第1話 第7章 『調査停滞』

 その後数日、調査は停滞した。

 事故調の面々はありとあらゆる可能性を模索し、検証し、破棄した。エンジンの調査を担うノベリアとアイリ、組織の支援のため奔走するテオドラら警察の面々も様々な可能性を検証し、同様に可能性を破棄していった。

 調査に停滞した事故調査委員会の本部は、まさに死屍累々といった様子だった。

「……なぁーんにも見つからないねぇ」

「……そうねぇ」

 数日の奮闘も空しく、凡そ全ての可能性を否定されてきた葵とハンナは、その体をぐったりと椅子や机に預け、脱力した様子でどこか遠いところを見ていた。

 そんな彼らをよそに、ユスティは一人黙々と資料に目を通していく。

「……ユスティもよくやるよねぇ……ここ数日ずっと働き詰め……」

「大変よねぇ……私たちもそうなんだけど、ユスティだけは疲れ知らずって感じで尊敬しちゃうわ……」

 そんな彼らの様子を尻目に、ユスティは片手間の対応で彼らの言葉に応える。

「俺はこの組織の代表だからな。一番忙しいのは当たり前だ」

「そういう問題じゃないと思うんだよなぁ……」

 資料の山にぐったりと突っ伏しながらそういう葵。彼らの様子はまさに屍で、旗から見ているユスティの方が不安になるレベルの憔悴ぶりだった。

 ユスティは資料を手繰る手を止め、二人の方へと向き直った。

「二人とも、無理はするな。過度な疲労を蓄積した状態での調査は、現実を見る目を曇らせる」

「そうは言ってもねぇ……」

「私たちにも仕事があるわけだし……」

 憔悴した体を引き摺りながらも健気にそう言う彼ら。そんな彼らを、しかしユスティは歯に衣着せぬ物言いで諭した。

「その疲労状態ではこれ以上の調査は無理だ。二人とも、今日明日は休暇を取ってくれ」

 不正確な調査を防ぐためにもな、とユスティ。

 やや強い言葉で窘められた彼らは互いに顔を見合わせ、よろよろと席を立った。

「そこまで言われちゃ仕方ないわね……」

「そうだね……確かに、疲れた状態で調査なんてしたら正しい判断なんて出来ないからね……」

「その通りだ。二人とも、今までよく頑張ってくれた」

 そう言うと、ユスティは二人の肩を叩いた。

 荷物を纏めた二人が出ていくのを見送ると、ユスティは再び資料の山へと向かった。

 彼が今読んでいるのはDC-9-81M型の仕様書だ。彼はサージングの原因が燃料管理装置FCUにあるのではないかと仮説を立て、そのための調査を始めていた。

 結局のところ、ハンナの監督の下行われた実験では杜撰なチェックにより機体への着氷が見逃された可能性が認められた。事故機の飛行記録から前日の夜から当日の朝にかけて分厚い着氷があった可能性も立証され、現在の調査は専らサージングを悪化させた原因についての調査を中心に行われていた。

 一しきり資料との格闘を終えたユスティは、凝り固まった背筋を伸ばすために立ち上がる。そんなタイミングで会議室に入ってくる人影があった。

「……相変わらず仕事熱心だな。迎えに来たぜ」

 ジャックだ。彼は地上の再々捜査のための人員として駆り出されており、テオドラの命によりユスティの迎えに来ていた。

 いつの間にか時間が過ぎていたことに驚いたユスティは、壁に駆けられた時計を見て支度を整える。

「すまない。少々立て込んでいた」

「いいんだよ。仕事熱心な主席サマが約束をすっぽかすのなんて想定済みさ」

 シニカルにそう笑うジャック。彼も葵やハンナほどではないが、調査のために東奔西走している身だ。彼もまた、その顔に疲労の影がうっすらと浮かんでいた。

 手早く荷物を纏めたユスティは、立ち上がってコートを羽織る。準備を終えたユスティの様子を認め、ジャックは彼を先導して歩く。

「首尾はどうだ?」

「……正直良くない。今は燃料系の不調を疑っているが、アイリによれば燃料系の一部に欠けがあるらしい」

「それで今回の地上の捜査か」

「それもある。……執れる選択肢が限られているというのが本当のところだがな」

「そうかい……まぁ、俺たちの前では堂々としていてくれよ。何かの可能性の証明のために働いてるんだって考えれた方が、俺たちとしては気が楽だ」

「努力する」

 ユスティはジャックの乗ってきた警察車両の助手席に乗り込み、荷物を足元に置く。ジャックもまた車両に乗り込み、エンジンをかける。予め暖房がつけられていたのか、車内はコートが不要なくらいに暖かかった。

「現場までは暫くかかる。その間お前も寝ておけよ」

 シートベルトを締めながら、ジャックはユスティにそう言う。

「そういうわけにもいくまい。助手席に乗っている以上、運転手の補助に回る必要があるだろう」

「だったら後部座席でも使えよ。……お前はこの調査の頭脳だ、お前に潰れられちゃ、俺たちも何をしていいのかわかんねぇからよ」

 ぶっきらぼうにジャックはそう言った。これは彼なりの心遣いなのだと、ユスティはそう解釈することにした。

「……すまない」

「いいんだよ。俺も安全運転で行くからよ」

 そう言うとジャックは滑らかに車両を発進させた。ユスティは座り心地の良くない座席に座り直し、暫しの眠りにつくことにした。



 事故現場に到着したユスティは短い眠りから覚め、今回の調査に参加する人員の前に登壇して調査の意図と概要を説明していた。

「――今回の調査は、二度に渡って行われた捜査の最終仕上げだと思って欲しい。前回に比べて捜査の範囲こそ広いが、その大半は既に調査済みの場所だ。皆も勝手は知っている筈だ、以前にも増してスムーズな捜査が出来るよう期待している」

 ユスティの暴論ともとれる理屈に、調査に参加した面々は眉一つ動かさなかった。彼らとてこの調査が実際に何かしらの意味を持つことは期待していない。ユスティの言葉はそんな彼らに対する鼓舞であると、彼らもまた解釈していた。

「何か質問のある者は?――よし、ならば調査開始だ。各員、今回も宜しく頼む」

 力のある返事を受け、ユスティは降壇する。

「よう、お疲れ様」

 自身も調査に参加するためユスティが身支度を整えていると、テオドラが声をかけてきた。

「……いつもすまないな」

「気にするな。何せ大統領からの命令だ、逆らいたくても逆らえんよ」

 飄々と憎まれ口を叩くテオドラ。彼女の顔もまた、若干の疲労に彩られていた。

「して、今回は何が出ることを期待してるんだ?」

「……いつも言っているだろう。調査は何かしらの発見を期待して行うものではないと」

「わかってるよ、冗談だ。……今回は調査に行き詰っているんだろう、それくらいわかるさ」

 若干の苛立ちを含んでしまったユスティの言葉を受け流し、テオドラは薄く笑う。ユスティは彼女を前にすると感情を露わにしてしまうことが多々あった。彼にとってそれは改善すべき悪癖であった。

「……すまない。その通りだ」

「なに、気にするな。お前はまだ若いんだ、それくらい感情の起伏があっても誰も咎めたりはせんよ」

「しかし、立場上そうもいかない」

「そのために私みたいな大人がいるんだろう」

 そう言うと、テオドラはわしわしとユスティの頭を撫でた。

「……お前はよくやってるよ。その年を考えなくても、十分すぎるほどにな」

「……」

 その言葉に、ユスティは返すべき応えを思いつかなかった。代わりに、テオドラにひとつ要求をした。

「煙草」

「ん?」

「煙草を、一本くれないか」

「……珍しいな、この修行僧が」

「俺とて立派に成人した人間だ。も、たまにはあるさ」

 ごく短いやり取りをすると、テオドラはポケットから煙草を取り出してユスティに突き出す。それを受け取ったユスティは煙草を口に咥え、テオドラの差し出した火で先を炙る。

 紫煙を薫らせると、心の中の蟠りが煙に溶けて吐き出されるような感覚がした。ユスティの横でテオドラも新しい煙草に火をつけ、同様に煙を吐き出す。

「全く、誰がこんなもの考えたんだろうな」

「全くだ。こんな健康に悪い物、好き好んで吸う人間の気が知れない」

「……ハッ、そうだな」

 煙草が燃え尽きるまでの間、彼らはそうして言葉を交わしていた。心労の絶えない彼らにとって、このひと時は数少ない心の憩いの瞬間だった。


 勧められた二本目の煙草を断り、ユスティはジャックら警官に交じって捜査に参加していた。

「……おい、煙草臭ぇぞ。どこかで隠れて吸って来やがったな」

 ユスティの微かな異変に、ジャックは敏感に気付いた。

「人聞きの悪いことを言うな。俺は成人済みだ、隠れて煙草を吸う理由などない」

「……そうだったのか?」

 今更な疑問に、ユスティはため息を吐く。

「……まぁいい。今は調査に集中してくれ」

「こんな捜査、今更何に集中しろってんだよ。……その煙草、イリバルネ先輩からもらったやつだろ?あの人と同じ匂いがするぜ」

「鼻が良いんだな。……その通りだよ」

 だろ、と得意げに胸を張るジャック。そんな自慢も束の間、ジャックはユスティに新たな疑問を投げかけた。

「なぁ、前から疑問だったんだが……お前とイリバルネ先輩ってどんな関係なんだ?」

「俺とテオドラの関係?……航空機事故調査委員会のメンバーと警察関係者という関係でしかないが……」

「違う違う、そういう話じゃなくってな。……お前とイリバルネさんはどうやって知り合ったんだ?立場も経歴も全然違うし、接点なんかどこにも無いと思うんだが」

 そういう話か、とユスティは納得する。彼は一時作業の手を止め、自身の記憶を探る素振りを見せた。

「……テオドラとは、俺の人間関係の中でも最も付き合いが長い部類の人間だ。空白期間はあるが、十年以上の付き合いになる」

「……マジか。想像以上に深い関係だったんだな」

「そういうわけじゃない。無論付き合いが深くないわけではないが、特段深い関係があるわけでもない。……ただ知り合ったきっかけが、今に直接繋がっているだけだ」

 そう前置きすると、ユスティは彼の過去の話を語り始めた。

「アイリには話してあるが、俺は両親を飛行機事故で失っている。事故で直接的に亡くなったのは父親一人だが、その事故を巡る出来事の中で母親も亡くなっている」

「……想像以上に重い話だったな。言うべき言葉が見つからん」

「構わんさ。もう十年以上前の事だ。……俺はその事故を起こした航空会社に対する復讐心から、その会社が起こした別の事故に対して調査を始めた。当時は右も左も分からない子供だったからな、調べるのには苦労したよ。その調査を手伝ってくれたのが、警察学校生時代のテオドラだ」

「ほぉ、初等教育ローのガキンチョが航空機事故の調査ねぇ……」

「今思えば馬鹿な話だ。しかし、そんな子供の自己満足に、テオドラは最後まで付き合ってくれた。事故の調査の方法から、公的な文章の纏め方……今の俺に繋がる大部分は、彼女のお蔭で培われたと言っても過言ではない」

 なるほどなぁ、とジャックは頷く。

「道理でイリバルネ先輩はユスティに対して面倒見が良いわけだ。あの面倒くさがりが、ユスティに対してだけは献身的だもんな」

「……そうなのか?」

「ああ、そうだよ。警察には面倒なタイプの先輩が沢山いるが、イリバルネ先輩はその中でも指折りの面倒くささだ。何せ、面倒ごとは部下に丸投げだ。あの人の下に付くと苦労するってのが専らの噂だぜ」

「なるほど。……テオドラらしいな」

 ジャックにとって、そのユスティの反応は意外なものだった。

「あ?『らしい』って、この様子がか?」

「そうだよ。あの人は物事を実践で教えるタイプの人間だ。ジャックもあの人に面倒ごとを押し付けられたことはあるのか?」

「ああ、何度かあるぜ」

「そのうち、同じ内容のことを押し付けられたことは?」

「……無ぇな」

「そういう事だ。テオドラは、必要だと思った知識は本人に直接経験させて教えるタイプの人間だ。……俺に対してもそうだったよ。事故の報告書を書くときなんかは、読み書きを覚えてそう経たない子供相手に対して容赦のない教え方だった」

 ユスティの語りを、ジャックは大きな驚きを以て受け止めた。今までの彼女に対する考え方が、ユスティの言葉で百八十度入れ替わりつつあった。

「まぁ、あの教え方であれば苦労するのも納得だな。あの教え方に順応できる人間はそうはいないだろう」

「それは……そうかもしれないな」

 ジャックは自らの身に降りかかった無茶振りを思い出して苦笑する。彼女の下について数日だが、既に数えきれない程の無茶振りを要求されている。……そのうちの何割が「教育」の範疇であったかは定かではないが。

「……とにかく、これが俺とテオドラが知り合った経緯だ。望む回答はできたか?」

「ああ、ありがとう。これでひとつスッキリした。……にしても、結構壮絶な人生を送ってきたんだな」

「そうか?……この世界では、割とありふれた境遇だと思うが」

 そう言う彼の瞳は、ジャックにも分かるくらいの憂いに沈んでいた。きっと彼は自分のような人間を増やしたくないのだな、とジャックは理解した。

「たとえありふれた人生であろうと、それはお前だけの人生だ。尊重されて然るべきだと思うぜ」

「……ありがとう」

 そう言うとユスティは自分の作業へと戻っていった。

 会話を終えたジャックも地面をさらうための棒を握り直し、改めて地上の捜査へと戻っていく。調査が昼の休憩に入るまで、彼らの間に会話が起こることは無かった。


 昼休憩も終え、午後の捜査も佳境に入ってきた。

 午前中は体力に余裕のあったジャックも午後になるとその余裕も消え始め、日暮れが近づいてきた今となっては何か考え事をする余裕も無くなってきた。

 昼前は近い場所を調査していたユスティは、現在ジャックからは遠く離れたところで作業をしている。多くの人間を使った捜査の現場はとても流動的だ。欠員の出たエリアへの人手の補充や監督者を呼び出す案件などが発生した際に、ユスティはその現場へと赴かなければならなかった。

 話し相手もなく、ジャックは黙々と雪面の下を棒でさらう。何かが引っ掛かるたびに雪を退け、掘り起こされて風に揺れる草木を眺めてため息を吐く作業を幾度となく繰り返す。そんな彼の棒の先に、再び何か硬い物の感触があった。

 近くには腰の高さほどの低木があり、引っ掛かりはその根本付近にあった。どうせ木の根か何かろう、とげんなりしつつしゃがみ込んで雪をさらうジャック。

 ――しかし、そこにあったのは明らかに自然のものではない金属の塊だった。

「……?何だこれ」

 いくつかのパイプと円筒形の部品が繋がった機械的なその塊は、ジャックには「機械の部品」としか認識されなかった。この部品についての話をユスティに聞こうとしたが、彼の視界にユスティの姿は無かった。仕方なくジャックはその部品をテント付近にある箱へと直接入れにいった。



 同時刻、アイリ。

 彼女もまた、この数日間は様々な可能性の検証と否定を繰り返してきていた。

「……何も分かりませんねぇ……」

「そうだねぇ……」

 机に突っ伏すアイリの横で、ノベリアもまた机に肘をついて気怠げにしていた。

「連鎖的な破壊は、起点になったコンプレッサー部と連動する部位に大きな破損が無いから違う。サージングを起こした氷の破片がエンジンの奥深くを破壊した可能性も、エンジンの破壊の規模と吸い込まれたであろう氷のサイズが一致しないから違う。全箇所が同時に疲労破断した説も、点検記録と実際の破壊の様子に一致しないから違う。……一体、何が原因でエンジンは破壊されたんだろうねぇ……」

「外的要因による破損も、外装部分の破壊痕に一致しませんしねぇ……エンジンをここまで破壊する要因は、私にはこれ以上思いつきません」

「一応今まで否定されてきた可能性の再検証もしてきたんだけどねぇ……どれもこれも否定されてばっかりだ」

「『逆流渦とコンプレッサーの共振』っていうのは結構自信のある仮説だったんですけどねぇ……二度ならず三度までも否定されると結構心に来るものがあります……」

 大変な仕事だよねぇ、とノベリア。

 気怠い雰囲気に流され、話題が途切れる。暫く無言でぐったりしていた二人だったが、アイリは気分転換のために新たな話題を振ること思い付いた。

「……そういえば、ノベリアさんがこの仕事に関わるようになったきっかけって何なんですか?」

 アイリの質問に、ノベリアかころころと笑って答える。

「ん?きっかけも何も、会社から命令されたからやってるだけだよ。こんな仕事、会社からの命令でやらされる割のいい仕事じゃなきゃやってられないよ」

「会社の命令……そうですよね。こんな仕事、進んでやりたがる人なんていませんよね」

 そうだねぇ、とノベリア。

「元々完全に興味の無い分野だったわけじゃないけど、私のやりたかった事とは違う分野だったからねぇ。有意義な経験はさせてもらってるけど、これが本意かと言われたらそんなことはないよ。……アイリさんは?」

「私は……」

 ここでアイリは少し言葉に詰まった。自らの選択でここにいるとはいえ、元々は魔法の研究に専念したかったのだ。この状況が「本意」なのか「不本意」なのか、アイリはその結論を導くのに少しの時間を要した。

「……私は、ここに来れて良かったと思ってます。研究室には居場所が無かったし、何よりユスティを間近で観察できるっていうのが私にとって価値のあることです」

「ユスティかぁ。彼、熱心だもんねぇ」

 アイリの言葉に特に驚くでもなく、ノベリアは相槌を打った。ユスティという存在は、彼にとっても大きなものなのだろう。

「ええ。私たち研究者、技術者のあるべき姿を見せてくれているような気がします。常に技術に対して謙虚で、どんな可能性にも目を向けてひとつひとつ検証を怠らない……そんな姿は、私にとってのお手本みないな存在です」

「……そうだねぇ」

 その言葉に、ノベリアは少し俯く。

「……どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ。少し自分の事を省みていただけさ」

「そうですか……私はノベリアさんも尊敬していますよ。ひとつの事に熱心に打ち込めるその姿勢は、私も真似しなきゃと思ってます」

 慰めではないその言葉に、しかしノベリアの顔は晴れなかった。

「ありがとうねぇ……私も、もっと頑張らなきゃね」

「……」

 思い詰めたようなその様子に、アイリはかけるべき言葉を失った。そんなアイリに替わり、ノベリア自身が話題の転換を試みた。

「そういえば今日も科捜研に行ってたみたいだけど、お目当ての部品は見つかった?」

 この数日間、アイリはエンジン関係の欠けた部品を捜しに科捜研へと通っていた。ユスティらの手によって地上の再々捜査も始まったとのことで、何かしらの新発見を期待してのことだった。

「ダメですねぇ……機体の復元は九割終わったみたいなんですけど、やっぱりまだ欠けている部品も多いみたいで……不時着の時に主翼の根本付近が弾け飛んでしまったようで、欠けている部品の多くはその周辺の部品のようです」

「主翼の根本っていうと、機体側の燃料配管の制御装置とかがあるあたりかもね。そこらへんに欠けがあるんじゃあ、燃料系の不具合が検証できないね」

「ええ。私は航空機本体については専門外なのでよく分かりませんが、燃料が原因で起こった事故についてはユスティから聞きました。きっとユスティもその線は疑ったと思うんですが……その可能性を検証できないのは歯痒いです」

「見えてる可能性に手が届かないのはしんどいよねぇ……私も航空機事故の調査に参加して数回だけど、検証したいのにできないっていうのは経験があるから気持ちが分かるよ」

「しんどいですよねぇ……地上捜査に参加していない身としては文句も言えませんが、早い所ところ全部の部品が見つかって自由に検証できるようになって欲しいです……」

 鉄骨の天井を仰ぎながらそうごちるアイリ。アイリは寒々しいその空間の先にある青空を想像し、苛立つ心の憂さを晴らそうとしていた。

 同じように天井を仰いだノベリアは、背筋を伸ばしながら立ち上がる。

「……さて、続きといこうか。検証し直す項目はあと二十個、ユスティたちの進捗を考えるとあんまりのんびりもしていられないよ」

「そうですねぇ……んーっ、よし」

 ノベリアと同じようにアイリも背筋を伸ばす。目の前に積まれた資料の山は未だ高い。離れた場所で同じような苦難に直面しているであろう他のメンバーのことを思うと、否が応にも仕事への義務感が駆り立てられた。



 日暮れ、委員会本部。人のいない建物の中で、ユスティはひとりその日の調査成果を纏めていた。

 今回の調査で未発見だった残骸をいくつか発見することはできたが、その分類と具体的な品名を特定するまでには至らなかった。こういった仕事は機体の仕様を暗記している葵の助力の下行うものであったが、ユスティは今日彼に休暇を与えている。自分一人でも資料を片手に分類は行うつもりだったが、それに優先して調査結果を纏めておく必要があった。

「……案外見逃しはあるものだな。やはり降雪と地形が調査を阻むのか……」

 手近に置いている箱をちらりと見やり、ユスティは一人ごちる。

 彼は少ない人手を効率的に活用するため、捜査範囲を予め限定して地上の捜査に臨んでいた。しかしそういった方式の調査では想定外の飛散をした破片についてはカバーしきれなかったりするため、再捜査を重ねる度に予想外の発見がされてしまうことがままある。業務の性質上結論を急ぐことはないが、それでも悪天候などにより破片が範囲外で未発見のまま埋もれてしまう可能性もあった。人的資源の欠乏を補うためには致し方の無いトレードオフではあったが、それを諦めて受け入れるわけにはいかないユスティの立場上彼は苦悩を強いられていた。

 連日の業務で酷使された目に疲労を感じたユスティは、一旦資料を傍らに置いて目頭を押す。いくら他人より長く調査に集中できるとは言っても、彼の体力にも限界があった。その限界が少しずつ近づいていることを悟ったユスティは、一旦作業を中断して休憩することを選んだ。

 不意の来訪者があったのは、その時だった。

「……全く、休暇だっていうのに何で私たちはまたここに来ちゃったんだろうね」

「さぁ……僕は昼寝したらやることが無くなっちゃったから来ただけだから」

「そんなの私も同じよ。スーツ脱いでベッドに寝転がったらすぐ寝ちゃったけど、いざ起きてみると調査の事ばっかり考えちゃうんだもの。落ち着いて休んでもいられないわ」

 どやどやと会議室に入ってくる足音にユスティが振り向くと、そこには今朝とは違う装いの葵とハンナがいた。

「……二人とも、休暇を与えていた筈だが」

「あっ、ユスティ。こんばんは」

「……もう十分休んだからね。今からじゃ出来る仕事は少ないだろうけど、報告会には顔を出しとこうと思って」

「……俺一人だったら報告会はしていなかったがな」

 会話もそこそこに二人は荷物を置き、今朝残していった資料の前に座る。その顔色は今朝に比べて格段に良くなっていた。どうやら「十分休んだ」というのは本当なのだろう。

「その様子だとユスティは一人で調査してたみたいだね。ユスティも少し休んだら?」

「そうよ。私たちばっかり休んで、なんだか居心地悪いわ」

「……言われなくてもそのつもりだ。丁度仮眠でも取ろうと思ってたところだ」

「……ってことは徹夜の構えだったって事だね。ダメだよ、徹夜ばっかりしてちゃ。『集中を欠いた状態で調査をするな』って言ってたのはユスティじゃないか」

 休養を取って元気を取り戻した二人の圧力に負け、ユスティは思わず視線を逸らす。確かに、調査に参加する者の集中力の欠乏をユスティは幾度となく指摘してきた。

「……分かった。今日のところは俺も帰宅する。調査資料も持ち帰らない」

「それならいいわ。全く、うちの主席サマは自己管理が疎かねぇ」

「ホントだよ。その銀髪、実はストレスのせいで生えてきた白髪だったりするんじゃないの?」

「……」

 散々な言われように、ユスティは言葉を失った。

 そんなユスティに助け舟を出すように、新たな来訪者があった。

「おっす。……皆お揃いだな」

「仕事熱心な奴らだな。『過労』って言葉を知らんのか」

 ジャックとテオドラだった。ジャックは最近委員会の報告会に顔を出しているため珍しい存在ではなかったが、テオドラがここに来るのは珍しいことだ。

「珍しいな。ジャックに引っ張ってこられたのか?」

「その通りだよ。……ジャックの奴、最近妙にしつこくてな。『事故調査の勉強のために委員会の報告会を聞きたい』とうるさく言われて、仕方なくついて来た次第だ」

「そうか。……本来なら今日は報告会を省略するつもりだったが、こうも面子が揃っては仕方ないな。少し休憩したら俺の分だけでも進展を共有しよう」

「……全く、飽きずによくやるものだな。お前には趣味ってものは無いのか」

「あるにはあるが、今はそれどころではないだろう」

「でも働き詰めで倒れちゃ調査もできないわよ」

「調査の効率にも悪影響が出るしね……」

「それにお前は捜査の要だろ。お前が倒れたらどうするんだよ」

「主席が模範にならんでどうする、馬鹿者が」

 多方面から飛んでくる詰りに、ユスティは再び言葉を失った。

「……あら、今日は随分人が多いのね」

 更なる来訪者、アイリがやってきたのはそのタイミングだった。

「あら、アイリさん。こんばんは」

「こんばんは。……そちらは?」

 アイリがそう問うたのはジャックの隣に座るテオドラの存在だ。アイリはまだテオドラと面識が無かった。

「俺の上司のイリバルネ先輩だ」

「テオドラ・アルムニア・イリバルネだ。……よろしく」

「シュルヴィア・アイリ・サルメライネンです。ラエヴネ大学で魔法学の研究をしています。よろしく」

 そう言うと二人は握手をする。テオドラの方は「大学」という言葉に僅かに顔を曇らせた。どうやら彼女は学者や研究者に対する苦手意識があるようで、この反応は以前ノベリアに会った時と概ね同じものだった。

「……ありがとう、アイリ、助かった」

「へ?何が?」

 その場にいた面々からの集中砲火から逃れることのできたユスティは、良いタイミングでやってきたアイリに対する感謝を禁じ得なかった。身に覚えのない感謝に、アイリは困惑するばかりだった。

「……まあいいわ。この後報告会をやるんでしょう?丁度良いし、私も聞いていくわ」

「今回報告をするのは俺だけだがな。それに、報告会はもう少し先だ」

「それじゃあもう暫くは休憩かしら、丁度良いわ。――これ、差し入れ。私も食べたくて買ったやつだし、皆で食べましょ」

「わぁ、ありがとう!葵、コーヒー淹れて!」

「はいはい……テオドラさんたちも飲む?」

「そうだな、頂こう。ジャック、手伝ってやれ」

「了解。……安野さん、お湯は俺が沸かしておきますよ」

「ありがとう。……ハンナも手伝ってよ」

「私はつまみ食いに忙しいので無理です!!」

「……騒がしい奴らだな」

「……全くだ」

 アイリの持参した菓子の周りに集まる面々を見ながら、ユスティとテオドラはげんなりとした顔をした。

 数分後にはこの机が食卓になるであろうことを悟ったユスティは資料を退け、自らも姿勢を崩してリラックスすることにした。


 数十分後。コーヒーも話題の種も尽いた会議室で、ユスティは報告会の開始を宣言した。

「……そろそろ良いだろう。本日の報告会を開始する」

 ユスティの言葉に、ハンナら調査委員会のメンバーは居住まいを正す。アイリとジャックもそれに倣い、椅子に座り直した。

「今回資料は無いので、口頭と現物を使った報告になる。予め承知しておいてくれ。――先ずは一つ目。FDRのデータを検証し直したところ、やはり不自然な出力の増加はサージングによるものではないであろうことが分かった。……元データを渡す。各自参照してくれ」

 そう言うと、ユスティは手に持っていたグラフ用紙を葵に渡す。

「『出力の増加はサージングが原因なのではないか』っていう仮説だったね。どの部分からそう判断したの?」

 グラフ用紙を捲りながら、葵はユスティに問う。

「グラフから読み取れる出力の増加率だ。サージングが起きている間の出力の増加率と、不自然な出力増加が起きている間の増加率が一致しなかった。誤差の範囲外にある、不自然なデータだ」

「……言われてみれば、グラフの形が少し違うわよねぇ」

「そうだな。定量的な説明については詳細を省くが、そのあたりは後程の報告書を参照してくれ」

「……つっても、俺らには理解できないがな」

「こういうものは過程が大事だ。報告書が出来るのは明日以降だが、時間があったら目を通しておいてくれ」

「はいよ」

 全員から疑問が出ない事を確認し、ユスティは報告を次の段階へ移す。

「二つ目。地上の捜査の結果、新たにいくつかの破片が回収された。大部分が機体表面の破片だったが、一部内部機構のものらしき破片も回収されたらしい。俺はまだ確認できていないが、後で確認してリストを作っておく。一先ずは現物を見てくれ」

 そう言うと、ユスティはグラフと同じ順序で部品が入った箱を回す。

「……流石にぱっと見だと何の部品か分からないねぇ。科捜研が持ってる部品のリストとかも無いし、こういうのはアイリさんとかノベリアさんの専門かも」

「確認するわ。……ハンナさんたちも確認しておいてね」

「りょーかい。……私も、何が何だか分からないけどね」

 ジャックから回ってきたグラフ用紙を受け取り、アイリはそれに目を通していく。その間、ユスティは葵らからの質問に応えていく。

「FCUの線はどうだった?」

「今のところ何とも言えない。以前あったケースでは燃料中の水分が原因になっていたが、今回は魔動機関だ。液体の燃料では考えられる影響も、気体ではどうなのかは検証しようがない」

「……ってことは、やっぱり実験するしか無さそうだね」

「そうだな。……と言っても、今回の場合はFCU単体で検証するわけにもいかない。燃料系の部品に欠けがある以上、それらも含めて検証しなければな」

「そっかぁ……先に他の可能性を検証した方がよさそうだね」

「そうだな。残る可能性は多くないが、そのどれもが一度否定されたものだ。この先も根気の要る作業になりそうだ」

 そういったやりとりをしているうちに、回収された部品の箱がアイリの前に回ってきた。彼女はまだグラフの検分を終えていなかった。

「……このグラフ、随分要素が多いのね。書いてある単語も分からないものだらけだし……私も航空機の勉強が必要かしら」

「そうして貰えると助かるが……すでにアイリにはエンジンの分析を任せきりだ。これ以上仕事を増やして負担にならなければいいが」

「そうは言っても、出来る人間がやるしかないんでしょう?こういうグラフは私の方が慣れてるし、ユスティの負担を減らすためにも――」

 ――ふと、アイリが箱を漁る手を止めた。

「……どうした?」

「……いえ、丁度探していた部品が見つかったものだから……」

 そんなアイリの手元をジャックが覗き込む。

「……ああ、それは俺が見つけた奴だ。何の部品かは分からなかったが、アンタの探してるものだったんだな」

 そういうジャックに応えることもなく、アイリはその部品を詳しく調べていく。

 ――アイリが放った次の一言は、ユスティを大きく驚かせるものだった。


「――この部品、調……」


「――何?」

 ガタン、と立ち上がるユスティに驚き、アイリ以外のメンバーが彼を見る。彼らとは違う驚きに包まれたユスティと同じ表情で部品を検分するアイリは、呟くように言葉を発した。

「――さっきのグラフ、一部分だけ部分があった。……ここ、この部分」

「――サージング後の不自然な推力変動の部分だな」

「ええ。……この部品は私が探してた燃料調圧器レギュレータなんだけど、こんな機構があるなんて思いもしなかったわ」

「レギュレータにある流量調整弁――」


「「――……ッ!!」」


 顔を見合わせ、一つの結論に達した様子のユスティとアイリ。そんな彼らに、残るメンバーはついていくことが出来なかった。

「……え、何?どういう事?」

「レギュレータと調整弁……?そんなの資料にあったかな……」

 混乱する面々を見て、アイリは椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。

「――さっき私が言った通り、この部品は私が探していた燃料系の部品なの。この部品の機能は『燃圧の調整』。……でも、この部品にはそれ以外の機能もあった」

 ユスティは首を捻りながらデータを眺めるジャックの手からグラフ用紙を奪い取り、その一部をホワイトボードへと貼り出す。

「これはこの機の通常運行時のEPRを示したグラフ。……そして、これが不自然な出力増加を起こした時のグラフだ」

「……何が違ぇんだ?」

 身を乗り出し、目を凝らしてグラフを見るジャック。彼の目には、それらのグラフの有意な違いを見出すことが出来なかった。

 ユスティに代わり、アイリがその違いの意味を説明する。

「通常運行時は出力が直線的、つまり『一次関数的』に変動しているのに対して、ユスティの言う『不自然な出力増加』は『二次関数的』。この点が問題なの。……魔動機関に於いて、その出力は反応する燃料アイテールの量に比例する。この出力の変動が『一次関数的』、つまり時間経過に応じて二倍、三倍……と直線的に変動しているである場合、燃料の流量管理は単一の装置が司っている可能性が高い。このことは、エンジンの燃料系の仕様と一致するわ。でも、今回の『不自然な出力増加』は時間を追うごとに四倍、九倍……と、曲線的に行われている。――つまり、が疑われるのよ!」

「システムの介入……?」

 アイリの言葉に、葵は納得いかない様子で首を捻る。

「僕は機体のシステムは全て把握してるけど、。燃料系にも操作系統にも、そういうふうに推力を操作する機構が記された項目は無かった」

 絶対の自信に裏打ちされた葵の言葉に、しかしユスティは毅然と反駁する。

「しかし、葵は資料を探る中で『レギュレータが燃料流量を操作している』という可能性には当たらなかった。つまり、可能性は無いか?」

「……『意図的に』って、どんな理由でだよ?」

 ジャックにそう問われたユスティ。その疑問に答えたのは、真っ先に反論をした筈の葵だった。

「……動機なら、ある。数年前、サテライト航空は航空機運用にあたっての騒音問題に関する訴訟を受けている。原告側の要求は『過剰な騒音をたてているパイロットへの損害賠償』。その要求は裁判の結果棄却されてるんだけど、それ以降騒音問題を恐れて意図的に低い推力で航空機を運用するパイロットが増えたらしい。それと同時期に離着陸時のインシデントが多発して、サテライト航空は政府から改善命令を出されている」

「……その改善の結果がこれ、ってこと?」

 ハンナの疑問に、葵は頷く。

「可能性はあるよ。……ただ、この機能は緊急時のマニュアルはおろか使。つまり、パイロットからは完全に隠された安全装置だった、ってことだね」

「パイロットからも隠された安全装置か……そりゃ、緊急事態の中で対処できるわけ無ぇよなぁ……」

 ジャックの呟きを、ユスティは肯定する。

「その通りだ。例えそのシステムが安全目的で作られたものとはいえ、機体の全責任を背負うパイロットらにその導入が知らされない道理は無い。これは航空会社側の安全意識の欠如を示す、重大な事実だ」

「そうね。マニュアルにすら記載しないなんて、まさにパイロットを欺く行為だわ。どんな理由があれ、この行為は許されるものではないわ」

 ハンナの同調に、ユスティは深く頷く。

「――これで、新たな可能性が浮上したな。機体に付着した氷片がエンジンに吸い込まれたことで発生したサージングが、パイロットの意図しない推力操作によって深刻化。それにより推力を失った機体は不時着を余儀なくされた。……今後の捜査の方向性はこれでいく。葵は地上作業員向けに作成された整備マニュアルの検証、ハンナは俺と航空会社の開発部署に事情聴取だ。テオドラ、ジャックも協力してくれ」

「おう、任せとけ」

「……大統領の命令だからな、仕方あるまい」

「助かる。アイリはレギュレータに搭載された機能によるエンジンの破壊を検証してくれ」

 ユスティの指示に、アイリは頷く。

「……よし、各員頼むぞ。それでは、解散!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る