第3話
手に取ったその本は少し汚れてところどころ黄ばんでいた。その黄ばみが懐かしく感じた。
その本の名前と映画の題名は完全一致していた。その小説はかなり古く、十年前のものであった。
私はゆっくりと本を開き、読み始めた。
文章の冒頭ですら感動を覚えた。それは文章の美しさに慄いたわけではなく、その本についての記憶が今日更新されたという喜びであった。
読み進めていくのは簡単なことで、やはり自分が好きなものはいつまでも好きであると確信する。そういう使命だとも思う。
主人公の少女が思春期のなかで出会った親友と共に成長していくというその物語は繊細で優しい。少女のあどけなさと、その親友の強く真っ直ぐなところが大好きだったことを思い出す。
夜ご飯の支度やお風呂の準備なども忘れてその物語に没頭する私は、時間を忘れてなにかに熱中する幼い子どものようであっただろう。
そういう時期が当然私にもあったが、もう大人になってしまった。期待することをやめ、廃れることを受け入れ、小さなことに動じない器を手に入れた。
私はいつ頃大人になったのだろうか。そもそも大人になるという基準がどこにあるのかさえ不確かだけれど。
時間を忘れてちゃんと最後まで読んでしまったが、その本は分厚いものではないので一時間弱しか経っていなかった。
晩御飯の準備に取り掛かるために腰を上げて本棚に向かう。羅列している背表紙の途切れた間にその本を差し込んで仕舞った。
並んでいる文字を人差し指で縦になぞると、本のカバーの硬さや質感が指に伝わる。この本と私を繋いでくれたあの子の笑顔が脳裏に浮かんできた。
名前はサツキといった。
私は仲良くなりたいがためにサツキの好きだったこの本を何度も読んで、玄人ぶった感想をサツキに伝えた。
私とサツキの大切なこの小説は一ヶ月後に映画化されるそうだ。
その映画をサツキは見たかっただろうか。それとも、映画に起用されるキャストに愚痴をこぼすのだろうか。
しかし、答えが出ることは永遠にない。
小説が映画化されるまで十年、サツキが死んで十年経っていた。
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