手を洗い、腕をまくる。包丁を使い、単調の音を一定のリズムで奏でるように具材を切っていく。その作業に頭を全集中させる。雑念などが無機質な音に刻まれて、私のなかの黒い海へと捨てられていく。

 負の感情や悲しい出来事は私にとって保存する価値がない。そういうものをすべて飲み込んで消してくれるのが"黒い海"だ。

 しかし、黒い海へと私まで引きずり込もうとする記憶だけはいつまでも捨てられなかった。サツキの記憶だ。

 忘れたくても忘れられないという言葉は私にとって前向きな意味をもたない。とても負のエネルギーをもっていると感じる。もう終わったことなのに、過ぎ去ったものなのに、私のなかでそれは存在を主張する。どれほど幸せだった記憶もサツキの記憶には勝てなかった。私の心を割いて、核の中心を穿つのだ。

 こうなったとき、私はただあることをするだけだった。

 具材を切って焼いただけの晩御飯を食べた。シャワーを浴びて順番に体を洗った。スキンケアとドライヤーを終わらせた。

 包丁が奏でる音と同じように、私は単調に素早くするべきことをする。そうやって処理していく。

 ただ対処法があっても、ごく普通の一日をおくれるわけではない。こういう日は一睡もできない。目を瞑るとサツキの顔や体、肉声などが一斉に私を襲って動けなくする。

 まるで金縛りにあったような状態に初めてなったとき、私は何故か快感を覚えてしまった。

 サツキが私をコントロールして動けなくするのは、サツキがこの世界から消えてしまったことへの罰だと思ったから。

 サツキがまだいるんだと思えてしまった。

 その快感はドラックのようなものだった。サツキの記憶に飲み込まれると、私は必ず会社に行けなくなるほど体調を崩す。動けなくなり、なにも食べれなくなる。これは、私のなかに居座るサツキの存在がいかに大きいものであるかということを示していた。

 その快感に従えば、当然私は衰弱するので抗うことに決めた。私のなかにいるサツキを消すべきだと思った。離れなければいけないと思った。

 しかし、寝れない代わりにつけたテレビの情報は全く頭に入ってはくれない。全ての情報が私のなかのサツキに負けていて、私はそれに溺れている。

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