第1話 第5章 『ディアイシング』

 実験を終えたユスティらは、本部に戻って報告会を開いていた。

 その場の雰囲気は芳しくなかった。というのも――

「――全部空振りだったねぇ……」

 空港から押収した除氷液は、照会実験用のサンプルも含めて全五種。これらを様々な条件で繰り返し実験したのだが、それらは全て同様の効果を示した。つまりは、除氷液に問題はなかったということだ。

 ぐったりと机に倒れ伏すハンナにユスティが声をかける。

「そう悲観するものじゃない。今回の実験で、数多ある可能性の中から除氷液の不備が除かれたわけだ」

「そうだけどさぁ……やっぱりアテが外れると萎えるわよ……」

「……まぁ気持ちは分からないでもないよ。ユスティの直感を信じてるとはいっても、目の前の可能性が否定されると少し心にくるものがあるよ……」

 ハンナの言葉に葵も同調する。

 ユスティとて可能性が否定されたことに対して何も感じなかったわけでもないが、その程度は他の二人よりも遥かに小さかった。

 その理由は、先ほどの通り自らの直感が示す引っ掛かりにあった。

「……そういえば、さっきユスティが言ってた『何かがおかしい』っていうの、何かわかった?」

 葵の問いかけにユスティはかぶりをを振る。

「わからない。どこかで何かしら不自然な点を見ていたのかもしれないが、そういったことは記憶にない。無意識のうちに認識している何かなのか、はたまた考えすぎなのか……少なくとも、現状糸口になりそうなものでもない」

「そっか……何か気になることがあったら言ってね、資料は概ね記憶してるから」

「すまない、その時は頼む」

 そう言ってユスティは頭を下げた。

「気にしないで。ユスティが捜査の中心なんだから」

 頭を下げるユスティに、葵はそう語り掛ける。

「――何にせよ、これであり得そうな可能性は一通り検証したことになるな」

「そうだね。雹や霰の類は確認されなかったし、除氷液にも問題はなし。作業の不備も無かったんだよね?」

 そう問われたハンナは資料を手繰る。

「――そうね。記録の類は全て適切に残されているし、作業員からの事情聴取でも不自然な証言はなし。適切に管理された除氷機材に効果の実証された除氷液、適切な除氷作業に入念なチェック。……どこにも問題は無いわね」

 そうか、とユスティ。

「……ならば、可能性を一から洗い直す必要があるな。空中にも機体にもない氷がエンジンを傷つけるなど、あり得る話ではない」

「そうかもしれないね……うーん、機体の残骸の方から何か分かれば良いんだけど」

「ブラックボックスの解析はまだなの?」

 ハンナの問いに葵は首を振る。

「まだもう少し。FDRの方は終わってるけど、僕の見た限りじゃ今までの情報に矛盾する点は無いかな」

「そっか……ユスティもFDRのデータは見たの?」

「ああ。操作は概ね機長の証言通りだった。一部を除いては、だが」

 彼の言う矛盾点とはスロットルレバーの位置とパイロット証言についてのものだ。この点は幾度となく議論されているためユスティは説明を割愛したが、彼の意図するところは残りの面々にも過不足なく伝わっていた。

「そこはエンジンと機体の分析待ちだねぇ……機体の方は警察の科学捜査研究所がやってくれてるけど、特段不審な点の報告は上がってきてないや」

「そうか。……となれば、俺たちが出来ることは、やはり可能性の洗い直しだな」

「そうね。じゃあ、私は明日にでも証言を取り直してくるわ」

「僕は科捜研に行って計器類を再確認してくる。ついでに警察が得た証言とかも貰ってくるね」

「なら、俺は地上の捜査範囲の見直しと捜査の指示だな。二人とも、すまない」

 ユスティの謝罪に、二人は笑顔で応える。

「いいのよ。ユスティはこの組織の頭脳なんだから、私たちはそれに従うのが仕事よ」

「考えるだけなら僕たちにもできるけど、それが一番正確なのはユスティだからね。ユスティが出来ないことは僕たちにも出来ない、だからこそユスティを信じる。それだけさ」

 そんな二人の言葉にユスティが返せたのは感謝の言葉だけだった。

「……そうか、ありがとう」

 彼のその言葉を合図に、第六回目の報告会は終了した。



 翌日、ジャックら警察官たちとユスティの姿は事故現場に設営された仮の捜査本部にあった。

「地上調査のやり直し?嘘だろ?」

 ジャックはユスティから衝撃的な言葉を聞き、愕然と立ち尽くした。

「そうだ。今までに至るまでにいくつか事件の真相に繋がりそうな物証は見つかったが、それら全てが矛盾なくひとつの真相を示すことは無かった。従って、再捜査を行い新たな物証を見つけ出す必要が出てきた」

「嘘だろ……あの地獄のようなひと時をまた過ごすことになるのか……」

「今回は俺が陣頭指揮を執る、安心してくれ」

「オイ余計な情報追加しやがって逆効果だぞアァン!?」

 何やら錯乱状態にあるらしいジャックは捨て置いて、ユスティは話を進める。

「――とにかく、俺たちは可能性を検証し直す必要がある。そのために、この調査は必要だ」

「……そうは言ってもよぉ、もう地面はあらかた掘り返した後だろ?そんなところ探して何が出るっつーんだよ」

 不満げなジャックに、ユスティもまた若干の苛立ちを含んだ声色で返す。

「わからない。だからこそもう一度捜査をやり直すんだと、さっきも言った筈だ」

 その声色に、ジャックは少し怯んだ。

「……すまない。だが俺とてこの再捜査は本意ではない。出来る事なら一度の捜査で不足なく証拠を集め、事故の調査結果を得て将来への糧としたい。だが今回はそうもいかなくなった。証拠が足りず、数多ある可能性のそれぞれを排除して一意的な結論を得ることができなかった。だから、俺たちは再びあらゆる可能性を検証して結論を求める必要がある。今回の再捜査は、そういった事情によるものだ」

「……よく分かんねぇけど、ユスティたちも大変なんだってのは分かったぜ」

 それで良い、とユスティ。

「今回の捜査で何が見つかるのか、そもそも何かが見つかるのかどうかは俺にも分からない。だが、これも必要な工程だ。よしんば何も見つからなかったとしても、『実際に捜査して』『何もない事が確認された』というそれぞれの事実が重要なんだ」

「うへぇ、不毛だな」

「そうかもしれないな。しかし、誰の目にも明らかで誰の目にも誤解しようのないただ一つの事実を求めようとするのなら、必ずこういった工程は必要になる」

 立場は違えど、ジャックもまた事実を追い求めるという点では同じ目的の組織に属する人間だ。彼にとって、ユスティの言葉は千金に値する訓示であった。

「そういう訳だ。大きな負担を強いることになるが、よろしく頼む」

「……まぁ、必要な捜査なら仕方ねえか。頭を使うのはユスティの仕事だしな」

 そう言うとジャックはぐるぐると肩を回した。

「で、捜索範囲は?」

「以前の捜索範囲と概ね同じだが、飛行経路上の一部をより広く入念に行ってもらう。逆に事故機周辺は範囲を絞る。乗客の証言や機体の破損状況から、破片が飛散しうる範囲が限定できたからな」

 そう言うとユスティは手元の資料を見せる。以前大学に依頼していた機体の不時着時の状況の計算結果だ。

「そいつは何よりだ。仕事が減るに越したことはない」

「全くだ」

 ジャックの言葉にユスティも賛同する。特にユスティの場合、彼の仕事は航空機事故の発生件数に比例して多くなっていく。ユスティの仕事が減るということはとりもなおさず航空機事故の減少を示すものであり、ユスティにとってもそれは望ましい事だった。

「……とはいえ、大半は一度捜査した範囲だ。さっきも言ったように、何か新しい発見が期待できるわけではない。徒労に終わる可能性が高いが、よろしく頼む」

「おう。頭を使うのはそっちの仕事だ、体を使うのは任せとけ」

 ユスティの頼みに、ジャックは頷いた。

「助かる。さっきも言った通り、今回の捜査は俺が指揮する。何か疑問や発見があったら言ってくれ」

「わかってるよ。そっちこそキビキビ動いて指示出ししろよな」

 そう言ってジャックは捜査の準備に向かった。



 ユスティたちが事故機の周辺を捜査している間、ハンナは空港で地上作業員たちから証言を得ていた。

 彼らから話を聞くのは二回目であり、中には繰り返される事情聴取にうんざりする者もいた。ハンナが今から話を聞こうとしていた作業員アルベルトは、特にそれが顕著な人間だった。

「――ったく、どこに行ったのかしら……」

 ハンナの姿は貨物の集積所にあった。

 ハンナは既に彼以外への事情聴取は終わらせており、事故機に関わった作業員は彼で最後だった。厄介なことに、彼は直接事故機の除氷作業を担当した人間であり、作業員から得られる情報の中で最も重要ともいえるものを握っているであろう存在だった。そんな彼は現在ハンナからの事情聴取を嫌がって雲隠れを決め込んでいるのであった。

「全く、これじゃ事情聴取の意味が無いわ。何とかして探し出して話を聞かないと……」

 作業員が行き来できる場所は粗方調べ終えている。しかし一向にアルベルトの姿は見当たらず、肝心な証言を得ることが出来ていなかった。

 航空機事故に限らず、こういった捜査はできるだけ多くの人間から証言を得ることが必要になる。たったひとつの証言では、事実を否定することもことも出来ないのだ。

「あんれ、さっきの姉ちゃんじゃねぇか。こんなとこで何やってんだ?」

 強い訛りで話しかけられたハンナは、別の事に気を取られていたのもあってすぐにはその言葉に反応することはできなかった。

「――ああ、コウゾウさん。先ほどはどうも」

 声の主はハンナが先ほど話を聞いた作業員のひとり、広田コウゾウだった。

「ええってことよ。それより、姉ちゃんはなしてこげなとこおるんじゃ?ワシらの待機所はうーんとあっちの方だど?」

「ひとり、お話を聞きそびれていた方がいまして……コウゾウさん、アルベルトさんがどこにいるか知りませんか?」

 ハンナの問いかけに、コウゾウは首を捻る。

「うーん、知らんなぁ……姉ちゃんがここに来た辺りから、あいつの事見てねぇなぁ」

 ハンナがここに来たのは二時間ほど前のことだ。それ以来姿が見えないというのは、本格的に雲隠れを決め込まれている可能性が高い。

 このまま帰るわけにもいかないハンナは、コウゾウにより深く話を聞くことにした。

「最後にどこで見かけましたか?」

「事務所のあたりだなぁ。班長さんの部屋から出てくるところを見たでよ」

「その時何かお話していたりはしますか?」

「してねぇなぁ……あの人気難しいので有名だもんで、ワシもあんまり話はせんでな」

「そうですか……ありがとうございます」

 ハンナはぺこりと一礼してその場を去った。行方を聞くにあたり、班長に話を聞く必要がありそうだ。ハンナは速足で作業員の事務所へと向かって行った。


 作業員アルベルトはひとり飛行機を眺めながら、展望デッキの柵に体を預けながらゆっくりと紫煙をくゆらせていた。

「……ったく、あの姉ちゃんもしつけえなぁ……」

 本来なら今この時間も作業の割り当てがあった。アルベルトにとってこおの仕事は誇りであり、仕事のためなら多少のことに目を瞑れる性分であった。しかし彼にとって予期せぬ来訪者は仕事の妨げになる存在であり、邪魔者がいる中で仕事をするのは彼にとって多分にストレスだった。しかも折の悪いことに来訪者にとって本命とも言える存在はアルベルト当人であり、彼の仕事が邪魔されることは必然であった。

「……ったく、どいつもこいつも……」

 彼の脳裏に、今朝の出来事が浮かび上がってきた。

 彼には妻子があり、そのどちらもがアルベルトと反りの合わない存在だった。今朝も娘の学校での出来事について一悶着あり、侃々諤々の舌戦の中を飛び出して仕事場に来た。ようやっと仕事に打ち込めると思ったら、仕事の現場に邪魔者がやってきたのだ。今日という日はアルベルトにとって散々な一日だった。

 こんな状態で仕事に集中できるわけもなく、班長に掛け合って半日の休暇はもぎ取ったが、家に帰るわけにもいかずこうして煙草を噴かしている。せめてもの慰めは、つい最近起こった事故の後処理もひと段落ついて飛行機の流れが正常に戻りつつあったことだ。

 彼は飛行機が好きだった。幼いころから飛行機に憧れ、苦心の末飛行機に関われる職に就いた。彼にとって飛行機は生きる意味そのものであり、だからこそ彼の仕事を妨げる存在は許すことが出来なかった。

 暫しの間、彼の周りには飛行機のあげる唸り声だけが響いていた。

 ――そんな静寂を打ち壊したのは、ひとりの女性の声だった。

「飛行機、お好きなんですね」

 アルベルトは、その声の主に心当たりがあった。事故調査委員会を名乗る女――ハンナだった。

「……悪いか」

 アルベルトの声色はひどく棘々しいものだった。ハンナには、その声色はおもちゃを取り上げられた子供の喚きに似た調べに感じられた。

「いいえ、ちっとも。私も飛行機は好きですよ。見るからに莫大なお金がかかってそうで、ロマンありますよね」

 そう言う彼女の声は無邪気だった。だからこそ、アルベルトの心は激しく揺さぶられた。

「――話すことは何もない。さっさと帰れ」

 その揺らぎは、かつてないほどの鋭さを秘めた怒りに変わって発露された。彼にとって、ハンナのその言葉は侮辱以外の何物でもなかった。

「あら、それは困ります。私も仕事で来ているので、下手なことは出来ないんですよ。あなたなら理解できますよね?」

 バカにしやがって、とアルベルトは内心ごちた。そんな彼の怒りをよそに、ハンナはつらつらと言葉を連ねる。

「にしても、こんなところにいらっしゃるとは思いませんでした。班長さんは半休を与えたって言ってたのでてっきりお家に帰られたものと思っていましたが……案外子供っぽい趣味してらっしゃるんですね」

 確信的な物言いなのかは定かでないが、ハンナの言葉はアルベルトには自分の心の柔らかい部分を容赦なく切りつける刃を纏っているように感じられた。

「だったら何だというんだ。休みの間に何をしようと俺の勝手だろう」

「ええ、その通りです。ですから、、と思った次第です」

 徹底的にアルベルトを虚仮にするハンナの言葉に、彼は思わず怒鳴り声を上げそうになった。――というか、半ば声を上げかけていた。

 彼の横隔膜を押しとどめたのは、ハンナが投げて寄越した封筒だった。

「――お子さん、初等教育ローの最終年度なんですね。何かとお金のかかる時期にこんな事故があって、あなたも大変ですね」

 その封筒の中身は、明らかに隠し撮られたであろうアングルの家族の写真だった。画面にはアルベルトの妻と娘が並んで歩く様子が写されており、中にはほんの数メートルの距離から撮られたであろう写真すらあった。

「……貴様」

 今まで無い程の怒りに満ちたアルベルトの表情に、ハンナはけらけらと笑う。

「脅しなんかじゃありませんよ。ただ、私たち――いえ、私は、あなたのご家族にこれだけ近づける場所にいると、それだけお伝えしたかったんです」

 口では脅しではないと言いつつも、その声色はアルベルトを諭すような話し方――人を小馬鹿にした愉快犯のような語り口調そのものだった。

 家族との仲が悪い事を自覚しているアルベルトとて、家族への愛は確とある。こんな物言いをされて黙っていられるほど冷たい人間ではなかった。

「……これがお前たちのやり口なのか?」

 下衆が、とアルベルト。

 しかし、その言葉にハンナはまたしても笑う。

「あら、私ってば何か変なことしました?法的根拠のある捜査に対して非協力的な方に、だけじゃないですか」

 言外に事故調そのものの意向ではないことを伝えたハンナだったが、生憎アルベルトにはその言葉を理解するだけの余裕は無かった。

「これのどこが恐喝じゃないというんだ!俺の妻子を盾に取り、捜査の協力を強いる!これが公的機関のやっていい事なのか?」

 激昂するアルベルトを、ハンナは心底面倒くさそうな目で見る。そんなハンナの態度はアルベルトを更に逆撫でした。

「――貴様ァ!!」

 あまりに挑発的なハンナの行動に、アルベルトはとうとう暴力に訴えることを決心した。――いや、しようとした。

 ――背後に立つ人間の気配に気づいたのは、まさにその瞬間だった。

「――『恐喝』っていうのは、こうやってやるんですよ」

 首筋に感じた冷たい感触に、アルベルトは固まる。彼が自分の首筋にはナイフが押し付けられているのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。

 今まさに命の危険に瀕しているアルベルトの眼前を、ハンナ鷹揚に歩く。

「……私も暴力沙汰は嫌いなんです。出来れば素直にご協力願いたいところなんですが……いかがです?」

 言葉に潜む圧力とは裏腹な軽やかさでにっこり微笑むハンナ。アルベルトは返す言葉を何百通りと思いついたが、それらは口には出せなかった。

「……話さなかったら?」

「何度でもだけですよ。いくら後ろ盾があるとはいっても、超法規的措置の権限を持ってるわけじゃありませんから」

「フン、人にナイフを突きつけておいて何を今更。証言ひとつのために人を脅すたぁ、大統領サマの部下はやることが違うねぇ」

 そうぶっきらぼうに返すアルベルトだったが、彼の内心は概ね決まっていた。

 彼女がどんな思惑で恐喝紛いの手段を執ったにせよ、彼女はただ「証言」を求めているだけだ。アルベルトにとって黙秘は利益にはならず、自らの知るところを開陳しても不利益は生まれない。そういった意味ではハンナの行いは行き過ぎたものだったが、いずれにしてもここで沈黙を選ぶだけの合理的な動機は彼には無かった。

「……いいだろう、話してやる。だが、先ずは後ろのこいつを退けてくれ」

 アルベルトの言葉に、ハンナは何やら合図をする。それと同時に首筋にあった感触も消え、数歩分の足音が微かに響いた。

 自分の首筋に手をやりナイフらしきものが離れたのを確認したアルベルトは手近なベンチに腰掛け、一息の間の後証言を開始した。


「――事故を起こした機体の除氷作業を担当したのは俺だっていうのは、もう解っているんだよな?」

「はい。前回もその点は聞いています」

「ならいい。その日の朝はえらく冷え込んで、どの飛行機も分厚く氷が張っていた。事故を起こした飛行機はそれが特に顕著で、翼の裏までびっしりと着氷していた。その機の機長さんもその辺を心配していたみたいで、除氷作業とそのチェックについては細かく指示を出していた。ただ一言『除氷をしっかり頼む』っつって丸投げするんじゃあなく、どこをどうしろ、どこをしっかり確認しろと嫁をイビる姑みたく指示を出してきた。俺としてはそっちのほうが助かったが、嫌がる奴もいただろうな」

「その指示に不審な点はありませんでしたか?」

「あるわきゃねえだろう。俺たちがする作業項目の先を指示してくるんだ、そんな人がアホな指示なんてしねえさ」

「そうですか。――それで?」

「俺は指示通りに氷を剥がして、再氷結を防ぐためにコーティングもした。機体に氷が残っていないかチェックもした。除氷は完璧だった。ばっちりこの目で確かめてある、間違いねぇ」

「……そうですか。機材の方にトラブルはありませんでしたか?」

「無かったな。除氷液加熱器ヒーターもホースも不具合は無かった。寒さのせいかブロワーの圧が少し弱かったが、数値の上では規定値内だったし雪を吹き飛ばす分には問題なく働いた」

「除氷作業後、飛行機の離陸を遅らせるようなトラブルはありませんでしたか?」

「無かったよ。着陸に手間取る機がいくつかいたくらいで、ホールドオーバータイムを超えるようなでかいトラブルは無かった」

「そうですか。何か他に気になる点は?」

「ねぇよ。なんであの機が落ちたのか、俺が知りてぇくらいだ」



 数分後。得た証言を纏め終えたハンナは、手元の手帳から視線を上げて首筋を伸ばす。

「――うーん、何か違和感」

 アルベルトの証言に、ハンナは妙な引っ掛かりを感じていた。まるで下着のホックを掛け違えたかのような違和感に、ハンナは座りの悪さを感じていた。ユスティもまた同じように引っ掛かりを感じていたらしいが、彼の引っ掛かりとハンナのそれが一致しているか知る由はハンナには無かった。

 とにかく、これで空港職員の証言は全て取り終えた。今日この場でのハンナの仕事はもう無い。

「……協力ありがとう、もういいわ。彼のご家族にもお礼を言っておいて」

 ハンナは近くで待機していた男にそう言うと、彼の手から金属製の櫛を受け取った。代わりに紙幣を何枚か手渡したハンナは、その櫛で乱れた髪を直してその場を去った。



 その日の終わり、委員会本部。ユスティはジャックを伴って会議室へ向かっていた。

「うぐぉぉぉぉ、重いッ!!」

「頑張れ。もう少しだ」

「頑張れっつーならこの荷物少しは持てやァ!!涼しい顔しやがってこの野郎!!」

「すまないが、こっちは資料で手いっぱいだ」

「『資料』つったって紙切れ数枚じゃねぇか!!」

 ジャックの持つ箱の中には大小さまざまな部品が詰め込まれており、ジャックの歩みに合わせてガタガタと音をたてていた。

「あっ、お帰りユスティ」

 会議室のドアを開けたユスティを迎えたのは、果てなく続くグラフを記した紙の山を前にして何やら考え込んでいた葵だった。

「ああ、ただいま」

「ぐ、ぐ、ぐぎぎぎ……」

 唸り声と共にジャックは箱を机に置く。どうやら相当重かったようで、箱を置いた後ジャックは床にしゃがみこんでしまった。

「助かった。俺一人ではどうにもならなかった」

「どうにもならなかったというか……どうする気も無かったんじゃねぇの……」

 ユスティの謝辞に、ジャックは絶え絶えの息で応える。ジャックの指摘を無視し、ユスティは箱の中の部品を検分していく。

「……それって、事故機の部品?」

 その様子を眺めていた葵がユスティに問いかける。丁寧にパッケージングされたそれらは、葵の目には飛行機の部品に見えた。

「いや、これはメーカーから取り寄せた新品の部品だ。破損した部品との照会に使う」

「なるほどねぇ……通りで真新しいわけだ」

 ユスティのいらえに葵は納得した。

「……ってことは、アイリさんに見せる部品も入ってるんだ」

「そうだ。ジャックには明日もうひと頑張りしてもらうつもりだ」

「……鬼め」

 ジャックの悪罵を、ユスティは再び無視する。

 そんな中、ハンナが会議室のドアを開けて入ってきた。

「ただいま。……あ、ジャックさん。こんにちは」

「あっ、こ、こんにちは」

 ハンナの挨拶に、ジャックは立ち上がって答える。その動きはまるで疲労を感じさせない機敏さだった。

 そんなジャックの様子を見て、ユスティはひとつ忠告をした。

「ジャック、ハンナは見た目通りのお姫様じゃないぞ。あまり期待はするな」

「……は?」

 ユスティの言葉の真意を掴みかねたジャックは呆け顔を見せた。そんなユスティの言葉に、ハンナは憤慨してみせる。

「ちょっとユスティ?それ褒めてるのか貶してるのかわかんないよ?」

「無論褒めている。可憐な見た目とは裏腹な……いや、アクティブさは調査を進展させるうえでは大きな長所だ」

「そうだね。ハンナのお蔭でわかる事実だってあるし、何より人を動かせるからね……」

「ちょっと、二人とも??」

 至って真面目な顔でそう言う二人に、ハンナは思わず彼らの真意を問いただしたくなった。そんな彼女の機先をユスティの言葉が制した。

「さて、全員揃ったところで報告会だ。――丁度良い、ジャックも聞いていってくれ」

「おう。たまにはお前らの仕事を見てみるのも面白そうだ」

 そう言うと、ジャックは手近な椅子に腰かけた。

 全員が席についたのを見て、ユスティは会議の口火を切った。

「――では、俺からの報告だ。飛行機周辺の地上を捜査の進展は約40%。既に一回調べたところが殆どだから、現状めぼしいものはみつかっていない。今後も地上からは何も見つからないと思った方が良いかもしれないな」

「……ってことは、飛行機本体の情報は既に見つかってる部品から探るしかないってこと?」

「そういう事だな。とはいえ、今に至るまでの捜査の過程で可能性は大きく絞られている。仮に新たな破片が地上で見つかったとしても、今までの捜査を覆すような重大発見は無いだろうな」

 もしあれば厄介だがな、とユスティ。

「……俺の方からはこんなところか。明日も引き続き地上の捜査になりそうだ」

「かもね。……次は僕から。科捜研の調べだと、機体の方に特に異常は無かったみたい。三つに千切れた胴体部も着地の衝撃で説明がつくし、内部・外部問わず不審な痕跡も無かったみたい。一応操作系統の故障も疑って調査をお願いしたけど、パイロットの証言にそういった形跡は無かったから多分ハズレ」

「ブラックボックスの方はどうだ?」

 ユスティの言葉に、葵は手元にあるグラフの山を見せる。

「FDRのデータは洗い直してみたけど、やっぱり一部部分を除いて不審な点は無いね。機体が起動してから不時着に至るまで、不自然な動作を見せたのはほんの一瞬だけ」

「……やはり、そこが問題か」

 分かってはいた事実に、ユスティは渋い顔をする。

「CVRの方はまだ聞けてないから何とも言えないけど、機械的な不具合を示す証拠が無い以上パイロットの過失の面も疑うべきじゃないかな。今回はパイロットの証言はあまりアテにできないわけだし、過去の経歴や適性調査の結果も踏まえるべきだと思う」

「同感だな。――葵、パイロットの資料を頼めるか。俺の方で連絡して、明日の午後には届けさせる」

「わかった。じゃあユスティはCVRをお願いしていいかな」

「問題ない。現場はテオドラに任せておく」

「ありがとう、助かるよ」

 葵とユスティのやりとりが終わったタイミングで、今度はハンナが口を開く。

「次は私ね。――今日一日かけて空港の地上作業員に話を聞いてきたわ。時間が無かったから私のメモしかないけど、一応共有してくわね」

 そう言うとハンナは手に持っていた手帳をユスティに渡した。

 ユスティがメモを手繰っている間、ハンナは自らが感じた違和感について語った。

「……実は、話を聞く中で妙な引っ掛かりを感じたの。ユスティが言っていたそれと同じかどうかは分からないけど、何かがおかしいって思ったの」

「引っ掛かり?」

 葵の問いかけにハンナは首肯する。

「うん。除氷作業を担当した人に話を聞いたときなんだけど、聞いた話を纏めてるときに何かがおかしいなーって思ったの。具体的に何に対して違和感を感じたのかは分からなかったけど、除氷作業のどこかが少し変だなって」

「除氷作業か……ユスティも除氷液の実験中に同じこと言ってたよね?」

 ああ、とユスティ。

「俺も除氷作業について違和感を感じていた。未だに何かは分かってないが、多分ハンナと同じことに対する違和感だろう」

「やっぱり?……うーん、何なんだろう」

 ユスティは暫く考え込んだ後、ハンナに問いを投げかけた。

「……前回の聴取のメモはあるか?」

「あるよ。同じ手帳の少し前のページ」

 ハンナの言葉に従い、ユスティはページをめくる。

 ハンナは聴取の際、できるだけ相手の発した言葉を詳細に記すようにしている。というのも、そのメモを利用するのはハンナだけとは限らないのだ。

 彼女は事故調のメンバーの中では最も航空機についての知識が浅い人間だ。一般人に比べればかなり深い知識を持ってはいるが、なまじ残りのメンバーが飛行機に精通しすぎているせいで彼女は自分の知識を生かせる場が少ないのだ。

「……どう?何か分かった?」

「いや……まだ何も」

 ハンナの問いかけに、ユスティは面を上げずに答えた。

 ――と、一心不乱にページを捲っていたユスティが、あるページでその手を止めた。

「――ハンナ、除氷作業を担当した地上作業員が言っていたことを思い出せるか?」

「え?」

 漠然としたユスティの問いにハンナは困惑した。しかし彼のその問いには意味があると考え、ハンナは敢えてその問いに素直に答えた。

「えーと、『その日の朝はえらく冷え込んで、どの飛行機も分厚く氷が張っていた』、『事故を起こした飛行機はそれが特に顕著』で、『その機の機長さんもその辺を心配していたみたいで』『嫁をイビる姑みたく指示を出してきた』。で、その後は……」

 じっと聞き入るユスティ。彼は、ハンナの言葉がある地点に差し掛かったところで彼女の口を止めさせた。

「……『指示通りに氷を剥がして、再氷結を防ぐためにコーティングもした』。『除氷は完璧だった。ばっちり、間違いねぇ』」

「――待て、今何と言った?」

「え?えーと、『除氷は完璧だった』?」

「違う、その後だ」

「えーっと、『ばっちりこの目で確かめてある』?」

「――そこだ」

 ユスティはバタンと手帳を閉じた。

「見落としていた可能性を見つけた」

「へ?何か変なの?」

 今一つユスティの言いたいことを理解できなかったハンナは疑問の声を上げる。彼女のその疑問を晴らしたのは、黙考して記憶を探っていた葵の言葉だった。

「――なるほどね。『この目で確認した』、か。確かにそうだね。ね」

「……あっ、そうか!」

 得たりと手を叩くハンナに、唯一話に着いていけなかったジャックが混乱の声を上げる。

「……あ?どういう事だ?」

 彼の言葉に、ハンナが興奮した様子で答える。

「除氷作業は飛行機を安全に飛ばす上で最も重要な作業の一つなの!その最終チェックは!なのにこの証言では『この目で確認した』、つまり目視でしかチェックしてない可能性があるの!!」

 ハンナの様子に圧倒されるジャック。しかし、彼は自分の中に浮かんだ疑問を内に溜め込むことはしなかった。

「……でもよ、それがその航空会社のやり方だったりはしないのか?」

 ジャックが言っているのは、「いくら『基本』とはいえ、同じくらい効果的でより効率的な方法として目視点検が採用されていたのではないか」というものだ。

「それはないよ」

 しかし、葵はその疑問に即答した。

「僕は地上作業員に配布される作業マニュアルも暗記してるけど、除氷作業の項目には『除氷作業後の点検は目視点検ではなく実際に重要表面に触れて行うこと』って明記されてる」

「……つまり、今回の事故の原因はその作業員の適当な作業だってのか?」

 ジャックは少し気の毒そうな顔でそう言った。ジャックのその哀れみを、しかしユスティは一刀の下に切り伏せた。

「……うへぇ、きっついな……」

 ジャックは乗客百数人の命を脅かした咎を一身に受けることを想像して、思わず言葉を失った。自分の軽率な行いひとつで自分の人生全てを投げうっても償いきれない咎を背負うことになると想像すれば、ユスティとて鉄面皮のままでは居られまい。

 ――しかし、とユスティ。

「地上作業員のミスひとつで堕ちるほど、飛行機はヤワな造りはしていない」

「……そうなのか?」

 感情のジェットコースターに、ジャックは少しやつれた表情でユスティを見返す。

「そうだ。よしんば地上作業員のミスによって着氷が見逃されたとしても、そのミス一つで飛行機が堕ちることはまずない。……というのも、航空機に搭載されるエンジンは多少の異物吸入は想定して作られている。そうでなくては悪天候の中飛行をすればすぐに墜落してしまう欠陥飛行機が出来上がってしまう」

 ユスティの言葉を葵が継ぐ。

「……今回不時着した機に搭載されているエンジンも、厳しい安全基準を満たして製造されているんだ。その基準の中には大量の水や雹、霰などの吸入が想定されたものもある。つまり、ってこと」

 ユスティと葵の言葉に、ジャックは少し平静を取り戻した。

「……つまり、他の原因によるところが大きいってことか?」

「というよりも、『他の原因と組み合わされてしまった』という点が大きい。いくら安全基準を満たして製造されたエンジンとはいえ、安全基準が想定していない事態に耐えるようには作られていない。今回の場合、エンジンが氷を吸い込んでサージングを起こした際にエンジン出力が増大することは想定されていなかった筈だ」

 なるほどなぁ、とジャック。

「ってことは、今回の事故は安全規則の網を抜けて起こった事故だってことか」

「そうだな。……これに加え、自分の行っていた『目視点検』という安全規定に違反した行為に対して疑問を抱いていなかったあたりこの『目視点検』は常態化していた筈だ。その場合、そういった事態を許していた航空会社にも責任はある」

「……航空機事故って複雑なんだな」

「そうかもしれないな。自動車などの交通事故と違い、航空機の事故は何重にも張り巡らされた安全対策をすり抜けて発生する。こういった事故は、大抵複数の原因が重なって起きるものだ」

 そう言うと、ユスティは手近なホワイトボードに航空機の三面図を貼り出した。

「今回の事故のは主に二つあると考えられる。ひとつ、『航空機への着氷とそれを見逃したチェックの甘さ』。ふたつ、『エンジン出力増大によるエンジン破壊の助長』。……だが、これら以外にも事故の原因となってしまった物事がある」

「その二つ以外のがあるってことか?」

 ジャックの言葉にユスティは頷く。

「これら二つの大きな原因を作った更に小さな原因――挙げていったらキリがないほどの細々した原因が積み重なって、今回の事故は起きた。例えば、事故機の機種も原因のひとつになる」

 ユスティは三面図のうち、機体を横から見たものを指す。

「今回使用されていた機材はジェネラル・ウィングス社製双発機DC-9-81M。この機の特徴として、このエンジンの配置がある」

 ジャックは身を乗り出し、ユスティの指差す先を覗き込んだ。そのエンジンは胴体後部に直接取り付けられ、それに押し退けられるように水平尾翼が高い位置へと取り付けられていた。

「……確かに、『飛行機』と言われてパッと思いつく形とは違うな。俺の知ってる飛行機は、翼の下にエンジンをぶら下げてるイメージだ」

「実際のところそういったエンジン配置の機種が多い。重量物を重心に寄せることには操縦性の面で大きなメリットがあるからな。しかし、このタイプの機体は共通してこういった設計をしている。これは設計理念の違いによるものだ」

「『設計理念』?」

 聞き慣れない言葉にジャックは疑問符を浮かべる。そんなジャックに答えを示したのは葵だった。

「機械にどんな機能を持たせてどんな目的で使うのか、沢山ある方向性の中から設計方針をひとつに絞るための理念のことだよ。例えば自動車にもいろんな種類があるけど、それらひとつひとつは目的を持って設計されているんだ。『早いスピードで走らせたい』、『物を沢山乗せて走らせたい』、『楽しく走りたい』。こういった目的を持って設計の方向性を定める考え方が『設計理念』というものなんだ」

 そこで葵は一旦言葉を切り、不要になった紙で手早く紙飛行機を折った。

「今回の機材は、三面図を見てもらえば分かる通りエンジンが胴体後部に配置されているレイアウトになっている。この設計はロール方向の慣性モーメントとヨー方向の推力によるモーメントに優れているんだ。その分ピッチング方向とヨー方向の慣性モーメントが犠牲になっているけど、これはキャビンの快適性とかとのトレードオフだね」

 葵の口から放たれる未知の言葉の数々に、ジャックの頭は疑問符で埋め尽くされた。半ば放心状態のジャックに、葵はより噛み砕いた説明を付け加えた。

「順番に説明するね。『モーメント』は回転を表す力を、『慣性モーメント』は物の動かしにくさを示す尺度だ。慣性モーメントが大きいほどその物体は動かしにくく、小さいほど機敏に動かせる。その尺度が、二つの方向に於いて他の機体よりも優れてるっていうこと。この二つの方向っていうのが、『ロール』と『ヨー』。『ロール』っていうのは、機体が左右にバタつく動き。自動車とかでも、カーブを曲がるときに車体が傾く感覚があるでしょ?あれが『ロール』だよ。で、『ヨー』っていうのは機体が水平にスピンする動き。あんまり実感できる機会は少ないけど、自動車の旋回にはこの『ヨー』が大きく関わってるよ」

 そう言いながら葵は紙飛行機を動かす。その様子を見て、ジャックは納得したように頷く。

「残る一つの方向っていうのが『ピッチング』、これは機体が前後に沈み込んだり浮き上がったりする力のこと。自動車でいうところの、減速時や加速時に感じる浮き沈みのことだね。『ピッチング方向の慣性モーメントに優れる』っていうのは、つまりこの浮き沈みが素早いってこと。飛行機に於いてはあんまり大きなファクターじゃないけど、操縦性の面では小さいに越したことはないね。……でも、この飛行機ではそれは実現しなかった。実現させることはできたけど、客室の面積確保や騒音の面を犠牲にする必要があった。これが『トレードオフ』の関係だ」

「ほーん……で、推力によるなんたらってのは?」

「ヨー方向の推力によるモーメントっていうのは、主に片肺飛行、つまり片方のエンジンが止まった時の操縦性に関わってくるんだ。普段は両方のエンジンが動いてるからこのモーメントは釣り合ってるんだけど、片方のエンジンが止まってしまうとそのつり合いが崩れてヨーが発生してしまう。これが小さい方が、片肺飛行するときに支障が少ないんだ」

 葵の説明に、ジャックは考え込んだ。

「うーん……つまり、今回の機体は一つのエンジンで飛ぶときの性能と機体をばたつかせる性能に優れてるってことか?」

「少し表現に語弊はあるが、まあそういう事だ。」

 葵の言葉を引き継いだユスティは頷き、話を本筋へと戻した。

「しかし、今回の場合その設計理念が事故の原因になってしまった。これは偶然の範疇ではあるがな」

「あ?どういう事だ?」

 要領を掴めなかったジャックに、ユスティは先ほどの三面図を指し示す。

「今回の機材は機体後部にエンジンを配置するレイアウトになっている。その位置は垂直尾翼の少し前、主翼より少し高い位置だ。今回の場合、このエンジンレイアウトが不時着に繋がる原因になってしまったんだ」

「……わっかんねぇ。どういう事だ?」

 ジャックの疑問に、今度はハンナが答える。

「今回の事故の原因は『異物を吸い込んだことによるエンジン停止』でしょう?じゃあ、今回の事故に於ける『異物』って何かしら?」

「何……って、氷の欠片だろ?」

「その通り。この氷の欠片はどこから来たの?」

「機体のどこかに付いてたのを見逃されたんだよな。それが飛行中に剥がれ落ちて、エンジンに吸い込まれた。……でも、それが何だってんだ?」

 ハンナの問いの真意に辿り着けなかったジャックは、ハンナの言葉に先んじて白旗を上げる。お手上げのサインを受け取ったハンナはホワイトボードの前まで移動し、ユスティからペンを借り受けて三面図に線を描き込んでいく。

「――普通の飛行機の場合、表面に付着した異物がエンジンに影響を与え得る範囲は翼面前縁部と機首付近。図でいうとこの部分ね。でも今回の飛行機は特殊なエンジンレイアウトをしている分、この範囲が広くなる。具体的にはエンジン胴部ほぼ全てと主翼の付け根付近ね。――ほら、さっきに比べてかなり広い範囲になったでしょ?」

 ハンナの描き込んだ図を覗き込み、ジャックは納得したように頷いた。

「――なるほどな。普通の飛行機だったら問題なかった場所の着氷が、今回のケースだと問題になってしまったってことか」

「そういう事。ユスティの言う通り『偶然の範疇ではある』けど、今回の事故の原因の一つにはこのエンジンレイアウトが挙げられるわ」

 ペンのキャップをぱちんと嵌め、ハンナはユスティにペンを返す。そのペンを受け取ったユスティはハンナの説明を補足するように言葉を付け加えた。

「『原因』という言葉を使ってはいるが、設計したメーカーに何か非がある訳ではない。除氷作業と点検を徹底すれば、このレイアウトも問題にはならない。今回のケースは除氷作業後の点検が不適切に行われていた可能性があるためにこのレイアウトが不利に働いてしまったというだけだ」

「そうなのか?今の話を聞く限りだとこのエンジンレイアウトはマズいように思えるんだが」

「一般的なレイアウトを採用した航空機でも、エンジンに異物を吸入してしまうケースは存在する。地表付近の異物を拾うか、はたまた機体から脱落した異物を吸い込むか。所詮はその二択だ」

 安全設計の場面ではこういった二者択一を迫られるシーンがままある。この二者択一が「トレードオフ」の、選択の根拠が「設計理念」のいち側面である。

 ジャックに対する説明を終えて話に一区切りつけたユスティは、今後の捜査方針について語った。

「――今後の捜査は不適切な点検作業についての検証とエンジン出力増大のメカニズムについて行おうと思う。再捜査は現時点の捜査を終えたものから順次中断して、これら二つの可能性についての調査にリソースを割く。ハンナは作業監督者への事情聴取、葵はパイロットの資料をあたってくれ。俺はCVRの検証だ」

 ユスティはその場にいる面々を見渡し、その反応を確認する。了承の反応を得たユスティは報告会の終了を宣言した。

「今回はこれで解散だ。皆、明日以降も頼むぞ」

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