第1話 第4章 『サージング』

「なぁーーーーーにが『また明日ね』だよ私ィィィィィ!!!!!!飲んでもない酒にでも酔ったのかよバカぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 翌朝。目が覚めたアイリはベッドの上で自分の行いを猛省していた。

 ユスティに自らの身の振り方を相談しに行ったはずが、何故か最後の方は勝手にいい雰囲気になってしまっていた。何故なのか。馬鹿なのか。

 恋を自覚した女学生のような己の言動を思い出し、アイリはベッドの上でどったんばったんと暴れまわっていた。

「何故だ、何故私はあんなことを……今日ユスティに呼ばれてるのは確かだけど、それって事故の調査についてのことじゃない……しかも会って数日、実会話時間二時間から三時間!!何だ、チョロインなのか私はァ!?」

 思ってもみなかった己の発言に、アイリは恐れおののいていた。まさかつり橋効果を身を以て実証することになるとは、アイリは予想だにしていなかった。――あれだけ悩んでいた出来事に対してすんなり回答を出せてしまったことも含めて、だ。

「ううう、何にせよ『行く』って言っちゃったものは仕方がない……準備だけはしなくちゃ……」

 食事の最中、ユスティに大まかな時間と場所は聞いてある。後はそれに従って行くだけなのだが、如何せん気が重い。アイリの準備を進める手も、普段より何割か鈍かった。


 一時間後。ユスティに指定された場所に来たアイリは、少し落ち着かない様子で時間が来るのを待っていた。

 予定の時間は三十分後。気が重いだの何だのと言いながら、落ち着かなさに負けて予定より遥かに早く集合場所に着いてしまった。ベクトルは真逆だが、まるで遠足を心待ちにする幼児のような己の様子にアイリは恥じ入るばかりだった。

「……随分と早かったな」

「ヒエッ!?」

 いつの間にか背後に立っていたユスティに、アイリは情けない声を漏らす。

「予定より三十分も前だが……伝える時間を間違えていたか?」

「イエイエそんなことはないですひとえに私の自己管理能力の無さが問題でありまして――」

 取り乱した様子で何事か捲し立てるアイリの様子に、ユスティは首を捻る。

「そうか?……ならいい。予定より早いが、行くぞ」

「ハイッ」

「……」

 相変わらず落ち着かない様子のアイリに、これ以上の反応を示すことなくユスティは歩き出した。


「着いたぞ。ここだ」

 ユスティはアイリを連れて、事故機のエンジンが保管されている倉庫へとやってきた。

 ユスティの後ろから倉庫の中を覗き込んだアイリは、思わず驚嘆の声をあげた。

「わぁ……すごい、これが魔動機関……」

「……アイリは魔動機関を見たことが無かったのか?」

「うん。一応実験用のサンプルみたいなのは見たことあるけど、実際の飛行機に搭載されているような大型のものは初めて見る」

 そう言うアイリの瞳は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のように輝いていた。

「あぁ、お二人さん、こっちこっち~」

 アイリとユスティを呼ぶ声が、倉庫の奥から聞こえた。声の主はノベリアだ。

「あなたがユスティの言ってた『魔法』の専門家?」

「はい。シュルヴィア・アイリ・サルメライネンです」

「私はヘンドラーレ・ノベリア。よろしく」

 握手をする二人をよそに、ユスティは綺麗に分解されたエンジンの様子を眺めていた。

「こっちは第一エンジンか?」

「そう。昨日一日がかりで分解したんだよ」

 ノベリアは敷かれたブルーシートの上をひょいひょいと渡っていく。整然と並べられた部品の数々に、ユスティは彼の後をついていくのを躊躇った。

 そんなユスティをよそに、ノベリアはいくつか部品を拾って戻ってきた。

「サルメライネンさんに見てもらいたいのはこの部品。明らかに外的要因による損傷があるんだけど、何の部品か分からくて困ってたんだよねぇ」

 彼の手に握られているのは、パイプのようなものが繋がった部品だ。いくつかのボルトで締結されているあたり、何らかの機能を持った部品のアセンブリなのだろう。

 若干悔しさの滲むノベリアの表情に、ユスティは彼の苦労を察した。

「やっぱり厳しかったか?」

「うん。一応簡単な原理とかは分かったんだけど、やっぱり専門外の機械は難しいねぇ。化石燃料のエンジンならある程度理解できたんだけど、それも葵くんの力あってのものだからねぇ……やっぱり専門家は必要だよ」

 そうか、とユスティ。彼にとって、この展開は予想できたものだ。ノベリアの本来の専門分野は金属加工であり、エンジンの分析はその分野の知識を応用して行うものだ。彼にとって分析の対象となる部品は「金属塊」以外の何物でもなく、それらの分析に意味を持たせるのは葵の仕事だった。

 今回のケースに於いて、『魔法』についての知識をものにできていない葵は今のところ戦力外である。そのため、『魔法』分野に精通した専門家の補助が必要になったのである。

 部品を覗き込んだアイリはノベリアに問う。

「この部品、どこにあったものですか?」

「分解してない方のエンジンで説明するね。着いてきて」

 アイリとノベリアは、倉庫手前側に置かれているエンジンの方へと歩いて行った。この場に於いて、ユスティの出番は今のところ無い。ユスティは昨日と同じパイプ椅子に腰かけ、二人の様子を観察することにした。



 ノベリアから質問のあった部品の役割についての説明を終え、三人は施設内のカフェテリアで早めの昼食をとっていた。

「なあ、アイリ」

「ん?なーに、ユスティ」

 ユスティの声に、パンを咥えたままのアイリが振り向く。

「……いや、そのパンを食べてからでいい」

「ん、わかった」

 そう言うと、アイリは咥えていたパンを一息に頬張った。

 パンを嚥下したアイリは、再びユスティの方を向いた。

「どうしたの?ユスティ」

「……いや、素人ながら『魔法』というものに興味があってな。どういう原理なのか、教えてくれないか?」

「いいわよ。ノベリアさん、磁石ってあります?」

「あるよー。ほら」

「ありがとうございます。……ユスティ、ちょっとこっち来て」

 そう言って、アイリは自分の隣の席を指差す。ユスティはそれに従い、席を移した。

「問題です。磁石と磁石を近づけた状態で手を放すとどうなるでしょう」

 唐突に始まったクイズに、ユスティは間を置かず答えた。

「引き合うな」

「どうやって?」

「どう……」

 要領を得ることのできなかったユスティに、アイリは質問の答えを実演してみせる。

 手を放すと、磁石はパチンと音をたててくっついた。

「こうやって。一瞬のうちに移動してくっつくでしょう?」

「そうだな」

「これが『魔法』よ」

 思いもよらない回答に、ユスティは混乱した。

「……どういうことだ?」

 彼の言葉に、アイリはもう一度同じことを実演してみせた。

「磁石は、手を離すと磁石同士が引き合って、人間には知覚できない一瞬のうちにくっつく。『魔法』もこれと同じ。AB。これが『魔法』よ」

 より詳しいアイリの説明に、しかしユスティは理解を示すことが出来なかった。

 考え込むユスティの様子を見て、アイリは説明を重ねた。

「『魔法』っていうのは、ごく簡単な事象を応用する学問なの。『魔法』の要諦はただ一つ、『一瞬のうちに引き合う』。これだけ。この事象を飛行機を飛ばすほどの大きな事象にしたのが『魔法』という学問の功績のひとつよ」

「……つまり、物体が一瞬のうちに移動する事象のことと、それを応用してより大きな力にするのが『魔法』だと?」

「そゆこと」

 理解出来たような出来ないような、そんな感覚の泥沼に陥ったユスティに、ノベリアは笑う。

「私もそんな感じだよ。特定の物体の間でしか作用しない引力が『魔法』、そんな解釈しかできてない」

「『特定の物体』?」

 ノベリアの言葉をアイリが引き継ぐ。

「そう。『魔法』っていうのは、ごく限られた条件――異なる二種類の特定の物体が一定距離内にいるときにのみ発生する、ごく小さな事象なの。『アイテール』と『アーエール』――この二つの『魔素』が関わって、初めて『魔法』が発動するの」

 彼女の説明は続いた。

 曰く、「アイテール」とは空気中に存在する魔素――『魔法』に関わる物質であることからそう呼称されるようになったらしい――であり、「アーエール」とは特定の鉱石から金属として産出される魔素である。これら二種類の物質が一定距離内に存在する場合、観測不能な外力によってこれら二つの物質が引き合うらしい。

 これらが引き合う距離と実際に引き寄せられる距離はそれぞれを含有する物質の質量に反比例し、反応後は引き合う範囲の外に出なければ反応は起こらない――つまり、「近づいた物質同士が際限なく引き合う」といったようなことは起こらないようだ。

「これが『魔法』の不思議なところなのよ。一定距離内に入らないと反応しないくせに、一度一定距離内に入ってしまえばその範囲を出るまで反応しない。何らかの塊に含有された状態で一定距離内に入った場合、その物体全体が範囲内に入るまで反応しない。反応そのものは観測できないけど、反応の余波は物理的な現象として反映される。……全く、不思議なものよね」

 そうアイリはごちた。『魔法』の専門家にとっても「不思議」なのだ、専門分野外のユスティらにとって『魔法』は理解しがたい法則体系でしかなかった。

「……まぁ、要は空気と特殊な素材があれば運動が発生して、その運動によって物理的な運動量が発生するってこと。この現象の規模を大きくして運動量を『動力』として取り出せるようにしたのが『魔法動力装置』で、それを実用的なものにしたのが『魔動機関』。こういう解釈で相違ないわ」

 アイリの説明に、ユスティは唸った。

「……道理で航空機以外に魔動機関が搭載される例が無いわけだ。大量の空気が供給されないと稼働しない機関なんて、地上にいては使い物にならない」

「でも飛行機ならアイテールの供給は十分だし、燃料を搭載しない分軽量化にもなる……重量の問題が常に付き纏う飛行機にとって、この発明はまさに革命だね」

 二人の言葉に、アイリはそれぞれ頷く。

「そういう事。――この世界はただでさえ石油資源が足りてない。でも大飯喰らいの飛行機は需要が大きい。このボトルネックを解消する『魔動航空機』が航空機市場を席捲しつつあるのは、極めて自然な流れね」

 とはいえ、とアイリ。

「……『魔法』はまだ未成熟な学問体系なのよ。分かっているのはさっき言った事くらいで、進んでいるのはこの現象を効率的に起こす技術の研究だけ。学問分野の人口は全く足りてないし、前例の無い新分野だから倫理観リテラシーも二の次。商業利用できる程度には『実用的』だとは思うけど、まだまだ未熟な分野だと私は思うわ」

 アイリの言葉に、ユスティも賛同した。

「その通りだな。いくら安全規則が人々の犠牲のありきで書かれているとはいえ、目の前の危険に対して盲目であってはいけない」

「『事故が起きていないから大丈夫』っていうのは、ちょっと乱暴だよねぇ」

 分野は違えど『遺産』から引き継がれた学問を修めたノベリアも、『魔法』という分野の未成熟さを危ぶむ。

 彼らの言い分も尤もなのだが、アイリが幾度となく繰り返すように学問分野には人が足りないのだ。甦生世界に於いては未だ教育水準も低く、技術を利用する側のリテラシーも全く追いついていない。いつかアイリが言っていた「体力の限界」というのはこういう事だ。

 話が一区切りつき、食事も終えたアイリはおもむろに立ち上がった。

「さて、お昼も食べたことだし仕事に戻りましょ。あんまりゆっくりもしていられないんでしょう?」

「……そうだな。そろそろ行こうか」

 アイリに引き続き、ユスティとノベリアも立ち上がる。彼らの仕事はこれからが本番だ。



「――『サージング』?」

 日没後、委員会本部。その日のエンジンの調査を終えたユスティは他メンバーと合流し、第四回の報告会を開いていた。

「そうだ。エンジン内部の破損状況を確認したところ、両エンジンの前部ファンと燃料供給管にあたる部分に破損が見られた。これによってサージング――不規則で激しい動力の増減が発生したと考えられる。これは乗客の証言に一致する」

「てことは、やっぱり異物を吸い込んでたの?」

「そうだ。分析によれば、吸入していた異物は氷の欠片で間違いないらしい。エンジン内部にもより規模の小さい同様の損傷があることから、氷片が衝突したのはエンジン稼働中であると考えられる」

「エンジンサージングかぁ……魔動機関でも発生するんだねぇ」

「サージング」という現象は、化石燃料エンジンにおいては吸入する空気の流れが乱れることにより発生する異常動作のことを差す。「燃焼」という概念の無い魔動機関にサージングが発生するというのは、葵にとっては多少の驚きを以て伝えられた。

「航空機のエンジンのような、非常に高い回転数で稼働する機構にはこういう問題はつきものだ。常用回転数が2000~5000rpm回転毎分の自動車のエンジンですら振動は問題になるんだ、魔動機関とて例外ではあるまい」

 ユスティの言葉に、葵は「なるほどね」と頷く。

「じゃあエンジン破損の原因がサージングだと仮定するとして……次の問題は『何故氷が吸い込まれたか』ってとこだね」

「そうだな。当時の天候は曇天だったが、ひょうあられの報告は無い。となれば、疑われるのは機体への着氷だな。――ハンナ」

 ユスティの問いに、ハンナは報告を以て答える。

「地上の捜査は90%終了。残りは私の指揮無しでも進められるかな」

「なら明日は空港を頼む。地上作業員と監督者、作業責任者への事情聴取だ」

「りょーかい。作業記録と除氷液の管理記録はユスティに任せていい?」

「構わない。資料は俺のデスクに置いておいてくれ」

 ハンナへの指示を終えたユスティは、葵にも報告を求めた。

「葵の方はどうだ?」

「FDRの八割くらいが解析できたところ……あとは僕らが読める形に変換して分析するだけ。CVRはFDRの作業が終わったらだね……」

「そうか。引き続き頼むぞ。資料の方の進捗はどうだ?」

「あと少し。明日には把握し終わるよ」

「そうか、助かる。……報告は以上か?」

 ユスティは二人の様子を伺う。ハンナと葵は彼の言葉に頷いた。

「ならば、今回の報告会は終了だ。解散」



 翌日、ユスティの姿は昨日と同じ倉庫にあった。

「ああ、ユスティ。おはよう」

 そう挨拶をしてきたのは、倉庫の端で机に向かうアイリだった。その手にはエンジンの部品らしきものが握られている。

「おはよう。進展はあるか?」

「明確な破損がある部品をいくつか見つけたわ。大きなところで言えばコンプレッサー部と反応区画リアクターのタービンとシャフト、燃料アイテール供給管とその周辺。破損状況からみて、異物によって直接破壊されたのはアイテール管だけね。そこだけは周辺に更に小さな破壊の跡があったわ」

 何かがぶつかって砕けた証拠ね、とアイリ。

「……でも、まだ破損が確認されただけで、その原因を突き止めるには至ってないわ。このエンジンの動作原理は私の専門分野だけど、その破壊の跡から原因を突き止めるのは私の専門じゃない」

「となれば、残りはノベリアの仕事か」

 疲労に凝り固まった目頭を押しつつ、アイリはユスティの言葉を部分的に否定する。

「そういうわけにもいかないわ。確かにエンジンの破損状況からそこで起こった事象を突き止めるのは彼の仕事だけど、その事象が発生した原因を突き止めるのは私の仕事。――要は、まだ休んでられないって事」

「そうか。……すまないな」

 ユスティの気配りに、アイリは笑いかける。

「気にしないで。ここに来るきっかけを作ったのはユスティだけど、ここに来たのは私の決断。あなたが謝ることじゃないわ」

「……そうか」

 ユスティは少しの沈黙を用いて話を本筋へと戻す。

「破損個所がいくつか見つかったと言ったが、エンジン破壊の過程について思い当たるシナリオはあるか?」

 ユスティの問いかけに、アイリは考え込む素振そぶりを見せた。

「あるにはあるけど、まだ何かを言える段階にはないわね。全部の部品を精査できてるわけじゃないし、現段階では根拠薄弱な想像でしかないわ」

「それで構わない。エンジン破壊の過程を教えてくれないか」

 少し考えたアイリは、手に持っていた部品を机に置いてユスティに向き直った。

「いいわよ。でも、これはあくまで想像よ。これが正しいという根拠は今のところどこにもないわ」

「分かっている。捜査の参考にするだけだ」

 ならいいわ、とアイリ。

「まず、機体のどこかから剥離した氷がエンジンに吸い込まれ、前部ファンに歪みが発生する。その歪みはリアクターとコンプレッサーの異常な動作を引き起こし、同時に砕かれた氷の欠片がアイテール供給管を破損させる。管が破れたことで漏れたアイテールがコンプレッサー部の異常な動作サージングを助長させ、コンプレッサー部とそこを通るシャフトが深刻に破壊されてエンジンが破壊される……と、こんなところじゃないかしら」

 ふむ、とユスティ。

「それだけ聞けばただのエンジンサージングだな。他に不審な点は無かったか?」

「今のところ見当たらないわね。……何か不自然なところでもあった?」

「いや。不自然な点はないが、余りにも不自然さが無いのが気になる」

 ユスティの禅問答に、アイリは首を捻る。

「……どういうこと?」

「エンジンサージング自体は珍しい現象じゃない。しかし、エンジンサージングだけでここまでの破壊が起こることはまずない。エンジンサージングがたまたま深刻化したと考えても、それが両方のエンジンで同時に発生するとは考えにくい」

 彼の言葉に、アイリは要領を得た。

「つまり、ってこと?」

「そういう事だ。それが機械的なものか人為的なものか、はたまた偶発的な事象によるものなのか……そのあたりは不明だが、何かしら他の事象が関わっているのは確かだろう」

「人為的……パイロットの過失ってこと?」

「そうとも限らない。……その可能性は考えたくないがな」

 そう言うと、ユスティは踵を返した。

「俺はいったん本部へ戻る。引き続き調査を頼む」

「それは良いけど……本部に何をしに行くの?」

 アイリの問いに、ユスティは勿体付けるでもなくさらりと答えた。

「事情聴取の準備だ。――パイロットの行方が掴めた」


 時は遡り、数十分前。

 ユスティの姿は新人警官ジャック・ジョーダンと共にあった。

「――全く、お前らのお蔭でひどい思いをしたぞ。あんな思い、二度と御免だね」

「それはすまない。だが、必要な事だった」

 ジャックはここ数日自分に割り当てられていた仕事について愚痴をこぼしていた。寒空の下数日に渡って地べたを這いつくばらされていたのだ、愚痴の一つや二つは仕方のない事だろう。

 彼の愚痴に顔色ひとつ変えることなく答えるユスティに、ジャックは深くため息を吐いた。

「……ったく、鉄仮面は相変わらずだな。愚痴のこぼし甲斐が無いぜ」

「すまない」

 至って真面目にそう答えるユスティに、ジャックは精神攻撃を諦めた。

「……ところでよ、ハンナさんって言ったか?あの美人さん」

 警察車両のハンドルをトントンと叩きながら信号待ちをするジャック。彼の興味は専ら俗っぽいところにあるようだった。

「……ハンナがどうした?」

「あの人、どうして事故調なんかに入ったんだ?事故調に入れるだけの学があるなら、もっと他の仕事でもよかっただろうに。わざわざ寒いところで陣頭指揮を執るより、もっと楽な仕事に就けたんじゃないか?」

 ジャックの疑問に、ユスティは答えるべき言葉を見つけられなかった。

「……さあな。俺も改まってそのへんの話を聞いたことはない」

「へぇ、意外だな。見たとこそういう話は根掘り葉掘り聞きそうなタイプだと思ってたんだがな」

「……俺を何だと思っているんだ?」

「人外鉄面皮」

 臆面もなくそう言ってのけたジャックに、ユスティは珍しくため息を吐いた。

「心外だな。俺とて立派に人間だ」

「でもあんまり表情変わんねぇし、たまに人をモノ扱いしてるように感じられるんだよな。あんまり人の心持ってないんじゃなかと思ってるぜ」

「……」

 あまりの誹謗中傷にユスティは言葉を失った。同じような事を言われた経験はあったが、ここまでストレートに悪罵を並べられたのは初めてのことだった。

 ユスティの沈黙を感じ取ったのか、ジャックは心ばかりのフォローをすることにした。

「……でも、それがあるからこの仕事をやっていけてるところもあるんろうな。そう考えると複雑な感じだ」

 実際のところ、ユスティの性格は彼の仕事の助けになっている面もある。彼の冷淡な性格は、事実を曇った眼で見ることを防いでくれている。そういう点では、この仕事は彼の天職とも言えた。

 とはいえ、その言葉は今までの悪罵の列挙を打ち消すものではなかった。ユスティもジャックもその後の応対に詰まってしまい、車内には微妙な沈黙が流れることになった。

「……ラジオ、流していいか?」

 沈黙に耐えかねたジャックは、強引に車内の雰囲気を変えることにした。

 彼の意図を汲んだのか定かではないが、ユスティはその提案に首肯した。

 ラジオから流れてきたのは昼の情報番組だ。テレビの普及率が低い甦生世界では、ラジオがその役割を担っている。

 暫くの間、車内に陽気なMCの声が響いた。

 ――車内の雰囲気が一変したのは、番組がとあるコーナーに進んだ時だった。

『さて、ここからは臨時の番組編成に移ります。――皆様は、数日前に発生した新鋭航空機の墜落事故を覚えていらっしゃいますでしょうか。空港を離陸して間もない新鋭の魔動航空機が、突如として機体の制御を失い墜落した事故です。事故現場付近は依然として非常線が張られ、警察による捜査が進んでいます。この事故の影響で同型機の搭乗予約にキャンセルが相次ぎ、人や物の行き来が滞っています』

 ここまでは(杜撰な調査も含めて)何の変哲も無い情報番組の一コーナーだった。事情が一変するのはここからだ。

『そこで我々は独自に関係者への取材を敢行し、調査を進めてゆきたいと思います。というわけで、本日は事故機を操縦していたパイロットの方に話を聞いてみたいと思います。どうぞ、お入りください』

 この言葉に敏感に反応したのはユスティだった。

「――ジャック、今日の予定は?」

 藪から棒な質問に、ジャックは目を瞬かせた。

「何だよ急に……俺はこの後半休だ。昨日一昨日と事故機まわりの捜査にかかりっきりだったからな」

「そうか……悪いが半休は返上してもらうぞ」

「はぁ?」

 再び驚きに包まれたジャックをよそに、ユスティはいつの間にか取り出していた手帳にペンを走らせていた。



 時は戻り、ラエヴネ市街地。調査の監視をジャックに任せたユスティは、先ほどの番組を流したラジオ局のエントランスにいた。

「こんにちは。航空機事故調査委員会の者です。責任者の方はどちらですか?」

 受付の係員は訝しげな顔をしたが、ユスティ提示した身分証を見て彼の質問に答えた。

「今お呼び出します。三階ラウンジにてお待ちください」

 そう言うと、係員は内線に向け何事か話しかけた。

 エレベーターに乗り指定された場所に到着したユスティを迎えたのは、やれたスーツ姿の壮年の男性だった。

「お仕事ご苦労さまです。私、ディレクターのヤシオと申します」

「ユスティ・アレクシーウです」

 調査委員会のメンバーを名乗るユスティの若さを不審に思ったのか、ヤシオと名乗った男性は彼の様子をじろじろと観察していた。

「……して、どのようなご用向きでしょうか」

「昼の番組に出演していたパイロットの方はどこにいらっしゃいますか?」

「昼の番組……ああ、ゲストの方なら四階の楽屋の方にいらっしゃいますよ。どうぞ、ご案内いたします」

 そう言うとヤシオは歩き出した。ユスティはその後ろをついていった。

 階段を登り廊下を歩いた先にあったのは、非常に簡素な小部屋だった。出入りには不便な位置にあるあたり、パイロットのふたりはここに軟禁されていたのかもしれない。

「ここからは俺一人にさせてください」

 そう言うとユスティはドアをノックし、ヤシオの返事も待たず入室した。

「こんにちは。航空機事故調査委員会の者です。お話を伺いに参りました」


 ここ数日間の目まぐるしい環境変化に、オットー・ヨハンソンは心労を強いられていた。ただでさえトラウマティックな経験をしたというのに、数日の間その出来事に囚われ続けているのだ、彼は非常に高いストレス下に置かれていた。

 そんな中やってきたのは、「航空機事故調査委員会」を名乗る青年だった。

「……事故調の方ですか。お仕事お疲れ様です」

「いえ、こちらこそ心中お察しします」

 何が「心中お察しする」だ、とヨハンソンは内心ごちた。彼のような青年に、自分たちの苦労がわかるものか。そうヨハンソンは感じていた。

「遅ばせながら、事故当時の状況について伺いに参りました」

「事故の状況なら、先ほど番組で語った通りだが」

 苛立ちを隠すこともなく、ヨハンソンは棘々しく言い放った。事故から数日、幾人もの人間に同じを話していたヨハンソンは、同じ話を繰り返し語ることに疲労を感じていた。

「番組は拝聴させて頂きましたが、我々としては貴方がたパイロットに直接話を聞く必要があります。何卒ご協力ください」

「……ふん、まあ良いだろう。ただし、この話をするのはこれっきりだ」

「ありがとうございます」

 そう言うと青年は一礼し、懐から手帳とペンを取り出した。その様子を確認したヨハンソンは、おもむろに口を開いた。


「どこから話せばいい?」

「最初からです。できればあなたが機に搭乗した瞬間からでお願いします」

「最初から、か。……そうだな、機に搭乗した後は、いつも通りチェックリストをこなして機体の状態を確かめた。その後乗客の搭乗が始まり、除氷作業とトーイングがあった。前日からの冷え込みに加えて残存燃料も多く、機体に厚く着氷しているコンタミネーションが多い可能性があったためいつも以上に入念な除氷作業を行ってもらった」

「ホールドオーバータイムの設定はどうされました?」

「普段より短めに設定してある。当時の天候を考えれば、再氷結は時間の問題だったからな。直接指示を出して念入りな除氷をしてもらっていたが、それでも不安要素は少しでも減らすべきだと判断した」

「機長が直接指示を出されていたんですか?」

「そうだ。私は機体の責任者だからな、機にまつわる全ての物事は私の管理下にあるべきだと判断した」

「なるほど。除氷液の種類も指示されましたか?」

「当然だ。タイプワンとタイプフォーの併用を指示した」

「除氷作業に滞りはありましたか?」

「無かった。地上作業員も優秀で、手早く除氷作業とその後の確認を行ってくれた。無論、確認作業も私の指示の下行ってもらった」

「そうですか。――その後はどうされました?」

「除氷作業の終了を確認し、管制にタキシングを要請した。許可クリアランスを得て滑走路手前まで移動して離陸を要請し、再びクリアランスを得て離陸体制に入った。その瞬間に至るまで、機体に不調は無かった」

「点検はどのように行いましたか?」

「チェックリストに従ったよ。周囲と機体の状態の確認は怠らなかった」

「離陸滑走中はどうでした?」

「特に支障は無かったな。事前の計算通りの速度で機首上げローテーションを迎え、計算通りの速度で離陸した」

「その段階でエンジンに不調は?」

「無かった。ごく快調に加速し、安全にV2安全離陸速度を超えた。エンジンが不調に陥ったのは、離陸後数十秒してからだ」

「どのような不調でしたか?」

「振動と共に回転数が不安定になった。両エンジン共にだ。離陸を担当していた私が引き続き操縦を担当して、ごく短い相談のうえエンジン出力を最低アイドルにセットした」

「その事は副操縦士も確認していましたか?」

「していた。私の『スラスト アイドル』の声に呼応して復唱が聞こえたのを記憶している」

「……そうですか。その後は?」

「一度はそれで振動が収まったのだが、少ししたらまた振動が発生した。不可解なことに、それと同時にエンジン回転数が上がっていったんだ。一瞬の間ではあったが、私はこの現象に気をとられてしまった。――とても恐ろしかったよ。何せ、一瞬のこととはいえ機械が人間に逆らったんだからな」

「その原因に心当たりは?」

「あるわけがないだろう!私も副操縦士もスロットルがアイドル位置にあることを確認しているんだ、だからこそ私は『不可解だ』と言ったんだ!」

「失礼しました。その後、何か変化はありましたか?」

「……不可解な出力変動の後は、いっとう大きな振動があっただけだ。それを最後にエンジンは動かなくなった」

「それはいつ頃のことですか?」

「エンジン出力が上がった直後のことだ。思うに、それが原因でエンジンが深刻に破壊されたんだろう」

「その後不時着に至るまでの経緯をお教え願えますか」

「最初の振動からエンジンが破壊されるに至るまで、我々は状況把握に努めていた。その間管制との交信は満足に行えていなかったが、たまたま乗り合わせていた非番機長の助力もあって管制への連絡とAPUの再始動が行えた。一応エンジンの再始動は試みていたがその努力は芳しくなく、空港へ引き返すには高度が足りなかったため我々の間では概ね不時着をするという結論に達していた。結局エンジン再始動も行えず、最終的には不時着するに至ったと、そういうわけだ」

「不時着に至るまでの経緯の詳細を覚えていらっしゃいますか?」

「覚えている。非番機長が不時着に使えそうな平原を発見し、不時着の準備が始まった。機体の状態の確認と侵入経路の確認を手早く終わらせ、非番機長には席に戻ってもらった。キャビンに不時着する旨を伝え、その後は訓練通りの手順を踏んで不時着した」

「……分かりました。その後の事は覚えていらっしゃいますか?」

「不時着の衝撃以降の記憶は曖昧だ。病院に担ぎ込まれた後、応急処置だけ受けてここに連れて来られた。その後は君も知っての通り、ラジオ番組に出演させられて今に至る」

「そうですか。――質問は以上です。ご協力ありがとうございました」

「……フン」


「――というのが、今回機長らから聞けた証言だ」

 事情聴取を終え、本部に戻ったユスティは事故調の面々を前にして調査の報告をしていた。

「番組の構成はどんな感じだったの?」

 そう質問するのはハンナだ。彼女は機長らを利用したイメージ戦略を早くから想定していた。

「恐らくはハンナの想定通りだ。機長らの証言を英断と称え、『不測の事態の中乗客全員を生還させた英雄』として祀り上げる内容だった」

「やっぱりねぇ……イメージ戦略としては大正解かもしれないけど、私たちにとってはあまり嬉しくない事態ね」

「証言の内容的にも、自分の決断は間違っていないと思ってそうな節がところどころ見受けられるしね……事実とそうでない部分の判別がつきにくいや」

 ハンナと葵の言葉にユスティは頷く。

「しかし、これで一応重要人物の全員から話を聞けたわけだ。気になる証言も得れたしな」

「気になる証言?」

 ハンナの疑問に、葵がユスティの言葉を引き継いだ。

「機長の証言だよ……この前も言った通り、スロットルレバーはG/Aの位置にあったんだよ。でも、機長は『スラスト アイドル』に設定したと言ってそれからはスロットルについて触れてない。つまり――」

「――パイロットの過失が疑われる、ってこと?」

 ハンナの言葉にユスティは頷く。

「パイロットが出演した番組の構成的に、自分にとって不都合な事実を無意識のうちに隠蔽してしまっている可能性がある。無論機械的なトラブルなどを疑う余地はあるが、エンジンの深刻な破壊にこのスロットル位置が関わっている可能性は高い」

 詳細はまだ不明だがな、とユスティ。

「――ハンナの方はどうだった?」

 そう問いかけられたハンナは、手に持っていた資料を残る二人に配った。

「事故機の除氷作業を担当した作業員とその監督者、除氷液の管理者に話を聞いてきたわ。証言はこの資料の通りよ」

 葵とユスティは書類に目を通す。

「……概ね機長の証言に一致するな」

「そうだね。使われた除氷液の種類も、作業の工程もだいたい同じ。これで一応裏が取れたってことになるのかな」

 葵の言葉にユスティが頷く。

「そうだな。除氷作業に大きな問題は無かったと見て良いだろう」

「……となれば、どこに原因があるんだろうね」

 少し考え込んで、ユスティが口を開く。

「……そういえば、除氷液の管理記録に一部不備があったな」

「不備?」

 ハンナが説明を求める。

「ああ。除氷液の管理記録に搬入の日付を記録する欄があったんだが、そこが空欄のままになっていた」

「杜撰な管理ね。……でも、それがどうかしたの?」

 ハンナの疑問に、葵が代わりに答えた。

「つまり、除氷液の品質に問題があったんじゃないかってこと?」

 葵の言葉にユスティは頷く。

「そうだ。いくら入念に除氷作業を行ったところで、肝心の除氷液が使い物にならなかったのでは無意味だ」

 なるほどね、と葵は頷く。

「……でも、そんなことどうやって確かめるの?僕たちには化学的な調査のノウハウは無いよ?」

 葵の言葉に、ユスティは迷うでもなく言い放った。

「実験してみるしかないだろう」



 翌日、事故調の面々は薬品メーカーの実験室にいた。委員会には化学的な実験を行う施設は無いため、除氷液の製造元に直接実験室と人員を借りていた。

「……まさか大統領から直々にを出してもらえるなんてね……」

 ぽつりと漏れた葵の呟きに、ユスティが反応する。

「あの人はこういう事に熱心だからな。だからこそ俺たちのような組織が公的機関として存続できている」

「それもそうだけど……まさか直接命令が下るなんてね」

「まぁ、その方が僕たちにとって好都合だし……」

 ユスティ以外の調査委員会の面々は、大統領のフットワークの軽さに少々驚いていた。まさか一両日以内に物事が進展するとは思っていなかったのだ。

「その通りだ。ただでさえ俺たちには人手が足りない、使えるものは全て使っていかねばなるまい」

「それはそうなんだけど……」

 若干引き気味の葵とハンナをよそに、実験の準備は着々と進んでいった。

「準備完了しました」

 実験の場を提供した研究室の職員の一人がユスティのもとに報告にやってきた。

「よし。なら早速始めよう。実験開始だ」

 ユスティの言葉に従い、実験機材たちが唸り声を上げ始めた。

「まずは一つ目のサンプルからだ。タイプワン、噴霧開始だ」

 ユスティの声に反応し、職員たちが機体の模型に除氷液を噴霧し始めた。

 実験室の外にいるユスティらからは良く見えないが、職員たちは手際よく除氷作業をこなしているようだった。

 模型全体の作業を終えたらしい職員のハンドサインを見て、ユスティは次の指示を飛ばす。

「状況報告」

 その言葉と共に、職員らは模型の表面を手でなぞり、着氷の有無を確認する。全員が確認を終え、着氷の状況を報告するハンドサインを見せたのを確認したユスティは更なる指示を出す。

「タイプフォー、噴霧開始」

 数分の間の後、模型全体への除氷液噴霧が終了した。

 あとはこの後しばらく放置し、着氷の有無を確認すれば一回目の実験は終了だ。

「どう思う、葵」

「どう……って?」

 ユスティの漠然とした問いに、葵は質問を返す。

「除氷液の品質についてだ。まだ一回目の実験だが、品質に問題のある除氷液が見つかると思うか?」

 返ってきたのは、ユスティにしては珍しいタイプの質問だった。

「……さぁね。というか、それを確かめるための実験でしょ?」

 それはそうだが、とユスティ。

「……何かが引っ掛かるんだ。何かを見落としたか錯覚しているか、そんなような気がする」

「随分と及び腰だねぇ。らしくないや」

「……そうだな。俺の気のせいだろう、忘れてくれ」

 葵の指摘に、ユスティはかぶりを振った。

「……でも、ユスティが何か引っかかるっていうなら、僕は何か見落としがあるんじゃないかって思うよ。ユスティの直感は当たるからねぇ」

「……直感で捜査するのか?」

 そうじゃないよ、と葵。

「直感っていうのは、経験や知識の積み重ねで生まれる気付きの事でしょ?だったら、ユスティの直感は信じていいと思うよ。少なくとも、自分の知識と照らし合わせて『何かがおかしい』って感じるなら、その点を突き詰めてみるのはアリだと思うよ」

「……『何かがおかしい』、か。確かにそうかもしれんな」

 そう言うとユスティは少しの間考え込んだ。

「――ともあれ、今は目の前の実験だ。これを終わらせないことには他の可能性を検討できない」

 ユスティの言葉に葵とハンナも同調する。

「今のところ一番大きい可能性だもんね。しっかり実験して結果を見なきゃ」

「そうだね……どんな結果が出たにせよ、全てはそれからだね」

 彼らが話している間に、一回目の実験の結果が出たようだ。模型の状態確認を終えた職員らを見て、ユスティは次の指示を飛ばした。



 一方、アイリ。

 彼女は引き続きエンジンの部品の分析にあたっていた。

 彼女が調べているのは、ユスティの言った「サージングを悪化させた原因」についてだ。現状ではサージングの証拠が確認されただけで、その規模や影響については検証が進んでいない。そんな中、アイリは可能性の暗闇の中を這い回っていた。

「――ッはァー、なーんにも無い!!」

 集中力が限界を迎えたアイリは、椅子に座ったまま仰け反り絶叫した。かれこれ数時間にわたって様々な可能性を検証しては否定されてきたのだ、絶叫したくなる程のストレスが溜まるのも無理はない話だ。

 そんな彼女の絶叫を聞いていた人物がいた。

「うぉッ、びっくりしたぁ」

 ジャックだ。彼はユスティに代わり、アイリの作業の様子を監視していた。

「あら、ごめんあそばせ」

「いや、構わねぇが……大変そうだな」

 ジャックの言葉に、アイリは首と肩をぐるぐると回しながら応える。

「ホンット大変よ。全く、私ったらなんでこんな仕事請けちゃったのかしらね」

「ん?あんたは事故調のメンバーじゃないのか?」

 思わぬ疑問に、アイリは目をぱちくりさせた。

「……ああ、あなたはユスティたちと知り合って間もないんだったわね。ユスティたちのことを詳しく知ってるものだと思い込んでたわ」

「残念ながら数日前が初対面だ。初っ端からキツイ仕事押し付けやがって、覚えてろってんだ」

 そんなジャックの様子を見て、アイリはからからと笑った。

「随分仲がいいのね、あなたたち」

「あん?どう見たらそう見えるんだ」

「だって、随分腹を割って話せてるみたいだし」

 そうか?とジャックは考え込む。

「……いや、それはねぇな。ユスティにも俺にも、まだ壁はある」

 へぇ、とアイリ。

「でも、随分本音は話せてるみたいだし、いい傾向ではあるんじゃない?」

「うーん……そうなのかねぇ。今一つユスティが心を開いてくれない感じがしてるんだが」

「ユスティは誰にでも同じ感じだと思うわよ。自分と一部他人とそれ以外。そんな感じで割り切ってるんだと思う」

「へぇ……どうしてそう思うんだ?」

「私もそうだから」

 アイリは手に持っていた部品を机に置き、背筋を伸ばす。

「……私ね、小さい頃に両親を失ってから安心できる場所にいられたことが無いんだ」

「……そいつは、随分と重い話だな」

「そうね。……で、そうやって暮らしてると、ごく一部の人を除いて周りのものが自然と『敵』と『それ以外』に分類されていっちゃうんだ。自分に害をなす存在か、自分に無関心な存在か……そうやって色んな人がカテゴライズされていって、最終的には自分の周りに人がいなくなってるの」

 ジャックはアイリの話を黙って聞いていた。

「でも、たまに自分に優しくしてくれる人がいるんだ。そういう人は、深く考えずに『味方』のレッテルを貼っちゃう。で、結局裏切られてその人は『敵』になっちゃう。勝手に人をカテゴライズしておいて、身勝手よね」

「……ここにいるのもそれが理由か?」

 彼は「ユスティが自分にとって『味方』だと思うのか」と問うている。

「わかんない。正直、私は自分がここにいる理由も分かってないんだ」

「そうなのか?メチャメチャ意外だ」

「そう?そんな一本軸の通った人間に見える?」

 アイリの問い返しに、ジャックは二つ返事で答えた。

「見えるぜ。少なくとも、俺はあんたをユスティに似た人間だと思ってる」

「ユスティに?」

 アイリにとって、その返しは想定外だった。アイリにとって、ユスティは自分からは遥かにかけ離れた存在だった。彼のような信念強さは無いと、アイリはそう自認していた。

「ああ。どこが、とは言いにくいけど……何つーか、根っこの部分は似てるように感じるぜ」

「『根っこ』……」

 アイリはジャックの言葉を上手く理解出来なかった。なまじユスティを遠くの存在と思っていただけに、ユスティに近しいところがあるとは思ってもみなかったのだ。

「……ホント、なんて説明していいか分かんねえんだけどさ、ユスティもあんたも、誠実なんだよな。ユスティは飛行機――というか技術に、あんたは『魔法』っていう学問に。学のない俺にはうまく理解出来ないけど、とにかく自分の信じるものに素直であろうとしてるように感じられるんだ」

 ジャックは言葉に悩みつつも、少しずつ自分の思う所を吐露していく。アイリは彼の言葉に自然と聞き入っていた。

「誠実であろうとしている、か……確かにそうかもね。『魔法』は父が大きく関わった学問だし、それに対して適当な態度ではいたくないと思ってはいるかも」

 だろ?とジャック。

「きっとユスティもそうなんだよ。あいつは技術ってものに思い入れがあって、だからこそ技術に対して敬意を払ってる。そうやって真面目に生きてるから、こういう仕事を続けられているんだ」

 ジャックの語るユスティについての考察に、アイリは賛同した。アイリにとっても、ユスティとはそういう人物像に見えていた。

「それ分かるかも。だからこそどんな悲惨な現実も逃げずに受け止められてるっていうか」

「な。すげえよな、あいつ」

 アイリにとって、ユスティの存在はとてもぼんやりとしたものだった。掴みどころがなく、輪郭も奥行きもはっきりとしない、そんな存在だった。そんな存在が、この数分の間に急速に固まりつつあるのをアイリは感じた。

「……ホント、凄いわね、ユスティって」

 そう呟くアイリのただならぬ様子に、本人に先んじてジャックが気付いた。

「――」

 しかし、彼はかけるべき言葉を失った。――というか、自分の発しそうになった言葉に疑問を抱いてしまった。

 彼はアイリの様子をからかう言葉を発しようとした。しかし、その言葉の根源――動機について考え直したところ、彼はアイリをからかえる立場にないことに気付いてしまった。

 その場に沈黙が流れる。その場にいる彼らも気付かぬうちに、その場の雰囲気は静かで柔らかなせせらぎの中に沈んでいた。

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